31 墓参ー2

 美琶谷びわだには、毘山びざん東岳とうがく西岳せいがくの間、座主ざすの御座所である高台寺こうだいじの足元に広がっている。

 春には梅や桜が咲き誇り、夏には百日紅さるすべり木槿むくげ、秋には銀杏や楓が鮮やかに稜線を彩り、冬は山茶花さざんかが健気に花弁を綻ばせる、美しい谷間だ。


 高台宗の尼僧たちが住み暮らす妙蓮院みょうれんいんは、そのほぼ中央にあり、周囲には、尼僧たちの勉学や修行の為の場所である御堂や道場、日々の雑役の為の作業小屋、野菜や薬草などを育てる為の畑などが点在している。


 その谷の一角に、『お救い場』と呼ばれる場所があった。


 美琶谷を流れる小川のほとりに、板を組み合わせて屋根と壁と床を作っただけの小屋がいくつも並んで建てられている。そこでは、天災や戦災などで故郷や家族といった寄る辺を失い、自らも病んだり怪我を負ったりしてここへ流れ着くしかなかった者たちが保護され、身を寄せ合うようにして暮らしていた。


「あ、師父しふ!」

「お見回りですか?」


 子雲しうん清蓮尼せいれんにがそこまでやって来ると、ちょうど、お救い場の中央にある広場の、石を組んで作った炉に大鍋をかけ、汗みずくになって火を熾していた二人の少年が、ぱっと表情を輝かせた。


 共に十四歳。一人は白髪、一人は黒髪を短く刈り、見習い法師たちが作業時に使う作務衣を着ている。


透哉とうや魚名うおな、ご苦労。頑張っているようだな」


 子雲が声をかけると、見習い法師の二人は、『はいっ』と元気よく返事をする。


 お救い場の設置は、高台宗が謳う『衆生救済』の教義に基づくものである。


 よって、ここでの炊き出しや病人、怪我人の世話などは、妙蓮院の尼僧たちの采配の下、賀雀院がじゃくいん永泰院えいたいいんの見習い法師たちが、教場きょうじょうごとの当番制で当たっていた。子雲が今日、美琶谷へ降りてきたのは、私用もあったが、自分の教場の見習いたちの様子を見る為でもあった。


「こちらが、坊主たちの先生かね?」


 そう言ったのは、炉の傍に座り込んで、手にした小刀で器用に芋の皮を剥いていた老人だった。

 白髪を頭の上で小さな髷に結い、薄汚れた白麻の帷子かたびらを着込んでいる。逆三角形の顔も手足も、殆どといっていいほど肉がついていないが、子雲と清蓮尼を見た眼差しに、一瞬、ちかりと強い光が煌めいた。


「二人とも、手際はいいし、骨惜しみもしない。いずれ良い法師になるだろうな。毘山の直弟子なんぞ、鼻持ちならない貴族の小童こわっぱばかりだろうと思っておったが、意外だったわい」


 枯れ木の間を吹き抜けるような声音が、義遠ぎえんあたりが聞けば袋叩きにされそうなことを平然と言って、ほっほっほ、と笑う。


「それは、ありがとうございます」


 勿論、子雲はそんなことはなく、むしろ素直に誉め言葉と受け取って、会釈を返した。


「ええ、透哉さんも魚名さんも、当番の度に、本当によくやってくれています」


 清蓮尼が、おっとりと頷いた。


「大抵の見習いたちは、やらなければならないことだけをやったらさっさと帰ってしまいますけど、お二人はよく居残ったり、当番じゃない月でも顔を出したりして、子供たちと遊んでくれたり、読み書きを教えてくれたりするんですよ。だから、ここの子たちもすっかり懐いてしまって」


 確かに、二人が火を熾している周囲には、皮剥きの老人の他にも、五、六歳から十歳ぐらいまでの子供が数人集まっていて、焚き付け用の薪や枯れ枝を運んだり、板切れを扇のように使って風を送ったりと、一生懸命といった様子で、見習い法師たちの作業を手伝っている。


「ぼ、僕は、ただ、透哉の見様見真似で」


 魚名が、そばかすを散らした童顔を赤らめながら、手を振った。


「最初は、火熾しの仕方も知らなかったし。まだ、何も、全然できてなくて」

「初めてのことが中々できないことは当たり前ですよ。子雲様だってそうだったんですから」


 清蓮尼が、ふと笑った。


「焚き付け用のスギ葉を入れ過ぎて周り中煙もうもうになさって、すわ火事かって大騒ぎになったり。具材はこのくらいの大きさに切るんですよってお教えしたら、芋でも大根でも定規で測りながらきっちり同じ大きさに切ってらっしゃったり。あ、食用のカエルを入れておいた籠を蹴とばして全部逃がしてしまって、泥まみれになって追い回していらっしゃったこともありましたっけ」


