クラスのカーストトップの陽キャギャルの裏垢を発見してしまったけれど、その裏垢がなんか思ってたのと違う話 ~クラスのアイドル女子の裏垢がまさかのガサガサ垢だった件~
第1話クラスのカーストトップの陽キャギャルの裏垢を発見してしまったけれど、その裏垢がなんか思ってたのと違う話
クラスのカーストトップの陽キャギャルの裏垢を発見してしまったけれど、その裏垢がなんか思ってたのと違う話 ~クラスのアイドル女子の裏垢がまさかのガサガサ垢だった件~
佐々木鏡石@角川スニーカー文庫より発売中
第1話クラスのカーストトップの陽キャギャルの裏垢を発見してしまったけれど、その裏垢がなんか思ってたのと違う話
俺の名前は宇佐美礼司。いわゆるところの陰キャである。
友人の数は多くなく、趣味はライトノベルとアニメ鑑賞。
彼女いない歴=年齢の、可憐に咲き誇る華も腐り果てる湿地を歩く十七歳だ。
そんな俺には最近ハマっていることがあった。
それはいわゆる裏垢女子――普段遣いのアカウントとは違うアカウントで、胸だの尻だの、そんな場所を恥ずかしげもなく万人に晒して貧しい自己顕示欲を満たしている女子をTwitterから発見することである。
表向きは満たされた生活を送っているように見える女子たちが、あられもない姿を自ら晒して「自分はこんなに凄いんです」とお気持ちを表明する行為――人それぞれ理由があるにしろ、それが裏垢を運営する最大公約数的な理由というものだ。
所詮、人間はどれだけ満ち足りた生活を送っているように見えても、満足というのはある意味塩水を飲むのと一緒だ。飲めば飲むほどもっと欲しくなる。もっと注目されたい、もっと満たされたい、もっと褒めてほしい――。
そんな貪欲な人間の本性を見つめ、やはり人間とはこれほどまでに汚い生き物なのだと、確認して安心する行為――それが俺にとっての裏垢発掘なのであった。
だが――その裏垢女子の一人が、クラスメイトの女の子であったら?
しかもそれが、クラスのスクールカーストの頂点に座る、派手好きで美人でギャルの権化のような人で、元々から自己肯定欲の塊のような人だったら?
そのことを知ってしまった日には。いくら俺のような陰キャであっても、その時は流石に平常心ではいられないだろう。
結論から言うと――そんな有り得ない事態が、俺の身にも起こってしまった。
数ある裏垢を発掘している最中に、俺はクラスメイトである、とある女子の裏垢を発掘してしまったのである。
当然、俺はそこに繰り広げられている光景に驚き、絶句し、恐怖した。
あの、あの人が、裏ではこんなことをしていたなんて――。
親しい人の不倫の現場を押さえてしまったような、妙な興奮と動揺、そして何故なのか、それを圧倒する後ろ暗さ、罪の意識があった。
数日、悶々とした挙げ句に――俺は矢も盾もたまらず、その裏垢のことを、あろうことか本人に問いただした。
しかし、俺はあなたの運営する裏垢を知ってしまったのだと告げられたところで、本人は悪びれることすらしなかった。むしろあろうことか、だって楽しいじゃんなどと、あっけらかんと言い放った。
俺はその態度に少し憤り、どういうつもりでこんな裏垢をやっているのか、これがどちらかというと恥ずべき行いではないのかと、周りにこんなことをしてると知られたらどうなると思っているのだと、少し躍起になって問い詰めてしまった。
しかし、その裏垢女子は逆に俺に言い放った。
「そんなに悪いことだと思うなら、一緒来てよ。魅力を教えたげるから」
俺は激しく動揺した。こんな不埒な行いを悪びれようともしないどころか、あろうことかこちらまで誘ってくるとは。
一体どういうつもりだという言葉をもごもご呟く俺の声は彼女のデカい声と圧倒的陽の気に打ち消され、俺は今度の週末、この陽キャの権化と一緒に裏垢に載せるための写真を撮りに行くことを約束させられてしまったのである。
そして――今日このときに至る。
じりじりと陽の照りつける中、俺は何故なのか、近所にある小川の上に、ホームセンターから買ってきた長靴を履いて立っていた。
