第5話 引っ越しのきっかけ
修理工場の二階で過ごす最初の夜。
もし、ここで長居するなら、もっとましなベッドを用意する必要があるな。昼間に作ったベッドで寝ながら、そんなことを思った。それから、シェーリーに視線を向ける。彼女はすでに寝息を立ていた。
そういえば、逃げ出すことになった街のアパートメントの部屋に住む前は、別な場所で暮らしていた。
海沿いの、少し辺鄙だけど、遠くに灯台がみえる洒落た場所に建つ、古びた一軒家。
なんだかんだ言って、あの家が一番居心地がよかったのかもしれない。
あの日は、シェーリーは昼前に起きてきて、シャワーを浴びていてた。僕はゆっくりとブランチタイムを終えて、その片づけと部屋の掃除に取り掛かろうとしていた。そのあとは、経費の精算をしなければならなかった。
そのとき、玄関の呼び鈴がなった。耳付きのニット帽を急いで身に着けて玄関へ向かう。
出てみると、きちんとしたスーツ姿という身なりで、猫頭の男女の姿があった。その向こう側に視線をやると、濃いグレーの色をした乗用車が一台止まっていた。
「どちら様ですか?」
「私たちは政府の土地管理庁の者です。こちらは、シェーリーさんのお宅ですよね?」
二人は僕の顔を見て、少しばかり怪訝そうな感じだった。
「そうです」
「それで、シェーリーさんはご在宅かな?」
「少々お待ちください」
僕はそれから、ドアを開けたまま、いったん家の中に下がった。
「シェーリー! お客様だよ」
「どこのどなた?」
「土地管理なんとかって、政府の人みたいだけど」
シェーリーはガウンを羽織って、頭をタオルで拭きながら、こちらに顔をのぞかせた。
「それって土地管理庁?」
「シェーリーさんですか?」すかさずスーツ姿の男のほうが言った。
「そうよ」
「重要なお話があるのですが、お邪魔してもよろしいでしょうか?」
「ええ、どうぞ。そっちの応接間でお待ちになって」
スーツ姿の二人は家の中に入ってきて、シェーリーは引っ込むと、すぐに着替えて出てきた。
「でも、私に対して仕事の依頼というわけではなさそうね」
「失礼ですが、お仕事は?」
「自営業よ」
「それと、あちらの彼は?」
「私のアシスタントとみたいなもね。雑用とかをまかせてるのよ」
「そうですか」
「それで、重要なお話は何かしら?」
僕はそこで、キッチンのほうへ引っ込んだ。それから、やかんでお湯を沸かし、来客用のお茶と軽食の準備にとりかかった。
そういえば、そろそろお茶のストックがなくなりそうだから買いに出なければならない。ビスケットも残りが少ないな。砂糖はまだ大丈夫だろう。
あれこれ考えながら準備を終えて、一式を乗せた盆を持って応接間に向かった。
シェーリーの声が聞こえた。
「それじゃあ、この家を手放して引っ越せ、ってわけね?」
「端的に言うと、そうです。もちろん、それなりに補償は出ることでしょう」
「政府のプロジェクトは、計画に通りに進めることが望まれています。この一帯に住んでいるのはあなただけですから」
なにか、移住を迫られているような話らしい。僕はそっと近づいた。
「お茶の用意ができました」
そういってから、カップをテーブルに並べた。そうしてまた、部屋から下がる。
そのとき、シェーリーは言った。
「レイン、二階にある記録書類の片付けの続きをしておいてね」
「は、了解です」
はて、記録書類の片付け? 二階にそんなものがあっただろうか? キッチンに盆を持って戻ったところで、シェーリーの目論みに気がついた。
とりあえず二階に向かう。彼女の部屋には、カメラがいくつかあった。
なるほど、土地管理庁の職員を自称する二人が乗ってきた車のナンバーとか、車内のようすを撮っておけということに違いない。
それからゆっくりと階段をおりて裏口から出て家の表にまわる。
二人の職員は窓を背に座っていた。わりかし自由に写真が撮れるだろう。
まずはナンバープレート、それから中の運転席のようすを写真に収めた。それからそそくさと家の中へ戻った。
ちょうど、話が終わったようで、シェーリーと例の職員は、玄関先に出るところだった。僕はそれとなく、応接間に向かい、窓際から職員の顔も写真に収めた。
「レイン、写真は撮れたかしら?」
「うん、なんとか」
「さすがね。だいぶ探偵業の要領に慣れてきたんじゃないかしら」
「ところで、あの二人は、本当に政府の職員?」
「まあ、車のナンバーはそれっぽかったわね。まあ、また来るらしいから、それまでに調べましょう。万が一にも私たちを騙そうと考える詐欺集団なら、あとで痛い目に合わせなくちゃ」
「ところで、なんの話だったの? 移住がどうのこうの、って言ってたみたいだけど」
「それを聞いてちょうだいよ。なんでもこの海岸一帯に風力発電施設を建てるからって、私たちに立ち退きをしてほしいって話しなの」
「ふーん」
「この家も取り壊しになるって言うのよ! まったく、私がここをどれほど気に入っているか知りもしないで」
「でも、シェーリー」
「なにかしら?」
「正直に言いうと、この家は、雨のときは、ところどころで雨漏りするし、買い物は不便だし、なにより依頼人が訪れるにしても、ちょっと町から遠すぎるような気はするけどな」
「レインったら、あなたも意外と辛辣なこと言ってくれるわね」
「ところで、なにか交渉はあったの? 補償はあるような感じだったけど」
「そうね。移住の補償が支払われるみたいなんだけど、今後五年間の家賃支援ってちょっとケチくさいと思ったから、立ち退きに同意させたければ一〇年間に延ばせって言ってやったわ」
「それで、話し合いの結果は?」
「まだ未定。彼らは、いちど上司に相談してまた来るってわけよ」
結局、街のアパートメントに引っ越しても、そこが安住の場所とはならなかった。
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