50 創られたものたちー4

「――女体と胎児を用いての、『蠱毒こどく』」


 鬼堂家の父子だけではなく、一也いちやまでもが絶句している。

 その様子に、三朗は小声で二緒子に問いかけた。


「姉上、『蠱毒』って?」

「人が人を呪う為の方法の一つだって聞いたことがあるけど、詳しいことは……」

「一般的な『蠱毒』は、百の蟲を一つの壺に封じ、生存競争をさせて、勝ち残った最後の一匹を呪毒じゅどくに仕立て上げるというものだ」


 壮絶に苦い表情で、一也が弟妹の疑問に応じた。


「手法が確立され過ぎていて、素人が見よう見まねで行っても強力な呪毒が仕立て上がってしまうから、一時、皇族、貴族はおろか民間にも流布して大流行してしまい、時の帝が禁令を出す騒ぎになったこともある、と聞く」

「そう、その『蠱毒』よ」


 九条ゆかりが頷いた。


「九条青明せいめいはね、息子の妻のはらに宿った孫たちに、それを行ったの。つまり、母親の胎を壺に見立てて、まだ胎児とも呼べない段階の受精卵を喰らい合わせ、勝ち残った卵に他を吸収させることで、最強の霊珠れいじゅを持つ術者を創り出そうとしたのよ」

「何で、そんな……」


 改めて説明されてみれば、霊能の術には全く詳しくない三朗にも、その禍々しさは十分想像がついた。


「何でかって言うとね、端的に言えば、そこに居るお兄様の所為なのよ」

「――ちょっと、紫ちゃん」

「そこの蜘蛛のおじさんたちが、真那世まなせ神力ちからは代を重ねるごとに徐々に衰えていく、と言ってたわね。それって、例えば、一代目が祖神そじんから一個のお饅頭を貰ったとすれば、二代目が生まれる時はそれがそのまま渡されるんじゃなくて、半分に割られている。三代目が生まれる時はそのまた半分に、って具体に、代を経るごとに、段階的に神珠の力が目減りしていく感じなのよね、きっと」

「神珠を饅頭に例えるのはどうかと思いますが――まあ、そういうものですね」


 伊織が応じた。


「『先祖返り』という例外を除いて、子供が親の神力を凌駕することは、基本的にはありません」

「ところが、人の霊力の発現には、そういう規則性はあんまり無いのよね」


 両親が術者だったり、長く続く術者の家系であったりすると、確かに、より強力な霊珠を持つ子が生まれることが多いが、絶対ではない。同じ親から生まれた兄弟の間でも霊力の大小があったり、名家同士による婚姻からすら霊力が発現しない子が生まれたりすることがある。


「九条家の場合はね、お兄様がそれだったの。勿論、全くの零ではないけれど、九条家直系にしては明らかに貧弱でねえ。九条青明をいたく失望させたの」

「――それは、僕が悪い訳じゃないからね!」


 九条天彦が憤然と言い返した。


「生まれ持ったものは僕の責任じゃない。それに文句を言われたって、知らないよ!」

「この出来損ないの上に開き直って胡坐をかいてるお兄様のしわ寄せを食ったのが、私たちという訳よ」


 長子に後継となり得る資質が無いのであれば、次に生まれる子供に期待するのが普通である。

 だが、九条青明は違った。


「彼は確実性を求める余り、自然の運命に任せるのではなく、自らの手でそういう存在を生み出そうと思い至った訳」


 神狩一族は、その発祥の時より、人の世に起こる様々な問題を解決する為、多くの霊能の技を編み出してきた。

 その中には、余りにも人倫に悖るとして禁術になったものも多いという。

 若い頃から優れた術者であると同時に、霊能の術理の研究者でもあった九条青明は、それらの禁書を片っ端から調べて数多の術理を抽出し、混ぜ合わせて、独自の技を編み出した。


「まず構築したのは、女の胎に確実に子を宿らせる術だったそうよ」

「子を望む夫婦に行う受胎の祈祷なら、正規の術の中にある筈だが」


 数馬が言った。


「それとは違うのか?」

「あれは自然な妊娠を促すものだから、成功したって、宿るのは一人か、せいぜい双子でしょ? それじゃ『蠱毒』にならないじゃない。だから、最低でも一度に三人以上を宿らせる術法を編み出したんですって」

