(終)


「納得出来ない」

 珍しく仏頂面でそう言い放ったのはアレクサンダーで、馬車の中で葵と向かい合って座っている。

 彼が不満を面に出すのはそうそうないことだし、その理由も理解出来るのだが、葵は苦笑して首を振った。

 葵が折れないことを察したらしく、アレクサンダーが僅かに唇を尖らせたが、それすら葵の頬を緩ませる効果しかないと分かると、眉間に皺が寄った。

 そこで馬車がこじんまりとした一軒家の前で止まり、御者によって扉が開けられると、紺色のドレスを身に着けた茉莉が乗り込んで来る。

 茉莉は既に見習い騎士の女子寮を出て、アレクサンダーの館と同じ区域に引っ越していた。異世界人ということもあり、ベネディクトとアレクサンダーが保証人となる必要があったが、既に仕事も見つけて働き始めている。

「葵君、アレックス、おはよう!」

 笑顔を見せる茉莉に葵とアレクサンダーも挨拶を返すと、茉莉は葵の隣に腰を降ろす。そして、葵を見て感嘆の声を上げ、そして渋面になった。

「ど、どうしたの」

「可愛いし凄く似合ってるけど……私が選びたかったな……」

 コーラルピンクでエンパイヤラインのドレスを着た葵を、恨めし気に眺めつつ嘆息されたので、アレクサンダーが慌ててフォローに入った。

「マツリに相談しようと思っていたんだが、ザックがアオイ用のドレスを送って来てしまったんだ。流石に断れなくてな」

「何で葵君にピッタリサイズのドレスが送られて来るの」

 茉莉が眦を上げてアレクサンダーに問うと、アレクサンダーは気まずそうに頬を掻く。

「ザックに聞かれて教えたんだ」

「何で教えるの、そんなの」

「聞かれたから……」

 そんな二人の会話を横目に、葵も軽く息を吐いた。


 ルキウス・ツィアーノ『元』枢機卿の一件から、一週間経った。

 彼の粛清については、『召喚獣を喚び寄せた罪』として概ね事実だが細部はぼかして公表され、双頭の蛇アンフィスバエナに関わるあれこれは、極秘事項として扱われたらしい。

 今後も魔法士が出現する可能性を鑑みると、『執行人』であるアレクサンダーは必要な存在であり、アレクサンダーに非難の声が集まる理由となる事柄を公にする意味がない、と判断された。

 葵と茉莉の召喚についても、『ルキウス・ツィアーノの召喚術の失敗』で押し通すことが決まり、それは葵の身の安全にも繋がるので、アレクサンダーは勿論、葵としても異論はなかった。

 少しの間はアレクサンダーも流石に落ち込む姿を見せていたが、ようやく表情には気遣いからではない笑みが自然に浮かぶようになった。アレクサンダーが元々強い人間であることもあるが、葵の存在が助けになったと思うのは、自惚れではないだろう。

 とまれ、茉莉と待ち合わせて馬車で向かっているのは、ザカリエルがアレクサンダーの功績を称える目的と労いの意図を込めて、王城内で立食パーティを開いてくれることになったからだ。

 派手な集まりにするつもりはなく、アレクサンダーに馴染みのある人間だけを呼び、肩の力を抜いて楽しめる場にする。そんな内容が認められた招待状からも、ザカリエルの意気込みが見受けられたので、功労者の葵は勿論、茉莉も是非にと誘われた。

 その流れで葵にドレスが送られたのだが、茉莉のドレスもザカリエルかららしい。その割に葵のドレスについて非難の声を上げているので、アレクサンダーがそこを突っ込むと、茉莉は沈痛な面持ちで拳を握り、ぼそりと言った。

「権力には逆らえない社畜精神が憎い……!」

「分かるよ……」

 茉莉に同意して頷く葵に、アレクサンダーが汗を流した。

 そういうアレクサンダーも例外ではなく、ザカリエルが用意した正装を身に着けており、普段の真っ黒具合とは真逆で、刺繍の入った深紅のジャケットに白のズボン、青の剣帯に金色のマントと、華美な色合いになっている。

