第6話 もう一人の行方
部屋の中で、一人の女性が殺されている・
そんな状況を発見した宿側は、急いで警察に連絡した。ほどなくして、地元の所轄署からパトカーがサイレンを鳴らして飛んでくる。その時やっと、皆事件の重大さに気づいたようだ。
何しろ、秘境ともいえる温泉宿、まさか殺人事件が起こるなど、想像もしていなかっただろう。
宿側の人たちは最初から緊張が走っていた。宿泊客の反応は微妙で、皆意外と、それほど騒ぐことはなかった。どちらかというと、緊張感のない他の宿泊客と、宿側との間のギャップに、もしここに部外者がいたのなら、きっと、苛立ちのようなものを覚えたかも知れないと感じたのだ。
桑原とさくらの二人は、他の連中と同じように、一度部屋に戻った。そして、部屋では最初何も会話もなかったのは、二人とも考え事をしていたからだ。
それはそうだろう? せっかくの楽しいはずの温泉旅行が、殺人事件発生という、まったく違った状況に一変したのだ。何も考えないわけはない。
部屋に帰って、五分もしないうちに、桑原が口を開いた。
「こんな事件が起きたのだから、俺たちは、簡単に帰ることはできないよな?」
ということであった。
なるほど、桑原が考えていたのは、
「今後の自分」
のことであった。
実は、さくらもまったく同じことを考えていて、さくらの場合は、テレビドラマなどでよくある刑事もの、二時間サスペンスなどでよく見る光景だと思ったのだ。
そして、さくらは、今の桑原の言葉を聞いて、
「そうね、警察の捜査次第によるだろうけど、時間が解決するまで、あるいは、自分たちが犯人ではないと分かるまでは、動いてほしくないと思うでしょうね」
というのだった。
さくらの考えていることを、桑原も同じように考えているのかどうか分からないが、さくらの中では、どうしても、二時間サスペンスなどのドラマのイメージが頭にあって、その中でよくあるのが、
「警察機構の矛盾」
というものであった。
矛盾という言葉は大げさすぎるのかも知れないが、二時間ドラマや刑事ドラマではどうしてもよくありがちな、
「警察における管轄」
というものが頭に浮かんだのだ。
警察機構には、都道府県ごとに、警察の集団が決まっている。例えば、伊豆などでは、
特にここ下田というところは、静岡県下田市にあたるので、静岡県警が管轄する警察機構ということになる。さらにそこに警察署という括りがあるのだろうが、そこが、下田警察の管轄なのかどうかまでは分からないが、これが、管轄ということになるだろう。
ちなみに、都道府県別の警察機構は、それぞれの都道府県の警察があるのだが、東京だけは特別で、
「東京警視庁」
と呼ばれている。
よく勘違いする人がいるのだが、警視庁というものが、全国の警察機構のトップだと思っている人がいるようだが、警察のトップというものには、警察庁というものが、トップになる。さらにいうと、警察機構よりも上部組織として、国家公安委員会があり、公安委員会というのは、警察を管理しているところである。
また、これも勘違いされがちだが、警視庁が、警察機構のトップというわけではないので、警視総監というのは、全国の警察の長という意味ではない。あくまでも東京に限られるものだ。警察の長ということになるのであれば、それは、警察庁長官ということになるのであろう。
という書き方をすると、またここで勘違いする人も多いかも知れないが、警視総監は、各都道府県の県警本部長と同じ地位にあると思われるかも知れないが、実は地位としては、県警本部長がなれる地位(警視長、警視監)よりも、警視総監の方がランクは上である。つまり、警視総監というのは、たった一人の定員ということになるのだ。
これは、各都道府県の長である、知事と似ていて、東京都知事だけが、他の都道府県知事とは違うというのと同じだと言っていいだろう。
つまりは、静岡県警内の、下田警察署管内で発生した殺人事件は、下田警察署管内であれば、自分たちの縄張りということで捜査をわだかまりなくできるのだが、もし、犯人と思しき人が下田警察管内の人間でないとすれば、縄張りの問題で、もちろnすべてではないが、その警察署の管内で捜査をするわけなので、わだかまりがないというわけにもいかない。
そういう意味で、今回の犯行現場が、温泉旅館ということは、犯人のめぼしとして一番考えられるのは、他の宿泊客だということになるだろう。
さすがに、被害者が温泉客で、犯人が地元の人間という可能性はかなり低いと思われる、そういう意味で、まずは被害者の特定が大きな問題になってくるに違いない。
