エピローグ

 ひどい顔だと思う。

 退院したばかりとはいえ、洗面所の鏡に映る自分の顔にはまるで生気が無く、実は日光の下に出ると死んじゃうんですよはははと言えば思わず信じられてしまいそうなほどだ。


 傷のほうはもう影響はほとんど無い。

 そりゃ多少は痛むし、抜糸もまだだが、それでも日常生活を送るのに不便は無かった。


 だから、俺の気分が優れないのは精神的なものだ。


 あれから、俺は無い頭を使って考えた。

 どうするのが最善なのか、俺は何をするべきであるのか。

 答えは出ない。


 ドロ子がいない時点で最善など選びようも無いのは確かなのだ。結局のところ、後は復讐するかどうかぐらいの選択肢しか残されていない。

 アンドカンパニーの暗部を暴く! なんて言えば格好良いのかも知れないが、どんな理由をつけたところでただの憂さ晴らしにしかならないのだ。


 これも逃げだろうか。

 思考がぐるぐると同じところを回る。


「俺は本当優柔不断だ」


 実に嫌になる。

 歯磨きをして、着替えを済ます。

 窓からは朝日が射し込んでいる。俺の内心など知らぬとばかりの実にいい天気だ。


 一人で家にいても暗くなるだけだ。

 今日は平日、ならば学校へ行こう。


 これからどうするのかは決まっていない。

 ただ、もう一度水萌に会う必要はあるだろうと思っている。


 責めるつもりは無い。

 結局のところ、ドロ子に関しては悪いのは俺だ。


 そりゃ大人の事情でドロ子を処分したアンドカンパニーは許せない。一矢報いてやりたい気持ちもある。

 しかし、俺がもっとヤンデレ型について真剣に考えていれば、ドロ子を刺激しなければこんな結末にはならなかったのでは無いだろうか。


 話振りからして、水萌もそれを期待していたはずだ。

 処分などという処置は、あいつも望むところでは無かったと思いたい。


 もう一度会って、それでどうするのか。

 そこも考えてはいない。

 我ながら行き当たりばったりすぎるが……。そうだな、じっくり語り合うのもいいかも知れないな。


 結局ドロ子にカメラやらを仕込んでいた理由もあやふやなままだ。

 もしかしたら本当に盗撮が趣味である可能性もあるが、まあその時は改めて裁判沙汰も視野に入れよう。


 努めて歩調を早くしながら玄関を開け、家の外に出る。

 さあ、学校に向かおうとして。


「やっほ御木くん」

「うおおっ!?」


 びっくりした!

 石垣にもたれるようにして、奏江が笑っている。


「おはよう」

「あ、ああ、おはよう」


 え、なんで奏江がここに?

