61 七尾清十郎ー2

 片手を上げ、切りっぱなしになっている後ろ髪の毛先を抑える。


竜之介りゅうのすけ、至急、誰かを里へ走らせてくれ」

「え?」

「俺が桧山ひやまを『裏切り』の罪で告発する。だから、奴が戻り次第、羽黒はぐろ里目付さとめつけに捕まる前に御館みたちに籠め置いてくれ、とな」


 八手の里内の統治は、基本的には、族長と上役四人による合議制に委ねられている。


 ただ、鬼堂家は、真那世まなせたちを監視、管理する為に、里が開かれた当初から、里目付と呼ばれる監督官を置いていた。


 その役宅は、八手の里と一般の人々が住み暮らす外界とを繋ぐ唯一の出入り口である奥葉おくは山の麓の山門の目と鼻の先にあり、ここが、地名をとって『羽黒』と呼ばれている。

 常駐しているのは、里目付とその麾下が十人ほどで、当然、全員が黒衆の術者である。

 よって、もし、先ほど鬼堂興国が口走った命令が効力を発揮するなら、執行の為に動くのは彼らになる。


「は? え? 組長が桧山様を、ですか?」

「清十郎……」


 竜之介がぎょっとしたような表情になる。

 その声を聞きつけたのか、水守家の三人が視線を巡らせ、傍に居た伊織がハッとしたように立ち上がった。


「それは、私が」

「お前じゃ駄目だ」


 その顔に瞬間的に満ちた表情の意味は十分わかっていたが、清十郎は言下に切り捨てた。


「お前は長十郎ちょうじゅうろう殿の弟ではあっても上役ではないし、戎士じゅうし組に所属している訳でもないから、戦線での組長の行動に物申す権利はない。これは、俺の役目だ」


 敢えて理屈を突き付けてから、顔中に驚愕を浮かべている副長を見やる。


「詳細は後で話す。とにかく、頼む」

「――わかりました」


 さぞ驚いたことだろうが、竜之介はくだくだしく質問を重ねるようなことはせず、一つ頷いて、踵を返した。

 そこには、清十郎がそう言うからにはそれなりの理由があるのだろうという、確かな信頼の情が透けて見えた。


「それは、これについてですか?」


 一也いちやが地面に腰を落としたまま、片手で自分の腹部に触れた。


「里目付に捕まる前に、というのは、先ほどの主公しゅこうの命令から庇う為ですか?」

「奴は、決してやってはならないことをやった。それを庇うつもりなどは、毛頭ない」


 ゆるりと首を振って、清十郎は水守家の三人の傍に歩み寄ると、その場に片膝をついた。


「ただ、主公の命令で一方的に殺されるだけでは、桧山自身も、族長を始め、上役の連中や一族の皆も、何も気付かず、変わらない。だから、数馬かずま様にお口添えをお願いし、桧山の裁きは里の方で引き受けたいと思う」

「ならば、桧山様を告発する権利は、私にこそあると思いますが」


 一也が肩を竦めた。


「大咲村の『役』を含め、言いたいことなら山とあります」

「それはそうだろう」


 溜息と共に、清十郎は頷いた。


「勿論、言いたいことを言ってくれ。ただ、それは全部、俺を通すという形にして欲しいんだ」

「理由をお伺いしても?」

「恥をさらすが、水守家から直に桧山の愚行を訴えても、族長も上役も――特に多生たき殿と西家せいけ御方おかたは、何だかんだ理由をつけて奴を庇うだけだということが、目に見えているからだ」


 八手一族では、一族同士の揉め事は、基本的に当事者同士の話し合いで解決する。

 それでは埒が明かなかった場合は御館に訴え、族長と上役たちによる公の裁定を願い出る。


 ただ、真那世である八手一族の中では、同族間での殺しや盗みといった重大な犯罪はまず発生せず、揉め事といっても、勘違いや行き違いが原因の感情的なものが多い。

 よって、御館の裁定というのも、いわゆる法規による裁きではなく、身内同士が不平不満を言い合い、それを上役たちが『まあまあ』と宥めながら、双方が納得するよう仲裁する、というものが大半だった。


 だが、この当事者の一方が水守家になると、様子が一変する。

 清十郎は、直にその場に立ち会ったことはないが、話だけは何度も耳にしていた。


『弟が八手の子らに川に突き落とされた? 子供同士の悪ふざけに一々目くじらを立てるな、大人げない』

『兵糧を渡されなかった? 数を間違えただけだろう。次は気を付けるように言っておく』


 この三年、一也が何度抗議を入れても、族長も上役たちも一事が万事こんな調子で、何一つまともに取り合わなかったという。

 話を聞いた伊織が、兄である長十郎に諫言しても、逆に『身内の仇の肩を持つのか』と罵られる始末で、改善の意志を示すどころか、謝罪すらしなかった。


 一方で、例えば三朗が、二緒子におこ四輝しきへの度を過ぎた嫌がらせに我慢できなくなり、相手に声を荒げただけでも、一也ともども御館に呼び出し、一方的にねちねちと小言を垂れたり、酷い時は懲罰と称して地下牢に押し込めたりしていた。


「公正さも公平さも無い話だ。だが、族長や多生殿たちにとって、それは『当たり前』のことなんだ。だから、今回もきっと同じことになる」


 敵と対峙している最中に、味方を背後から刺すなど、裏切り以外のなにものでもない。


 だが、それが水守一也と桧山辰蔵なら、族長たちは、桧山の行動の理非を問うのではなく、心情だけを慮る。

『強大な敵に追い詰められ、せめて死ぬ前に息子の仇を討とうとした』ことを『無理もない話ではないか』で済ませようとする。


「だが、俺が訴えるなら、族長も上役たちも、主公の命令の次ぐらいには無視できない筈だ」


 清十郎が溜息を吐いた。


「同じ息子を持つ父親として、あいつの境遇や心情には同情もある。だが、お前たちはもう、同じ陣営に立つ味方だ。その味方に対して、公正さも誠実性も欠いた行動は、一族内でも庇われて良いものではない。その前例を作る」