メダカが泳ぎ、カワセミが空を飛び交い、子鹿たちが跳ね回るうららかな清流――というには程遠い、草刈り機とコンバインが煩いエンジン音を奏でる、田んぼの真中を流れる、所々がコンクリートと蛇籠で護岸された小川である。
「うおーヤバい! すげぇデッカイザリガニ入った! ウサミン、見て見て!!」
その先で――眩しい白のTシャツに有名釣りメーカーの帽子、そして渓流釣りに使うウェーダーという出で立ちで、ど派手にデコレーションした髪をキッチリとタオルで覆った人物は、服の上からでもやたら肉付きのいい身体をばるんばるんと揺すりながら川の中を駆けてきた。
「ほらウサミン! めっちゃデカくね!? すげぇ特定外来生物感あるじゃん! コレ生きたまま運んだら違法なんだよ! だから私今めっちゃ犯罪者! スゴくね!?」
差し出された網の中を見た俺は――ぎょっと目を瞠った。
なんだこれ、ザリガニじゃなくてロブスターじゃないのか? 真剣にそう疑いたくなるほどの大物が、網の中で両手を振り上げ、興味津々で覗き込んでくる人間たちを精一杯威嚇していた。
「おっ、おお……! 三十センチぐらいあるな。桃崎さん、どこで入ったん?」
「そこそこ! そこの蛇籠のところ! ガサガサ二十回ぐらいやった! バシュッて! 凄い勢いで飛んできた!」
「うおおお、マジかぁ……! すげぇなガサガサって。こ、これはハマるな……!」
「だべ? だべ? いいべガサガサって。……よーし、んじゃあいっちょ写真うpるか! ウサミン、ちょっと網持ってて」
言うが早いか、クラスのカーストトップに君臨するギャル美少女――桃崎
「よーしよーし、後はこれを加工して……コントラストごっさ濃くするとホラ、赤みが強くなってより強そうになるべ?」
「どれどれ……うわ、本当だ。なんかより赤が濃くなった、なんか凄い強そう……!」
「あとはこれをインスタとThredsと……Twitterにうpして……一時間後に『いいね』十個以上ついてたらとっておっきの場所に連れてってあげっから。ウサミン、たくさん祈れ」
「おっ、おおおお、とっておきの場所……! なんか興奮してきた! 桃崎さん、そこには何がいるの!?」
「うひひ、秘密。さぁツイートするぞ……よし、行った!」
そんな感じで、俺たちはぎゃあぎゃあと騒ぎながら、田んぼの真ん中で飽きるまでガサガサと川辺を網で探り、小魚やザリガニを見つけては大騒ぎした。
そう、我がクラスのカーストトップに君臨する陽キャの権化であるギャル――桃崎
その裏垢は、まさかのガサガサ垢なのでした――。
◆
ガサガサ――それは世の中を跋扈するギャルという生物には――いや、それどころかギャルでなくとも、大概の人間は興味を持ち得ないであろう、最も原始的で地味なアウトドア趣味である。
知らぬ人のために解説を加えておくと、ガサガサとは川の中に立ち入って網を水中に突っ込み、文字通り「ガサガサ」とやって、網の中に入ってくる水生生物を見て楽しむ、という他愛もない遊びである。
キャンプのように、男を魅せられるわけでもない。
釣りのように、ビッグファイトが楽しめるわけでもない。
ハンティングのように、動物との駆け引きもない。
それどころか、網の中に入ってくる魚を食べることすらない。
ただただ、網の中にいる生物を観察して楽しむだけ、という行為である。
ただ――そんな行為でも、真面目にやってみるとこれほど面白いものだとは――俺は全く知らなかった。
「うおー! 三十分で『いいね』二十二個もついた! 新記録!! ザリすげー!!」
コンビニから買ってきたぬるいポカリスウェットで水分補給している休憩の最中、桃崎さんが手を叩いた。
マジで!? と俺が身を乗り出すと、桃崎さんが自慢げにiPhoneの画面を見せてきた。
いいねの数もそうだけれど……俺は多少圧倒されたような気持ちで言った。
「桃崎さん、本当にガサガサ好きなんだな……メディア欄がみんな生き物の写真とか、マジで?」
「そう、めっちゃ好き! 週末なんか次どこ行こうかなって常に考えてるし!」
桃崎さんは弾けるような笑顔と声で肯定する。