そんなことを考えているうちに、静岡県警の人たちがやってきて、まずは宿のスタッフにいろいろな事情を聴いているようだった。特に第一発見者であるスタッフの女の子への事情聴取がしつこかったというのは当たり前のことであっただろう。そして、警察が事情をある程度分かったうえで、いよいよ、関係者の聞き込みということで、宿泊者への尋問が始まることになった。
まずは、最初に、全員がロビーの奥にある喫茶コーナーに集められた。普段であれば、喫茶コーナーといえば、気軽な空間としてくつろげるのであろうが、皆そんな雰囲気ではないかのように、緊張した面持ちで、それぞれに鎮座していた。
「すみません、皆さんお集まりいただいたのですが、殺人事件の捜査ということでご協力ください」
と、代表してか、一人が言った。
その人は名前を片桐という警部補ということで、どうやら、今回の捜査の責任者のようだった。
「警部補というと、捜査の指揮権を持つことのできる階級だからな」
と、作家と思しき人が、ヒソヒソ声で、隣の画家の先生に話していた。
「なるほど、この人は、ミステリーも書くんだろうな?」
と、先ほど一緒だった桑原は、そう思うのだった。
「ところで、殺されたのは女性ということですが、確かあの部屋は、昨日から泊っている新婚さんじゃなかったんですか?」
と画家の先生が口を挟んだ。
それを聞いて、片桐警部補は、
「ほう、よくご存じですね。あなたは?」
と言われた画家の先生は、
「私は東京から来た画家の梅崎三郎というものです。作画作業に、ここで今は五日ほどの滞在中です」
と言った。
「画家の先生ですか。滞在中ということですが、まだ滞在予定なんですか?」
と聞かれて、
「ええ、まだ作品も出来上がってもおりませんので、あと一週間くらいは滞在予定としております」
と答えた。
「お隣の方は?」
と言われて、今度は作家の先生に質問が及んだ。
「私は、名古屋からやってきた作家の梶谷健太郎というものです。私も梅崎さんと同じように、私の場合は執筆作業中で、滞在は三日前から逗留しています。私の場合は、滞在はもっと長くなりそうで、予定としては、三週間くらいを予定しています」
と言った。
画家と、小説家では、どちらが一つの作品を書くのに時間がかかるのかは分からないが、少なくとも、作家は数週間はかかるだろうと思った。作家の先生が三週間とちょっとと言ったのを聞いて、さくらも、桑原も、
「妥当な時期なんだろうな」
と同時に考えたのだった。
「なるほど、先ほど女将さんに伺った時、この宿には芸術家の方がよく来られるといっていましたが、あなたたちがそうなんですね?」
と聞くので、
「いかにも」
と、代表して、作家の先生の方が答えた。
「でも、この宿は新婚さんも結構いると聞いていますが?」
と今度は画家の先生がいると、
「ええ、この温泉の効能の一つに、子作りというのもあると伺いましたので、それは想定内のことです」
と、片桐警部補は答えた。
「では、こちらのお二人は?」
と聞かれた桑原とさくらだったが、桑原が代表して、
「私たちは大学の友達です。私は桑原博人、彼女は榎田さくらさんと言います。同じ学部の同級生ですね。宿泊は二泊三日の予定ですので、明日までのつもりです」
というと、
「そうですか、分かりました。先ほど女将さんにお聞きしたところでは、本日はもう一組、新婚さんがお泊りのようで、先ほどの被害者の方は、その奥さんの方だということでした。皆さんの中で、その新婚さんお二人でいるところか、奥さんが単独でいるところをお見掛けしたり、お話をされたりした方はございますか?」
と聞かれて、
「私はお見掛けはしたことがありましたけど、お二人、仲良さそうだったので、声を掛けたりはしませんでしたね」
と、作家の先生が言った。
「ほう、梶谷さんがお見掛けしたのは、いつどこで?」
と、片桐警部補が聞くと、
「あれは、午後五時前だったでしょうか? お二人は浴衣姿で、お土産コーナーで楽しそうに選んでいましたよ。どこにでもいる新婚さんお風景でしたので、別に変わったところもなかったので、不思議に思うことはなかったですね。もちろん、そんな雰囲気の二人に声をかけるような野暮なことはしませんでしたけどね」
と、梶谷は言った。
「それは、温泉に入る前でしたか? 後でしたか?」
「お土産を見ていたのだから、たぶん、温泉に入浴後だと思います」
と、梶谷は答えた。
「なるほど、あのお二人は、本日よりのご宿泊で、チェックインがちょうど三時半でしたので、お部屋に行ってから、着替えてすぐに温泉に行ったんでしょうね? 温泉の滞在が一時間ほどだと考えれば、普通にありえる時間ということになりますね」
と、いうことであった、
「夕飯は何時になっていたんでしょう? この宿は部屋食が基本になっているので、決まった時間の範囲であれば、何時でもいいことになっていますので、もし、入浴後、時間があったとすれば、それも無理のないことかなとも思っています」
