第2話 温泉旅行
さくらは、桑原から温泉旅行に誘われた時、気になっていたのが、かずさとの関係だった。
どこかおかしな雰囲気の中で、自分だけが彼氏ができたというのは、かずさに対しての背信行為ではないかと思っていた。
しかし、
「そもそも最初に友達をたくさん増やしたのは、かずさの方だったではないか?」
と思い、嫉妬していたことを思い出した。
いや、思い出したというよりも、今までの自分がかずさに感じていた感情が、嫉妬だったのだということに、ハッキリ気づいた瞬間だったと思った。
しかし、自分がハッキリと感じたその時、
「あれが嫉妬だったというのなら、もう嫉妬を感じていた時期は、通り過ぎてしまったのではないか?」
と感じたのだ。
しかも、通り過ぎたのはたった今のことで、気づいたことで、通り過ぎたのだと思うと、また、何かおかしな感情がこみあげてくるのを感じたが、それは別に悪いことではないような気がしたのだった。
少なくとも、さくらには、かずさに対して、もうぎこちない気持ちは感じないような気がした。
だから、かずさに、
「自分が幸せになっていいのか?」
などという聞き方をしてしまったのだろう。
かずさの方としては、ひょっとすると、
「何を言っているのかしら?」
と感じたかも知れない。
だから、かずさの言葉には、かなり大げさと思えるようなところがあったが、実はかずさには、演技っぽいところがあった。
しかし、それは、かずさが意識していることではなく、無意識に出てくる感情で、人によっては、そんなかずさを毛嫌いしている人もいただろう。
かずさが中学、高校で、さくら以外に友達がいなかったのは、そういうところが原因だったのかも知れない。
そのことは、さくらも薄々ではあるが感じていたことだった。
かずさもさくらに友達がいなかったことは分かっていた。
「さくらは、素直すぎるんだ」
という思いがあった。
つまり、真面目過ぎて、融通が利かない。普通だったら、相手の気持ちを当たり前のように察して、忖度するのが当たり前という友達付き合いの中で、さくらには、融通が利かず、思っている通りにしか行動ができない。そんなさくらに対して、中学、高校時代の生徒は、まるで、さくらがわざと意地悪をしているようにしか思えなかったのだ。
真面目さと素直さというのは、同じではないか。まわりの人たちが勘違いをするほど、さくらの中で真面目と素直は同じ感覚だったのだ。
その理由は。さくら自体が、
「この二つは同じものだ」
と思っていたからであろう。
しかし、それはあくまでも、感覚で思っているだけのことであって、本人は無意識のつもりだった。
もちろん、そんな感情が表に出ているなど思ってもいなかったので、まわりが自分を避けていることも、その理由が分かっていなかった。
それを分かっていたのは、かずさの方だった。
「本当のことを教えてあげた方がいいのかしら?」
と、かずさはかずさで考えていたが、
「いや、やめておこう」
と感じた。
その理由は、この思いはかずさが自分で感じているだけであって、信憑性のあるものではないので、いまいち、指摘することが怖かったのだ。
そんな葛藤がかずさの中にあるなど、さくらも気づいていなかった。
ある意味、二人は気遣っているようで、実は相手のことを積極的に指摘して、諫めることのできるような、完全な友達というわけではなかった。
しかし、それは高校時代までであって、大学に入学すると、それぞれ別の道を見るようになった。
その時、今まで分からなかった二人の関係について、お互いにそれぞれ考えるようになると、二人は、次第に気持ちが近づいて行っていることに、まだ気づいてはいなかった。
どうやら、二人は話をしなくても、お互いのことが同じように気に掛かったり、
「気が付けば、相手のことを気にしていた」
という、今までになかった感覚を、同じ瞬間に感じているようだった。
それは、今までになかった関係を、
「いかに育んでいけるか?」
ということを示しているように感じたのだった。
そんなさくらは、かずさと仲直りができたのも、
「桑原が自分に告白してくれたからだ」
と思うようになり、桑原に対して、自分を好きになってくれたということと同時に、かずさと仲直りできたことへの感謝を感じたのだった。
いや、むしろ、かずさと仲直りができたことの方が嬉しかったのかも知れない。その時になると、
「いかにかずさが、自分のために大切な人間だったのか?」
