17 襲来ー4

 巨大なモグラが真正面から、白色のイタチが右から、女型のトカゲが左から、一気に空を飛んで距離を詰めてきた。


 モグラの口が開き、握りこぶしほどの大きさの岩の塊が、一也に向かって吐き出される。

 その速さ、重さは、当たれば人の頭部など簡単に砕けてしまうことだろう。

 同時に、横合いに回った白色のイタチが、三朗に向かって尾の鎌を振り上げる。

 女型のトカゲが、その青白い両腕を伸ばし、二緒子に掴みかかる。


「二緒子、三朗!」


 飛来する岩石弾を神剣で捌き、弾き返しながら、一也が叫ぶ。


 その声が、咄嗟に状況についていけず、呆然としていた二人の背を蹴り飛ばした。

 三朗の手が神剣を跳ね上げる。斜めに振り下ろされてきたイタチの鎌を、ぎりぎりで受け止めた。


 反対側で、シャアアア、と空気を震動させるような威嚇音を上げた女型のトカゲが、その両手の先に長い鉤爪を閃かせた。

 なまじの戎士が握る剣などよりよほど鋭い斬撃が、十指、十本の刃となって、二緒子に襲い掛かった。


 顔を恐怖に引き攣らせながらも、二緒子はぎりぎりで、その全ての軌跡を搔い潜った。

 攻撃と攻撃の僅かな隙を捉えて間合いの外へ転がり出ながら、神剣に水流を纏わせ撃ち放つ。


 だが、耳元まで裂けるほど牙を剥き出した女型のトカゲは、二緒子が放った水流に掴みかかると、両手と口まで使って噛みつき、抑え込んだ。


「⁉」

「姉上‼」


 二緒子の双眸に、愕然とした光が閃く。

 イタチの尾を跳ね返しざま、ハッと振り返った三朗も、その状況を見て取った。


 二緒子の神剣が、水流ごと拘束された。

 拮抗状態に陥って、振りほどけずにいる。

 そこへ、三朗に弾かれたイタチが、斜め前から迫った。

 その尾が巨大な鎌となって空を裂き、曲線的な動きで二緒子の頸部を狙う。


「このっ!」


 死角から姉を狙った刃。

 三朗は、そこへ飛び込んだ。肩に担ぐようにして神剣を振りかぶり、二緒子を引き裂こうとしたイタチの刃を力任せに斬り払う。


 だが。


 一旦は弾かれたイタチの鎌が、急角度に跳ね返った。無駄のない最小の動きで刃を返し、反対側から三朗を襲う。


 振り切ってしまった神剣を引き戻す暇はなかった。

 三朗にできたのは、視角の真正面に飛来する刺突の切っ先を知覚することだけだった。


 呆気ないほど簡単に、自分自身の命の終わりが見えた。


「三朗!」


 女型のトカゲとの拮抗状態のまま、二緒子が悲鳴を上げた。


 その時、モグラの岩弾の全てを弾いた一也が、身を翻した。

 迫る刃と三朗の僅かな隙間に、自らの身体をねじ込む。全身で、三朗と背後の二緒子をまとめて庇い、繰り出される鎌先を敢えて肩先に受けると同時に、掌中の神剣を一閃させた。