「信じられない……」


 二緒子が両手で口元を覆った。


「殺し合わせる為に、多胎させるなんて……」

「人はね、真那世と違って、時に自分の都合や利益の為に、同族同士はおろか、親子兄弟とさえ平気で殺し合うものなのよ。ねえ?」


 偽悪的な笑みと共に同意を求めた少女に、鬼堂興国は不機嫌そうに、息子の方は沈鬱な翳りを双眸に過ぎらせて、沈黙を保った。


「我らの霊珠は、人から引き継いだものだ」


 一也が言った。


「姿かたちだけではなく、感情の動き方も、真神より人に近い。であれば、人には、自分の都合や利益よりも、同族、家族を大切に思いやる心も存在している」

「まさかお兄さんに、人の性質について弁護してもらうとは思わなかったわね」


 少しばかり驚いたように、少女が肩を竦めた。


「でも、まあ、そうね。だからこそ、私たちはここにこうして存在している訳だからね」


 小さく息を吐いて、軽く両手を広げる。


「実の息子を排除してまで、九条青明は『蠱毒』の呪法を強行した。けどね、そこで予想外のことが起こったの」


 術理に囚われた五つの霊珠が、それに抵抗し始めたのである。

 物理的な受精卵そのものは一つに融合し、一つの個体としての成長を始めたが、その中で霊珠同士の生存競争は起こらなかった。逆に、強い霊珠たちが最も弱い霊珠を護るように集まり、喰らい合うのではなく、互いを護り合うことで互いの存在を維持した。


「私はね、その最も弱い霊珠だったの。本当なら、真っ先に消滅していた。けど、そんな私を、四人の『姉』たちが護ってくれた。そうして、私を中心の人格とした五人で一人の人間――『九条紫』が生まれたのよ」


 ***


 白砂利の庭に、沈黙が落ちた。


「――道理で、一人で五体もの『使つかい』を所有できる訳だ」


 ややあって、数馬がぽつりと呟いた。


「通常の術者であれば一つ分のたましいの檻を、あなたは五つも持っていた訳だから。その上、あなたを含めた『五人』が、それぞれ個々の人格を保っているなら、人形に乗せて切り離すことも、『傀儡』の媒介物として他者に送り込むことも可能ということか」

「本来、誰かの精神の中に別の誰かの霊珠を入り込ませたりすれば、双方が反発し合って、最悪の場合どちらも精神崩壊に陥りかねない筈……」


 一也も言った。


「三朗がそうならなかったのは、本人の意識が閉じていた以上に、あなたの『姉』が他人格との同居に慣れていたからか」

奈子なこは、一番、自分の霊気を他者の霊気に合わせて隠れることが上手かったの」


 少女が低い声で応じた。


「小さい頃、頭の中で『隠れんぼ』をするとね、奈子だけいつまでも見つけられなかったものよ。だから、奈子が自分から出てくるまで、そこのお姉さんの眸でも、視えなかったでしょ」


 数馬と水守家の兄弟を見据えた眸が、鈍く光った。


「その奈子を――私を護ってくれて、共にこの歪な生に耐えてきた『姉』の一人を、あなたたちは『殺した』」


「戦いを仕掛けた以上、犠牲が生じる覚悟はなされておくべきだ」


『姉』を『殺した』という言葉に、三朗は咄嗟には虚心ではいられなかった。

 だが、一也は動じなかった。


「殺される覚悟も喪う覚悟も無いなら、最初から他者の大切なものを奪いに来るものではない」

「――そうね。覚悟していたつもりだったけど、足りなかったかもしれない。それは認めるわ」


 裏返った声で吐き捨てると、少女は両手を軽く翻し、身体の前に揃えて差し出した。


「だからこそ、私たちとお母様の為に頑張った奈子の気持ちを、無駄にする訳にはいかないのよ」


「――待って、紫ちゃん。何をする気だい⁉」


 鏡面の中で少女の兄が飛び上がった。


「駄目だよ! あれは持っていなきゃいけないものだけど、絶対に使っちゃ駄目だって何度も言われただろう⁉ 柾木まさき、止めて‼ 君は、その為に居る筈だよ‼」

「止める? 柾木」


 青年の叫びに、少女が冷ややかに声をかけた。


「――いいえ」


 その顔を見やって、随身は鏡を片手に抱えたまま、頭を下げた。


「お止めは致しません。ただ、ご再考をお願いするだけでございます」

「再考?」

「力及ばずの敗北は、罪ではございません。しかし、退き時を見誤るは罪でございます」

「私たちは敗けてなんかいないわよ、まだ!」

「姫、奈子様のことを想えば、お認めになりたくないお気持ちはわかります。しかし、これ以上は」

「煩い‼」


 癇癪を起したような金属質な叫びが上がった。


「私たちの気持ちなんて、あなたにも、誰にも、分かるものですか‼」


 少女の両手が、ぼうっと光り始める。


「最後にもう一つ、九条家の秘密を教えてあげるわ。九条青明がどうして私たちのようなものを創ろうとしたかというとね、これの為なのよ。九条家の名と共にこれを受け継ぐことができる子供が、どうしても必要だったから」