ということが分かった気がした。
しかも、かずさの方でも同じことを感じてくれているはずだということを、今までにはない自信という形で持てるようになったことも嬉しかったのだ。
そんなことを感じていると、
「お互いに大学生になり、別々の道を進むというのは、お互いの人生を見つめ直すという意味でもよかったのかも知れない」
と思った。
そんなことを感じていた時、現れたのが、桑原だった。
最初は、かずさとの距離に対して、開き直りのようなものを持っていたことがその理由だったが、
「自分に、今までにない柔軟性が出てきたことで、まわりを見ることができるようになったんじゃないかしら?」
と、さくらは感じるようになっていた。
それでも、大学で友達があまり増えなかった。
それを桑原に話すと、
「何も、友達をやみくもに増やす必要はないと思うよ。いざという時に相談に乗ってくれるような人なんて、数人しかいないと思うし、そんな人たちだけが友達でも十分だと思う、それ以外で友達がほしいと思うのであれば、それぞれに役目を設けるといい」
というではないか。
「役目?」
「ああ、遊びに行きたい時は、この人たち、趣味を一緒にする時はこの人たち、勉強する時はこの人たちって、役割を考えれば、その時々で一緒にいる人を友達と呼べばいいんだよ」
という。
「何か、むなしい気がするんだけど?」
とさくらがいうと、
「そうかな? 本来なら、それを友達だといって、線引きする必要もないと思うんだけど、どうしても、友達を増やしたいという思いがあるのなら、そんな人たちを友達と呼べばいいだけだということだと思うよ」
と、彼は言った。
それを聞くと、どうもまだ納得がいかないのか、
「うーん」
と言って考え込むさくらに、
「ね、考え込んでしまうでしょう? 友達って、考え込んで作るものじゃないんだって思うよ。なんでもかんでも友達というのも、どうかと思うけど、でも、普通に自分の行動範囲にかかわってくる人を友達と思うというのでは、何がいけないというんだろうね?」
というのを聞くと、
「確かにそうかも知れないわね。友達って、意識して作るものではないというのは分かる気がするわ。きっとみんなも同じことを考えているのかしらね?」
とさくらがいうと、
「そうかも知れないけど、皆そこは無意識なんだよ。わざわざこだわるという人は少ないと思うよ」
と、彼はいうのだった。
さくらは、桑原と話していると、
「今まで知らなかった世界を教えてくれるような人だわ」
と感じた。
いずれ、ある程度のことを話せるようになれる人ではないかと考えていたが、そう思うと、
「かずさと一緒にいなくても、この人と一緒なら」
と、感じることのできる人になりそうに思うのだった。
今まで、男性を意識したことがなかったので、今までの自分の感覚とは違っていて、
「こんな時、かずさだったら、どう思うんだろう?」
と、考えていると、かずさを、客観的に見ている自分を感じた。
かずさと仲良くなってから、こんな感情は初めてだった。
確かに、
「こんな時、かずさだったら、どう思うだろう?」
考えたことはあったはずだ。
だが、中学時代、高校時代であれば、おぼろげにだが、分かったものが、大学が違って、離れてしまったことで、分からなくなっていた。
高校時代までは、自分が考えたことが正しいと思うようなところがあったので、かずさに対しても自分の考えが正しいと思って、その通りに思えば、それが間違いではないと思えたのだ。
しかし、今は少し距離を感じることで、自分の考えに信憑性を持てなくなった。それが、客観的にかずさを見ているからだと思っていたが、実はそうではなく、
「二人のことを、まったく別の世界から見ているからではないか?」
と思うのだった。
かずさがどう思っているのか分からないが、今こうやって感じていることは、むしろ、かずさが自分を導いてくれたことではないかと思うのだった。それだけ、さくらはかずさに対して、全幅の信頼を置いていて、その感情は、無意識のものであることで、余計な気遣いもしないで済んだのではないかと思えた。
今度はこの気遣いのなさを、桑原にも感じるのではないかと思うと、またしても、胸のときめきを感じてくるのだった。
今回の温泉旅行は、伊豆半島の山間にある、秘境ともいえるような温泉だという。
それでも、温泉マニアには、結構知られていて、時期によっては、結構賑わう時があるという。