「ここもうちの地味な研究で見つけた場所なんだよね! 用水路で川が田んぼと繋がってるから湿地帯を繁殖場所にしてる生物も凄い多いの! だから大物もいるし、時期が時期ならナマズとかもいるんだよ! 凄いでしょ!?」
湿地帯、繁殖場所、ナマズ……これがスクールカースト最上位の女子の口から出てくる言葉だろうか。陰キャでオタクな俺とはまさに対極、いつも人に囲まれ、その美貌と派手さで常にみんなの中心にいる桃崎百愛が、これほどまでに里山の生物に通暁しているとは、たとえどこぞの名探偵だってすぐには勘づかない事実だろう。
そうは思いつつも、俺はその事実より、今桃崎さんが口にしたトリビアの方が気になった。
「湿地帯を繁殖場所にする、っていうと?」
「ん? えーっとね、つまり昔は湿地帯を繁殖場所にしてた生物は、今は人間が作った田んぼを繁殖場所の代わりにしてるってこと」
桃崎さんはスラスラと説明した。
「湿地帯は水深が浅いから外敵に見つかりやすいってリスクはあるんだけど、日光がよく当たって餌になるプランクトンが豊富だし、水流も穏やかだから生物の繁殖場所としては理想的な場所なんだよね。だからナマズやカエルなんかは人間が作った田んぼを使って、そこで卵を産むわけ。そしてそれを狙った大型魚や甲殻類、水鳥やイタチなんかの動物も繁殖できる。ホントよく出来てるよね」
「ほぉー、つまり、田んぼを作る人間がいるからそれらの動物も繁殖できるってわけか」
「そういうこと」
桃崎さんはニッコリと笑った。
それを聞くと、周りで農家のおじさんたちがやかましくエンジン音を立てながら草を刈っている田んぼが、なんだか凄いもののように思えてきた。ただお米を生産するだけではなく、この田んぼひとつひとつが圧倒的な数の生物のゆりかごなのだ。
今度からお米はよく味わって食べよう……俺が爽やかな感動とともにそんなことを決意してると、じーっ、と、横の方から視線を感じた。
振り向いた先で――桃崎さんが興味津々、という表情で俺を見つめていた。
「――何?」
「ウサミン、変わってんね」
「え、何? 変わってるって言ったら桃崎さんの方が――」
「だってヒかないじゃん、ウチがこんなことしてても」
桃崎さんが笑みを深くする。
「フツー、ウチみたいなのがこんなことしてたらヒかね? こんなギャルが付け爪も外してウェーダー履いて汗だくになって小魚取って喜んでんだよ? めっちゃ似合わんなーって思うとこじゃね?」
「いや、正直、似合わないなぁとは思ってるぞ」
俺はそこは素直に同意した。
「けど桃崎さんが本当にガサガサ好きなのはわかるから、似合わないとは思うけど笑う気はない。それどころか凄く知識もあるから素直に尊敬してるよ」
「うおー、凄い長文で語るね」
「理系がからきしの文系だからな」
「あはは、ウサミンとは初めて話したけど意外に面白いこと言うじゃん」
やたら上から目線で桃崎さんはそう評した。実際彼女と俺では立ち位置が違いすぎるので、どうやったって上から目線にはなるだろう。それがわかっているので不思議と見下されている感じはなかった。
「でもビックリしたなぁ、『この裏垢って桃崎さんのでしょ?』って言われたときは流石にたまげたし。ウサミンどこで気づいたんだっけ?」
「『Nonno100』っていうIDと、写真に映り込んだ風景、それと私物かな。そのキーケースに見覚えがあったんだよね」
俺は桃崎さんが腰にぶら下げたピンク色のキーケースを指した。この人は通学には原チャリを使っており、ここにもそれで来たのだ。お陰で交通手段が自転車しかない俺は現場に到着する前から大汗をかく羽目になってしまったのである。
「ヤバっ。キーケースから個人特定するなんてヤバくね? どんだけ裏垢発掘好きなん?」
「好きっていうか、それで安心してるような感じだな。たまに無性に人の裏が覗きたくなるんだよ」
「何それ。意味わかんない」
「陰キャは人間観察が好きなんだよ」
俺が何となく誤魔化すと、少し無言になった後、桃崎さんがおずおずと口を開いた。
「ウサミンってさ、裏垢発掘得意なんだよね? やっぱ結構その、エロいっていうか……そういう写真とかも見てるん?」
