19 諸刃の剣

「わ、私たちは、そんなことしない」


 二緒子が声を跳ね上げた。


神力ちからで人を支配しようなんて、考えたこともない。なのに、実際に人を襲ったからじゃなく、襲うかもしれないからって理由で、殺すの?」

「実際に襲われてからじゃ遅いでしょ。術者じゃない普通の人が、真那世まなせに太刀打ちできる訳がないんだから」


 少女は肩を竦めた。


「だから、の国に下向した鬼堂式部しきぶが蜘蛛の一族を見つけた時、処分するどころか戎士じゅうしとして麾下に従えたって聞いた時は、こっちじゃちょっとした騒ぎになったらしいわ。掟破りだってね」


 だが、鬼堂式部は――。


『我に従って阿の国へ移った黒衆の術者だけでは数が少なく、頻発する妖種の出現に対して手が回らない。よって、真那世の一族を生かし、戎士として従えたことは、異形を滅し、人の世の安寧を護る、という神狩かがり一族の務めを果たす為である』


 と、言い張った。


央城おうき神狩の中では、鬼堂式部を処罰するべきではないか、という意見も多かったんですって。けど、その時、九条青明せいめいは言ったそうよ。放っておけって。辺土にわれて血が昇ったか、わざわざ諸刃の剣を懐に抱くなら、お手並み拝見といこうってね」

「諸刃の剣?」

「神狩一族のご先祖様たちは、央城の帝の命に従って、秋津洲あきつしまのあちこちで真那世の国々を平定して回ったんだけどね」

「知っている」


 一也が苦い口調で応じた。


「彼らの最期は、歴史として斗和田とわだにも伝わっていた。何処の真那世も、女子供、赤子に至るまで鏖殺され、族滅された、と」

「神狩一族に残る文献によると、鏖殺ってのは正確じゃないみたいよ。その時に、真那世も妖種ようしゅのように戦力として利用できないものかって、数家系が残されたそうだから」

「――それは、『神縛かみしばり』の実験体にされたということだろう」

「ええ、そうよ」


 厭悪感を浮かべた水守家の長兄に、だが、央城の神狩一族の少女は平然としたものだった。


「残酷と言われればその通りだけど、そこで上位生物に情けなんかかけていたら、人の下剋上が成功した筈はないでしょ」


 とにかく、既に真神、妖種に対しては成立していた『神縛り』という術が、そこで初めて、真那世に対して試されたのだった。


「最初は、真那世から奪った神珠しんじゅを、自分たちの力として直接用いる方法を探したみたい」


 だが、それは上手くいかなかった。

 例え物理的に掌中に握っても、神珠は本来の持ち主以外の意志を受け入れず、それを奪った術者に応じて神力ちからを顕すことはなかったからだ。


 では――と、今度は、『使』のように使役する存在にしようとした。

 真那世の士――『戎士』という名称は、この時に生まれたものだという。


「けど、これまた駄目だったのよね」


『神縛り』に掛けられた真那世は、真神や妖種とは全く反応が違った。自我を失うことはないが、同時に、剥がされた神珠から神力を引き出すこともできなくなった。

 その上、心身の多くの不調を生じて、生きているだけでやっとという有様になってしまう者が続出した。


「やっぱり、二つで一つの精神の核を割ってしまうと、肉体の方にも影響が出るものなのね。具体的には、慢性的な頭痛に目眩、動悸に息切れ、急な体温の上昇あるいは低下、胃痛腹痛の他、幻覚や幻聴、せん妄の症状を起こした者もいたんですって。お兄さんはちょっと規格外な感じだけど、そういう症状が皆無な訳じゃないでしょ?」


 探るような視線に、一也はただ無言だけを返す。


「奪った神珠も、本人も使えない。じゃあ、ってことで、最終的には『神縛り』を掛けた当人じゃなく、それを『質』にして、家族、一族を従わせて使役したらいい、ってことになったのよ」


 それは正に今、鬼堂家が、八手一族と水守家に対して行っているやり方だった。

 だが。


「けど、真那世って仲間意識が強くて、自分が死ぬより家族が死ぬような目に遭う方が嫌だって莫迦が多いじゃない? だから、生き残った真那世たちは、『質』にされた者を見捨てられなくて、使役を受け入れた訳だけど」


 だが、その気質は、『質』にされた者にも言えることだった。


「自分の所為で家族や一族が人間の道具にされるのは耐えられないって考えた『質』が、自らの身に残っている霊珠れいじゅを砕いたとか、その際にどうせ死ぬならって術者を道連れにしたなんてことが、ごろごろ起こったんですって」