「あの温泉は、普通に見て、いつ賑わうのかって、結構分からないんですよ。曜日も、月の途中や月末月初なども関係ないらしいんだ。だけど、僕が研究した結果、いつが賑わうかという法則のようなものを見つけたので、その賑わないと言われる時期に、予約を取ることにしたよ」
と、桑原は言った。
「いつが賑わうのかって分かったんですか?」
と聞いたが、
「あくまでも感覚でしかないので、ハッキリとしたことは分からないんだけど、僕の中では信憑性はあると思う。でも、口で説明してくれと言われると、なかなかできるものでもないし、感覚だから、分かってくれないだろうと思うんだよ」
と、桑原は言った。
「そうなのね、でも、よくそんな温泉知っていたわね?」
と聞くと、少し戸惑ったが、
「うん、秘境と呼ばれる温泉を趣味で回っている人が知り合いにいるので、その人の一押しの場所だったんだよ」
というのだ。
「そうなのね。楽しみだわ」
と、さくらは言ったが、この日を境に、桑原との距離が、一気に縮まるのではないかと思うと、ドキドキするのだった。
出発する日は、彼の案として、来週の水曜日から、金曜日にかけての、二泊三日を計画しているという。
「二泊もする必要があるの?」
と聞くと、
「うん、あそこは、秘境とは言われているんだけど、温泉の近くには、いろいろ歴史的な遺産が残っているので、見て回るにはちょうどいいんだ。僕の知り合いには、絵を描く人がいて、景色がいいからって、一週間以上滞在している人もいる。その人の話では、俗世を忘れることができてなかなかいいんだって、だけど、三泊以上すると、その俗世に戻りたくなくなるから、ただの旅行だって思うのなら、二泊でやめといた方がいいっていう話なんだ」
というのだった。
「そういうことなら、ちょうど二泊というのがいいかも知れないわね。そうやって聞くと、二泊がいいというのは分かるんだけど、まるで判で押したような場所じゃないですか。それを聞くと、二泊の人がほとんどじゃないかって感じがするんだけど、どうなんでしょうね?」
と言われた桑原は、
「うん、二泊の人は多いみたい。でも、あの場所は、芸術家の人も結構訪れていて、小説家や、絵描きの人が逗留する場所でもあるらしいんだ。それに温泉の効用もかなりのもので、病気による湯治を真剣に考えている人も結構いるので、そういう意味で、お客さんが芸術家や、湯治客の人が多い時もあるらしいんだ。だけど、それは皆、それぞれに自分のことだけなので、誰かと一緒ということもない。湯治の人はさすがに、付き添いの人がいるだろうけど、それでも、静かにしているはずだから、そういう客は、客がたくさんいて賑やかだというそんな感覚ではないんだ。だから、逆にそういう人たちが多い時の方がいいかも知れないね」
というのだった。
「なるほど、さっき、桑原さんが言っていた、賑やかではない時が分かるというのは、この感覚に近いのかしらね?」
とさくらが聞くと、
「ああ、そうだともいえるだろうね。僕も、ちょっと芸術的なことに興味を持っているので、あの温泉に、何度か言っているんだ。そして、滞在は結構長いんだよ」
と桑原は言った。
先ほど、さくらは、桑原が、この旅館を初めていくところだということで、
「よく知っていたわね」
と聞いたが、実際にはそうではなくて、桑原としては、
「自分が初めて行った時、よくそんな温泉を知っていたのか」
ということを聞いたのだと思い込んでいた。
桑原は、意外と相手がいうことを勘違いするふしがあった。
「俺はそんなつもりではなかったのに」
ということが何度かあり、それは、自分が人との会話をおろそかにしてしまっているからではないかと思うと、感覚的に、気を付けなければいけないと思うのだった。
ただ、この勘違いが、以前、大きな事故を招きかけたことがあった。
あれは、高校時代だっただろうか。友達とオリエンテーリングに行ったことがあった。
数人の仲間と一緒に、地図とコンパスを頼りに、チェックポイントを目指しながら、最後にはゴールに行きつくというオリエンテーリングである。
普通の登山のように、
「決められた道」
というような、登山道を普通に歩くわけではない。
場所によっては、道なき道を歩くこともあり、どこを歩いているのか自分で分からないことも結構あったりした。
そんなオリエンテーリングなので、一人でするよりも、数人で組んだ方がいいだろうと思った。高校生で、部活というわけでもなく、ただの趣味なので、それでよかったのだ。
