18 この世の始まり

 この世の始まりを知るものは、人の中には存在しない。


 ただ、伝承は存在する。それを知り得る存在から、その大いなる記憶を伝えられたごく一部の人の言葉を借りて。


 水守家の兄弟の母は、水守千夜子ちやこという名で、その『ごく一部の人』の一人だった。


「昔々、この世界がまだ生まれていなかった時、そこには、未だ何ものでもなく、何ものになることさえ決まっていない無秩序で混沌とした『力』だけが渦を巻いていました」


 四輝しきが生まれる前、三朗が、まだ二緒子におこと母と三人で川の字になって眠っていた頃、母はよくその『昔ばなし』をしてくれた。


「長き間、それらは、ただ闇雲にぶつかり合い、砕け、固まり、固まってはまたぶつかり合って、縮んだり、散らばったり、爆ぜたり、くっついたりを繰り返していました。くっつき合うことによって『力』は重くなり、ぶつかり合って爆ぜることによって熱くなり、それが冷えて固まって球い大地となり、無の混沌の中に世界という名の秩序のはこを出現させました。その中で、『力』は更に象を変えながら循環――ぐるぐると回り始めて、それが、天と地と海とを創り上げたのです」


 世界を形作った『力』――そこからまず生じたのが、真神と呼ばれるものたちだ、と母は語った。


「真神は森羅万象の具象なので、その土地その土地の秩序の要となりました。次いで、真神に為りきらなかった『力』が、闇黒あんこくに練り固められて、多種多様な魑魅魍魎――妖種ようしゅとなりました。そして最後に、妖種にすら為りきらなかった『力』の欠片が零れて、『命』となりました。それらは『生まれる』ことと『死ぬ』ことを繰り返し、やがて木になり花になり、蟲になり魚になり、鳥に獣に、そして最後に人となって、天地の間に命を循環させる物質界を形成したのです」


 真神と妖種は、世界を形作った非物質の『力』で自己を構築し、それを、神力、妖力という形で操りもした。


 だが、物質界の生き物には、そんな芸当はできなかった。


 よって、蟲は小さくとも頑丈な甲殻で身を護り、自らの体内で創り出した毒を振るって他を圧した。鳥は大空を自由に舞い、魚は水の中を自在に泳ぎ、獣は風のように地を駆け、鋭い爪と牙で獲物を引き裂いた。


 その中で、甲殻も爪も牙も翼も、熱さ寒さから命を保護する毛皮すら持たなかった人間は、樹の上や洞窟に潜み、自由と繁栄を謳歌する他の生物の獲物を夜陰に紛れて掠め取りながら、細々と生きていた。


「物質界で一番弱い――それが、その頃の人という生き物の姿でした。けれど、その弱さ故に、人は『想う』ようになります。怖い。哀しい。憎い。悔しい。死にたくない。強くなりたい。勝ちたい。――その『想い』は人の珠に刻み付けられ、親から子へと引き継がれていきました。やがて、人は『想う』だけではなく、『考える』ようになります。死なない為には。強くなる為には、と。そうして、人は『作り出す』ことを始めました」


 山野がもたらす実りを採集するだけだった人々が、山や森を切り開いて田畑を作り、種を蒔いて栽培するようになった。

 森で鳥や獣を狩るだけだった人々が、卵や肉や毛皮を採る為の家畜を飼育するようになった。

 火の山や雷光がもたらすだけだった火の代わりに、木や石を使って自ら火を熾すようになった。鋭い牙や爪の代わりに、石や木、鉱石などで武器を作り出すようになった。


 しかし。


 耕作に適した平野が無くなれば、森を切り開き、湖や沼を埋め立て、そこに水を引く為に川をせき止め、流れを変える。

 石を磨いただけの道具から、青銅や鉄といった鉱物を加工した道具を使い始めると、それらを求めて山を掘り、川を荒し、加工に必要な燃料を得る為に木々を伐採する。


 より豊かに、より高きを目指して、そういった行為を繰り返す人々の営みは、徐々に、その土地の真神とぶつかり始めた。


「時に、真神は、森を切り開こうとした人々の集落を破壊し、川に築いた堤を押し流しました。人が作り出した火や刀や弓矢では、同じ物質界の生き物である蟲や鳥や獣には勝つことが出来ても、真神には敵いません。だから、真神の怒りに触れた人はただ恐れ、ひれ伏しました。そうして、真神を祀る為の社を築き、巫女やげきを置いて祈りを捧げ、時には同胞を贄として捧げたりもしたのです」


 そうして、幾百、幾千の歳月を、人は、真神という目に見える秩序の内側で過ごしてきた。


「その中で、ある時、ある場所で、一つの運命の環が回りました。その時、そこに成されたのが、はざまの存在でした」


 真神と人間の女の間に生まれた子供。


 彼らは、人よりも遠くを見、遠くを聞き、疾く走り、高く跳び、重きを担ぎ上げ、神の『力』をも繰った。

 彼らは、その神力ちからを使って天地の災害から人を救い、闇黒より湧き出でる妖種を滅し、人々の命と生活を護った。


「ところが、真那世を得た人々の中には、次第に、その神の力を、他族、他邑との土地や水の争いに用いる者たちが現れ始めました」


 農耕や牧畜の発達によって比較的安定的に食糧を確保できるようになった人は、あちこちで爆発的に数を増やしつつあった。


 しかし、そうなると、増えた口を養う為には、新たな耕地が必要になる。

 だが、これ以上山を切り開いたり、湖を埋め立てたりすると、真神の怒りに触れるかもしれない。


 ならば、どうするか。

 簡単だ。

 他の一族、他の邑の土地を奪えばいい。

 神の子の力があれば、きっと容易い。


「そんな風に考え始めた人々は、積極的に真那世の子供を増やしていきました。そうして、数が増えていくと、真那世たちの中からも、神力を武器に周辺の邑々を従え、一帯に自分たちの勢力を築き上げようとする者たちも現れました」


 それが、南方の朱鳥あけとり一族、西国の亀蛇きだ一族、畿内の白良はくら一族といった、伝承に残る真那世の国々だった。


 その真那世の時代は、百年続いたとも二百年続いたとも言われる。


 その時の果てに、再び一つの運命の環が回る。


 それは、物質界で唯一、『想い』、『考え』、『作り出す』能力を開花させた人という生き物が、真神や真那世の世にあって尚、その歩みを止めなかったからだ。

 いや、むしろ、真那世という『上位種』の下で、かつての原始の時代のような抑圧の生を強いられることによって、人の『想い』はより強く大きく猛々しく研ぎ澄まされたのである。


 蟲や魚が次世代に伝えるのは、その形質と命のみである。


 鳥や獣になると、親が仔を育てることによって、形質と命の他に、生きる為の方法が教授される。


 人は、それに加えて、『想い』や『考え』といった、先人たちの精神活動が遺したものをも、子や孫に伝え続けた。


 その結果、人のたましいは、先祖から連綿と伝わる『想い』を蓄積し、遂には、非物質の『力』――霊力を発現させる者たちを生み出した。


 そして、その中の一人が、自分たちを抑圧する存在――真神や妖種や真那世といった異形、超常の存在に対する強く烈しい『想い』をばねに、それらに脅かされず、支配もされない為の方法を『考え』た末、遂に、真神を狩り、妖種を滅する霊能の術を『作り出す』に至った。


 その時、真神と真那世の時代は終わり、人の時代が始まったのである。

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