 中には、術者に神珠を握りつぶされて尚、精神の死が肉体の死に繋がるまでの時間に、その術者だけではなく、家族郎党十数人の首を掻き斬ったという強者も居たらしい。


 そうして、『質』にされた者が自ら命を絶てば、その家族、一族は鬼哭と共に、神狩一族に向かって報復の刃を振るってきた。


「それはもう殲滅戦になるしかなくて、ご先祖様たちもかなりの犠牲者を出してしまったそうよ」


 だから、真那世に『神縛り』を用いるのは諸刃の剣だというのが、神狩一族の常識になったのだ。


「ご先祖様たちはそこで真那世を使うことを諦めて、見つけ次第処分するって方針に切り替えたの。でも、鬼堂式部しきぶは別の方法を考えた訳よね。相討ち覚悟の反撃が問題なら、その心配をせずに済むような者を『質』に取ればいいって」


 少女の視線が、裏庭の端で一塊になっている八手やつで一族に向けられた。


「鬼堂式部があなたたち蜘蛛の一族を降した時は、『殻』が破れてすぐの子供を選別して、『質』にしたって聞いたわ」


 真那世の神珠は、生まれ落ちてしばらくの間は、霊珠による『殻』に包まれている。

 神の『力』は、本来、人の身が宿すには強すぎるからだ。

 まして、人であれ獣であれ、子供というのは揺らぎの存在で、常に不安定なものである。

 よって真那世は、ただでさえ揺らぎがちな子供の心身が更なる不均衡に陥らないように、ある程度の年齢に達するまで、神珠の力を『殻』で包んで抑制する防衛本能を備えたのだろう。


 その『殻』が破れるのは、大体十歳前後と言われている。

 鬼堂式部が『質』に狙ったのは、そんな子供たちだった。


「いきなり神珠を抜かれた衝撃に耐えられなくて何人かはすぐ死んだけど、不幸にも生き延びた子が居た。その子の命を盾に、一族を従えたそうね」


 桧山ひやま辰蔵たつぞうの双眸に、鈍い憎悪の靄が滲んだ。


 八手一族が鬼堂家の軛に繋がれたのは、およそ四十年前のことだ。四十代半ばの桧山辰蔵は、きっとその時の光景を知っているのだろう。


「えげつない話だけど、痛みと恐怖で支配できる弱者を『質』に取るってのは、効果的ではあるわよね。それで、鬼堂家は、四十年間も蜘蛛の一族に対する支配を維持してきた。九条青明にとっては当てが外れた訳だけど」


 そこで、少女は首を傾げた。


「でも、斗和田のお兄さん、あなたにそんな空気は皆無。むしろ、文献で読んだ古の真那世たちのような勁さを感じるわ。だから不思議なのよね。何で鬼堂興国おきくには、『質』にうってつけの年少者が他に居たのに、最年長のあなたに『神縛り』を掛けたのかしら?」


 少女の視線が、再び一也に戻った。


「もっと不思議なのは、そんなあなたが、そのまま鬼堂興国の隷下に甘んじていることよ。どうしていにしえの真那世たちみたいに、潔く自害してしまわないの? それで鬼堂興国も道連れにしてくれていたら、私たちの手間も省けて楽だったのに」


「ふざけるな!」


 三朗は、反射的に叫んだ。


「何で兄上が、お前の手間を省いてやる為に自害しなくちゃいけないんだ‼」

「あら? 死して家族同胞に尽くし、己れの名誉を守るって、麗しいことらしいわよ。何より、あなたたち二人にとっても、その方が良かったんじゃないの?」

「何だって⁉」

「だって、お兄さんが鬼堂興国と相撃ってくれていたら、少なくとも、あなたたち二人は自由――」


「やめろ‼」

「やめて‼」


 瞬間、三朗と二緒子の叫びが重なった。


 怒りだけではなく焦慮を滲ませて、顔と声の両方から血の気を引かせた二人に、少女が、ふーん、と鼻を鳴らす。


「その反応を見るに、そうしようとしたことがあったのかしら?」


 注がれる視線に、一也はただ無言を保っている。

 その様子を観察しながら、少女は両の掌を合わせて頬に当て、軽く首を傾けながらにっこりと笑った。


「じゃあ、今からでもそうしない? 命の緒を握られて死ぬまで奉仕させられるなんて、あなたみたいな真那世にとっては、屈辱以外の何ものでもないでしょ? あなたが鬼堂興国を殺してくれるならここでは見逃してあげるし、お礼にその卵ちゃんたちのことは、特別に私たちが引き取ってあげるから」