なんだか声が後半小さくなった気がして桃崎さんを見ると、桃崎さんは少し顔を赤くしていた。その反応に、ん? と俺は驚く気分を味わった。
「え、何その顔?」
「だ、だってウチ、そういう話題NGだしさ……。ハズいじゃん、そういう話題」
桃崎さんは膝を抱え、ぼそぼそと呟く。
「なんかみんなは普通にそういう話題も平気かもだけどさ、ウチはみんなにお願いしてNGにしてもらってんだよね。だってまだそういうのウチは全然わかんないし。ウチはこうやって川とか用水路にいた方が楽しいしさ……」
えぇ……と俺は呆気に取られた気分だった。この派手で明るくて、その魅惑の美貌と肉体でオトコを取っ替え引っ替えしてそうな陽の気の塊のような人が、実はそういう話題すらNGのウブなオボコとは。
俺が何故なのか少し勝ったような気分で「そうなんだ……」と意味深な返答をすると、桃崎さんが少し慌てた。
「えっ、何その反応?」
「いや、今日イチで意外だなぁと思って。ふーん、桃崎さん、ウブなんだなぁ……」
「な、何!? なんかムカつくその反応! ウサミン何考えてるん!? ま、まさか、意外に経験豊富かコイツ……!」
「んふふ、そういうところがもうウブだなぁ……」
「んあー! なんかめっちゃ変なこと考えられてますかウチ!? あーもう、なんかむしゃくしゃしたから次行くか、次!」
やたら肉付きのいい尻を払って立ち上がった桃崎さんに、えっ? と俺は間抜けな声を出した。
「次って?」
「場所変えるの! さっき言ったでしょ? いいね十個ついたら特別な場所に連れてってあげるって! 言っとくけど次に行く場所はガチで秘密の場所だからスマホのGPSは切って!」
「えっ、GPS切るの? なんで?」
「そりゃネットにうpれば画像の位置情報から場所特定されるかもじゃん! あくまでガサガサは自然にメーワクかけないようにやるものだし! わかったらホラ、とっとと切る!」
バシバシ肩を叩かれながら、俺は慌ててスマホを取り出してGPSを切った。
切りながら……本当にこの人はガサガサが好きなんだなぁと、何度目かわからない感想を抱いていた。GPSの位置情報から場所を特定されるなんて、裏垢発掘が好きな俺でもすぐには思いつかない要素だった。この人はあくまで生物を捕獲し、見て楽しむ以外のことを考えていない。自分という存在が自然に余計なダメージを与えることを好まないのだ。
「切ったか?」
「今切った」
「よし、じゃあ行くか。ちな本当に秘密の場所だから、口外は厳禁ね! 誰にも喋っちゃダメだよ!」
何回も念を押されて、はいはい、と俺は苦笑いした。
◆
桃崎さんが言うところの「秘密の場所」――そこは田んぼだった場所が原野に還りつつあるような、いわゆるところの耕作放棄地だった。既に夏に差し掛かっているため、荒廃した田んぼに生い茂った雑草は腰の高さほどもあり、藪を漕ぐのに苦労した。
永遠に続くかと思われた藪こぎが終わると、サラサラという僅かな水の音、そして水の匂いがする。
そう思ってから、ハッとしてしまった。このたった半日で、水の匂いというものがわかることになっていることに驚いた。
何かが元に戻りつつある――俺の中に、そんな感覚が芽生えてきていた。今まで人間社会で暮らしていくために捨てざるを得なかった感覚が、少しその社会から逸れただけで、ゆっくりと研ぎ澄まされ、元に戻っていく。
水の匂いを嗅ぎつける能力。それは水が豊富な社会では退化して然るべき能力なのだろうが、そこから外れると一瞬で元に戻ってくるほど、やはり生物にとって重要な感覚なのだろう。
自分の意外な変化に驚いていた時、生い茂るヨシ原の向こうに、遂に水面が現れた。
「さ、ついたよ。ここがウチのとっておきの場所! ここもウチが発掘したんだぜ」
桃崎さんが自慢気に手で指したところにあったのは、澄んだ水がゆっくりとした流速で流れる小川だった。さっきの田んぼの中の川とは違い、半ば朽ちかけた木の板で申し訳程度に土留がされている箇所がある以外、最近人の手が入った形跡はなかった。
