30 墓参ー1

 太陽は、西の山際に沈みかけている。

 梅の花はもう綻びているが、黄昏時の風は、まだまだ冷たい。


 その風の中、毘山びざんの律師、子雲しうんは、一人で賀雀院がじゃくいんを出ると、東岳とうがく西岳せいがくの間にある美琶谷びわだにへ続く小道を下っていった。


「――子雲様」


 谷の入り口には、そろそろ五十路といった年ごろの小柄な女性が立っていた。


「お待ちしておりました」


 色白のふっくらとした顔が、子雲の姿をみとめて、にこりと笑う。

 身に着けているのは、妙蓮院みょうれんいんの尼僧が纏う、茜色の法衣。髪は肩の上で切り揃えて、その上から、頭部から肩までをすっぽりと覆う白い尼僧頭巾をかぶっている。


清蓮尼せいれんに殿」


 立ち止まった子雲と尼僧が、両手を胸前で合わせて、一礼する。互いに互いへの親愛と敬意とがこもった、丁寧な挨拶だった。


「今日は、お一人ですか?」


 そうして顔を上げた清蓮尼が、ふと首を傾げる。


英照えいしょう殿は?」

「そんなに、いつもいつも引き連れて歩いていますか?」


 少しばかり心外そうに問いかけると、清蓮尼はころりと笑う。


「いえいえ。舜寛しゅんかん様や義遠ぎえん様ではあるまいし、子雲様が番犬よろしく戦法師いくさほうしを連れ歩いているなんて、思ったことはございませんとも。ただ、毎年の今日、こちらへおいでになる時は、むしろ英照殿の方からくっついて来られるでしょう?」

「英照なら、先日から西国を回ってくれています」


 そういえばそうだった――と頷いて、子雲はふと息を吐いた。


「複数の末寺から、近隣に妖種ようしゅが頻出して困っているという訴えが届いたものですから」

「あらまあ、またですか?」


 清蓮尼が目を丸くする。


「このところ、多いですわね」

「ええ、それも、地元の住職では太刀打ちできないような大物ばかりで」

「それで、英照殿が……。けど、賀雀院はちょっと英照殿を働かせすぎではありませんか? このところ、毘山に居られる時間の方が短くなっている気がするのですけど」


 気づかわし気な口調に、子雲は再び息を吐いた。今度は、少しばかり重い溜息だった。


「妖種の滅封には、通常、戦法師六、七人が組になって臨みますが、英照が居ると二、三人で済んでしまいます。下手をすると、かなりの大物でも一人で片付けてしまえるので……」

「? それは『下手をすると』なのですか?」

「英照の場合、一人で問題ないと思われたら、一人で派遣されてしまいます。貞海ていかい様は、常々、如何なる手練れであれ、一人では万一の時に取り返しのつかないことになるから、最低でも二人以上で動くようにと仰るのですが……」


 語尾を濁した子雲に、清蓮尼は、『ああ』と溜息交じりに頷いた。


「義遠様やその周辺の方々には、馬耳東風なのですね……」


 高台宗こうだいしゅうは、既に僧正そうじょう僧都そうず律師りっし法師ほうしの僧階制度を確立させ、組織化されている。


 その階級制度の中で、見習いを終えて法師になると、信者たちの前で説法を行ったり、葬儀や節目の法要を仕切ったりすることが許されるようになるのだが、中には、そういった高台宗の本来の姿――教義を広め、人々を導くという教導者としての在り方ではなく、神狩かがり一族の術者のように、呪詛じゅその対処や怨霊の調伏ちょうぷく、妖種の滅封めっぷうといった戦闘技術者としての在り方を選ぶ者がいる。


 だから、彼らのことを特に『戦法師』と呼ぶのだが、これは、毘山全体で見れば二百名を超える法師の中で、五十名ほどしか存在しない。

 更に、その戦法師たちは、律師以上の高位僧たちの身辺警護につくことも多い為、妖種の出現が増えれば増えるほど、常に人手不足に陥ることになる。


 その状況で、通常なら六、七人が必要な現場を一人で担えるとなれば、重宝されるのは仕方がない。


 ただ、戦法師の誰をどこへ派遣するかは、律師以上の僧階を持つ高位僧たちの会議で決定されるが、そこでの英照の扱いは、『重宝』ではなく『便利使い』である。


 彼が、貴族の生まれではないから――ただ、それだけの理由で。


 それが、子雲にはひたすら腹立たしく、そして、情けない。その中には、律師としてその場に連なりながら、周囲からのそんな扱いを止めてやれない申し訳なさもあった。


「――大丈夫ですよ、英照殿なら」


 そんな子雲の様子を見やって、清蓮尼が優しい声を紡いだ。


「お一人でも、ちゃんと任務を果たして、無事にお戻りになりますから」

「ええ――そうですね」


 気遣いに応じて、子雲は、つい内心の鬱屈をさらしてしまっていた顔に、常の穏やかさと毅然さとが混じった表情を戻した。


「ついでに、さぞあちこちで羽を伸ばしていることでしょう。また花街に三日も居続けなどしていたら、今度こそ破門にしてやろうと思います」

「あらあら、心にもないことを」


 敢えて憎まれ口を叩いた子雲に、清蓮尼はくすくすと笑う。


「英照殿の三戒さんかい破りは有名ですけど、本当にお好きなのはお酒だけで、博打は手持ちの金子きんすを増やす為、花街通いは、その金子で女たちを救う為と、ご存じでいらっしゃるくせに」


 清蓮尼は、子雲が五歳で毘山に入った時、共に高台宗に帰依したので、妙蓮院では古株である。

 当然、英照が子雲と慈恵じけいに保護されるに至った経緯も知っている。


「最初は、生き別れた母御や姉妹を探す為だったようですが、同じようにかどわかされたり、戦などで焼け出されて他に行き場がなかったりといった女たちを見ると、どうにもこうにも放っておけない気分になられるのですよね、英照殿は」


 そのついでに、博打場で素人をカモにする質の悪い香具師やしを締め上げたり、かどわかした女たちを花街に売りつける人買いたちを捕まえたりと、下町での武勇伝には事欠かない。

 そういった手合いと賄賂で繋がっている検非違使けびいしと揉めて牢に放り込まれたことも数知れず、その度に、子雲は毘山から洛中らくちゅうまで引き取りに行く羽目になっている。


「困ったものです」

「言葉とお顔が反対ですよ? 本当は誰より自慢に思っておいでなのに」

「――まあ、あれにしかできない『衆生救済』ではありますね」


 こほんと咳ばらいを響かせた子雲に、清蓮尼はくすくす笑いを深くした。

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