48 創られたものたちー2

「ならば、何故もっと早く、妹姫を止めなかったのです?」


 数馬かずまが、鏡面を見据えた。


「随身の方が『遠見の合わせ鏡』をお持ちで、それを通して事態を見ておられたなら、貴殿はもっと早く、それこそ日中、姫が当家の戎士じゅうしたちに最初に手を出してきた時点で制止することも可能だった筈です。九条家に鬼堂家と事を構える気は無かったと仰るなら、何故、このような暴挙を見逃したのですか?」

「それがねえ、柾木まさきゆかりに甘くてねえ」


 九条天彦が肩を竦めた。


「護衛兼御目付役の責務として、紫が勝手にどこかへ出かけた時は『遠見の合わせ鏡』の一つを持って行ってはくれているんだけど、妹が祖父や僕に怒られそうなことをやっている時は、こっちの鏡に映らないように見て見ぬふりをしているんですよ」


「――そう言えば、あの人、確かに最初の内は、『使』の背に座って、後ろを向いていました」


 二緒子が、小さく呟いた。


「しかし、九条の姫君が二緒子殿の殺害を指示した時には、動き出しましたね。水守殿とも交戦し、九条の姫が三朗殿を使って主公を討たんとなさるのを、手助けしておられた」


 伊織も言った。


「ならば、やはり私が結界を破るより前に、貴殿には事態を把握する機会があった筈だ。にもかかわらず、妹姫を放置していた」


 二緒子と伊織の証言を受けて、数馬が言葉を続けた。


「それは、貴殿ご自身が、姫の行動に託けて、鬼堂家の状況や戎士たちの戦力を確かめたかったからではないのですか?」

「嫌だなあ。誤解ですよ。兄たる者が、可愛い妹の純な向上心に付け込んで間諜として利用するなんて、そんなことを考える筈が無いじゃないですか」


 冴えた白刃のような無表情を向ける数馬に対して、九条天彦は白扇で口元を隠したまま、細い目をにこにこと笑ませる。

 

「でも、仮に君の言が正しいとすれば、どうします? 妹を捕まえて、牢にでも入れるのかな? でも、それは止めておいた方がいいと思うんですよねえ。あなた方がその目で見たことを満天下に公表して九条家の非を問うたりしたら、鬼堂家のご当主ともあろう方が小娘一人に後れを取るとは、と笑われるだけですから。これまで東方で築き上げてきた名望も、一気に地に落ちますよ」


「――莫迦にするな‼ 後れを取ったのは戎士どもだ‼」

「――ええ。妹姫は大した術者だ。それは認めます」


 父親の怒号と息子の冷ややかな声が重なった。


「数馬‼ お前は黙っていろ‼」

「父上こそ、お気をお鎮め下さい。戎士たちはよく戦いました。後れを取ったのは、中司なかつかさたる私が、戦力の配分を誤ったからです」


 躊躇なく自分の責任であると明言して、父親の自尊心と戎士たちの立場の両方を救い上げた数馬に、二緒子が息を詰める。

 一也も、八手一族の三人も、それぞれがそれぞれの表情で、彼らを支配する男の息子を見やった。


「今回の件が九条家からの宣戦布告であるなら、奇襲も騙し討ちも当然のこと。なれば、本丸まで乗り込まれた責は私が負うところです」


 その数馬は、巌のような無表情と冷静さを崩さなかった。


「しかし、あくまで『術試合』であったと仰るなら、町や城の破壊、麾下の殺傷は、明らかにやり過ぎだ。その不法、非礼を咎めるでなく正すでなく、子供のやったことだと有耶無耶にしようとなさるなら、名望を落とすのは果たしてどちらか、今一度お考えになられた方が良いでしょう」

「へえ……」


 九条天彦の双眸が細まった。


「なるほど。君は、そういう人なんだね。確かに、『術試合』で邸まで破壊したのは、ちょっとやり過ぎだ。その分の補修費は、全部九条家が持ちますよ」

金子きんすを出せば良いという話ではありません。こちらには死者も出ているのです。町屋や城は建て直すことも可能ですが、失われた命はそうはいきません」

「んー、でも、流石に人は殺していないでしょう?」


「――人、は?」


 ぎしり、と雰囲気が凍ったのは、八手一族の三人だった。


「つまり、俺たちなら殺しても構わないっていうのか!」


 がばりと跳ね起きた桧山ひやま辰蔵が、顔中を口にする勢いで喚いた。


「ああ、いや、だって、神狩かがり一族では、真那世まなせは見つけ次第処分することになっているから、ねえ」


「何だと⁉」

「――桧山!」


 桧山辰蔵が両眼を血走らせる。

 今にも掴みかからんばかりの様子に、伊織と清十郎が飛び出して、両脇からその腕を掴んだ。


「戎士たちは、黒衆や武士たち同様、鬼堂家の麾下」


 数馬の眼光が、強さと冷たさを増した。


「如何に宗家と言えど、勝手に処分する権限などはないし、それが許されて良いものでもない」

「もしかして、それを怒ってる? まあ、確かに、貴重な道具を壊されると腹が立つよねえ。でも、『術試合』において、多少の損失は仕方ないでしょう? 紫の方も手駒を一つ壊されたみたいだし、そこはお互い様ってことで手を打ってくれないかなあ」


