第8話 大団円
奴隷たちが神を崇めるのは、
「これから、近い将来において、自分たちが信仰している神が降臨し、自分たちを新たな道に導いてくださる」
ということであった。
それがいつなのか、そして、導いてくれるところが果たしてどういうところなのか? ということは分からない。
「皆は、そんなことを気にすることなく、神様にお祈りをするのだ。さすれば、きっと救われる。神様は信仰心の厚い我々を見捨てたりなんかしない」
というのが、神々に対している教えだったのだ。
この奴隷の世界には、宗教は存在しない。
一人を誰か、教祖として祭り上げてしまうと、かならず、差別が起こり、嫉妬に狂ってしまうと、争いは必定だ。
この奴隷の国においての絶対的な正義は、
「争いのない平和な世界」
であった。
だから、ここには有事というものは存在しない。今の日本という国のようではないか。
だが、酷似した体制でありながら、この国は日本を、そして、日本は奴隷と呼ばれるこの国のことを意識などしていない。
「あまり意識していない」
どころか、
「ほとんど、お互いの国の存在を知らない」
と言っていいのだ。
日本においては、世界にそんなおかしな国が存在するなどというのは、誰も意識していない。
「バチカン市国」
のような国が、もう一つある。
ということは、聞いたことがあったが、それ以上のことは知らない。
教育上も、奴隷を容認、しかも、自分たちで認めているということを大っぴらに教えるというのは、他の史実や、倫理観を、根底から覆しかねないものとして、政府が国民に意識させることはできないのだろう。
しかも、彼らのような国は、日本には基本的に存在していない奴隷制度を根底にしている国であり、奴隷ということをなかなか意識することもできないのに、理解するということは、おおよそ容認できないはずのことを、本人たちが容認しているという、
「何だ、この国は?」
と、下手をすれば、日本の国家体制に疑問を抱かせるようなことになってしまうことを、政府が許せるわけなのないのだ。
さらに、奴隷の国の方に至っては、日本という国の存在すら知らないのかも知れない。
奴隷たちであっても、その土地に学校もあり、義務教育も存在する。そして、希望があれば、他の国に留学することも可能で、
「留学であれば、他の国の土地を踏んでも構わない」
ということになっていた。
ただし、留学生になった場合の行動制限はしっかりとかかっていて、彼らのことを監視しているのだ。
それは、留学をする際に最初から言われることであるためなのか、今のところ、義務教育以上を求める子供はいなかった。
だから、今の彼らは、
「この国から出たことはない」
という人ばっかりで、義務教育の間、普通に教育は受けるのだが、日本という国の存在を語られることはなかったのだ。
もし、語られるとすれば、かつての世界大戦の中で、枢軸国の中心であったドイツの協力国という程度のことが書かれているくらいで、日本という国家についてほとんど語られることはない。
日本という国は、こちらの奴隷国家では、「
すでに滅亡した国」
ということになっているのだ。
つまり、大日本帝国からは、彼らが習う世界史からは抹殺されていることになる。
幸い、他国に留学する学生がいないので、日本国というものを学ぶことはないが、もし、留学する人が出てくれば、どうするつもりだったのだろう?
他の国にいけば、当然、日本という国のことも頭に入ってくるだろう。
世界の中での一番の大国というわけではないが、それでも、日本国としての立場は、結構あるといってもいいだろう。
そんな国のことなので、世界に出てくれば、知らないということはないし、彼らとすれば、
「大いに興味をそそられる」
と感じるに違いない。
そんな感覚をどこまで分かっているのか、どうして統治する国連が、そんな体制を許したのかが分からない。
「まさか、ひょっとすると、彼らに日本の存在を教育としてではなく、自分たちが興味を持って学ぶということにしたかったからだろうか?」
と考えた。
そうなりと、彼らにクーデターでも起こさせようかと感じたのではないかと思うと、彼らを留学生とするという考えも分からなくはない。
だが、彼らにクーデターを起こさせて、どこにどんな時があるというのだろう?
ひょっとすると、今の、
「奴隷を甘んじて受け入れる」
という国家体制が、まずいのではないかと国連が考えているのではないだろうか?
国連が自ら動くと、ロクなことはない。軍による直接制圧は、許されていない。
そうなると、内部抗争という形にしなければならない。
特務機関の登場である。
特務帰還というものが、どういうものであるのか、そして彼らがいかなる行動に出るのかは、戦争にはつきものなので、勉強しようと思えばできるはずだ。
しかも、奴隷として甘んじている彼らには、平常時でも、有事の感覚を持っている連中が多い。
そのため、クーデターという意識は彼らの中に常にあって、その思いをいいかに継続させるかということが、委任統治には必要だった。
そんなこともあり、派遣団の人たちにも、統治しているとはいえ、変なクーデターが起きやしないかという不安がいつもあった。
だが、実際に内部に入ってみると、平和で穏やかな空気が流れている。
日本国のように、平和主義をうたっていながら、平和ボケの中で、有事と言えるようなことに巻き込まれることもしばしばあった。
しかし、実際に戦争などという本来の意味の有事がないだけに、日本人の感覚はマヒしているのだ。
だから、有事になっても、慌てることはない。ただ、ある一定の限度を超えると、本当に何をどうしていいのかなど分かるはずもなく、やたらとどうしようもないうねりに、任せるしかなくなっているのだった。
「俺たちにとって有事は、まわりから巻き込まれることはないが、自分たちから起こすことはある」
と奴隷たちは考えていた。
ただ、その有事は、他国への侵略などではなく、まずは、
「支配階級国に対してのものか?」
それとも、
「国連の委任政府に対してのものなのか?」
ということであろうが、どっちともいえない。
それは、彼ら奴隷が、どこまで考えているのか、分からないからだ。
基本的に彼らは分かりやすい国家ではあるが、ある結界のようなものを超えると、彼らの考えはまったく分からなくなってしまうのだ。
下手をすれば、気配を消してしまって、路傍の石のようになってしまうのではないだろうか?