「へえええ」

「――清蓮尼殿」


 師父に関する珍しい話に、透哉と魚名が思わずといった様子で目を輝かせ、子雲は明後日の方角を向いて片手で額を覆った。


「沽券にかかわりましたかしら。申し訳ございません」


 清蓮尼は、全然『申し訳ない』とは思っていない様子でにこにこ笑って、見習い法師たちを見やった。


「皆さま、最初は誰だってそうなんです。それは、恥じることでも何でもないんですよ」


 魚名は、現在、央城おうきの朝廷で右大将の要職を預かっている、清水朝狩しみずあさかりという貴族の息子である。


 と言っても、五、六番目の奥方が生んだ、七、八番目の子らしく、父親とは数えるほどしか逢ったことはない。

 基本的に父親の後を継ぐのは正室が生んだ長男なので、次男以降の男子は、武芸なり学問なりで身を立てる必要がある。高台宗も、その選択肢の中の一つなので、魚名は十二歳になると同時に毘山に修行に出されたのだった。


 毘山の直弟子は大抵そういう立場の子供たちなので、当然、生家では『若様』である。


 そういう子供たちにしてみれば、食事など座っていれば出て来るのが当然だったので、一番下の見習いになった途端、自分たちの為の掃除、洗濯、炊事を自分たちでやらなければならないことに、まず驚く。

 更には、それを、『衆生救済』の修行の一環として、流民たち――大抵の貴族家の子弟たちから見ると到底『同じ』人間とは思えない下層の者たちの為にやれと申し渡されると、さらに驚く。

 中には、驚くだけではなく、今まで一体何を学んできたのかと子雲が慨嘆するほど、ろくでもない態度を取る子供も多かった。


 その中、魚名は、高位の貴族家の生まれにしては珍しく、困惑はしても、流民たちに対して侮蔑や高慢な態度は取らない子供だった。掃除も洗濯も炊事も、言われるまま素直に取り組み、最初こそ、流民たちの泥まみれ垢まみれの姿に腰を引いてはいたが、次第にそんなこともなくなっていった。


 技術が足りないことなど、その素直で真摯な態度に比べれば取るに足らないことだ、と清蓮尼は言う。子雲も全く同感だった。


 一方の透哉の方は、最初から全くそんなことはなかった。


 もともと、孤児として子雲と英照えいしょうに保護された後、このお救い場でしばらく暮らしていたこともあるし、最初から、当たり前のこととして全ての作業をこなしている。火を熾すことも料理をすることも、怪我人に包帯を巻いてやったり、病人の着替えを手伝ったりすることも全く嫌がらないし、そもそも最初から手慣れていた。

 未だに自分の過去については何も話さないが、霊力の使い方の基礎を知っていたことといい、そういう作業が当たり前だった境遇に居たのだろうと、子雲と英照だけではなく、清蓮尼も見解を同じくしている。


 そんな透哉と魚名が、ちょうど一年前の晩春、子雲と英照の留守に起こった義遠律師りっしの言語道断の所業の一件以来、何となくのように組んで行動することが増えていた。


 魚名は、もともと、良く言えば気が優しい、悪く言えば気が弱い気質で、あまり貴族風を吹かせることがない。

 だからこそ、実家の名前を盾にする義遠やその教場に居る見習いたちの圧力に逆らえず、子雲たちの留守を狙ってここぞとばかりに行われた透哉への嫌がらせに加担せざるを得なかったことが、どうやら心底から嫌だったらしい。


 その件が、子雲と英照の帰還でとりあえずの落着を見た後、何度も透哉に頭を下げて詫びており、透哉は透哉で、そんな魚名が、自分が鬱憤晴らしに繰り返していた深夜外出だけは義遠たちに知られないよう気を遣ってくれていたことに感謝していた。


 それ以来、大講堂や修行場だけではなく、日々の雑役や生活の中でも、二人が一緒に居るところを見かけることが増えた。おかげで、ともすれば孤立しがちな透哉が、最近はあまり自分の内に籠らなくなったし、魚名の方も少しずつ逞しくなってきている。


 良い傾向だと、子雲は、相変わらずの威厳と優しさとが同居した眼差しで、そんな二人を見やった。


「人を想い、人を救うことは、己れを想い、己れを救うことに繋がる。引き続き、驕ることなく、謙虚に励みなさい」

「はいっ」


 ぴょこりと背筋を伸ばして応じた二人にもう一度頷いて見せ、興味深そうにその様子を見ていた皮剥きの老人にもう一度会釈をしてから、その場を通り過ぎる。

 透哉と魚名同様、色々な場所で色々な作業をしている弟子たちの様子を見て回り、褒めるところは褒め、叱るところは叱って、最後に、谷の奥まったところにある、古い堂宇どううまでやって来た。