 青年がそう言った時だった。


「若!」


 それまで鏡立ての役に徹していた随身が、苦い窘め声を上げた。


「――手駒?」


 その語尾に、地を這うようなおどろおどろしい声が重なった。


「そう……、そうよね。あんたにとって奈子なこは、いえ、希与子きよこ如子ゆきこ詩子うたこも、そして私も、駒の一つに過ぎないのよね」


 今の今まで押し黙っていた紫が、ゆらりと顔を上げた。


「けど、私にとってはそうじゃない。そうじゃないのよ」

「あー、もう、本当に鬱陶しい。あの鏡、叩き割っちゃおうか?」


 黒衣の人形が、鎚矛の柄をぽんぽんと掌の上で跳ねさせた。


「いいえ、詩子、あなたは戻って」


 言うなり、市女笠の少女は片手を伸ばし、黒衣の人形の肩を、とんとん、と叩いた。


 紫を見やった黒衣の少女が、次の瞬間、ぱっと光ったかと思うと、紙で切り抜かれた一枚の人形に戻って、地面に転がった。


「――紫ちゃん?」


 銅鏡の中の青年が首を巡らせた。


「まだ何かするつもりなのかい? でも、結界を破られちゃったんなら、これ以上は駄目だよ。霊能の技は秘匿を以て良しとする。みだりに衆目に触れさせるべからず、だからね?」

「ふふ……」


 市女笠の少女が肩を揺らした。


「そうね。どこぞのお姫様の、『愛しいお方を振り向かせたいのですう』なんて願いなら、その場で適当な霊符を書いて渡してやれば良いけど、怨霊や妖種ようしゅと対峙する際は、匙加減が大事。技の一つも見せなければ騙りか無能と思われるけど、逆に見せすぎても恐れられるから」


 何が可笑しいのか、くすくすと笑いながら、白い両手を市女笠いちめがさの縁にかける。


央城おうき開闢以来、神狩一族は人々の信頼や崇拝を集めてきたけれど、いつどこで心の秤が傾いて信頼が不信に、崇拝が排斥にひっくり返るかわからない。人は、自分たちとは異なるものに惹かれもするけれど、容易く恐怖もするから。そうならないように、あまりにも強すぎる力は見せてはいけないのよね」


 虫垂れ布の内側からの視線が、鬼堂家の父子に向けられた。


「鬼堂家が戎士たちを可能な限り人目にさらさないようにしているのも、その為でしょ? 九条家も同じ。一般の衆どころか、他流派の術者たちや一族内にすら、私たちの実態を正確に知られることを避けている。この笠と布は、その為のものなのよ」

「――紫ちゃん?」

「莫迦々しいわよね。神狩一族は、異形の脅威から人の世の安寧を護ることを責務と標榜する。なら、『使』も、戎士も、私たちも、その為の貴重な戦力だと、堂々と胸を張ればいいのに」

「紫ちゃんってば、ちょっと待って」


 銅鏡の中で、青年が少しばかり慌てた様子になった。


「何を考えているの?」

「私たちが考えていることはいつも一つよ、親愛なるお兄様。ご存知でしょ?」


 言いながら、さらりと市女笠を取った。

 虫垂れ衣の下から、つややかな黒髪に縁どられた白く小さな顔が現れる。

 やはり、間違いなく、二緒子や三朗と同世代の少女だった。切れ長の眸は鏡面の中の青年にそっくりだが、その眼光はより強く、十一歳という年齢が嘘だと思えるほど激しい意志を感じさせる。


 だが。


「な、何だ、貴様は……」


 驚愕の表情で口走ったのは、鬼堂興国だった。

 三朗の横で、二緒子が大きく息を引く。滅多にないことだが、数馬と一也の二人も、大きく目を瞠っている。

 わからない顔をしたのは、霊力の方は一般の人々と大して変わらない三朗と、八手一族の三人だった。


「――姉上?」

「三朗……」


 二緒子が声を震わせた。


「あの子、一人だけど、一人じゃない……」

「え?」

「三――いいえ、四、だわ。あの子、霊珠れいじゅを四つも持っている……」

「――え?」


 瞬いて、三朗は九条紫を凝視した。


「一人の人間の中に、霊珠が四つ? そんなことって、あり得るの?」

「あり得ないわ! 霊珠は精神の核――人格そのものだから、それが四つということは、一つの身体に四つの人格が同居していることになる。そんな状態、普通なら耐えられる筈がない」


「戦乱や虐待といった過度の抑圧にさらされ続けた結果、霊珠が分裂し、同一精神の中で感覚や記憶が分断されることは、無い訳ではないが」


 数馬が、驚きを呑み込み、思考を纏めようとするように呟いた。


「そういった場合の霊珠は、元は一つであったものが割れた状態になっているから、視ればわかる。だが、彼女の内に視える霊珠は、どれも完全だ。であれば、確かにあり得ないことではあるが、最初からそういう風に生まれてきた人である、としか」


「その通りよ」


 紫が数馬を見据えた。


「私たちは、こういう存在として生まれてきたもの。尤も、最初は五人だったのよ。さっき、あなたに一人『殺される』まではね」


 三朗の脳裏に、消えていった青いうちぎの少女の姿が浮かんだ。


「この笠と衣は九条家の特別製でね、周りに常に微弱な結界を巡らせて、視覚はもちろん、霊感でも私たちのことを覗かせないようにしていたの。でないと、ちょっと霊力が強い人間には私たちの実態が視えてしまって、行く先々で大騒ぎされてしまうからね」


「莫迦な。そんな人間が、居る筈がない」


 鬼堂興国が呻いた。


「と言われても、私たちはここに居るでしょ。でも、あなたたちの言う通り、あり得ない存在でもある。その意味がわかる?」


 凍てつくような眼差しが、三朗たち水守家の三人を見た。


「つまり、私たちこそ『創られた』ものなの。両親の間に通い合う『想い』ではなく、九条青明という男の『意図』によって生み出された化け物――この世の理から外れた歪な存在なのよ」

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