と、梶谷は言った。
「私は、その夫婦をお見掛けはしていないですね。午後五時くらいまで、表で絵を描いていて、帰ってきたのが、五時を少し過ぎていましたので、その頃にはいなかったと思います。ロビーから、客室に行くには、お土産コーナーの横を通る必要があるので、その時は気にしませんでした。もっとも、奥に入り込んでいれば分からなかったとは思いますがね」
と、今度は梅崎という画家の先生が言った。
「私たちも、そのお二人をお見掛けはしていないですね。今日から宿泊の予定なんですが、我々がチェックインをしたのは、四時半くらいだったかな? そのまますぐに部屋に行って、少しだけくつろいで、露天風呂に入りました。私はそこで、こちらの梶谷さん、梅崎さんと露天風呂で一緒になったので、軽く世間話をしていましたね」
と、桑原がいうと、
「私も、露天風呂の前で桑原さんと別れて、女湯に入ったんですが、そこでは誰とも会うこともなく、一人で入っていました。私はそれほどの長風呂というわけではないので、三十分くらいで部屋に帰ってきました。男性はカラスの行水の人が多いと思ったので、自分よりも早く帰ってきているかと思ったけど、帰ってない。なかなか帰ってこないなと思っていると、どうも、後で聞くと、露天風呂で一緒になった方たちとお話に花が咲いたとのことだったので、それで納得したわけですね」
とさくらは言った。
「分かりました。これで皆さんの本日のここでの行動は少し分かってきましたので、捜査はこちらで進めていくことにします」
と片桐警部補は、そういった。
「ところで、殺された方はどういう方なんですか?」
と梶谷が聞くので、
「ああ、あの方は宿帳によれば、堀越いちかさんと言われる方で、ご主人さんは、堀越義也さんというのだそうdえす。お二人は新婚さんということは分かっていますが、それについても、捜査はこれからになりますね」
と片桐警部補が言った。
すると、今度は、
「その旦那さんはどうしたんですか? 奥さんが殺されたというのに、この場にもいないということは、変じゃないですか? そもそも、奥さんは殺されたんでしょうね?」
と、冷静で、かつ重厚に、画家の梅崎氏が言った。
「ええ、それは間違いないようですね、鑑識の報告では、青酸系の毒物を口にしていると言います。彼女のそばに、調剤薬局で処方された薬の袋があったので、その中に毒物が入っていたのではないかと思われます」
ということであった。
「だったら、自殺の可能性もあるんじゃないですか?」
と梅崎氏は言ったが、
「それもまったくないとは言いにくいですが、新婚で旅行に来ていて、そこで薬の中に毒をませて、自殺をするというのは考えにくいと思うんです。そして、気になるのが、旦那さんが行方不明になっているということなんですよ。先ほど、二人をお見掛けしたかどうか聞いたのは、実は、旦那を見たかどうかというのを聞きたかったのもあって、先ほど、奥さんを単独で見たか、あるいは、夫婦を一緒に見たかという聞き方をしたのは、わざとでして、旦那一人だけを見た場合のことを敢えて言わなかったのは、もし、旦那一人だけの光景が一番考えにくいと思わせることで、その光景をご覧になっていれば、違和感があると思うので、それを反応として見たかったという思いもあってのことでした」
というではないか。
「さすがは、百戦錬磨の警察官だ」
と桑原は感心していたが、同じ思いだったのは、梶谷だった。
梅崎とさくらは、むしろ、
「警察って意外と失礼な尋問をするものだ」
と思っていた。
さくらは、それを聞いて、自分が警察の誘導尋問に引っかからないようにしないといけないと思った。
何しろ、殺人事件に巻き込まれるなんて、人生に一度あればすごいくらいのもので、普通の人は一度たりとも、こんな経験はしないだろうと思っているので、手は震えていて、少し顔色も悪いかも知れない。
「でも、刑事さんとは初対面なので、普段の私を知るはずもないので、顔色が悪いかどうかなど分かるはずもない」
と思っていた。
もっとも、顔色が悪いかどうかというのは、さくらが勝手に思っているわけであり、しかも、もし今鏡を見ても、きっと顔色に関しては分からないだろう。
なぜなら、普段から自分の顔色を気にして、鏡なんか見ていないからだと感じたのだ。
そういう意味では、結構冷静に考えていたのかも知れない。
こんな人生に一度あるかないかの場面に出くわしていて、指先の震えが止まらないと思っていながら、なぜか落ち着いている。
しかも、警察に尋問されることは、それほどびくつくことではないと思っているのに、なぜか震えが止まらない。
実は昨年、兄が死んだ時も、警察に尋問された。その理由が変死体だったからだ。
