第2話 老紳士の正体は公爵様
一週間前、デーゼナー公爵様の仰る通り、私は本屋を訪れていた。
平凡な日常の中で、楽しむことができる場所であり、人が多いところが苦手な私にとって、安らげる場所。それが本屋だったからだ。
ならば、首都ではなく領地に住めば、と思うだろう。けれど我がレビ子爵家は、領地を持たない貴族だった。
どこかの貴族令嬢のように、親元を離れてひっそりと領地で過ごす。なんて優雅な生活は勿論のこと、片田舎で一人暮らしをする勇気もなかった。
「いらっしゃいませ」
扉を
私は顔を上げて、店内を一望する。
天井に届くほどの本棚に、びっしりと埋まった本たち。
背表紙の色はまちまちだが、どれも渋い色ばかり。時折、派手な色がアクセントとなって見えるのも、また良かった。
店の規模から、本の種類、品揃えなど。どれをとっても、さすがは首都に構えている本屋なだけはあると思った。
うんうん、と一通り満足した私は、誰もいない本棚の間に向かって、歩みを進める。
念の為にいうが、お客さんが少ないのであって、
私は早速、手前の本棚から、めぼしいものがないか、流すようにして見て行った。すると、緑色の背表紙が目に入る。上下に金色の模様が施された美しい背表紙を。
「あっ! 『シスター・ティリーの日常』の新刊がある。先週はなかったのに」
嬉しさのあまり、私は何度もタイトルを確認した。『シスター・ティリーの日常』の下に、巻数である『Ⅲ』まで数えることも忘れずに。
「こういう発見があるから、週一で通っちゃうのよね」
最早、自分の独り言など、気にならなかった。傍目から見たら、十分怪しく見えること、間違いなし! けれど、それほど気持ちが高揚していたのだ。
だから気がつかなかった。誰かが、自分の近くにいることを。
私はウキウキした気分のまま、背表紙に手をかけた。本棚から取り出し、それを掲げるようにして腕を伸ばす。
その途端、背中に何かが当たった。
「キャッ!」
私の小さな悲鳴と、持っていた本が床に落ちた音が、ほぼ同時に店内に響いた。
「お嬢さん、大丈夫かい?」
帽子を被った老齢と思われる紳士が、よろけた私の腕を掴んでくれていた。どうやらそのお陰で、本と一緒に、床にご対面することはなかったらしい。
「はい。ありがとうございます」
「いやいや、前を確認していなかった、僕の不注意で起きたことだからね。念のために聞くけど、痛いところはないかい?」
「特には……」
「それは良かった」
老紳士は帽子を軽く上げて、その場を立ち去ろうとした。
「あの、ご迷惑をおかけしたので、何かお探しの本があれば、お手伝いしたいのですが……」
「君は、この店のお客のように見えるが、違うのかい?」
「えっと、毎週のように通っているので、その、少しは詳しいんです」
「毎週……本が好きなのかい?」
本屋に通っていると言ったのだから、好きなのは分かり切っていると思うんだけど。
それでも、相手が老紳士だと思えば、この質問は別に変だとは感じない。
けれど、どう返事をしたらいいのか戸惑っていると、老紳士は床に落ちた本が目に入ったのか、拾い上げてくれた。
さらに本を叩いて、埃や汚れがないことも確認してくれている。
「『シスター・ティリーの日常』……もしかして、他にも『ジスの庭園にようこそ』とか読むのかい?」
「えっ? あ、はい。あからさまなタイトルだと、親が心配するので、ミステリーっぽくないタイトルの小説を……」
それも、パッと見、恋愛小説かな、と思うようなタイトルの本を選んで購入していた。
「なるほど。薄茶色の髪に黄緑色の瞳……。うん、君に頼もうかな」
「頼むって?」
「さっき君が言ったんだよ。何か探している本があるなら、手伝うって」
「そうでした。すみません。それで、何をお探しなんですか?」
ほんの少し前のことで、しかも自分から言ったことなのに……。あぁ、なんてダメダメなんだろう。
いつもならここで、呆れた反応や、溜め息が聞こえてくる。けれど老紳士は、優しく声をかけてくれた。
「ウームイヴェン諸島について書かれた本を探しているんだ。どこにあるのかな?」
「あの、差し出がましいとは思うんですが、ウームイヴェン諸島の本を求める理由は何でしょうか?」
「うーん。行きたいと言っている人物がいるから、としか言えないんだけど。それでもいいかな」
私は老紳士を凝視した。彼の周りに、黒い靄が見える。あまり良くない予兆の印だ。
「はい。けれど、行くことはオススメしません。ウームイヴェン諸島に関する本の場所はお教えしますが」
「……そうだね。行く行かないにしても、理由を言わないと。向こうも納得しないからね」
「っ! あ、ありがとうございます」
私の訳の分からない発言を、不快に感じるどころか、まともに返事をしてもらえるなんて! やはり老齢な男性は違うのね。
そう感動していたのに。まさかあの方が、デーゼナー公爵様だったなんて!
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