第2話 晋州城(チンジュソン)攻め
空想時代小説
6月、政宗は朝鮮半島南部中央の晋州(チンジュ)にいた。ここの晋州城(チンジュソン)は堅牢な城で、1年前に細川忠興率いる2万の軍勢で攻めたが、落とせなかった城である。守勢は5000ほどだったが、権(クォン)将軍率いる3500の正規軍と1万を越す義勇兵や僧兵が援軍に来たからである。権将軍は先の幸州山城(ヘンジュサンソン)で秀吉軍の攻撃から守り抜いた将軍である。
今回は、4万の大軍で攻めることとなった。政宗勢は小西行長率いる第2軍に配置された。正面からは宇喜多勢を中心とした5000。からめ手の北側からは加藤清正率いる5000。小西勢は西側の担当となったが、西側に門はなく、5間(10m)ほどの高い垂直の石壁が連なっている。そこで、北側の濠の水を抜くべく、西側に水路を掘り、南側にある大河の南江(ナムガン)に流す役割を担った。時々、石垣の上から矢を放ったり、石を落としてくる敵がいたので、その際に政宗勢の鉄砲隊が援護射撃を行っている。成実は、
「また土方か!」
と嘆きながら、穴を掘っていた。政宗と小十郎は前線にでなくて済むので、内心安堵していた。実は、はやり病で200ほどの兵が亡くなっていた。わけのわからぬ病で、発疹と発熱の症状がでた。隔離をして他の者にうつらないようにしたが、原因と薬がわからにので、ただ寝かして軽い食事を与えるしかできなかった。体力が弱っている兵は死んでいった。外国で戦うことの無情を政宗らはひしひしと感じていた。
「小十郎、我らはどうしてここにいるのだ?」
「殿、太閤様の命ですから」
「太閤の命ならば、どんな理不尽なことでもせねばならぬのか?」
「太閤にさからえば、改易の憂き目にあいまする」
「先日、清正殿の家臣が朝鮮にくだったというぞ。キリシタンなので、無駄な殺生をしたくない。太閤の我欲の戦いだと叫んでいったという話じゃ。ここで戦って、たとえ勝ったとしても、我々の領土として統治できるのか? 食い物は違うし、病もわけがわからん。こんなところの領主になったら苦労するだけではないか」
「太閤様は、明への橋がかりという考えということでしたが」
「明まで征服するのに、後何年かかるというのだ! 太閤はそれまで生きておらんぞ。だれが、その意志を継ぐのだ? 秀次様亡き後、淀君の幼い子か?」
「それは時の流れというもの」
「だから無駄な戦いと言われるのだ。太閤も朝鮮に来て、この惨状を見ればいいのだ!」
「家康殿が、太閤の渡海を止めているとのこと。家康殿は、この戦の終わり方を考えていらっしゃるのだと思います」
「先日、石田や増田が目付としてやってきたが、あいつらがいかん。何を報告するかわからん。ろくに戦いもせず、傍観者としてくる武将は好かん」
「あのお二人は、小田原の戦の際にも、忍城を落とせなかった方々です。武将というよりも文官といった役割ですから」
「筆と口は達者だからの」
城攻めには10日ほどかかった。櫓を組んで、石垣の上から鉄砲を撃ち込んだり、投石器を使って、石を飛ばしたりと、日本では見られなかった戦法もでた。政宗は、後方からの敵の防御が中心だったので、幸いなことに戦闘に加わることはなかった。結局は、加藤清正勢がからめ手の門を破ったのが勝利の要因となった。亀甲車という新兵器の効果だった。大八車に破城槌をつけ、その上に屋根をはり、鉄板をはったものである。それで上からの石落としや火矢の攻撃に耐えることができたのである。城内にいた兵だけでなく、逃げ込んでいた人々もなで斬りにされた。後から城内に入った政宗は、
「これでは統治できんな。わしが小手森でやった時と同じじゃ。あの後、小手森の民は決して我らになつかんかった。今回、わしは傍観者でよかった。のぉ、小十郎」
「ははっ、城攻めは逃げ場所を確保させねば、抵抗が激しくなり、お味方の犠牲も多くなります。今回、多くの婦女子が南江に飛び込んだとのことです。こうなってしまっては、だれが作物をつくるのか? この城をまかされる方がお気の毒です」
小十郎が心配したとおり、この城を引き受ける武将はだれもおらず、しかたなく総大将の加藤清正が統治することになった。