 かろうじて返事をしたものの、内心はまるでそれどころではない。

 朝っぱらから、俺の思考は一気に混乱の坩堝へたたき落とされる。


「今日から登校するって言ってたでしょ? だから迎えに来たの」

「迎えに来たのってお前……だったらチャイムでも鳴らせよ」


 正直、待ち伏せされると心臓に悪い。


「大体俺がいつ出てくるかもわからないだろうに」

「まあそこはアレ? 待つのも楽しみの一つって言うか?」

「わけがわからん」


 遊園地の時といい、もしかしてこいつは人を待つのが好きなのだろうか。

 だとしたらストーカーの才能があるかも知れない。水萌とどっちが上だろうかなんて益体も無いことを思う。


「じゃあ行こうか。あ、歩くの辛いなら肩貸してあげようか?」


 さも当然のように一緒に行こうとする。


「はあ……」


 ため息も出るというものだ。

 とはいえ、ここで断るほどの気力と勇気は俺には無い。

 肩を借りるのだけは丁重にお断りして歩き始める。


「お前俺のこと好きなの?」


 もう何度目だろうかこの問いかけ。


「全然。だからそれは御木くんでしょって」

「素直に俺のこと好きだって言って、一年前のこと謝るなら付き合ってやってもいいぞ」

「…………」


 返答が無かった。

 あ、あれ? 何この予想外の反応。てっきり即座にお断りしてくると思っていたのに。


 思わず奏江の顔を凝視してしまう。

 俺が驚愕していることに気付いたのか、奏江は一瞬だけはっとした表情を浮かべ、すぐに意地悪そうな顔でにやりと笑う。


「ふ、ふーん、私のほうこそ御木くんが土下座して靴を舐めて頼むなら付き合ってあげてもいいんだけどな?」

「何だそのハードルの高さ。どこの女王様だよお前」

「アイドルだし」

「学園のだろ」


 げんなりする。

 まあ何だかんだで相手は奏江だ。どうせまた俺をからかっているだけだろう。

 深入りは禁物。これは俺に気を保たせ続けるための行動で、期待して飛びついたらまたしても拒絶が待っているだけなのだから。


「あ、御木さ……」

「お?」


 まずい。

 いつもの待ち合わせ場所で、陽芽が鞄を両手持ちしながら立っていた。

 何故か傍らには鬣もいる。


「ふーん」


 隣からは何やら意味深な奏江の声。


「おいおい、陽芽の前で他の女といちゃつくとは良い度胸じゃねえかミッキーさんよ?」


 鬣が肉食獣特有の気配を発しながら口元をつり上げる。

 陽芽はというと、俺に声をかけようとした笑顔のまま凍り付いていた。

 おそるおそる様子を窺うと、頬が少し引きつって目尻に涙が浮かんでいる。


「そこまで!? い、いや、違う、違うぞ陽芽。これは誤解であってだな」

「い、いえ、いいんです。あの、奏江さんって素敵な人だと思いますし、その私なんか……」

「い、いや、だからそうじゃなくてだな!」


 鬣の拳がごきごきと鳴る。


「もう体調はいいのか? なら遠慮はいらねえな?」

「ま、待て、話せばわかる。これは誤解なんだ!」

「何が誤解なの?」


 何故か奏江までもが冷えた声を発してくる。


 もう俺にどうしろっちゅーねん!


 晴れた住宅街に、俺の絶叫が響き渡る。


 全てはうまくいかないのかも知れない。

 ただ、それでも大切なものはまだ残ってくれていたのだと信じよう。


 今はまだ辛い。ただ、こいつらのおかげで近いうちに俺は心の底から笑えるようになるだろう。

 その時は、改めてドロ子の遺品でも貰えないか尋ねてみよう。


 言いたいことはたくさんある。

 ドロ子は俺を苦しめたくなくて処分を望んだと水萌は言った。

 それが本当かどうか俺には確かめる術が無いが、もし事実だとするならば、俺は兄としてドロ子に謝らなければならない。


 だからせめてその時までに、俺は少しでも自分を磨こう。

 不甲斐ないお兄ちゃんだが、せめて僅かでもドロ子が誇れるような、そんな成長をしていきたい。

 なんといっても俺はドロ子のお兄ちゃんなのだから。


「ふっ!」

「おぎゃあ!?」


 鬣の拳は顔のすぐ傍を通り、背後の壁に激突した。

 およそ振り返りたくない衝撃音が聞こえたような気がする。

 ただでさえ少ない血が、更に顔から引いていく。


「ひ、陽芽、助けて!」

「あ、あの、は、はい。ええと、王ちゃんダメだよ?」

「何故に疑問系!?」

「心配するな陽芽、左手だ」

「いや、だから何!? 利き腕が右手だからとかそういうオチ!? いや、そんなの関係ねえから! お前自分がいかに人間凶器かもっと自覚してだな!?」

「御木くん、助けてあげようか?」

「お前は何か怖いから嫌だ!」


 まあ、すぐには難しいかも知れないから追々な。

 俺達は大騒ぎをしながら登校する。

 その日、揃って遅刻したのはまあ余談といえば余談だった。

            

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ドロンドロンド 犬まみれ @inumamire

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