第6話 高崎発福島・山形・仙台経由高崎行き

 三月第二週。土曜日。

 日中は小春日和になるも、明け方は真冬の如く寒い。そして暗い。前回の一月の時と同じで四時半に家を出る。暗く寝静まった街の中を自転車で十五分ほど漕いで高崎駅に着いた。

 改札口前のコンコースに十数人が集まっている。近づいていくと、改札機のゲートがすべて閉じられて、表示パネルは赤字にバツ印が表示されている。駅係員口の方を見ると幕式のカーテンが五分の一ほど開き、隙間から中にいる駅員が腕時計を見ている。

 待つこと数分、表示パネルが緑色の丸印に変わりゲートが開いた。待っていた人達と一緒に、7番8番線ホームへと向っていく。

 ホームに降りて始発電車を待つ。待っている間もどんどん人が駅舎からの階段を降りてきていつの間にか百人前後になる。奥の2番線ホームに、車内灯を消した回送電車が停まっている。

 5時10分発の上野東京ラインの普通列車が十両編成で入線。車内は数人しか乗っていなかったが、高崎からの乗車でロングシートの五・六割が埋まる。

 高崎を定時発車。倉賀野・新町に停まるも乗ってくる人はいない。神流川の鉄橋を渡り、神保原・本庄・岡部と数人ずつ乗ってくる。

 窓の外はまだ暗く、辺り一帯なにも見えない。貨物列車がすれ違うと車内灯の灯りに牽引されているコンテナがぼんやりと見える。

 熊谷を過ぎると空が明るくなりはじめ、薄黒色から青色の境が徐々に西の方へと移ってゆく。田畑には霜が積もり薄白くなっている。ひな人形の街の鴻巣に着くと駅周辺は住宅団地へとかわりはじめる。車内のロングシートはすべて埋まる。日が昇り淡青色が一面に広がる。

 上尾で通勤通学の時間帯になり、乗ってくる人の数が増えた。自分の前に立ち客がつり革につかまり、電車の揺れに合わせながら、前後左右に揺れる。

 6時25分、大宮で下車。


 大宮から新幹線に乗り換える。駅舎につながる階段は幅いっぱいにまで人で埋め尽くされている。階段を上がり、新幹線の乗換口へ向う。

 乗換口前の券売機と改札口付近には、スノーボードが入った袋と登山バックを背負った旅行客が行き先の電光掲示板を見上げている。事前に新幹線の指定特急券を購入しておいたので券売機には並ばず、そのまま改札口を通り抜けて、17番線ホームへ向かった。

 6時37分発山形新幹線「つばさ121号」が入線。車両はE3系の七両編成。車内は満席にちかい状態で荷物棚には、ボストンバッグや小型のスーツケースが収められている。

 定刻に大宮を発車し、一路、福島方面へと加速してゆく。車窓からは新興住宅団地や東北道・圏央道が右から左へと流れてゆく。

 久喜・栗橋を過ぎる辺りから霧が経ち込みはじめ濃霧になった。建物や畑は見えないが、空を見上げると青空が広がっている。小山で濃霧はなくたった。高架下には、分譲住宅の団地が碁盤の目のように建ち並び、遠くの方は足尾山地が薄霧に包まれて、山頂付近は雪化粧している。

 大宮を発車して二十三分、宇都宮に停車。関東平野の最北の県庁所在地ともあり、駅周辺は高層マンションが何棟も建ち、駅前には大型の複合商業施設が構えている。

駅を発つとすぐに、田畑と集落のひろがる風景に変わった。薄白く雪化粧した八方ヶ原と那須高原を横目に眺める。車内の電光掲示板に奥羽本線(山形線)の情報が表示された。「奥羽本線(山形線) 大沢・板谷は雪害対策により1月10日~3月26日まで通過」と流れた。

 新白河を通過。福島県に入った。何度もトンネルを抜けてゆく。トンネルとトンネルの合間から家の屋根に雪を残っている。7時30分郡山に停車。雪がちらつきはじめ、辺り一帯は雪で覆われて、アスファルトには雪の轍ができている。車は徐行しながら進んでいる。郡山は、磐越西線東線・水郡線の乗換駅。また、貨物の集積基地もあり、南東北の鉄道の街だ。