 跳ねた鮮血は二つ。

 一也の肩から噴いた真紅と、その神剣に削がれたイタチの脇からあふれた濃緑。


 ギギイ、と短く鳴いた白色のイタチが空中でとんぼ返りし、距離を取った。


 同時に、一也も地に片膝をついていた。

 その肩先からあふれた紅が、愕然となった三朗の、そして二緒子の視界をいた。


「兄様、三朗!」


 二緒子が、無意識のように神剣を振り抜く。

 神力ちからで編んだ水流を剣身から切り離しながら、女型のトカゲを力任せに吹っ飛ばす。

 それは、偶々ではあるが、真正面にいたモグラもどきにぶつかり、一塊になって山椒魚の足元に転がった。


「兄上!」

「私は大丈夫だ、三朗。だから、落ち着け」


 不安と焦慮に声と表情を裏返らせた弟に、一也は息を切らせながら応じた。

 その視線は、眼前の『使』たちに固定されたまま、動かない。


「教えた筈だ。戦いの場では、決して敵から目を逸らすな、と」


 声を張り上げた訳でもないのに、見えない鞭がしなったようだった。

 その重みが、心を鷲掴みにしたままの不安や焦慮、恐怖を打つ。

 ハッと喉を鳴らして、三朗はともすれば震え出しそうになる手を握り込み、懸命に顔を上げた。


「ふうん」


 必死の努力で仰いだ視線の先で、少女が小首を傾げた。


「やっぱり、そっちの女の子と男の子は、神力ちからそのものはともかく、てんで場慣れしてないのねえ。動きは悪い、判断も鈍い。しかも、この期に及んでまだ『質』のお兄さんにぬくぬく守られてるなんて、ほんと卵ちゃんだこと」

「た、卵?」

「孵れば竜になるんでしょうけど、まだ全然なってないんだから、卵で十分よ。特に、そこの男の子」


 その細い指先をぴんと伸ばして、三朗に突き付けて来る。


「――え?」

「あなた、何でそんな首環くびかざりをしているの? ただでさえ未熟なのに、神力まで押さえていたら、余計に役立たずになるだけじゃない」


 眦を凍らせた三朗の前で、少女が両腕を組んだ。


「その勾玉、あなたの神珠しんじゅの周りに人工的な『から』を造って、神力の発現を制御しているでしょ? ほら、やっぱり卵ちゃんじゃない。どうして、わざわざそんなことをしているの?」


 心底不思議で仕方がないという様子で、首を傾げる。


「だって、封じられて尚、あなたの神珠の光は、そっちのお姉さんより強いじゃない。ということは、それを外せば、鬼堂興国おきくになぞに命を半分取られてる間抜けなお兄さんなんかに頼らなくても、自分の力で敵を排除できるんじゃないの?」

「ま、間抜け? 何も知らないくせに、兄上を悪く言うな!」


 カッと眦を怒らせて、三朗は首の勾玉の環を掴んだ。

 その途端。


「三朗、挑発に乗るな!」

「駄目よ、三朗! それは外しちゃ駄目!」


 同時に、一也と二緒子が声を上げた。

 爆ぜるような制止に、三朗の手は再び、反射的に止まる。


「へえ、お兄さんやお姉さんがそんなに言うほど、この子の神力ちからって凄いの?」


 一也や二緒子の様子を見やって、少女が両手を打ち合わせた。


「それは、ますます見てみたいわね」

「我々は見世物ではない」


 苦い表情と口調で、一也が言った。


「今のの国の国司も、『術者や真那世の不思議の力とやらを見てみたい』などと言って、戎士同士を目の前で試合わせるよう鬼堂の主公に頼んだりするそうだが、央城おうきの貴族というのは皆そうなのか」

「真那世同士の術試合? それは面白そうねえ。今の主上しゅじょうも闘牛とか闘犬とかお好きだから、喜ばれるんじゃないかしら。央城まで興行に来たら?」


 虫垂れ衣越しに、少女の口唇の端が吊り上がる気配がした。


「自分では指一本動かさず、他の生き物を戦わせて高みの見物を決め込み、自分は指先一つ傷つくことなく、力遊戯を愉しんでいる。央城の貴族なんてのは、皆、悪趣味よ」

「あなたは、違うと?」

「私たちは、どちらかと言えば、あなたたちと同じ立場だから」


 肩を竦めるようにして答えてから、少女は興味津々という眼差しで水守家の三人を見つめてきた。


「知ってる? 神狩一族には、真那世は見つけ次第処分すべし、という掟があるの」

「処分?」


 三朗と二緒子が、同時に息を引いた。


「どうして……」

「決まってるじゃない。見た目は人間と変わらず、知性や理性のかたち、感情の動き方もよく似ている。にもかかわらず、人間よりずっと力が強く、足も速く、神力まで操るようなモノが、もしまた自分たちを支配しようとしたらどうするの?」

「どうするって……」

「現に、鳳紀ほうきが始まるずっと昔は、複数の真那世の大国が、この秋津洲あきつしまの各地に栄えていた。そこでは、人間は真那世の奴隷だったのよ。誰がそんな時代に戻りたいと思うものですか」

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