49 創られたものたちー3

「やめて……」


 懇願の声に重なったのは、ぎしり、と荒縄が軋む音だけだった。


 四方に巡らされた衝立。

 四隅には燭台が立てられ、その上には灯明皿が置かれて、小さく火が点されている。


 その明かりの中、床に敷かれている畳の上に横たわる女性の姿が浮かび上がる。

 年齢は二十代の半ば。

 纏っているのは白の寝衣一枚。

 その両手は頭上にさし伸ばされた状態で荒縄で括られており、両足も同様に足首に縄を巻かれて縛められている。

 長い黒髪がおどろに解けて、敷布の上に広がり、瓜実型の白い顔は激しい苦悶に歪んでいる。


「やめて下さい。お願い……」


 逃げることも抗うこともできない有り様で、それでも最後の力を振り絞るようにして身をよじりながら、ひっきりなしに懇願の声を零している。


 だが、仰臥する女性の傍らに薄縁うすべりを敷いて端座している男は、その悲痛でか細い声にも眉一つ動かさなかった。


 年齢は五十代の後半。既に真っ白になっている髪を後頭部で一つにまとめて緋色の布で包み、白色の狩衣を纏って、片手に握った笏を額の前に掲げるようにして、低い声で何かを呟き続けている。


 奇妙なことが起こった。

 男が並べる言葉の抑揚に応じるように、女の白い寝衣の下、ゆるやかなふくらみを帯びている腹部の表面が、ぼこり、と波打ったのである。


 女が悲鳴を上げた。

 その時。


「あれだけ申し上げたのに」


 背後に下ろされていた御簾が小さく揺れて、背後に男が立った。


「やはり、ご理解頂けなかったのですね――父上」


 やはり白の狩衣姿で、こちらは三十歳そこそこである。

 その手には、太刀が握られていた。


「あなたが『駄作』と呼んだ天彦あめひこも、もう十歳です。この間、あなたの試みは悉く潰えた。女のはらに複数の子を宿らせ、その子たちに『蠱毒こどく』の術を掛けて、最強の霊珠れいじゅを持つ子を創るという、あなたの気の触れた試みは」


 硬く強張った声音と共に、息子は、振り返りもしなければ言葉を返すこともしない父親の背後に立った。


「この十年で、天音あまねが流産、もしくは死産した子の数は、両手の指では足りない。あなたの悲願、亡き時任ときとう保名やすな様への誓いを想えばこそ、私もこれまで協力して参りました。が、これ以上は、もう、耐えられない――」


 絞り出すような声と共に、男は、ぎらりと太刀を抜いた。


「最後の機会です、父上。今すぐ、その愚かな呪法をお止め下さい。今、天音の胎に宿っている子は五人。このまま自然に任せても、無事に生まれさえすれば、一人ぐらいは『時任の遺産の器』たり得る子が居るかもしれない。ですから――」


「『かもしれない』――そのような不確かな推測、願望に賭けて、結局叶わなければどうにもならぬ」


 背に突き付けられた白刃にも動じることなく、初老の男は無表情な声を返した。


「『時任の遺産』は、一度喪えば二度と手に入れることは叶わぬ一族の至宝――いや、存在の要そのものであるのだぞ」

「自然に任せた結果、継ぐ者が絶えるなら、それが天命というものなのでしょう。であるならば、我らに出来るのは、それを受け入れ、従うことだけです」

「九条家の嫡子ともあろう者が、高台宗こうだいしゅうの坊主どものようなことを言うでないわ。全く、慈恵じけいごときに誑かされおって」


 父親の声がうねった。


「天命だと? 貴様こそ何度言えばわかる。そのようなものは無い。人の運命は神だの天だのが定めるものではなく、我ら自身が定めるものだ」

「その為なら、何をやっても良いということにはなりません!」


 息子の声も激した。


「命もたましいも、人が好き勝手に弄って良いものではないのです。私は、それに気付くのが遅すぎた。今まであなたに弄ばれて死んでいった子供たちに、何と申し開きをすれば良いのかわからない。だからこそ、もう――」

「愚か者め」


 一瞬はうねった父親の口調が、元に戻った。


真人まひと、やはり貴様も『駄作』だったようだな」

「――あなたにそんな風に言われる筋合いはない。私も、天彦も」


 息子の声は、更に激した。

 ずっと堪えに堪えていたものが、とうとう堰を破ってあふれ出たように。


「確かに、私や天彦の霊珠れいじゅは、あなたや、あなたが崇拝する時任保名様ほど強くはない。だが、そんなもので我らの価値を決めつけられるのは、もううんざりだ!」


 怒声と共に、抜き放たれた白刃が振りかぶられる。

 だが。


 ひゅっ、という幽かな音が響いて、男の動きが止まった。両眼が見開かれ、唇が一度だけ開閉して、誰かの名前を呼んだ。


 女が、びくりと全身を波打たせた。


「真人様? ああ、真人兄様……」


 断末魔の一声さえ上げず、息子がその場に崩れ落ちる。

 その後ろ首には、細く長い畳針のようなものが突き刺さっていた。

 だが、その父親は、肩越しの一瞥すら投げようとはしなかった。


「ご苦労、千旬ちひら

「――はい」


 音もなく背後に控えたのは、下人のような筒袖の上衣とくくり袴を纏った、十七、八の娘だった。無表情にその場に片膝をつき、頭を下げる。


「片付けろ。そして、織部おりべに伝えよ。後の始末は任せる、とな」

「――はい」


 やはり恬淡と頭を下げると、娘は、たった今、己れの手で殺した男の遺骸を、軽々と背に担ぎ上げた。十七、八の娘が、細身とはいえ三十を過ぎている男を、である。

 そのまま、音もなく濡れ縁へ出、姿を消す。


「何ということを……」


 畳台の上で、女が身もだえして嘆いた。


青明せいめい様、何てことを……」

「心配はいらん。九条真人は急な病で病死。一族各家にも内裏にもそう届けさせ、もがりも葬儀も九条家の名に相応しく盛大に行う」


 そういうことではない――と、女は泣いた。


「実のご子息でさえ、あなたにとっては道具に過ぎないのですか。言うことを聞かなくなれば――使えなくなれば、こんなにもあっさり切り棄ててしまえるほど……」

「息子も娘も代わりは居る。だが、そなたの代わりは、まだ誰も居らぬ」


 事も無げに応じると、初老の男――九条青明は、仕切り直すように両手の裾を翻し、印を組み直した。


「『時任の遺産』を護る――それが、全てにおいて優先されるべきわしの責務だ」


 ずん、とその場の空気が重くなった。九条真人の乱入で一時途切れた術道が再構築され、勢いと質量を増していく。


「――いやあっ!」


 絶望の悲鳴が爆ぜた。


「やめて! これ以上、私の中で、私の子供たちを殺し合わせたりしないで‼」


 ――その時、暗闇の中で、何かが目覚めた。


(お父様が)

(殺された)

(私たちも)

(殺される)

(一番強い子以外は)

(要らないからって)


 でも。


(そんなの、おかしい)

(おかしいよね?)

(だって)

(私たちは)

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