 郡山を発ち、安達太良山が四合目付近まで雪雲に隠れている。阿武隈川を渡り、再びトンネルを走り抜けて7時44分福島に着く。


 福島駅のホームに降り立つと寒さが肌に突き刺さる。

 このまま新幹線に乗っていけば山形へ行けるが、せっかくならば、在来線に乗り換えて山形へ行くことを計画していた。

 ホーム下の階の乗換口コンコースは、土曜日の朝ともあってか、ひと気がなく閑散とし、壁際には福島・山形両県の名所案内やイベント開催日のポスターが掲示されている。改札口を通り、奥羽本線のある5番線ホームへ向かう。

 階段を下りると寒風が吹き抜け、さらに寒さを増す。5番線ホームに米沢行きの電車が入線待機している。車両は719系交流電車の二両編成。顔立ちは、地元群馬でよく見る211系に似ている。側面に緑と赤の帯が塗装されている。719系は、山形線専用車両として平成四年から運用されている。車内に入ると五、六人しかいない。ボックス席に座り発車時間を待つ。待つ間、東北本線の電車が発着し、南側のホームに阿武隈急行の車両が停車している。


 8時04分福島を定時発車。左へとカーブを曲がり、住宅地の中を走り抜ける。

 奥羽本線は、明治三十八年に福島‐青森間が全通。全長四八五キロを結ぶ大幹線として東北本線・羽越本線と並ぶ、東北地方の重要路線である。平成四年福島‐山形間。九年に山形‐新庄間を結ぶ百四十八・六キロの山形線は、山形新幹線の開業によって線路幅が狭軌から標準軌に改軌された。

 車掌の車内放送で米沢までの到着時間と大沢・板谷は冬季通過・乗車券の確認のアナウンスをする。車掌が乗車券の確認を行いながら、先頭車両まで来ると運転台に入っていった。笹木野に停まると下車した乗客の切符回収と定期券の確認をして運転台に戻ってきた。

 左窓から安達太良山と吾妻連山を望む。目の前に奥羽山脈が近づく。庭坂を発つと徐々に上り坂になりはじめ、快調にリズミカルに音を出して走っていた列車は速度を落とし、空転に注意しながら坂を上がる。庭坂の大カーブを右へと曲がり、山脈の中へと進んでいく。右の窓からは福島盆地と福島市の中心街が見える。

 列車が警笛を鳴らしてトンネルに入る。トンネル内は非常灯のような灯りはなく、車内灯の灯りがトンネルの壁を照らしている。トンネルを抜けると一面銀世界。山々は新雪が積もり、木々の枝には葉は一枚もついていない。線路は二本のレールが雪の中から顔を出している。

 奥羽本線の難所板谷峠を、列車は右左と蛇行しながら進んでいく。時折、床下機器の音が高く鳴り響く。

 板谷峠は福島‐米沢間の約三十キロの区間。中央分水嶺で東は阿武隈水系。西は最上川水系に流れる。古くから交通の要所として知られて江戸時代は米沢藩の所領だった。明治三十二年に庭坂‐関根間が開通。急勾配を上るため、赤岩・板谷・峠・大沢の四つのスイッチバック駅が設置し、難所を上り下りした。その後、強力な電気機関車や電車の投入により、スイッチバックする列車が少なくなり、新幹線化工事で廃止された。

 赤岩駅跡を過ぎ、長いトンネルを抜けて板谷を通過。再び、トンネルに入る。

 8時40分峠に停車。駅全体を鉄骨の柱にトタン葺き屋根の雪覆いに覆われている。ホーム上を名物「峠の力餅」が入った駅弁箱を首から下げた販売員が「力餅ーっ。力餅ーっ。」と威勢のいい声を出しながら、ホームを右から左と売り歩いているが誰一人として買う人がいない。

 峠を発ち、粉雪が舞う中列車は走りつづけて、大沢を通過。大沢を過ぎると上り坂から下り坂になり、少しずつ速度を上げてゆく。山脈を抜け切ると窓から集落が見えはじめる。列車は米沢盆地の南側を快調に下りながら8時51分米沢に着く。

 

 米沢で約五十分程接続列車の発車待ちする。改札口横に米沢牛のモニュメントとのぼり旗が置かれている。モニュメントの下に電源コードが延びていて、牛の鳴き声が鳴くようになっているが、コンセントが抜かれている。

 駅舎は上杉鷹山の城下町から東の端に位置している。ロータリーには、バス発着場とタクシー乗り場があるが一台も止まっていない。人通りは少ない。米沢牛を扱った飲食店が目に入るが、金銭・時間的に余裕はない。