 一也がふと目を細め、三朗と二緒子が顔を見合わせた。


「それで、桧山や族長たちが少しでも自らを省みて、お前さんたちに詫びる気になってくれればいいんだが」


 そう簡単ではないだろう。


「だから――」


 居住まいを正し、腰を折った。


「組長の一人、八手一族の一人として、先に詫びておく。桧山の愚行も、これまで一族の多くの者たちが水守家に見当違いの復讐心を向けていたことも、御館がそれらの汚行を咎めず、むしろ庇い立てして、結果的にどんどん助長させていったことも、あってはならないことだった。本当に、済まなかった」


 びゅう、と風が吹いた。

 その風が、他の八手一族と違い、襟足で短く切られている清十郎の髪をかき見出し、巻き上げた。


「――頭を上げて下さい」


 ややあって、一也が言った。

 相変わらず、静かな声だった。


「あなたご自身が、我々に何かをなさったことは一度もない。であれば、同胞とはいえ、他者の振る舞いに責任を感じることはありません」

「伊織はともかく、俺は同罪だ」


 その静かさに、清十郎は目を伏せた。


「俺は、同胞たちがお前さんたちに無体な真似を繰り返していると知りながら。伊織が何とかそれを止めさせようと孤軍奮闘していたことを知りながら。口を噤んでいたのだから」

「清十郎、それは」

「免罪符なら要らんぞ、伊織」


 伊織が反射的に声を上げたが、一瞥を投げて黙らせる。


 そうだ。

 免罪符は要らない。

『仕方がなかった』という言葉で、これ以上自分の選択や行動の責任から逃げていては、結局、桧山辰蔵と変わらない。


「俺は卑怯者だったし、それは詫びて済むことではない。だから、今からでも正せる過ちを正す。少なくとも、そう思考して、その為の努力をする」


 大きく息を吸い、吐いて、視線を上げる。

 実際の年齢は下なのに、同輩か、それ以上の大きさを感じさせる蒼銀の双眸を、真っすぐに見た。


「俺は、もう二度と桧山のような莫迦を出したくないし、同胞のあんな醜い姿を子供たちに見せたくもない。何より、これ以上、俺たちの愚かさでお前たちを傷つけたくない。だから、組長の一人として、八手一族の大人として、果たすべきと信じる責任を果たす」

「――承りました」


 その眼差しを正面から受け止め、底の底まで見通すように見つめ返してから、一也がふわりと頷いた。


「ならば、桧山様のことはお任せします。あなたが有耶無耶にはしないと仰って下さるなら、私はそれで構いません」


 その顔に、透徹な表情が滲んだ。


「これまでがどうあれ、あなたは今回、我らを同じ陣営に立つ者として公正に扱い、三朗のことも真摯に助けて下さった。それもまた確かな事実であれば、礼を申し上げます」

「それは、陣営を共にする以上、当たり前のことをしただけだ。本当に礼を言わねばならないのは、俺の方だ」


 首を振って、清十郎は二緒子に視線を移した。


「二緒子殿、遅くなったが、先ほどは妻と息子たちを助けてくれて、ありがとう」


 この手は一族の誰よりも多くの血にまみれている。

 彼女の家族や同胞たちの血で。

 なのに。


 ともすれば内心に斬り込んでくるその想いを堪えながら、更に深く頭を下げる。


「心から、感謝する」

「え? あ、いえ」


 二緒子が、焦ったように両手を振った。


「私も、その、当たり前のことをしただけですから。それに、私、嬉しかったですから」

「――嬉しかった?」

「あの時、七尾様が三朗を助ける為に行くって仰ってくれて。凛子様が親切にしてくれて、創君と新君が一緒に遊ぼうって言ってくれて、本当に嬉しかったですから」


 頭を上げると、敵意とも反感とも無縁の眼差しが、にこりと柔らかく笑む。


「凛子様のおにぎり、とっても美味しかったです」

「――そうか」


 不遇の中で、喪ったものばかりを数えて生きている者もいる。

 だが、喪ったもの以上に、残ったものや新たに得たものの数を大事に数えて、生きていける者もいる。


 それは、過去ばかり見ているか、未来を見ているかの違いだろう。

 八手一族の大半は前者だが、水守家は間違いなく後者だった。


「なら、今度、本当にあの子たちと遊んでやってくれないか」


 あの時の二緒子と双子の会話を思い出しながら言うと、当の二緒子だけではなく、一也と三朗も驚いた表情になった。


「それは。でも、いいんですか?」


 不安そうに問い返されて、清十郎の忸怩の念は深くなる。


 同じ里に住む子供同士が『一緒に遊ぶ』ことなど、ごく当たり前のことの筈なのに。

 そんな些細な約束にすら不安や警戒を滲ませなければならないほど、この三年間の彼らの孤立は本当にどうしようもなかったのだ。


「そちらが迷惑でなければ、是非。親ばかと言われるかもしれないが、本当にいい子たちだから」

「――はい!」


 肯定を繰り返すと、二緒子の顔がぱっと輝いた。


「それは勿論、そう思います」

「――え? 親ばかって?」

「違うわよ! いい子たちの方!」


 三朗が素で首を傾げ、二緒子が飛び上がる。

 その様子に、一也と伊織がくすりと笑う。

 釣り込まれて、清十郎も久方ぶりの微笑を浮かべていた。

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