交通事故だったのだが、警察から、
「榎田博人さんがお亡くなりになりました」
と連絡があり、急いで警察署に向かったが、その時、初めて交通事故で亡くなったことを知らされた。即死だったようで、それを聞いた時、さくらは、
「よかった。苦しむことはなかったんだろうな」
と感じたのを思い出した。
死んだという悲しさもあり、もう二度と会えない、話ができないという一抹の寂しさもあったが、それ以上に、兄が死んだということに対して、冷静になれている自分が怖いくらいだった。
「大丈夫ですか?」
と、刑事さんからねぎらいの言葉をもらい、母は、ショックで立てる状態ではなかったが、さくらは、そんな母親を見ているからか、
「自分がしっかりしなければいけない」
と感じたのだろう。
それだけに、母親を支えるようにしながら歩いて兄の安置されているところまできたが、様子をみると、苦しんだような顔ではなく、どちらかというと安らかに思えたことに、さくらは安心していた。
ただ、さくらがショックでなかったなどということは決してなかった。母親が先に崩れてしまったので、崩れるタイミングを逸してしまったとでもいえばいいのか、
「お母さん、ひどいよ」
と思った気持ちに変わりはなかった。
「お兄さんは、かなりのスピードを出していたのか、山道でガーとれ~るに突っ込んだ模様です。ブレーキの跡はありましたが、本当に寸前のことで、もう少し前に気づいていれば、ここまで悲惨なことにはならなかったかも知れません」
と言われた。
ただ、警察には警察で、何か疑問があったようで、それを調べるため、司法解剖に回すということであった。
母親もさくらも、それを聞いて、何とも言えない気持ち悪さを感じていたが、それがどこからくるものなのか、母とさくらの気持ち悪さが同じものだったのかということは分からない。
お互いに、何も言おうとしなかったからだ。
確かに警察が疑問を抱くということには、気持ち悪さを感じたが、それが分かったところで、兄が帰ってくるわけでもない。そう思うと、余計なことを考えて、必要以上に精神をむしばむようなことはしたくないと思っていたのだろう。
それはさくらも同じことで、警察の捜査が進むのを黙って待っているしかない状態で、その感覚も次第にマヒしてくるのを感じてきた頃に、警察から返事が来た。
「申し訳ございません。お待たせしました。こちらでもいろいろ捜査をしてみましたが、お兄さんの事故は、やはりただの事故のようですね」
ということを言いに来てくれたので、ホット一安心、安堵の気持ちで、胸を撫でおろしたという心境であった。
それを聞いた時、母もさくらも、同時に腰が抜けた気がした。
余計なことを考えてしまったことを少しショックに思うくらいで、ただ、これでやっと、兄を供養できると思ったのが、一番よかったことであった。
さすがに四十九日が過ぎると、二人はいつもの生活を取り戻した。
母親に至っては、それまでのどんよりとした雰囲気とはまったく違い、かなりテンションが高かった。
むしろ、それが母親の性格であり、家族の中で一番天真爛漫だった母親に戻っただけだった。
だが、どこか無理をしているように見えて、しばらくは、母親を見るに堪えないという気持ちが強かったのだ。
だが、そんな母親も何とか平常心を取り戻してくれたのだろうと思いたかった。
だが四十九日が過ぎてからの母は、やはりどこか無理をしているようだった。
父との会話もぎこちなく、さくらとは今までとあまり変わらなくなったが、父とはどうしても、ぎこちなさが元に戻らなかった。
「ひょっとすると離婚するかも知れないな」
と感じたが、
「それでもいいような気がするな」
と思うようになっていた。
確かに離婚はいいことではないが、兄も死んでしまい、さくらも、今度大学に入学も決まっている。もう、親として、一緒に暮らすという意義はないのかも知れない。
だが、今のところ二人が離婚するということもなかった。
ただ、父親は転勤の辞令が出たようで、
「単身赴任しようと思う」
という父親に対して、家族は誰も何も言わなかっや。
社宅は安くあるようなので、家計を圧迫することもないようだ。
単身赴任手当も充実している会社だったので、そのあたりの心配はないということであった。
だから、今はさくらと母親の女性二人の家であった。
前は兄と、父という、本当に一般的な家庭だったのが、まるでウソのようだ。今は家族が一緒に住んでいようがいまいが、単独行動しているという意味では、そう感じていれば、別に問題はないと思えてくるのだった。
「まあ、これでいいんだよな」
と言って、父親は単身赴任していった。
最後の父親のその言葉が印象的だったが、今ではその言葉も頭の中で風化していってしまったかのようだった。
