第八章 五彩の姫・九条紫

47 創られたものたちー1

「――柾木まさき


 鬼堂家の父子や戎士たちが、誰だ? どこから? という視線を交わし合う。

 その前で、市女笠の少女が、ゆっくりと視線を転じた。


「あなた、『遠見の合わせ鏡』を持ってきているの?」

「――それが、私の責務でございますれば」


 傍に居た随身ずいしんが小さく嘆息すると、『霊刀』を消して、その場に片膝をつく。

 右手の人差し指と中指を揃えて自分の額に当てると、ぴかりと金の霊光が閃いて、顔の奥から一枚の銅鏡が滲むように浮かび上がってきた。

 直径は七寸ほどか。いかにも古代のものらしい青銅製で、ずっしりとした質感がある。


「か、顔から、鏡が出てきた?」

「あ、あんなものが入っていて、頭が重くないの?」

「おぬしら斗和田とわだの一代も、神剣をその身に収めてあるではないか」


 ぎょっとした三朗と二緒子に、褐衣かちえ随身ずいしんが呆れたような顔になった。


「あれを出す腕、重いか?」

「――いいえ」


 真顔で問われて、思わず真顔で首を左右に振ると、素直だな、と苦笑される。


「この鏡も同じだ。何せ用途を考えると、視界と連動する顔の中が一番だからな」

「用途?」

「『遠見の合わせ鏡』なら、神狩かがり宗家に代々伝わるという霊具だ」


 顔を見合わせた少年少女に、横に立っている数馬が答えた。


「二枚一組の銅鏡で、どれほど遠く離れていても、片方が映す景色や音をもう片方の鏡で見たり聞いたりすることができる、この世に一つしかない一族の宝、と聞いている」


「ご名答」


 随身が、出現させた鏡を両手で掴み、掲げると、その中からのほほんとした声が応じてきた。


「『神縛り』を編み出し、御間城みまきの帝と共に秋津洲あきつしま東征を成し遂げた天才術者、神狩一族の開祖、時任ときとう速比古はやひこの作品だよ」


 その鏡面には、確かに、この場に居ない人物が映っていた。

 白色の狩衣かりぎぬを纏い、頭に烏帽子を被り、片手には白扇を持って、豪勢な調度品に埋もれたどこかの邸の中に悠然と座している、二十歳ばかりの青年だった。


「ええと、そちらの隻眼の方が鬼堂家ご当代の興国おきくに様で――柾木、鏡もうちょっと左へ向けて――そうそう、その辺。それで、そっちの男前のお兄さんが、ご嫡子の数馬殿だね? あ、いや、ご長子だけど嫡子じゃないんだっけ。確か、お母上はどこぞの遊技で、興国様のご正室の御子じゃないんだよねえ。にもかかわらず、凄腕で切れ者なもんだから、黒衆の術者たちには敬われてるけど、義理の母上と異母弟には随分と疎まれているって聞いてるよ」


 思わず振り仰いだ二緒子と三朗の横で、数馬は無表情に視線を上げた。


「御身は?」

「初めまして」


 鏡越しに視線を返すと、青年は、切れ長の眸に人懐こく見える笑みを閃かせた。


「僕は九条天彦あめひこ。九条青明せいめいの嫡孫にして、常盤台ときわだいすけ。そこに居る九条ゆかりの兄にございます」


 優美な白い手が、手にしていた白扇をぱちりと開いた。


「いやあ、この度は妹が大変失礼を致しました。あの子は時々とんでもなく莫迦になるところがあって、昔から神狩一族のみならず、毘山びざんの法師たちや巷をうろつく在野の我流術者まで、優れた術者が居ると聞けばすぐ出かけて行って、考えなしに『術試合』を吹っかけていたのですが、まさかその延長での国くんだりまで出向いて行こうとは。まこと、当方の管理不行き届きで、申し訳ない限りでございます」


 立て板に水の勢いで喋り、何の衒いもなく頭を下げて見せる。


「鬼堂家の方々には大変ご迷惑をおかけしましたが、これも、世の為人の為、強き術者たらんとする妹の向上心の賜物とご理解あって、どうかご寛恕頂きとう存じます。無論、二度とこのようなことは起こさぬよう、こちらでも吃と叱っておきますれば、何卒――」