だが、その時、普段なら、そんな勘違いをするはずがないということで、地図とコンパスを見るという、一番重要な役を仰せつかっていた。
自分でも、あまり間違えることはないと思っていたので、甘く見ていたわけではないのだろうが、気が付けば、勘違いをして、道に迷ってしまっていたのだ。
迷った道を、さらに彼は汚名挽回しようと、何とか、地図を見ながら、どこに戻ればいいのかを模索しながら、いろいろ動いたのだが、動けば動くほど、焦りに繋がってしまって、結局、うまく抜けられなくなった。
もう一人の男性が、
「今度は俺が見てみよう」
と言って、冷静な目で見ると、何とか抜けられたのだが、あとから考えれば、そんなに難しいところでもなかったのに、
「一度狂ってしまうと、先が見えなくなるものなんだな」
と思えてきて、ちょっとした勘違いが焦りを呼び、普段考えれば簡単に分かることが、盲目になってしまうと、まったく見えなくなることを思い知らされた。
一時期、ショックで何も手につかなかったが、立ち直りが早いのも、桑原の性格だったのだろう。
「俺の性格だから、しょうがないと言えばしょうがないのかな?」
と何とか自分に言い聞かせてきたが、どうにも桑原の性格的なものなのか、焦り始めると、なかなか収まらないのが、桑原だったのだ。
それから、少しの間、自分が表に出ることはしないようにしていた。だが、桑原という男、そこまで弱い人間というわけではないようで、一年くらい、おとなしくはしていたが、また、行動的になっていったのだった。
オリエンテーリングや登山というのはさすがに怖いのか、ハイキングであったり、どこかに旅行に行ったりするのは、平気になった。
それも、集団で行くのではなく、一人の行動が多くなった。
「一人だったら、誰かに迷惑をかけることもないし、ハイキングや旅行くらいなら、危険なこともないので、一人の趣味としてやってみることにしよう」
ということで、それから、桑原は単独行動が多くなったということである。
ハイキングは、鉄道会社が主催しているような、
「お年寄りでも、一人で参加できる」
というようなもので、気軽にするには、ちょうどいい。
現地集合、現地解散というくらいのフラットな行事なので、精神的なリハビリという意味でもちょうどよかった。
旅行に関しては、桑原は趣味もあるので、一人静かに行くことがちょうどよかった。
その趣味というのは、小説を書くことであった。高校生の頃に始めた趣味で、最初の頃は、なかなか最後まで書けないで苦労した。
しかし、最後まで書き切ることが、小説を書けるようになる一番の近道だ。
ということが分かると、一人旅というものに、がぜん興味が沸いてきたのだった。
「小説を書けるようになるための一番のターニングポイントは、何があっても、最後まで書き切ることだ」
ということであった。
そのことを分かっていなかったので、途中まで書いて、
「こんなんじゃだめだ」
と考えると、そこまでいくらスムーズに書けていたとしても、一気に感情が冷めてくる。
小説というものは、感情が乗ってこなければ、先に進むことはできない。
それは、一つの文章であったり、一つの段落であったりと、細かいところを一つずつ紡いでいきながら、形にしていくことではないだろうか。
ただ、桑原が小説を書こうと思うようになったのは、中学時代の学校で、週に二時間だけ、特別教育活動なるものがあり、スポーツでも、文化でも、放課後の部活のようなものがあり、桑原は、
「俳句の授業」
を選択していた。
他にやりたいものもなかったので、一番マイナーではあるが、何かを作るというところで、自分がやりたいと重いことで、できるのではないかという意識の一致という意味で、消去法で起こったのが、この俳句という授業だった。
ただ、この授業の講師は、実は結構有名な人のようで、テレビにもよく出てくるような、
「教授としての資格も持っていて、俳諧では結構有名な先生だ」
ということのようであった。
そんな先生に教わっていると、
「俳句を作るのって、結構面白いな」
と感じるようになっていた。
だが、俳句を有名な先生に教えてもらっていると、もっと、他の文芸もやってみたくなったのだ。
そこで考えたのが、小説だった。
「いずれ自分が書いた小説が一冊の文庫本になるなんて、夢みたいじゃないか」
と考えるようになった。