兄の墓参りにも、家族でいくことはない。皆単独で行く。単身赴任した父親が本当に墓参りしているのかどうか、怪しいものだ。
それを思うと、
「すでに、うちの家庭は崩壊している」
と言えるのではないだろうか。
そんな家族だから、一時期、
「もう、家族なんかいらない」
と思い、友達も最小限の人だけにして、彼氏なんかいらないとも思うようになっていた。
友達としては、絶対に外すことのできない人が、かずさだけで、他の人は、どうでもいいと思っている。それは今でも同じことなのだが、たまに、そんなさくらに親しみを込めてか、癒しを求めてくる人もいた。
もちろん、女性なので、露骨に断るようなマネはしないが、
「何か目的があるのではないか?」
と、余計なことを考えてしまう。
それを思うと、自分が兄を慕っていた時期があったのを思い出すのだが、その兄が死んでしまったことで、こんなにも家族が簡単にバラバラになるなど、思ってもいなかった。
そういう意味で、
「もし、あの時死んだのが、兄ではなく、他の誰かだったら?」
と考えてしまうが、さすがにそれが自分だとは思わない。
死んだのが自分だったら、もう自分には関係のないことなので、考える必要もないと思うのだ。
そうなると、両親のうちのどちらかということになるが、精神的なバランスという意味よりも、金銭的、あるいは、家族の代表という意味で、両親のどちらかだったらと思うと、怖い気がする。
ただ、もうすぐ自分も大学生、必要以上に余計なことを考えて、せっかくのこれからを台無しにするという選択もないだろうと思うと、
「兄のことも忘れないといけない」
と、感じるのだった。
兄が死んでからというもの、家族はバラバラにはなったという感覚だが、さくらはそれを寂しいとは思わない。
いずれは、こういう形になったいただけのことなんだと思うと、兄の死を受け止められる気がしてきた。
時間というものは恐ろしいもので、あれだけ大きかったショックが、四十九日が過ぎてしまうと、さほど気にならなくなってきた。
寂しさも次第になくなってきて、まるで、四十九日に合わせたかのように、感覚がマヒしていったのだった。
一度肉親の死というものに遭遇しているので、今回の事件も、最初は殺人事件ということで少しビビッてしまったが、兄の時に比べれば全然、ショックでもない。何が違うといって、知らない相手に、寂しさもなにもないものだからであった。
警察も、殺人事件ということでも捜査なので、マニュアルに沿ってのものなのだろうが、この事件の関係者をどう思っているのだろう?
今までの経験から考えて、とりあえず、事情を聴いている人たちは皆他人なので、話も冷静にできるというものだ。
それにしても、一番の近親者である旦那はどこに行ったのだろうか?
普通に考えれば、
「旦那が奥さんを殺して、姿をくらましている」
という考えが一般的かも知れない。
まるで小説のような内容で、そういう意味では一番それを感じているのは、関係者の中で警察関係の人間以外では、作家だという梶谷氏なのではないだろうか。
ただ、あまりにも判で押したような事件だと考えると、皆同じ考えでしかないとすれば、皆同じことを考えているということだろう。
当然、警察も今のところの一番の優先順位としては、行方不明の旦那の捜索であることは分かっていることだろう。
そもそも、今回の殺人事件に関しては、さくらとしては、
「何か、最初から分かっていたような気がする」
と感じていた。
それは、嫌な予感というくらいのもので、まさか殺人事件などとは思っていない。自分にとっては、一緒に旅行で来た桑原が、自分のことをどういうつもりで誘ったのかということが気になるくらいで、それが、何か嫌な予感に結びついたとしても、おかしくはなかったのだ。
さくらは、桑原が、小説を趣味で書いているということは聞いていたが、どうして書くようになったのか、そして、一人旅を今までに何度かしたことがあって、それが小説を書くためだということを知らなかったのだ。
桑原は、今回の旅行で、そのことをさくらに話そうと思っていた。
「二泊もあるのだから、時間はたっぷりとあるだろう」
と普通の人なら思うだろうが、桑原としては、この旅行の間に、さくらに自分のことをどれだけ理解させられるかということが大事であった。
さくらにも、桑原に対して、自分の家族の話をしようと思っていた。今まではまったくしたことがなかったのだが、それは当然、そこまで親しいわけではなかったからで、さくらの家族のことを知っているとすれば、かずさくらいのものである。
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