そんなことを考えていると、
「一体、どのような国家になってしまうのか?」
と、直接委任統治している国連にも分かっていないようだった。
奴隷たちの国家で、最近、あることが信じられているようだ。その発想は、SFなどでよくある考え方なのであるが、部位金では、論理物理学でも、その可能性について、大いに語られるようになったようだ。
そもそも、都市伝説的なことというと、
「存在するのか?」
ということが疑問として提起されるのだろうが、このことについては、
「存在しないのか?」
という方も論議されるゆえんとなっている。
それは、
「並行世界、並行宇宙」
などと言われているもので、
「同じ次元の中で、存在している、今いる世界と酷似している世界という定義のものである、パラレルワールドというものである」
この考えは、確かに元々あったものではないが、何かの疑問を考える科学や都市伝説をテーマにした番組で、
「パラレルワールドというのは、本当に存在するのだろうか?」
と書いていたパネリストがいたが、その時、ハッとした。
「そうか、逆にいえば、今では、パラレルワールドという世界は、存在するものとして考えられるまでになったのか?」
という考えである。
しかも、パラレルワールドというものを勘違いしている人も多いようで、
「時間軸が一直線に前にしか進めないとして、次の瞬間には、無限の可能性が広がっているが、運命によって一つしか起こりえない」
ということである。
運命がなければ、何が選ばれていたのか、分からないということだろう?
「一寸先は闇」
ともいうではないか?
作者は、そんな社会をパラレルワールドだと思っていたが、他にも同じように思っていた人も多いのではないだろうか?
だから、そういう意味で、自分が考えていたことと違うパラレルワールドが本当に言われていることだとすれば、他の考え方と最初から違っている。
そう思うと、最初から、存在していたものだという考え方もおかしくはないのではないだろうか。
この奴隷の世界というのは、
「ひょっとすると、このパラレルワールドなのではないか?」
と考える人がいた。
その対象が日本だということを考えた人はほとんどいないと思うが、自分たちの奴隷の世界というものが、パラレルワールドで、架空の世界に違いものだと考えるからこそ、
「自分たちは奴隷であっても、ショックなことはない」
と感じないのだろう。
そして、その奴隷の国の中で、パラレルワールドの存在を誰も疑わないことで、パラレルワールドという世界は、
「確実に存在するのではないか?」
ということに信憑性が生まれ、
「パラレルワールドというのは、本当は存在しているものなのだ」
と感じるようになっているのかも知れない。
そんなパラレルワールドという世界を想像した奴隷社会の人は、
「自分が想像していることは、他の連中にも分かることであって、気持ちは一つだ」
と感じていたことだろう。
しかし、それは実はそうではなく、逆にパラレルワールドとしての、もう一つの奴隷社会と言ってもいい、この日本に存在していた。
日本に存在しているその人も、
「パラレルワールドという世界は、そもそも存在するものとして、創造されたものであり、誰もが、信じているものなのだ」
と考えていたが、実際には、その存在を一番疑っていたのかも知れない。
だが、その人は、小説家であり、
「自分の発想がまわりの人とは、ほとんどの点において、違っている」
という考え方であった。
しかし、
「絶えず小説家というのは、自分の書いた内容が、本当のことになったりはしないだろうか?」
ということを考えながら書いているという。
もし、この奴隷の国が、日本のパラレルワールドであるとすれば、鏡に映ったかのような世界になるのであろうか? あまりにも違っている世界であり、世界観も考え方も違う。
ただ一つ思うことは、
「この奴隷という世界における神というのは、これほど人間臭いものもないのではないだろうか?」
というものである。
そして、これらの神が、まるで、
「ギリシャ神話における、オリンポスの十二神」
に考え方が、酷似しているではないか。
この物語を書いている作者は、
「これはフィクションだ」
と思って書いているが、本当にそうであろうか?
まさかではあるが、パラレルワールドが存在するかどうかは別にして、どこかの国には、
「奴隷として扱われていながら、自分たちの奴隷としての運命を甘んじて受け入れ、それだけに他国には絶対に知られていない」
というのが存在しているのではないだろうか?
「こんな国は絶対に存在しない」
という、狭い固定観念が、発想はしても、その存在を否定するのは簡単にしてしまうからではないだろうか。
このお話を書いている、私こと、作者は、最後まで書き手としての自分を表に出さなかった。
読んでいて、
「何かしっくりこない」
と思われていた読者も多いだろう。
つまり、このお話は、
「一人称小説」
であり。作者からすれば、
「してやったり」
と感じる、
「叙述小説だ」
と言ってもいいだろう。
ただ、作者も知らなかったが、奴隷世界に存在する私と思しき小説家がいて、似たような話を書いていたのだが、結果として、発禁になってしまったという。
私のこの小説が、本当に日の目がくることはあるのだろうか?
( 完 )
奴隷世界の神々 森本 晃次 @kakku
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