ただ、小説は、俳句のように一筋縄ではいかない。
俳句も奥が深く、そんなに簡単なものではないということも分かっている。
俳句の先生から、
「俳句というのは、決められた文字数の中に気持ちを込めなければいけないというもので、しかもその中には、季語も入れなければいけない。和歌などよりも、さらに短い文章なので、結構難しい。文章というのは、短ければ短いほど難しいというからね」
と、まるで他人事のような表現になっていたのは、少し滑稽であった。
中学時代には、まだ小説を書いてみたいとは思っていたが、実際に書いてみるところまではいかなかった。まずは、高校受験が先決だったからだ。
それでも、何とか入試に合格し、志望校入学ができたことは、よかったと思っている。
入学した高校では、文芸部に所属していた。目的は、
「小説を書いてみたい」
ということであった。
高校の文芸部は、想像していたような、真面目な部ではなかった。
確かに、一年に二、三度は機関誌のようなものを発行しているが、部の活動はそれくらいのもので、あとは、図書館の整理の手伝いをするくらいだった。
機関誌に関しては、発行前くらいになると、部員は、適当に作品を書き上げて持ってくるが、部としての活動はあまりしていないようだ。
図書館の手伝いも、部長と、副部長が、
「役職だから」
ということだけでやっているだけだった。
「役職と言っても、会社の役職のような、名誉職でもなく、給料がいいというようなおいしいものがあるわけではないので、ただの貧乏くじだよ」
と言って、ボソボソいいながらやっているだけだった。
図書館の方でも、せっかくやってくれているのだから、文句も言えないが、
「こんなに嫌々やられても……」
と思っていることだろう。
だが、真面目な桑原が入部してからは、桑原も図書館の手伝いをしてくれるようになり、部長たちも、図書館の人たちも、
「よかった」
と思っているようだった。
桑原は、決して嫌な顔はしない。図書館の人たちは、
「まだ一年生だから、新鮮な気持ちなのかも知れないな」
と言っていたが、彼は、三年間を通して、実に真面目に勤め上げた。
桑原が部長になる頃には、図書館の手伝いをする人も増えてきて、図書館も助かっていた。
いつも図書館を利用している生徒たちも、文芸部の部員に、本の話などをするようになり、それまでの部活とは、だいぶ変わってきたようだ。それもこれも、桑原の真面目な性格が起因しているに違いないのだ。
そんな文芸部で、
「何とか高校時代に、小説を書けるようになりたい」
という思いが強くあったことが、文芸部を真面目な部にすることと同じ目線で見ていたのだ。
文芸部を真面目な部にすることはできたのだが、肝心の小説を書けるようになるまでには、なかなか道は険しかった。
ショートショートであれば、何とか書けるようにはなった。原稿用紙で、二、三枚という程度だろうか。機関誌に載せるには、少し短いので、数作品を書いて、それを載せるようにした。
だが、桑原が本当に書きたいのは、長編であり、長編というと、文庫本で、約二百ページが境だという。
ということになると、四百字詰め原稿用紙でいけば、役三百枚オーバーにならないと、長編とは言えないだろう。
さすがにいつも長編というのもきついだろうから、二作品で、一冊の文庫本になるくらいが書ければいいと思っていたのだが、今の時点であっても、何とか短編がいいところであった。
いずれは長編が書ければいいと思っているが、どうして書けないのかというのは、自分でも理由が何となく分かっていた。
「あまり引きずらない性格だ」
ということと、
「集中すると、他のことを忘れてしまう」
という性格が、融和する形で、悪い方に影響しているのではないかと思うのだった。
「集中しているので、その時に覚えたことも、我に返ると忘れてしまう」
ということになってしまうのだと思った。
単独では、決して悪いことではないが、それが一緒になると、それぞれの悪いところが作用しあって、
「引きずらない性格が、嫌なことは忘れてしまうという風に作用して、集中することで、その時の執筆が終わる時に、達成感からの安心からか、必要なことすら忘れてしまうのではないだろうか?」
この思いが、
「負のスパイラル」
を形成し、交わらない螺旋階段を映し出してしまうのだろう。
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