20 立ち返る雷光

 大気が鳴った。


『死』を孕んだ無数の切っ先が、三朗の視界を埋め尽くす。


 明白な殺意。

 野生の妖種ようしゅの本能的な捕食行動など足元にも及ばない、知性を持つ同等の存在から向けられる、明確な否定の意志。


 真正面から己れの消滅を願われることは、こんなにも心に重く、恐ろしく響く。


 相手の技量よりもその意志に撃たれて、足が勝手に数歩、後退した。


 その時だった。


二緒子におこ、三朗、下がれ」


 三年前も、最後まで自分たちを護り抜いてくれた背中が、再び目の前に立った。


「『念縛ねんばく』!」


 一也いちやが、左手の人差し指と中指を揃えて胸前に立てる。

 前方の空間が淡い朱の光に満たされ、それに絡め取られた光のが全て、その場にぴたりと静止した。


「あら、すごい」


 少女がはしゃいだ声を上げた。


「神力だけじゃなく、霊力も使えるのね? それは朝来あさぎ神和かんなぎ一族とやらの術式? なかなか見事じゃない」


 けど――と、うちぎの裾を翻して、片手を挙げる。


「あなたの霊珠れいじゅは、片割れの損失を補完して、命をその身に繫ぎ留めているだけで手一杯の筈。神剣の神力の温存の為でしょうけど、あんまり霊珠に無理をさせると、そっちが先に砕けるわよ」


 左右の空間に、先ほどと同数の光の箭が現れる。


「さあ、『しち』の身でどこまで保つかしら」


 心底楽し気な少女の言葉が、三朗の頭を撲りつけた。

 隣で、二緒子も同じような表情をさらしている。


「――しっかりしろ、莫迦」


 一度は後ずさった足を叱咤し、神剣の柄を握る両手に力を込める。

 振りかぶり、振り抜いて、真正面から飛来した光を打ち返した。


 ほぼ同時に、二緒子も神剣から水流を撃ち放っていた。

 それが、三朗が捉え損ねていた残りの『楔』を呑みこみ、内部で消滅させる。


 やった、と思った時だった。


 一也の痩身が発条ばねのように跳ねて、弟妹を左右に弾き飛ばした。


 一呼吸前まで二緒子の身体があった空間を、白色のイタチの鎌が薙ぎ払う。

 三朗の頭があった空間を、女型のトカゲの両手が握りつぶす。


 やはり二緒子も三朗も、まだどうしても前にしか注意が向かない。

 そんな二人を、死角を突いた側面攻撃の軌跡から追い出した一也は、代わりにイタチの鎌を打ち払い、女型のトカゲの手の下を一転して掻い潜った。


「本当、優しいお兄さんね。ちょっと羨ましくなるわ。でも、だからこそ、あなたは敗けるのよ!」


 大山椒魚の頭上で、少女が勝ち誇ったように叫んだ。


「あなたさえ潰してしまえば、卵ちゃん二つ、割るのは造作もないもの!」


 一也の行動を読んでいたのか、まさにその地点へ、モグラもどきの岩石弾が降り注いだ。逃れる隙も暇も与えぬ、高密度の高速連弾が雨霰と着弾し、中天まで届くほどの土煙を噴き上げた。


「兄上……‼︎」


 飛ばされた衝撃につんのめり、何とか踏みとどまって、三朗は音を立てる勢いで振り返った。


 無数の岩弾に穿たれ、抉られた地面。

 爆ぜる轟音と、舞い上がる土と砂。


 その中で、長身の影が片膝を地に着いた。

 全身を、淡い朱色の光が取り巻いている。

 神和かんなぎ一族の防御術の一つ、『壁』だ。それを身体の周囲ぎりぎりに巡らせて、弾幕の大部分をしのぎ切った。


 だが、そこまでが限界だったのか、モグラもどきの岩石弾が途切れたところで、一也の『壁』も溶けて消えた。


 間髪を入れず、そこへ左から白色のイタチが、右から女型のトカゲが、そして正面からはモグラもどきが突進した。


「兄様‼」

「兄上‼」


 悲鳴を上げて、二緒子が飛び出した。

 三朗もまた、衝撃と衝動に突き上げられるまま、後を追う。

 だが。


「来るな‼︎」


 その眼前に、烈しい声が叩きつけられた。

 言葉と語調の両方に打たれて、反射的に足が止まる。


 一也の掌中で、神剣が蒼銀の燐光を帯びた。

 剣身を取り巻き、包み込み、そして、虚空に幾つかの火花を散らす。それが不意に大きくなり、放電しながら空を躍った。


 少女の表情が、ふと変わった。


「く、組長、あいつの雷光だ!」

「まさか、あれはもう使えない筈じゃ……!」


 背後の八手一族の間にどよめきが走り、狼狽とも恐怖ともつかない悲鳴が上がった。


 三朗と二緒子も驚いた。

 だが、間違いはなかった。

 二緒子の神剣が水を纏うように、一也の神剣が雷光を帯びていく。神珠を奪われる前は、兄が呼吸をするように発現させ、自在に操っていた父神譲りの神力のかたち。それが、三年ぶりの光景となって、三朗たちの視界に立ち返ってきていた。


