雨の放課後
絃亜宮はと
雨の放課後
ポツポツと、一見すると規則的に見えて散乱した音を奏でる雨が、私の心をより一層、鬱蒼とさせる。こういう放課後は、自然と足取りが重くなってしまうものなのだろう。これは決して雨の所為などではない、恐らく、日が燦々と照り続く夏の暑い午後であったとしても、同じことが起こったはずだし、むしろそちらの方が猛暑の気怠さにやられて意気消沈していたかも知れない。
しかし、雨は非常に重要な因子である。というのも、私はこの雨の物悲しさに感謝してすらいるのだ。今まさに直面している大きな課題に身を焦がし、おおよそ自らが原因で先行きが不透明になっている将来の不安に思いを馳せ、こういう思考こそ一種の現実逃避であることに気付きながらも、見て見ぬ振りを続ける己に対して怒りも湧かない程に疲弊している、哀れな自分を、こんなにも情緒的に演出してくれるなんて、と思うと、心なしか嬉しくなってくる。
そこで私は感嘆を漏らす。私はなんと愚鈍な自惚屋なのだろうと。自己陶酔も甚だしい。
私は美学が好きだ。自然科学という学問が大きく発達したこの世界で、私はその恩恵を大いに享受していながら、人生の意義の本質は”美しさ”に在るのだと勝手な妄想を吐いている。理不尽で感情的な人間が紡ぎ出した感傷的な記憶に必死に縋り付いている。これは、構造が細分化し過ぎた現代社会と、仕組みを複雑視し過ぎた大宇宙からの避難なのか、批難なのか。将又、正確な理解と言語化さえ困難とされる高尚な哲学への好奇心なのか。もしかすると、都合良くその二つが融合しただけなのかも知れない。
そんな訳で、私は、冷たく響く雨音の中、黒く染まった路地の端を徐に歩む、憂鬱を抱えた侘しい人物のことを、非常に美しい存在であると思うし、その情景に感銘を受けるのである。これを、愚かなことだと侮蔑する人間は少なくないだろうが、過去の人世を振り返ると、この傾向を一概に否定することはできない。自己を俯瞰して見て、時には少し手を加えて、立派な芸術作品として仕立て上げることは、人類の長い歴史を見ても良くあったことではないか。その証拠に、私は今こうして冗長な文章を綴っている。これは、あくまでも古より伝わる素晴らしい伝統文化の形式を踏襲したものである。
ここまで書いて、私は、表面がすっかり結露してしまったカップを手に取り、残りのアイスティーをぐっと喉に流し込んだ。飲み終えたそれを机に置くと、カップの底に溜まった、大きめの氷の粒たちが、声も上げずに、只々その目を潤ませながらこちらを見つめてくる。彼らの哀願を無視して腕時計に目をやると、既に十八時を回っていた。顧みて窓の外を眺めると、薄暗くなりつつある空の下、道行く人々の中には、傘を差している者といない者が混在しているのが分かる。先程まで大胆に音を立てて降っていた雨は、もはやほとんど止んでいるようだ。
帰るか、と小さく呟いた私は、静かにノートを閉じて、その席から立ち上がった。
雨の放課後 絃亜宮はと @itamiya_hato
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