 扁額には、『帰一堂きいつどう』とある。


 ここには、見習いの弟子たちは居ない。居るのは、清蓮尼と同世代か、それ以上の老婆ばかりである。尼僧ではなく、流民としてお救い場に保護された後、下働きとして妙蓮院に仕えるようになった女たちだ。


 その彼女たちの恭しいお辞儀に見送られて、堂宇の中に入ると、そこには、隙間なく筵が敷き詰められ、その上に、何人もの老若男女が横たわっている。頭や腹部に血のにじんだ包帯を巻いていたり、体中に発疹を噴き出させていたり、苦しそうに咳き込んでいたりと、症状は様々だが、全員が全員、もはや自力では立つことも出来ないほど弱っている、という様子では一致していた。


 明日をもしれない怪我人や病人だけを集め、腰の曲がった老婆たちだけが、薬湯を飲ませたり、食事や汚物の処理をしたりといった世話をしている。『帰一』――異なるものが、一つのものに帰着すること――その名を冠されたこの堂宇は、ここへ流れつくしかなかった数多の人生が一つの結末、すなわち、死に帰着する場所だった。


 ここもまた、身分や立場に関わらず、生きとし生ける全ての命を救うべし――という、高台宗の開祖の教えに従って設けられている場所である。


 だが、お救い場には足を運ぶ法師や尼僧たちでも、ここまでやって来る者は殆ど居ない。律師以上の僧階そうかいを得て、麾下の法師たちや見習いたちを監督する立場になった者たちなど、尚更だった。


 だが、子雲と清蓮尼は顔色一つ変えず中に入り、怪我人や病人の枕元を回って、縋る手を握り、救いを求める呻きや苦しみをもたらすものへの怨嗟を受け止め、少しでも安逸に臨終の時を迎えられるよう、祈りの言葉をかけていく。


 その最中、一人、まだ十代の若い娘が、子雲に手を握られたまま、息を引き取った。


 死者が出ると、老婆たちがすぐさま屍を抱え上げ、堂宇の裏から谷の奥へと運んでいく。


 そこは、中央に巨大な平石を据えた広場になっており、死者はその上に安置される。


 通常は、そこから伝達が回って当番の法師がやってくるのだが、子雲は、今日は自分が居合わせたからと、死者の魂がこの世の苦しみから解かれて『高台こうだい』へ至る『道』へたどり着けるよう祈りを捧げ、最後に一枚の札を放った。


「『浄炎じょうえん』」


 死者に触れた途端、札は青い炎となって燃え上がり、瞬く間に屍を包み込んだ。


『浄炎』は、悪鬼羅刹をき、死者の魂を現世の肉体から解放する為に生み出される、高台宗独自の霊能の技である。一たび放てば血肉を燃やし尽くし、骨だけになったところで自然に消える。


 最後に骨を集め、小さな木箱に収めて墓地に埋めるのは、『帰一堂』で働く老婆たちの役目なので、子雲と清蓮尼は、『浄炎』が死者を包んだところで、その場を離れた。


 その後ろ姿を、老婆たちは再度、両手を合わせてお辞儀をしながら、見送る。


「あの娘は、最後の最後で運を拾ったねえ。あの子雲様と清蓮尼様に看取って頂けるなんて」

「あの年で、ここでこんな風に終わるなんて、この世は地獄でしかなかっただろうね。けど、次の世は幸せに恵まれるよ。きっと、きっとね……」


 そんな祈りの言葉を背に、近くを流れる川の水で手を濯ぎ、死の穢れを祓ってから、再び歩き出す。しばらくは揃って無言だったが、お救い場の中心広場に戻ったところで、どちらからともなく、淡い笑顔を戻した。


 透哉と魚名が、顔を真っ赤にしながら、火吹き竹で炉に息を送っている。

 その上の大鍋では、雑穀と芋の雑炊が、ぐつぐつと煮えている。

 芋の皮を剥いていた老人は見当たらなかったが、周囲の小屋で暮らす老若男女が広場に出てきていて、大鍋の中身を自分たちで自分たちの木椀によそっている。

 中には、昏い眸で俯いたまま、一人で、無言で、ただ餌を食むように匙を動かしている者もいる。

 だが、大半の者は、家族や友人たちと車座になり、熱々の雑炊にふうふうと息を吹きかけながら、言葉を交わし、笑みを交わして、食事を――つかの間の憩いを楽しんでいる。


 ――この世は地獄。


 その通りだ。

 全てを失ってここへ来るしかなかった者たちは、皆、そのことを知っている。


 だが、それでも――そんな道の端にも、笑顔という花は咲く。


「――お見回りも終わりましたし、参りますか? 子雲様」

「ええ」


 頷いて、子雲は、再び清蓮尼と共に歩き出した。

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