しかし――森の中を流れる雄大なせせらぎのような場所を想像していた俺は、正直戸惑ってしまった。昔はここらの耕作地に水を供給する水路だったのだろう小川は、しかし今は管理放棄されて久しいらしく、長靴程度でも十分なほど水深が浅い。ここにそんな特別な生物がいるのだろうか。
「ここがとっておきの場所――?」
「あ、その顔はなんか想像したのと違うって思ってるな?」
考えていることをズバリ当てられて、俺はぶんぶんと首を振った。慌てた俺を見て、桃崎さんは意味深に微笑んだ。
「いやいや、隠さんでよい。でもなウサミン、ガサガサっていうのは意外にそういうもんちゃうねんな?」
「なんで関西弁?」
「ガサガサっていうのはな、あくまで身近な場所から貴重な生物を採るのが醍醐味やねん。ヤマメがおるような清流は登ってくのにも苦労するし、しかも意外と生物が少ないんや。そういう場所はそういう場所で楽しいけど――ここはホンマにとっておきやねん。凄いのがおるんやで」
「そ、そんなに――? なっ、何がいるんだ?」
「やってみたらわかる。ささ、早速行こっか」
言うが早いか、桃崎さんはひらりと土手から身を踊らせ、小川の中に降り立った。俺も遅れて川の中に入ると、桃崎さんはゆっくりと上流へ遡行を開始した。
「狙うポイントとかある?」
「うーん、まずうちらが川に入った後は魚たちも驚くから、このヨシの根っこの陰とかにいると思うよ。魚ってのはびっくりしたら下流に向かって逃げるから、下流の方に網の口を向けてみて」
簡潔にアドバイスしつつ、桃崎さんのつけまつげに縁取られた目は真剣そのものだった。いつもよりメイクが薄いけれど、やはりその横顔は、その端正な造りだけでハッとするような魅力がある。
しかも、教室では一度も見たことがない、この触れれば切れそうな眼光――全身をセンサーにし、ガサガサと物陰に網を突っ込んで探りを入れていく様はなんだかとても絵になっていて、一瞬、この人がクラスカースト最上位のギャルであることを忘れそうになる。
そう、言うなれば、この人自身が自然の一部に同化しているかのような――。
思わず、ガサガサするのも忘れて、その真剣な横顔に見入っていた。俺の視線も意に介さず、桃崎さんは気配を殺すように押し黙り、中腰の姿勢のまま、ヨシの陰にゆっくりと網を差し入れ、細かく二、三度揺すった。
慎重に、まるで壊れ物を扱うように網を覗き込んだ桃崎さんの顔が――パッと笑顔になった。
「入った! 入ったよウサミン!」
その一言に、俺は慌てた。自分の網を水から引き抜き、飛沫を蹴立てて桃崎さんに歩み寄った。
「どっ、どれ――!?」
「ほら、これ!」
桃崎さんが網の底を掌で持ち上げると――意外なものが目に飛び込んできた。
体長は二センチほど。よっぽどの大物を想定していた俺は、まずはその大きさに拍子抜けした。
いや、それどころか――この大きな目、ぽってりと膨らんだ腹、扇子のように広がった尾びれに――なんだか物凄く見覚えがある。記憶と違うのは、その体色が見知った鮮やかなオレンジ色ではなく、鈍くくすんだ黒色をしている点だった。
俺は思わず口に出した。
「これ、メダカ――だよね、桃崎さん?」
「そう、ミナミメダカ。ダツ目メダカ科メダカ類。絶滅危惧種Ⅱ類」
絶滅危惧――その物々しい言葉に、俺はメダカではなく桃崎さんの顔を見つめた。
桃崎さんは少し安心したとも、寂しそうとも言える表情でメダカを見ていた。
「そう、とっておきってのはメダカのことだよ。昔は日本人にとって凄く身近な生き物だったんだけど、環境が変わっちゃって凄く数が減ってるんだ」
まさか、メダカが? メダカぐらい、ホームセンターにだってたくさん売っているじゃないか。そう言おうと思ったけれど、桃崎さんの顔は冗談を言っている目ではなくて、それどころか、まるで自分が昔暮らした家が取り壊されていくのを見ているかのような、少し悲しげな目をしていた。
「減ってる理由は色々ある。農薬とかの使用、河川の護岸工事や用排分離による環境の変化、ブルーギルやアメリカザリガニなんかの外敵の増加、人為的な改良種の違法放流による遺伝子汚染――みんな人間の都合だよ。この子たちはもう、日本ではそんなに数多く生きていけない生物なんだ」