 葵が知る限りは滅多に身に着けない色合いだからか、アレクサンダーは館を出てから居心地が悪そうにしており、更には葵の言ったことで機嫌もそう良くはない。

 茉莉もそれを感じ取ったらしく、アレクサンダーの表情を覗う仕草をしてから、小首を傾げつつ問うた。

「アレックス、葵君と喧嘩でもした?」

「喧嘩はしてない」

「意見の相違があっただけ」

 葵もアレクサンダーに続けて言うと、茉莉は眉間に皺を寄せた。

「言ったよね。仲間外れにはしないでねって」

 一段階低い声を出され、葵とアレクサンダーは息を飲む。

「あ、ああ……」

「勿論しないよ……」

 口々に汗を流しながら頷くと、茉莉は身を乗り出して続ける。

「進展があったら逐一報告するって約束もしたよね?」

「そこまで言ってないよ!?」

「いーえ、しました。聖書を前に誓いまでしました。嘘はいけません。包み隠さず話しなさい」

 仏のような顔で訥々と言う茉莉に、葵とアレクサンダーは視線を交わして頷いた。いずれは話すつもりだったし、それが早まっただけだ。

「じ、実は……俺とアオイは結婚を考えている」

「結婚より前に婚約だけど、結婚は確定ってことで……」

 アレクサンダーが頬を染めながら口火を切り、そして葵が補足すると、茉莉は一瞬哀しそうな顔をしたが、直ぐに笑顔を見せる。

「……おめでとう。葵君、幸せになってね」

「あ、ありがとう……茉莉ちゃん」

 幾分ほっとしつつ葵が返すと、茉莉はアレクサンダーに顔を向けた。

「アレックス、葵君を泣かせたら承知しないからね」

「ああ、分かってる」

「泣かせたらちょん切るから」

「………………」

 アレクサンダーが青褪め、少し開いていた膝頭をきゅっと閉じる。

「で、意見の相違って何があったの?」

 茉莉が本題に入ろうとしたところで、馬車が王城の前に到着した。


 ザカリエルの気合いの入り具合の現れか、王城の扉を潜るなり両手を広げたザカリエルに出迎えられ、しかもアレクサンダーはハグまでされた。

「もう酔ってるのか?」

 半眼になってザカリエルを押し退けつつアレクサンダーが言うと、ザカリエルは満面の笑顔を見せた。

「いやいや酔ってな……いや待て、酔ってることにしよう。マツリとアオイにも歓迎のキスを……」

「よし、酔いを醒ましてやろう」

「冗談だ。お前は相変わらずつまらんな」

 剣に手をかけるアレクサンダーにザカリエルは真顔になり、先導するように歩き出す。

 アレクサンダーは勿論、葵と茉莉も連いて行くと、ザカリエルが横目で視線を送って来る。

「俺が用意した服を着てくれたか。似合ってるぞ」

「アオイとマツリは似合ってるから良いとして、俺のは派手すぎないか」

 未だに心地が悪いらしく、アレクサンダーが目を細めて不満を面に出す。が、ザカリエルは鼻で笑っただけだった。

 両扉の前で足を止め、腰に手を当てる。

「普段のお前が地味すぎるんだよ。それに、自分の立場をよく考えろ」

「立場?」

「お前はもはや死を運ぶ『執行人』ではなく、王国の危機を身を以て退けた『英雄』ってことだ」

 言って、ザカリエルが扉前に控えている騎士に合図すると、ゆっくりと両扉が開けられて、途端に歓声が沸く。そしてザカリエルが一歩引いて、恭しい仕草でアレクサンダーを掌で示すと、拍手も沸き上がった。

「ザック……」

 アレクサンダーが困ったように名を呼ぶと、ザカリエルがにやりと笑ってアレクサンダーの背を叩く。それに押されたようにアレクサンダーがホール内に入ると、葵と茉莉も続いた。

 アレクサンダーがホールの中央に到着すると、メイドがワインの入ったグラスを配り、ザカリエルもそれを手に持って掲げ、

「主役がやっと来たぞ! 好きに飲み食いしてくれ!! ただし、飲みすぎてダウンした奴は放り出すから、くれぐれも気を付けるように!」

 ザカリエルがぐるりと全員を見渡しながら声を上げると、笑い声が上がった。


 最初はアレクサンダーも緊張を見せていたが、ザカリエルが言っていた通り呼ばれている人数はそう多くなく、ざっと数えると三十人を超えるか超えないか、といったところだ。ベネディクトは勿論オリヴィアもおり、葵や茉莉とは面識がなくともアレクサンダーの顔馴染みばかりらしく、徐々にアレクサンダーの肩から力が抜ける。

 招待客からの賞賛や労いを一通り受けると、アレクサンダーは葵と茉莉がいる場所に歩み寄って来た。

「食べてるか?」

「うん。アレックスもお腹空いたでしょ、適当に取って来るからそこにいて」

 アレクサンダーの問いに茉莉が頷いて、テーブルの方へと向かう。葵とアレクサンダーが二人になったところで、遅れて来たらしい青年がアレクサンダーを目に留めて寄って来た。

