第3話 強引な公爵様
「あの後、言い訳を考えるのが面倒になってね。今は遠出をする気が起きないんだ、と言って、無理やり納得させたんだ」
「……では、ウームイヴェン諸島には」
「うん。行かなかったよ。どうかな。これであの時の人物が、僕だったって納得してくれた?」
デーゼナー公爵様は、椅子の肘掛けに置いた腕を持ち上げ、顎に手を乗せる。そのままニンマリと笑う姿は絵になるけれど、私はそれを見つめている余裕はなかった。
ゆっくりと視線を逸らし、左右を彷徨った末に、両手を組んでいる膝に辿り着いた。
つまり、デーゼナー公爵様は私の変な発言を聞いてくださったということだ。それ自体は有り難いのだけれど……。
「あの、行きたいと言っていた方は?」
「ん? 彼かい? ウームイヴェン諸島に辿り着く直前に、水難事故に遭ったそうだよ」
「っ!」
「そんなに驚くことかい? レビ嬢が教えてくれたんじゃないか。行くことはオススメしないって」
やっぱりそうだ。デーゼナー公爵様は、初対面の、それも一介の令嬢の発言を、ただ鵜呑みにしただけじゃない。確証があって、聞いたんだ。
私は昔から、人のオーラのようなものが見える。その人の心情や、人柄を表すものならまだいい。どう接するのか判断する材料になるから。
けれど、私が見えるのは、ある意味、予知といってもいいものだった。
危険を知らせる黒いオーラ。
良い知らせを教えてくれる白いオーラ。
大まかにいうとこの二色で、とても分かり易い。そのため、子どもの頃はうっかり口にして、周りに気味が悪いと、後ろ指を指されていた。
けれど、危険があると分かっていて、止めないというのは難しい。良心が痛むのだ。だからあの時も、言わずにはいられなかった。
「私はただ、行かない方がいいと思っただけで、その先で何が起こるのかまでは、分からないんです。こんな私を、デーゼナー公爵様は気味が悪いとか、変だとか思わないんですか?」
「僕は君の忠告を受けて助かった。ただそれだけなのに、どうしてそんなことを思うのかな?」
「それは……」
皆、そういう目で私を見ていたから。それが当たり前だと……。
「分かった。この件も含めて、契約結婚をしないかい?」
「え?」
何を言っているのかさっぱり分からず、首を傾けた。すると、再び私に笑みを向けてくる。
「僕が変だとか怖いとか、そんな感情があるのか、レビ嬢自身が見極めればいい。うん。それがいいね。レビ嬢にも何かメリットがある方が納得するんじゃないかな?」
「確かにそうですが、デーゼナー公爵様は?」
「僕? 僕の方は最初に言ったじゃないか。レビ嬢を幸せにしたいんだって」
「っ!」
最初に聞いた時は衝撃だったけれど、二度目になると別の感情が心を支配した。けれどそれが何の感情なのか、この時の私は理解できなかった。
心臓がいつもより早く鳴っているのも、不安から来るものだと信じて疑わなかったからだ。この人の妻を、私が演じきれるのだろうか、という不安が大き過ぎて……。
***
けれどその不安は大袈裟なものではなかった。すでに婚約期間中から、それは的中した。
「何でそんなに驚くかな」
「だ、だって、今……!」
「うん。ルエラって呼んだよ」
「っ!」
何の前触れもなく、デーゼナー公爵様はサラッと私の名前を口にした。契約結婚を言い渡された翌週、つまり私たちの婚約が成立した、まさにその日に!
私が驚くのも無理はないと思う。ううん、思ってほしい! 特にデーゼナー公爵様には!
「僕たち、一カ月後には結婚するんだよ。それなのに、レビ嬢と呼ぶのはよそよそしくないかな?」
「出会って二週間ですよ。当たり前だと思います」
「うーん。数日で仲良くなる人たちもいるよ?」
「あぁいう人たちは特別なんです。あと、人見知りが激しい私も……」
自分で言っていて情けない。
デーゼナー公爵様は、そんな私を宥めるように、ベンチに座らせる。
そう、今日は婚約の手続きの帰りに、私たちは王城の庭園を散策していた。所謂、初デートのようなものである。
「そうだったね。ルエラはそういう設定だった」
「設定?」
「ううん。何でもないよ。でも、こういうのは慣れだよ、慣れ。僕が呼び続けていたら、ルエラもきっと、段々気にならなくなるって」
また、躊躇う素振りもなく、平然と私の名前を言う姿に、さらに落ち込んだ。確かに、デーゼナー公爵様を見ていると、私だけが意識して右往左往しているように見える。
でも仕方がない。私はデーゼナー公爵様と違って、社交的ではないし、異性にも慣れていないのだ。
免疫のない私が、契約結婚を受け入れただけでも褒めてほしいくらいなのに。
「だから僕のことも、ドニって呼んでいいからね」
「え?」
「これにも驚くの?」
「だって公爵様の名前ですよ。私が呼ぶんですか?」
それもドニ、と?
「そうだよ」
「恐れ多いです!」
「何で?」
何でって、こちらが聞きたいです! それと、見放された子どものような顔で見ないでください! 確か私とそんなに年齢、変わりませんよね。
婚約の署名欄に記入する時に見たのだ。デーゼナー公爵様は、私の二歳年上。二十歳である。
「だって、私は子爵令嬢ですから」
「さっきも言ったけど、一カ月後には公爵夫人になるんだよ」
公、爵、夫人!?
すでに夏から秋に変わりかけて久しい。それなのにも関わらず、まるで強い日差しを受けたかのように、私の頭はゆらゆらと揺れた。
「おっと。本当にルエラは危ないね。とりあえず、ゆっくりでもいいから、慣れていけばいいよ」
そう言いながら、隣に座るデーゼナー公爵様は、そっと私の頭を自身の肩に乗せた。もう一度「ゆっくり」と優しく言われ、私は頷く代わりに目を閉じた。
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