まさか、そんなことが起こっているとは――この人と一緒にこんなことをしていなければ、メダカという生物に迫ったこれほどまでの危機を知ることなどなかっただろう。
俺が思わず絶句していると、桃崎さんは少し気を取り直したような表情で続けた。
「でもね、それは仕方がないことなんだよね」
「え? し、仕方がない――のか?」
「うん、仕方ない。メダカだって人間の生活を上手く利用して生きてきた種だから。人間の生活が田んぼや用水路を必要としなくなったら消えていっちゃう。もちろんメダカを守ろうとすることは大事だけど――その一方で、私はそのことも忘れちゃいけないと思うなぁ」
なんだか、いつもテレビやなんかで聞く、綺麗事を並べた生態系保全なんかの話とは真逆の内容に聞こえた。ある生物がいなくなるのは仕方がないこと――やはりこのギャルの権化のような人から吐かれた言葉とは思えないその言葉に、何故だか俺は動揺した。
「メダカがいなくなることを仕方がないと思わなきゃって……どうして?」
桃崎さんは俺を振り返った。その顔の近さに少しドキッとしてしまう俺に構わず、桃崎さんは真剣な目と表情で口を動かした。
「だって――人間がいない自然なんて、むっちゃキモいじゃん?」
キモい。如何にもこの人らしい陽キャの塊と言える言葉だったが、それ故にシンプルに人の胸を打つ響きがあった。
人間のいない自然はキモい、どういう意味だろうか。
「そりゃ世の中の環境問題なんて、人間が絶滅すりゃ大概は解決するかもだし。でもね、それじゃダメなんだよ。人間が消えれば、何かの生物の数が減ればある生物が増えるだなんて、本来そんな簡単な足し算引き算で考えていいもんじゃない。みんな生きてんだからさ」
桃崎さんは明らかに、なにかに対して苦言を呈していた。それが何だったのか、俺にはよくわからない。
けれど桃崎さんはガサガサを、水場の生物を愛好するものとして、確実になにかの風潮に対して憤り、それを変えようと考えているのだと、その口調と顔から伝わってきた。
「それに、人間がいない自然を想定するなんてエラそうでムカつくし。それは人間が普通の生物とは違うって考えてることじゃん。アメリカザリガニやブルーギルやブラックバスが増えればメダカが減る、それと同じだよ。水を必要とする人間が増えたからメダカやナマズ、カエルも増えれてた。今はそうじゃなくなったから減ってる、それだけなんだよ。人間の営みを自然の法則から抜いて考えるなんて、そんなのグロいからウチは絶対嫌だ。それはキモいことでしょ。わかるべ?」
そこまで言って――あ、と桃崎さんはなにかに気づいた顔になり、顔を背けた。
「うわ……ハズっ。めっちゃアツなって語るやん、私……ごめんね、ダルかったよね?」
「いや、全然、全然そんなことなかった。凄くためになった」
先程の桃崎さんの真剣さに応えるように、俺は真剣に首を振った。
「それどころか、なんか――凄く大事なことを教わった気がする。そうだな、凄く寂しい話だと思った」
「うぇ? 寂しい?」
「なんかさ、メダカはここでちゃんと生きてるのにさ、勝手に絶滅危惧だなんだってレッテル貼られて、いなくなったことにされるって……寂しいだろ。俺は陰キャだから凄くよくわかる気がするんだよな」
俺は本心から口にした。そう、陰キャとは、陽キャによって一方的に存在の陰影が左右される生物なのだ。光がなければ陰もない。光がちゃんと光っていてくれないと陰も有り得ないのに、しかしその光に直接照らされると陰は消えてしまうのだ。
「ちゃんと生きてるのにさ、誰も『あぁ生きてるんだな』って確認してくれないのって――なんか凄く悲しい話だろ。桃崎さんがここにきて水の中に網を突っ込んでくれなきゃ、このメダカたちはここで生きてたことにならなかったかもしれない。絶滅しちゃったことになってたかもしれない。誰でも誰かがこうやってたまにガサガサして見守ってやんないといけないんだなって、なんだかそんな風に思ったな――」
俺がしんみりとした口調で言うと、ぽかんとしていた桃崎さんの顔が、ゆっくりと笑顔になっていった。