「待て。何を言っている」


 三つ目の狼の影で立ち上がった鬼堂興国おきくにが、隻眼を吊り上げた。


「戯言も大概にせよ。わしの命を狙い、わしの城を破壊し、わしの忠実な相談役に手傷を負わせた。かくなる狼藉を、ただの『術試合』で済ませるつもりか!」

「はい」


 一方の九条天彦という青年は、へらりとしたものだった。


「武士が剣闘や流鏑馬やぶさめといった手段で武芸の腕を競い合うように、術者もまた互いの技に磨きをかける為、古来より数多の場で様々な『術試合』を行って参りましたでしょう? まあ、九条家と鬼堂家のかつての不幸なすれ違いを鑑みますれば、妹がご挨拶も何もなく、いきなり野試合のごとく『使』をけしかけたことは、全くもって無礼千万ではございますが、そこは子供の浅薄と思し召し、穏便にお済ませ下さりますよう、願い奉る次第でございます」


 感心するほどよく回る舌である。

 しかし、その内容たるや、三朗でも理解できるほど中身が無い。


「ふざけるな‼」


 案の定、鬼堂興国が怒声を上げた。


「あの小娘はわしを討つとほざいた! それが九条家からの宣戦でなくて何だ!」

「嫌だなあ。そんなの、小娘がちょっと粋がってみせただけに決まっているじゃありませんか。鬼堂家の御大ともあろうお方が、真に受けないで下さいよ」


 黒衆ならば縮み上がる一喝だが、九条天彦という青年はどこ吹く風といった風情だった。


「だって、もし九条家が本気で興国様を討つつもりだったなら、十一歳の少女に随身一人を付けただけで送り込むなんて、そんな莫迦な真似をすると思います? 失敗すればとんでもない火種になるとわかっているのですから、やるなら総力を挙げてかかるに決まっていますよ。それとも、何ですか? まさか、神狩一族御三家の一角たる鬼堂家のご当主が、本当に小娘一人に討たれるところだったとか仰る訳じゃありませんよね?」


 まさしく、危うくそうなるところだっただけに、鬼堂興国の形相が変わる。

 一方で、三朗と二緒子は『あの子、十一歳?』と絶句して、顔を見合わせていた。


「では、今回の件は、あくまで妹姫の独断専行である、と?」


 数馬が足を踏み出した。

 陥没穴から跳び出ると、今にも感情的に喚き立てそうになっている父親を制しながら、その傍らに控えた。


「確かに、姫ご本人も、祖父君の命令で来た訳ではないと仰っていたそうですが、それは事実であると申されますか。御身はもとより、神祇頭じんぎのかみ様においても預かり知らぬところである、と?」

「勿論! だって、我々九条家に、鬼堂家と事を構えるつもりなんて、これっぽっちも無いんですから」


 白扇で口元を隠したまま、九条天彦という青年は、にこやかにそう言った。


 ***


「――兄上」


 何がどうなっているんだと思いながら、三朗と二緒子は、数馬に続いて陥没穴の底から跳躍し、一也の傍に駆け寄った。


 そこには既に伊織が回り込んでいて、今のうちにとばかりに一也の右腕の傷をせっせと縫合している。

 思った以上に深く、大きな裂傷に、二緒子が慌てて両手をかざして『癒し』の波動を送り込み始めた。


 反対側に片膝をついて、三朗は、ぎゅっと唇を噛みしめた。

 改めて自分の目で確認してみれば、思った以上に酷い傷だった。

 これも、自分の神力ちからがやったことなのだ。自分が自分の意識を手放してしまったばかりに。


 忸怩たる想いに囚われかけた時、頭の上に、ぽん、と一也の左手が乗せられた。


「お帰り、三朗」


 二緒子と同じ言葉。

 同じ温もり。

 自分には、もう、それを受け取る資格など無くなっていたのに。


 じわ、と瞼の裏が熱くなった。

 潤みかけた眸を隠すように視線を伏せて、そのまま、兄に、伊織に、後ろからやってきた清十郎に、順に頭を下げた。


「――これで、一件落着といけばいいんだが」


 その様子を見守りながら、清十郎が言った。


「三朗は取り戻せたし、兄貴とやらが出張ってきたなら、あの姫も諦めてくれるか」

「でも、あの九条家のお兄様という人――」


 一也の腕に両手をかざしたまま、二緒子が首を傾げた。


「色々言ってますけど、あれって、鬼堂家と仲直りしようとしているんですか? それとも、喧嘩を売り直しているんですか?」

「両方、のような気がするな」


 素朴な疑問に、一也が軽く肩を竦めた。


「九条の若君とやらは、これ以上騒ぎを大きくしたくはないんだろう。と言って、非を認めて鬼堂家に借りを作ることも避けたい。だから、妹姫の行動を子供の独断、単なる『術試合』で片付け、有耶無耶にしようとしているのではないかな」


 話している間に手当てを終えた伊織に、ありがとうございます、と礼を言ってから、一也は肩越しに視線を投げた。


「問題は、その九条家の態度を、鬼堂家がどう判断するか、だが……」


 一也がそう言った時だった。

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