 駅舎内へと戻り、併設の立ち食いそば店で朝食をすることにした。食券機のメニューに「山形のだし 山菜そばうどん」とあったので注文した。一、二分で提供された

のは、粘り気のある細かく刻まれたキュウリとナスが入ったかけそばだった。スマホの検索機能で調べてみるとキュウリ・ナス・大葉などをがごめ昆布と醤油ベースのつゆにからめた山形の郷土料理と表示された。美味であった。朝食後、売店でのし梅とゆべしを買った。 

 改札口と通り、跨線橋を上がって3番線ホームへ向かう。

 跨線橋の壁に広告やポスターの中にJR東日本からの注意喚起のポスターが掲示されている。例の板谷・大沢の冬季通過についての記載だ。内容は大雪被害対策と遅延・運休による乗客の下車もしくは誤車を防ぐためだそうだ。あの雪山で下車したら低体温症か凍死しかない。

 9時37分発山形行きの普通電車が四両編成で待機している。車内はまばらだ。1番線ホームに米沢9時26分発「つばさ123号」が到着。先行して米沢を発車していく。


 9月37分定時発車。米沢盆地の東側を走る。沿線の畑には雪はなく、溶けて水溜まりができている。置賜・高畠と停車。青空を背景に朝日山地の山々は雪化粧して、青と白のコントラストが映える。温泉街の赤湯を過ぎると盆地は終わり、山の中へと進み、右窓からは盆地を眺める。中川・羽前中山と山間部を縫うように走り続けて、山形盆地に入る。

 かみのやま温泉に停車すると乗客が増えた。旅行カバンやスーツケースを持った旅行客と地元の学生が多い。駅を出ると小高い山の中腹に、黒の屋根瓦に白の漆喰壁の復元された上山城の天守閣がそびえて建っている。

 蔵王を過ぎたあたりで、天気が悪くなりはじめ薄黒い雲が立ちこみ、風花が舞ってきた。10時28分山形着。


 山形から仙山線仙台行きに乗り換える。粉雪が斜めに吹きながら降る。

 11時01分発仙台行きの普通電車が入線。車両はE721系の四両編成。車内のボックス席には家庭学習か卒業したての若者が目だつ。空いているボックス席に座れた。運転台のドア上にA4サイズの紙に「津波警報発令された場合のお願い」「列車からの避難手順」の二枚が貼られている。震災から十三年が経つ。教訓と人命の安全確保が肌に感じる。

 山形を定時発車。右窓の下から新幹線の線路が見える。列車は並行しながら走る。

 列車は山形盆地の中心部を走り抜けていく。吹雪いていた雪は止んだ。赤茶色の屋根瓦に黒もしくは茶色の壁で二階建ての日本家屋が点々と建っている。

 羽前千歳の手前で新幹線の線路を斜めに横切るかたちでホームに入る。いく人か乗車してきた。駅を発つと大きく右にカーブして盆地の端へ進んでいく。

 仙山線は羽前千歳‐仙台間五十八キロの幹線路線。昭和四年仙台‐作並間の仙山東線。八年山形‐山寺間の仙山西線。十二年、山寺‐作並間に全長五三六一メートルの仙山トンネルが貫通したことで全線開通した。

 楯山・高瀬と停り、右に左にカーブを曲がりながら、徐々に奥羽山脈の山々に近づき、残雪が見受けられる。次の山寺は、俳人松尾芭蕉の「おくのほそ道」の句、閑さや岩に沁み入る蝉の声の立岩寺の最寄り駅。駅のホーム上には観光客が多く目立つ。

 自分の前の席に中高年の女性二人が会話をしながら座った。「たまには、かぁぶろぅと、おもわないと」東北なまりで談笑する。

 駅を発つとホーム横に赤茶に錆びた転車台が雪の中から顔を出している。全線開通当時、この先の仙山トンネルの蒸気機関車による煤煙対策で直流電気機関車による運用がされるため、ここで機関車の交換が行われいた。

 右窓の下から紅葉川と急峻な紅葉渓谷を眺めながら、列車は走り進んでゆく。面白山高原駅の目の前に、仙山トンネルが、そそり立つ岩壁にテープで貼り付けたかのように開いている。列車が警笛を鳴らして入る。このトンネルは、在来線用トンネルでは、上越線の新清水トンネル、東海道本線の丹那トンネルに次に長いトンネル。全長五三六一メートルもある。

 トンネル内は暗く、板谷峠の時と同じく車内灯が壁を照らしている。

 トンネルを抜けると空には、雪雲はなく晴れている。宮城県に入る。奥新川・作並に停まる。作並は昭和二十九年に交流電流による鉄道利用の発祥地。三十三年には世界初の交直両用の試験実験を行い、試験運用された結果は、のちの新幹線の礎になった。

