第3話 出会いは雨の日

シェーリーとの出会いは、とてもじゃないが、劇的なものでも、ロマンティックなものでもなかった。ひどいものだった。


あの日の始まりは、まるで二日酔いのような状態で迎えた朝のときのような気分だった。

仰向けに寝ていた。灰色の空の下、雨が降っていた。それで、ずぶ濡れの状態であることに気がついて、そこではじめて自分が屋外にいることに気がついた。


身体はひどくだるく、現実感が薄いような、まだ夢の中にいるような感じだった。


頭を少し動かして周囲に視線を向けると、あたりは、どこか雑木林のような場所で、下半身は、沼のような、小さな池に浸かっていた。


右手を上にかざしてみる。その手も腕も、泥で汚れていた。

そこで、口にの中にまで泥が入っていることに気がついた。途端に不快感が胸からこみあげる。

身体を横に向け、その場に吐いた。身体が痙攣するような感じで、自分の身体が自分のものではないような感覚に襲われた。


どれほどの時間、その場で吐き気に苦しみ、身もだえていたか……


何者かが近づいてきたと思ったら、声がした。


「あらあら、これはひどい有様ね」


その声に、一気に現実感が戻ってきた。


それがシェーリーとの出会いだった。


「あなた、大丈夫?」

「こ、これが、大丈夫なように見える?」


そこで一度、僕の意識は途絶えた。


次に気がついたのは、移動する車の中だった。タオルにくるまれて、助手席に座らされていた。


「あなた、人間よね」

「ほかになんだっていうんだ? それより、君は何者? その……」

「人間には見えない?」

「ま、まあ、そうだ。ここはどこ? 君は」

「私はシェーリー。探偵まがいの仕事で稼いでるわ。今日は、まさかとんでもないものを拾うとは思わなかったのよ。あなた、たぶん転生者よね?」

「転生? いったい、なんの話をしているのか、分からないんだけど」

「ということは、どうやら転生者みたいね」

「はあ……」

「それより、珍しいと思わない? この天気」


前方に目を向けると、小雨が降っていて、ワイパーはゆったりと右左に動いていた。景色の半分は海、もう半分は穏やかな丘陵地帯だった。


「天気? 雨が珍しいって?」

「そうじゃなくて、雨期以外の時期に降る雨が珍しいってことよ」

「その話は、今、重要なのかな?」

「重要といえば、そうかもしれないわ。あなたは、なにも知らないでしょ」

「知らないというよりか、なにが起きているのか、分からない」


しばらく、会話が途切れた。


僕は景色に視線を向けた。低く垂れこめた雲に、海のほうには靄がかかっていた。

車内に視線を戻す。ダッシュボードにはごちゃごちゃと書類やメモ書きの紙切れがあり、後ろは荷台になっている。大柄なピックアップトラックみたいな感じだ。

再び視線をフロントガラスの先に向ける。道の先の、海沿いにある小高い丘の上に、ポツンと家が建っていた。

次第に近づき、道を曲がるとまっすぐとその家に向かった。


玄関先に車を止めると、彼女は言った。


「珍しい天気とか、出来事が起きる日は、転生者がよく現れるらしいのよ。その調査をしていたの。まあ、私が記録できた初めての事例でしかないけど」

「転生……って、どういう意味?」

「ここが、“地球”じゃないってこと。そして、これが私の家よ」


木造の二階建てで、横には車庫と思われる小屋もあった。

それなりの大きさの家だが、お世辞にもきれいとは言えない見た目をしていた。潮風にさらされ、古びた感じだ。

それから、玄関からあたりを見渡すと、ゆるやかな弧を描くような海岸の先には灯台があった。


「さあ、さっさとシャワー浴びてその泥臭い身体をきれいにしてちょうだい」


彼女に追い立てられるように中へ案内されて、風呂場に追いやられた。


「まだ少し蓄熱水が残ってるから、熱いシャワーが浴びれるはずよ。これタオルね。それからその服はすぐに着れないでしょ? ガウン貸してあげるから、それ着て我慢してちょうだい。服は自分で洗ってね。ここ洗濯機ないからバスタブ使ってもいいわよ。それじゃごゆっくり」


疲労困憊のなか、まくしたてられられるように説明され、一人になった瞬間には、ただただ安堵した。

水色のタイル張りの床、シャワーとバスタブ、トイレと洗面台。鏡を覗くと、やつれた男の顔が映った。気がつかなかったが、頬には切り傷がついていた。血は止まっていたが、それと分かったとたんに急に痛み出したような気がした。


石鹸を手で泡立てて、シャワーを浴びて、残り湯を使ってバスタブで、着ていた服を洗う。濃いグレーで襟のないシャツ、黒色の作業ズボン。ポケットのなかには、なにも入っていなかった。



「それでねえ、あなたのことは、これからなんて呼べばいいのかしら?」


借りたガウンを羽織って、暖炉の前で火に当たっている僕に、シェーリーにそう訊いてきた。

僕はとっさに答えられなかった。ここにきて、自分の名前がわからないということに気がついた。思い出せなかった。

そして、自分が何者であるか、どこで生まれ、これまでにどんな人生を過ごしてきたのか、思い出そうとしても、そこには空白しか思い描けなかった。


「わ、わからない。思いだせない……」

「そう。あれね、記憶喪失ってやつかしら? でも名前くらいは、ないと困るわよね」


それから彼女は、窓の外に視線を向けて、つぶやいた。


「レイン……どうかしら? 悪くない響きじゃない? あなたのことは、とりあえずレインって呼ぶことにしましょう」


僕は、黙ってうなずいて、そのことに同意するしかなかった。ここで僕の名前は、レインになった。

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