 宝石色の髪と瞳を持った、見覚えのある騎士だ。彼は背筋をぴしりと伸ばして踵を揃え、片手を腹に添えて腰を曲げる。

「アレクサンダー様、お招き頂き有難うございます。挨拶が遅れまして、申し訳ありません」

主催者ホストはザックだから、気にするな。忙しい中来てくれて、こちらこそ礼を言う」

「いえ、そんな……恐縮です」

 そんなやり取りをしてから、セオドアがアレクサンダーの隣にいる葵に一瞬視線を向けた。そしてまたアレクサンダーを見て、再度葵を見る。今度は目を瞠って。

「チ……!」

「葵です」

 言い切る前にそっと訂正すると、察したセオドアが慌てて言い直した。一秒にも満たない時間、アレクサンダーを見てから。

「アオイ、あの後どうなったか気になってたんだ。元気そうで良かった」

「その節はどうも。怪我一つありません」

 嫌味も含めて微笑むと、その意味を分かってないアレクサンダーが小首を傾げ、それから思い出したように言った。

「そういえば、テディがアオイをオリヴィアの元へ案内してくれたんだったな。護衛も兼ねて色々と世話になったと聞いた。感謝する」

「いえ、そんな……はは」

 アレクサンダーの無垢な感謝にセオドアは汗を流し、目を逸らす。そして、二言三言アレクサンダーへ感謝を述べてから、そそくさと去って行った。

「テディさんと仲良いんだ」

 葵が問うと、アレクサンダーは口元を緩めてセオドアの背を見つめ、頷く。

「顔を合わせたら話をする程度で、仲が良いというほどではない。ベンを通して顔見知りになったんだが、中々有望な騎士でな、いずれは次代の騎士団長にと言われている。まあ、本人が受ければの話だが、それ位の実力を持っている」

「へえ……」

 アレクサンダーは自分を恐れられてると思っているが、彼が思う以上にセオドアのような者はいるのではないか、と思った。

 もしかしたら、ザカリエルもそれに気付いていて、それをアレクサンダーに教える為に、今日のようなパーティを催したのかもしれない。

 アレクサンダーの横顔をそっと見ると、彼はホールにいる面々を眺めているが、どこか遠い景色を見つめるような視線だ。これだけ大勢の人がアレクサンダーの為に集まっていても、それを実感出来ないのだろう。

「アレックス、話してたことだけどさ……」

「ん?」

「結婚を前提に婚約するけど、少し時間を……少なくとも半年は時間を置いて欲しいって言っただろ?」

 葵が切り出すと、アレクサンダーは僅かに頬を引き締めた。

 茉莉にも言った『意見の相違』とはそのことで、アレクサンダーは婚約期間は長くても一か月程度にしての結婚を望んでいた。対して葵は、先程述べた通りだ。

「もし、婚約期間を延ばすことで、僕の気が変わったりするのを恐れてるなら、それは絶対にないよ」

「いや、俺は別に……」

「顔に出てるよ」

 慌てて否定しかけるアレクサンダーに笑い、そして首を振る。

 現段階での葵の気持ちを、疑っている訳ではないだろう。だがアレクサンダーは、小さなことで気持ちが変わる可能性を知っている。考えが及ばぬ事柄で、それが容易く起こることも。

 葵とてそれを経験して来たし、今までの人生でそれを繰り返して来たから、葵にそれを非難することは出来ない。だが、だからこそ言えることもある。

「ねえアレックス、僕がこの世界に召喚されてから色々あったよね。でも、時間にしたら本当に短い期間なんだ」

「ああ……うん」

 葵が淡々と告げると、アレクサンダーが慎重に頷く気配がしたので、続ける。

「僕は元の世界で、ずっと止まってる時間の中で生きて来た気がする。身体は年齢と一緒に成長して行くのに、何かがずっと育ってくれない感じだった」

 頬にアレクサンダーの視線を感じたので見返すと、色の違う双眼とぶつかる。そこに伺える感情は『共感』だった。それに思わず微笑み、また前を見た。

「けど……この世界に来てやっと、止まってた時間が動いたみたいなんだ。僕はもう少し、この流れをゆっくりと楽しみたい。でもそれは、僕一人じゃ駄目なんだ。アレックスもいないと意味がない。だから、時間が欲しいんだよ」

「……そうか。……そうだな」

 アレクサンダーが頷いた気配に顔を向けると、柔らかい微笑が見える。

「アオイは凄いな。俺が言葉に出来ないことを、あっさりと教えてくれる」

「アレックスがいるからだよ」

 即座に返すと、アレクサンダーは頬を染めてから身を屈め、アオイのこめかみに軽くキスをした。

 途端、

「皆、生まれたてのカップルに乾杯!」

 こっそりと覗っていたらしいザカリエルが声を上げて歓声が沸いたので、アレクサンダーが慌てて身を起こす。

 汗を流して赤面する様子を見て、茉莉を始めホール中の招待客が笑い声を上げ、それに釣られて葵も笑った。

 アレクサンダーはしばらく困ったように首筋を撫でていたが、やがて口元に笑みが浮かぶ。

 最初は苦笑に始まり、やがてそれがはにかむような笑みに。徐々にそれが深いものへと変わって、アレクサンダーの表情全てに広がるのを、花の蕾が春になって綻ぶ様を発見したように、葵はずっと眺めていた。

 



■断罪のアンフィスバエナ:終わり



最後までお読み頂き、ありがとうございました。

利用規約の為R-18描写を省いての掲載となりました。

気になる方は(勿論未成年でない方で)「小説家になろう」サイトでお読みくださいませ。

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断罪のアンフィスバエナ 東雲ノノ @sinonome_nono

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