 まだ小さな掌の上で、ゆらりと空間が揺れる。

 そこに、深紅に輝く繭玉くらいの大きさの光の珠が現れた。


「――あれは」

「――嘘」


 一也ですら愕然と目を見開き、二緒子が悲鳴を呑み込むように両手で口を覆った。

 三朗もまた、ぞわり、と身の裡から噴き上がる悪寒を感じていた。

 少女の掌の珠からは、それほど強烈な気配が放たれている。大咲村で遭遇したヒグマもどきの妖気どころではない。比べるのもおこがましいほどに強烈なそれは、まるで、太陽そのものを閉じ込めたかのようだ。


 まさか、と思った時だった。


 少女の掌の上で、深紅の珠が揺れて、溶けた。

 次の瞬間、真垣の白砂利の庭に巨大な影が落ちた。


「――な、なんだ、あれは」


 遠巻きに様子を見ていた武士たちが、裏返った悲鳴を上げた。


 ばさり、と大きな羽音が聞こえた。

 少女の頭上に顕れ、ゆったりと羽ばたきながら滞空したのは、巨大な鳥だった。

 大きく広げられた深紅の翼は、優に正殿の大屋根の幅に匹敵する。鶴に似た長い首と、孔雀に似た長い尾。その頭部や翼の端、尾の先からは、金粉を刷いたような紅蓮の炎が立ち上っている。


「妖種じゃ、ない」


 二緒子が、皆の驚愕を代表するように言った。


「この気配は神珠――真神」

「真神の、『使』?」


「そうよ」


 呆然と呟いた三朗に、九条紫が笑った。


「時任速比古はやひこが初めて縛り、降した『使』――南方はの国に栄えた真那世、朱鳥あけとり一族の祖神そじんにして火の山の化身、『朱鳥あけとり大神たいしん』。神狩一族は、この神の力を我が物とすることで数多の真那世の大国を駆逐し、御間城みまきの帝の東征を勝利に導いたのよね」


「これが……」


 立ち尽くした鬼堂興国が、無意識のように呟いた。

 次の瞬間、限界まで見開いた隻眼の中に、憑かれたような光が凝った。


「では、亡き父上が仰っていた通り、やはり九条青明は盗み取っていたのか。四十年前に。時任の遺産を!」

「盗んだなんて、人聞きの悪い」


 少女の白い顔に、凄絶な表情が浮かんだ。


「神狩の術者のくせに、『使』の譲渡条件を忘れた? これを持っていること自体、私たちが正当な継承者という証よ」


「――ということは、『使』とは、引き継ぐことが可能なのか」


 見上げていることしかできずにいた三朗の横で、驚きをいち早く呑み込んだ様子の一也が眉根を寄せた。


「五百年以上前に降された『使』が、今もここに在るなら」

「やっぱり頭のいいお兄さんね。ええ、そうよ。『神縛り』は、術者が死んでも解術されない。けど、奪ったたましいは、譲渡することが可能なの。何せ、真神も妖種も基本的に一種一体だから、消えたら二度と手に入らない。なら、役に立つ『使』は次世代へ譲り渡していった方が、一族総体の力の維持には良いでしょ? ただし、それには幾つか、条件がある」


 譲渡する側とされる側が、共に『神縛り』の術理を会得していること。

 譲渡される側の霊珠が、その『使』の珠を籠めておけるだけの強さを持っていること。

 そして、最も必要不可欠なのは、両者の間に血縁関係があること――。


「だから、鬼堂興国が、死ぬ前にあなたの神珠をそこの息子にでも譲渡すれば、あなたは死なずには済むわ。『質』の状態は続くけどね」


「では、あなたは時任家の縁者でもあるのか」


 自分のことは無視して、一也が鋭い声を上げた。


「その真神が時任家の開祖が下したもので、血縁関係が譲渡の必須条件であるなら」

「ほんと、嫌になるくらい早く回る頭ね。でも、その通りよ。私たちは九条青明の孫であると同時に、亡き先代宗家、時任保名やすなの孫でもあるの」


「まさか」


 声を上げたのは、鬼堂数馬だった。


「四十年前に急死された時任保名様には、後継となり得る実子がいなかった。だからこそ、祖父と九条青明殿が、一族宗家の地位を巡って争う事態になったと聞いている」

「世の中に公表されている事実ではそうなっているわね。でも、真実は少し違うのよ」


 少女が、肩を竦めた。



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