「待て、一也‼」


 お断りだ、と三朗たちが叫ぶ前に、今度は戸渡とわたり左門さもんの喚き声が響いた。


「貴様、まさかそんな小娘の口車に乗るつもりではあるまいな⁉ そのような裏切りを働いてみよ‼ 四輝しきがどうなっても知らんぞ‼」


「四輝?」


 少女がくるりと視線を巡らせた。その後ろで顔を真っ赤にして両手を振り回している戸渡左門を眺める。


 莫迦、と一也が口の中で呟いた。


「――ああ、そういうことなの?」


 しばらくの沈黙の後、少女が両手を下ろした。


「つまり、斗和田の真那世には、この場に居ないもう一人の身内がいる、と。しかも、上から一、二、三ときて四を名に持つなら、当然、そこの勾玉の男の子より小さい子ね?」


 そのまま、ふむふむ、と頷く。


「じゃあ、鬼堂興国は、その子をお兄さんに対する人質にしているってことかしら? お兄さんが自分を省みず自害なり反撃なりして、そっちの卵ちゃんたちだけでも解放しようとしたりしないように?」

「その通りだ!」


 水守家の兄弟は苦い表情で沈黙を守ったが、代わりに戸渡左門がふんぞり返った。


「お館様が真那世ごときに隙を見せる筈はなかろう! 諦めろ、小娘! そいつらを唆して我らに仇を為そうとしたところで無駄だ!」


 してやったり、という様子で哄笑する戸渡左門に、莫迦、と三朗も呟いた。


「そうね――残念ね」

「ああ、全く残念だったな‼」

「なら、仕方ないわね」


 少女が冷ややかに笑うと、十本の指を躍らせて幾つかの印を結んだ。

 その頭上に光の粒子で形作られた、細く短い三角錐のようなものが浮かび上がった。一本、二本、三本……十本を越えて、なお増える。瞬く間に、少女の頭上が、二十近い光点で埋め尽くされた。


 戸渡左門の莫迦笑いが引っ込んだ。


「あれは、斗和田でも見た……」

「『くさび』だわ」


 息を詰めた三朗に、二緒子が声を震わせる。


 三朗たちの神剣が、父神の神力によって形作られているように、神狩の術者たちも、霊力を具体的な形に変換して、武器や防具を創り出す。

『楔』もその一つだ。文字通りの楔型で、投擲用の凶器となる。


「でも、一人で一度にあんなにたくさん。数馬かずま様でさえ、一度に創り出せるのは五、六本ぐらいだって仰っていたのに」

「鬼堂家の息子なんかと一緒にしないでよ」


 憤然と肩をそびやかせながら、少女は手首を軽くひねって『楔』の向きを調整する。地上で一塊になっている、水守家の兄弟へと。


「それを我らに向けて放つなら、主公しゅこうは央城神狩からの宣戦布告と受け取るだろう。それが、九条青明というお人の意志か?」


 明白な害意――殺意を前にしても、一也の声音や態度は全く変わらなかった。どこまでも冷静に、目の前の事態だけを見据えている。


「さあ? 神祇頭じんぎのかみが何を考えているかなんて知らないわ」

「知らない?」


 一也の後ろで、三朗は思わず声を上げていた。


「あんたは、その神祇頭の指示で来たんじゃないのか?」

「私たちは誰からの指示も受けない。『お願い』なら、聴いてあげることもあるけどね。大体、九条青明が私たちに命令なんてできるものですか」


 名だたる常盤台ときわだいの長を平然と呼び捨てにする少女に、三朗は二緒子と混乱の表情を交わし合った。


「あんたは、央城神狩の術者なんだろう? なのに、神祇頭の麾下じゃないのか?」

「ならば、何者だ?」


 混乱のままに問いを重ねた三朗の語尾に、一也の鋭い声が重なった。


「あなたが九条殿の命令で来たというなら、話は簡単だ。だが違うというなら、せめて力比べとやらを仕掛ける理由ぐらいは述べるべきだろう」

「言ったじゃない。私たちは、立場的にはあなたたちと同じだ、って」


 風に靡く紗の奥で、無邪気さを装った凄惨な笑顔が閃いた。


「私の名前は、九条ゆかり

「――九条?」

「ええ。だから、九条青明の麾下という訳ではないけど、全くの無関係という訳でもないの。九条青明は、祖父だから」

「祖父⁉」


 三朗と二緒子だけではなく、戸渡左門や桧山辰蔵までもが声を上げた。


「そうよ。あんなのを祖父だなんて言いたくはないけどね。事実だから仕方がない。九条青明が創った央城神狩最強の刃――それが、私たちよ」


 語尾に、光の楔が空を奔り、弾幕となって飛来する音が重なった。

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