14 『質』-2

 そもそも、神狩一族は、本来、『神縛り』を、真神まがみ妖種ようしゅに対して使用するという。


 真神であれ妖種であれ、たましいは精神の核だから、それを奪われれば、その存在からは自我が失われる。

 そうして、命じられるままに神力もしくは妖力を振るう凶器として、術者の完全な使役下に置かれる。


「神狩一族は、これを『使つかい』と呼んでいます」


 三朗と二緒子は息を詰めた。


「八手一族というのは、髪を角髪みずらにしていた人たちですよね。他に、髪を頭の後ろでまとめて黒い布で包んでいた人たちが居ました」

「その人たちが、妖種にしか見えない巨大な獣や蟲を従えて、戦わせていましたけど――では、あれが、『使』ですか」

「そうです」


 伊織が頷いた。


「『使』は神狩一族の術者たちにとって、最強の武器です。ただ、真神を『使』に降した例は知られていません。現在の黒衆の術者たちが所持している『使』も、全て妖種です」


 だから、鬼堂興国は、斗和田へ現れたのだと言う。

 央城おうきの都の開闢以来、急速に姿を消していった真神の一柱が、斗和田の湖に在ると知って。


「つまり、父神ちちうえを、その『使』とやらにする為に⁉」


 爆ぜるように、三朗は立ち上がっていた。


「たかが、そんなことの為に⁉」


 脳裏に、目の前で殺されていった故郷の人々の姿が浮かんだ。

 豪雨の中に消えていった父神の姿が、それを嘆くように故郷の全てを押し流した黒い濁流の光景が、後から後から浮かんできた。


 瞬間的に沸騰した怒りが、頭と心を支配する。

 目の前が血の色に染まり、ぶわりと髪が逆立ち、同時に、首にかけている朱色の勾玉の首環くびかざりが、びりっと軋むような音を響かせて、僅かに浮き上がった。


「三朗!」


 途端に一也が声を放った。


「それは、ここでぶつけるべき感情ではない。こちらの――伊織様の所為ではないことだ」

「けど、こいつらは、あの人間たちと一緒に村を襲いました! じい様も、叔父上も、圭一郎けいいちろうさんや六花りっかさんも――みんな、こいつらに殺されたんだ!」


 ずっと、目の前の状況に対応するだけで手いっぱいだった心が、兄との再会で少し緩んだ。

 その結果、今まで止めているしかなかった感情が一気に溢れ出し、身体の中を真っ黒なものでいっぱいに満たしていった。


 それを解き放ちたかった。

 一言も反駁することなく、ただじっと三朗の弾劾を浴びている角髪の青年に、その全てを叩きつけたかった。


 だが、その時。

 突然の大声に驚いたのか、四輝がびくっと身を震わせた。傍に居る一也の服の裾を掴んで、わあっと声を上げて泣き出した。


 その声が、沸騰した感情を一気に冷やした。

 三朗は一瞬で我に返り、慌てて口をつぐんで、駆け寄った二緒子が末弟を抱き上げ、あやし始める様を見やった。


 生まれてたった半年で、母も故郷も失った、幼い弟。

 しかも、その意味さえ、まだわからずにいる。


 じわ、と目の奥が熱くなった。


 朝来あさぎ村の人々は、はるか古の時代から斗和田とわだのほとりに住み、湖の竜神を祀り、その暴威と恩恵と共に世代を重ねてきた。

 だからこそ、父神を狩る為――そんな理由で、突然村に押し入って来た侵略者たちの前に、怯むことなく立ち塞がった。


 中でも、村の神社を拠点とし、斗和田の真神と朝来あさぎ村の人々との仲立ちを務めていた母たち神和かんなぎ一族は、強い霊力と独自の霊能の技を駆使して、侵略者たちに対抗した。

 まだ十歳と九歳の二緒子と三朗がその戦列に並ぶことはなかったが、十七歳に達している一也は父神譲りの神力を振るい、多くの術者や戎士たちを撃ち倒している。


 だが、最終的には数の差が勝敗を分けた。

 一昼夜に渡った死闘の末、神和一族は壊滅。

 その後、斗和田の湖が決壊したことで、朝来村は濁流に呑み込まれ、この世から消滅した。


 ただ、話を聞けば、鬼堂興国の勝利も完璧なものではなかったことがわかる。

 多くの麾下を喪い、自身も左眼を損傷し、そして何より、真神を『使』に降すという目的を果たすことは、できなかったのだから。


「だから、あいつは、兄上の神珠を奪ったんですか? その、父神の代わりにする為に?」


 何とか気持ちを落ち着かせて問いを重ねた三朗に、伊織はゆるりと首を振った。


「その答えは、『はい』であり『いいえ』でもあります。先ほどから話をしていておわかりだと思いますが、水守殿は、自我を失っているようには見えないでしょう?」


 言われて、三朗と二緒子は思わず兄を注視し、その兄から苦笑めいた笑顔を返されて、頷いた。


「真那世は、真神や妖種と違って霊珠を持っていますから、神珠を奪われても、自我を失うには至りません。だから、黒衆は、『神縛り』で神珠を奪われた真那世のことを、『使』ではなく『しち』と呼んでいます」

「『質』?」

「人質、という意味ですね」


 伊織の表情に、くらい翳りが滲んだ。


「繰り返しますが、真那世の神珠と霊珠は、二つで一つ。故に、本来の持ち主の身体から奪われて尚、その二つの間には目に見えない繋がりが存在します」


 だから、先ほどのように、奪った神珠に呪詛や呪毒の類を注ぎ込めば、霊珠を通して当人の心身に実害を与えることもできる訳である。


「同じ理屈で、神珠を握り潰しでもすれば、霊珠もその作用を受けて崩壊します。核を失った精神は死に至り、それはやがて肉体の核である心臓にも及んで、命を絶ちます」


 しかも、作用が霊的なものであるということは、加害者が被害者の目の前に居る必要が無い。


 つまり、鬼堂興国は、やろうと思えば、遠く離れた場所からでも、いつでも一也を痛めつけたり、命を奪ったりすることができる、ということだった。


「だから、そうされたくなかったら、自分たちに従え、と?」

「そういうことになります」


 声を震わせた三朗に、伊織は淡々と続けた。


「それだけでも、理不尽極まりないことですが、神珠は神力の源ですから、今の水守殿は、もはや以前のようには神力を操ることはできなくなっている筈です。また、極端に体調が崩れやすくなりますから、日常生活にも注意が必要になります」

「そんな……」


 改めて状況を確認すれば、三朗と二緒子は声と表情を失うことしかできなかった。

 兄の異常な神気の衰えや、今も横になったまま動けずにいる様子を見れば、否応なく、それが事実であり、現実なのだということを理解せざるを得ない。

 だが。


「私なら、大丈夫だ」


 硬直した二人に、一也はそれでも、優しく笑みかけてくれた。


「このような形で運命が定められたなら、今は受け入れるだけだ。だが、それは、暴虐におもねることでも、諦めることでもない。現実を受け入れて、それでも、前に進むということだ」


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