「――どういうこと?」


 三朗は呆然と呟いた。


「確かに、真那世まなせ霊珠れいじゅ神珠しんじゅは二つで一つだから、『神縛り』で引き剥がされても、霊珠は霊的な繋がりを通して、神珠から多少の神力ちからは取り込んでいる――だったよね?」


 だが、それは、肉体と精神を繋ぎ、生命を維持するだけで精一杯の、ごく微かなものの筈だった。


 だから、この三年間、一也は『役』でどのような妖種に対峙することになっても、自らの神力は用いなかった。いや、用いることができなかった。出来るのは、父神譲りの神剣で妖種を斬ることだけで、しかも、それすら一撃か二撃が限界だった。


 だが、今目の前で起こっていることは、それとは違う。


「お父様がお創りになった神剣は、それ自体が神珠と同じ、始原の『力』の塊だから――兄様は、その『力』の一部を借りて、かたちを変換しているんだわ」


 立ち尽くしていた二緒子が、やはり呆然と呟いた。


「そんなことができるものなの?」

「考えたこともなかった。私たちは、自分の神珠からいつでも神力を引き出せるから。そんな方法を考える必要もなかったでしょう?」

「じゃあ、兄上は、この三年間ずっと、その方法を考えていた――と?」


 ばち、ばち、と大気が震動する。

 急速に膨張していく神力の気配。

 それが、臨界に達する。


「――皆、止まって!」


「二緒子、三朗、お前たちは逃げろ!」


 少女が、『使』たちに向かって叫ぶ。

 その語尾に、一也の声が重なる。

 次いで奔ったのは、短くも深い、裂帛の気合。溜められた神力が蒼銀の雷光となって奔り、地から天へと駆け昇った。


「――辰広たつひろ


 桧山辰蔵が、呻くような声を上げた。


「あれだ! あれで、俺の親父は黒焦げにされたんだ!」

「俺の兄貴もだ!」


 他の戎士たちの間から、悲鳴が爆ぜる。

 数名が真っ青な顔で後ずさり、数名は尻餅をつき、更に数名は、訳の分からない叫びを上げてその場に這いつくばった。


 八手一族たちにとっては、恐怖と嫌悪の対象でしかない雷光。


 だが、三朗と二緒子にとっては、崇敬と礼賛の象徴だ。


(そうか……)


 その清冽な蒼銀に魅入られながら、三朗は意識の片隅で思った。


(神剣で斬るだけじゃ、間合いに入った相手にしか、攻撃を届かせることができないから)


 だから、一也はその神力ちからかたちを変えようとした。複数の敵に対して、限られた数しか放てない一撃を届かせる為に。


 その意志通りに奔った蒼い雷光が、今まさに一也に肉薄し、その身を爪先に掛けようとしていた三体の『使』を直撃する。

 眉間を貫かれたモグラもどきが地響きと共に横転し、白色のイタチは真っ二つに引き裂かれた。

 女型のトカゲだけは、左肩から先を飛ばされながらも、辛くも致命傷を避けて後退した。


「『泥炭でいたん』、『風鎌かざかま』‼」


 少女の声に、初めての狼狽が滲んだ。

 その眼前で、モグラもどきと白色のイタチは、端から塵となって、消えていく。


「っ……」


 だが、一也の方もそこまでだった。

 意思に拠らない痙攣を帯び始めた手の中で、神剣が蒼い光の粒子となって溶け失せる。肩の張りが失われ、膝が崩れて、その上体が前のめりに傾いだ。


「兄様‼」

「兄上‼」


 刹那の夢見心地が吹き飛んで、三朗と二緒子は飛び上がった。

 一歩先に駆け寄った二緒子が、飛びつくようにして兄の肩を抱きとめる。

 瞬間、跳ねた一也の片手が口元を覆った。背が大きく波打ち、その指の隙間から爆ぜた紅の飛沫が空に散った。

 愕然としながらも、その傍らに滑り込んだ三朗は、同時に神剣を一閃させて、片腕で尚も掴みかかろうとした女型のトカゲの鉤爪を受け止め、全身で押し戻すようにして弾き返した。


「大丈夫ですか!」

「兄様!」


 二人の叫びに、一也の目線が動く。

 その顔色は蒼ざめるのを通り越して白く染まり、必死の様子で繰り返されている呼気の音も、耳に痛いほど荒くなっていた。


「逃げろと、言っただろう……」

「できません、そんなこと!」

「そうです! みんなで一緒に帰るって、四輝しきと約束したんだから!」


 二人が、間髪入れずに叫び返した時だった。


「――なるほどね」


 地を這うような声が響いた。

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