「ほーん、めっちゃ長文で語るやん、しかもめっちゃいいことを。ウサミン、やっぱ変わってんね」
「理系がからきしの文系だからな」
「それにしたってだよ。……さぁ、もういいか。メダカを放流しよ」
そう言って、桃崎さんは網の底を水中で持ち上げ、ゆっくりと揺すった。
メダカは上流に頭を向け、小さな尾びれでゆっくりと水を掻き、徐々に網から離れていく。その先、ヨシの根っこによって水流が弱くなった部分にいた、十数匹の小さな群れ――メダカはそこに向かって一生懸命に泳いでゆき――やがてその一員に戻った。
メダカの学校――そんな単語を思い出して思わず微笑んでしまうと、桃崎さんも微笑みながら俺を見た。
と、そこで――吐息がかかりそうなお互いの顔の近さに、心臓がドキリと跳ねた。
桃崎さんも驚いたように顔を赤くして、けれど顔を逸らすこともなくて。
俺たちは一瞬、真正面から見つめ合ってしまった。
なんて綺麗な瞳――格好が派手だからあまり意識したことはなかったけれど、桃崎さんの瞳はまるでよく研磨された黒曜石のような、澄んだ色の瞳だった。その瞳に飲まれてしまったかのように、飽くことなく見つめていると――ふと、桃崎さんがぷいっと顔を逸して、ぼそぼそと口を開いた。
「……ウサミン、顔近すぎ、近すぎだから。あーもう、ビックリしたぁ……」
あ、もう少し見ていたかったのに……俺が何故か少しガッカリしたような気分になった。桃崎さんはTシャツの胸のところに手を押し当て、うるさい鼓動を治めようと躍起になっているようだった。
クラスの中ではどんな男子にでも分け隔てなく関わっている癖に、多少見つめ合っただけで、このやられよう……やっぱりこの人は見た目によらずウブなんだなぁと俺が少し感動していると、あ、と桃崎さんが何かを発見した声を発した。
「あ、今の……! ちょ、ヤベェよウサミン! ウナギ! ウナギいた!!」
「は――!? う、ウナギ!?」
「ウナギ、しかもすげぇデカいのがいた! そこの岩の隙間から顔出してた!!」
「マジマジ!? どこ!?」
「ほらそこ! そこなんだけど――ああ、顔引っ込めちゃった! よーしウサミン、絶対捕獲するべ! ガサガサしまくっぞ!!」
「よ、よし――ウナギ捕獲作戦だ! 桃崎さん、100いいね目指して頑張ろうぜ!!」
言うが早いか、俺たちは網を取り上げ、大騒ぎでガサガサを再開した。
もうすぐそこまで近づいた夏の気配に、俺たちのはしゃぐ声がうるさかった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
これは元々Twitterでネタのつもりでツイートした小噺なのですが、
ツイートするなり作者の予想に反して、
「これは惚れる」
「泥まみれのアイドル」
などと絶賛のコメントが相次いだ上にそこそこバズりもし、
これはもしかして作者の想定以上に皆さんの胸を打つ内容なのではないかと考え、とりあえず短編にしてみたものです。
別に世の中の裏垢女子の全てがチチだのケツだの出していなくてもいいだろ、という逆張り根性でやってみました。
いかがでしたでしょうか。
「面白かった!」
「続きが気になる!」
「ガサガサって楽しいよ!」
などと思っていただけるならば、
どうぞ下の『☆☆☆☆☆』をいくらか『★★★★★』にしていただくことで
ご評価いただければと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
【VS】
こちらの連載作品ももしよければどうぞ。↓
『強姦魔から助けたロシアン娘が俺を宿敵と呼ぶ件 ~俺とエレーナさんの第二次日露戦争ラブコメ~』
クラスのカーストトップの陽キャギャルの裏垢を発見してしまったけれど、その裏垢がなんか思ってたのと違う話 ~クラスのアイドル女子の裏垢がまさかのガサガサ垢だった件~ 佐々木鏡石@角川スニーカー文庫より発売中 @Kyouseki_Sasaki
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