 列車は作並を出ると、作並街道と広瀬川と平行しながら速度を上げてゆく。熊ヶ根・陸前白沢を過ぎると里に出たらしく人家が点々としている。下り坂を下り続けて愛子あやしに着く。仙台市圏内になり、駅周辺アパート群や住宅地が増えてきた。遠くの山の中腹には、宅地開発整理された集合住宅群が建ち並ぶ。陸前落合・葛岡と停車するごとに乗車する人の数が増えてゆき、ドア付近に立ち客ができ始めた。山形からボックス席に座っていた私服姿の学生グループが、窓枠のわずかな台の上にトレーディングカードの束を置いて、カードを見せ合いながら、各カードの効力について語りあっている。

 ひたすらに下り坂を下り続けて、国見から仙台市の中心地に建つ高層ビル群を眺める。東北福祉大前を過ぎるとニュータウンや高層マンションが建ち、都会の雰囲気になる。北仙台・東照宮の沿線には、青葉神社と東照宮が鎮座する。青葉神社は明治六年に旧藩士たちが中心になり、仙台藩の藩祖伊達政宗を祀る神社建設を県に許可申請して創建。東照宮は、承応三年に仙台藩二代伊達忠宗が東照大権現徳川家康を守護神として創建された。

 冷厳あらたかな場所の横を列車は走り抜けて、丘陵地帯の谷間を大きく右に曲がり12時27分仙台駅8番線に着く。


 ホームに降りると駅構内の人の往来が激しい。流れにのって吹き抜けコンコースに出た。コンコース前では物産展が開催されて、ここでも多くの人が各店舗に立ち寄っている。

 帰りの新幹線の特急券を購入するため、三階の発券機場へ向かう。発券機上の液晶モニターに表示された仙台到着の新幹線の時刻を見て、13時31分発「はやぶさ・こまち22号」の指定特急券を購入した。

 この列車は仙台を出ると大宮まで停車しないからである。

 発車時間までの間、土産物商店街で買い物をすることにした。仙台名物の牛タンやずんだ餅。老舗菓子メーカーの菓子の陳列棚が多い。去年の夏、山梨の時に見た信玄餅をほうふつさせる。一通り見て周り、笹かまぼこと牛タンを使った瓶詰を購入した。コンビニで昼食のパンも購入した。

 

 新幹線の改札口を通り、13番線ホームへ向かうとホーム上では、すでに、乗降口前に列ができていた。列にならび、新幹線の到着を待っている間も人が次から次へと列に並ぶ。

 13時31分「はやぶさ・こまち22号」が17両編成で入線。ドアが開き、列がゆっくりと進む。駅係員がマイクで「立ち止まらず、お進みください」とアナウンスするも列はデッキの中ほどで立ち止まる。車内は七・八割席が埋まっている。

 仙台を数分遅れで発車。新幹線は遅れを取り戻すかのように加速してゆく。車窓からは風景が左から右へと高速で流れてゆく。通路向かいの席に座っている中高年男性二人のテーブルには、缶チューハイとハイボール。そしてつまみが置かれ、小さな宴会をしている。自分も仙台で買ったパンと飲み物で昼食をとる。

 仙台を出て、三十分が経つも今、現在どのあたりを走行しているかわからない。腕時計を見ると14時15分を針が指している。大宮に着くのが14時39分。窓の外の風景を見て宇都宮手前と予想した。しばらくして予想は当たる。高架下の留置線上に烏山線専用の車両が留置されている。すると、新幹線ホームと待避線に停車している新幹線を通過した。


 再び腕時計を見ると14時35分。遅れた時間を取り戻して大宮に14時39分定刻通りに到着。乗換改札口を通り、在来線ホームへ向かう。

 高崎・宇都宮線ホームに降りて、列車の到着を待つ間冷たい北風が吹き抜けて身震いする。14時51分発、湘南新宿ライン特別快速が十五両編成で入線し乗る。土曜日の午後ともあり、席は満席状態。仕方なくトイレ付近に立つことなった。

 大宮を出ると途中駅の宮原・北上尾・北鴻巣・行田・吹上は通過していく。熊谷に着くと大分乗っていた人が降りてゆき、席に座れた。朝は暗くて何も見えなかったが、遠くに秩父山地の山並みを眺める。

 北関東の平野部を列車は北へと各駅に停車しながら、走り続けて16時01分高崎に着く。

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日帰り鐡道一周記 キハチチト @kihatitito

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