翌日、加藤清正主催の宴が、南江を見下ろす望楼で開催された。ここに政宗も招待された。さして活躍していないので、末席の方に小十郎とともに座した。宴席には、酌婦として朝鮮人女性も数人いた。荒廃した町の中から、よく探し出したものだと小十郎は思った。政宗のところにも酌をしにきたが、言葉は通じない。ふるえながら酌をしているので素人娘だろうということは想像できた。素人娘に芸妓姿をさせても似合うものではない。ましてや、目つきはぎらぎらしている。
政宗は苦い酒を飲んでいた。その内に、酒が進んだのか、清正の副将が偉そうに亀甲車の講釈をし始め、すすめられるままに、大盃で飲み始めた。案の定、足下がふらついてきて、一人の朝鮮人女性と肩を寄せ合いながら退出していった。他の武将は下卑た笑いを見せながら、それを見送っている。政宗と小十郎は、そんな光景を苦々しく思っていた。すると、二人の姿が見えなくなったとたん、ドボーンという川に飛び込む音が聞こえてきた。何事ぞ!と諸将が灯りを川に向けた。しばらくして抱き合った二人が浮かび上がってきた。清正の手勢が二人の死体を拾い上げたところ、朝鮮人女性の全ての指には指輪がしてあった。抱きしめて手を離さないためである。覚悟の無理心中の投身だったのだ。その様子を見て、諸将はぶるっていた。清正も統治の難しさを感じとったのだろう。ひと月ほどで、城を破却し、海岸部の西生浦倭城(ソソンポワソン)へ移っていった。
政宗は、晋州城の戦いの後、小西行長について行き、朝鮮の南西にある順天(スンチョン)にいた。ここは、秀吉軍がもっとも西に造った倭城(ワソン)である。伊勢志摩の湾に似たような内海の入り江が多くあり、水軍の基地にするには、最適の地と思われた。そこに三層の天守閣がある日本式の城を造るというのである。またまた土方仕事である。
政宗は、小十郎を連れて湾全体が見える高台に登った。
「小十郎、ここをどう見る?」
「入り江が多く、船をたくさん停泊させるのには便利ですな」
「小さい船ならばな。大きい安宅船ならばどうだ?」
「海が浅いので、岸壁まではつけられませぬ。沖に浮かべるしかありませぬな」
「揺れぬように大繩で結びつけてな。その光景、何かと同じではないか?」
「それは! 三国志の赤壁の戦い!」
「そうだ。風が吹いた時に火矢をかけられたら全滅じゃ。それに湾の入り口が狭い。あそこを封じられたら、逃げられんぞ」
政宗の言葉どおり、数年後、李舜臣率いる朝鮮水軍に攻められ、撤退ができなくなってしまった。
9月に入って、政宗は帰国を許された。政宗の朝鮮滞在は半年で終わった。諸大名より短期間だったのは金海城の活躍の様子を太閤が聞きたがったからである。政宗の合戦話は演出がかっていて、おもしろいのである。太閤の前で多少大げさに話している政宗だったが、内心は朝鮮で苦しんで死んでいった者たちを哀れんでいた。それもこれも目の前にいる太閤のいらぬ野心のせいだと思うとやりきれない思いだった。
救いは、伏見の館で愛姫(めごひめ)と過ごせることであった。すさんだ朝鮮での生活のことを思うと、愛姫との日々は夢のようだった。
「太閤の世もあとわずかだな。所詮は果たせぬ夢か」
完
あとがき
かつて韓国ソウルに3年間赴任していたことがあり、休みの時に夜行バス等を利用し、韓国内を旅行していた。目的地は城めぐりである。ソウル近郊の城から始まり、プサン近郊の城もまわった。その中でも、西生浦倭城(ソソンポワソン)は、見たこともない縦石垣の城で圧倒された。山に向かって石垣が伸びているのである。今では、多くの石がなくなったということだが、清正が造った当時は相当堅固な城だったと思わされた。説明板を読むと一度も攻め落とされなかったという。
順天に行った時には、史跡として認定されており、地元の人々が倭城を残そうとしていることに感銘を受けた。他の倭城が歴史にうずもれようとしているのに、復元作業をしているのには驚いた。英雄、李舜臣の最期の舞台ということもあるのだろうか。
交通は不便であるが、倭城めぐりをするのもひとつの旅の楽しみになると思う。
2023.7.19 飛鳥竜二
政宗、朝鮮に渡る 飛鳥 竜二 @taryuji
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
バイク一人旅/飛鳥 竜二
★3 エッセイ・ノンフィクション 連載中 10話
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます