23 風の崩壊ー3



「三朗!」


 二緒子におこを安全圏に運び降ろした一也いちやが、その足で身を翻す。


 放出され続けている神力ちからは、未だ衰えを見せない。

 だが、一也は躊躇なくその中に飛び込んだ。乱れ狂う無形の刃が全身を掠め斬るのも構わず、力任せに風の渦を突破する。


 そこには、一声凄絶な悲鳴を上げた三朗が、放心の態でぺたりと腰を落としていた。

 その眸は瞬き一つせず、硝子玉のように見開かれたまま硬直している。


 一也はその前に駆け寄り、地に片膝をついた。


朝来あさぎの声が奉る」


 右手に、朱色の燐光が浮かび上がる。

 その掌を三朗の額にかざしながら、左手で形を戻した首環くびかざりを少年のまだ細い頸に回して、繋ぎ目を霊力で溶接した。


「風のしるべをここに。形ある混沌よ、循環せよ」


 元の位置に戻った勾玉が、一也の右手と同じ光を発してふわりと浮き上がった。

 それに応じて、轟々と渦を巻いていた風の勢いが、ゆるゆると落ち始める。

 風というかたちに具現していた神力ちからが急速に収束し、三朗の心臓の中で回転し続けている神珠しんじゅの中へと、収め戻されていく。


 颶風が強風へ、強風が弱風へ、そして微風へと変わり、不意にぱたりと止んだ。

 それと共に、巻き上げられていた瓦礫や土砂が一気に落下してきて、裏庭は濛々たる土煙に包まれた。


「何だってんだ!」

「滅茶苦茶だ!」


 あちこちで、八手やつで一族の戎士じゅうしたちの喚き声が響いている。


「三朗……」


 薄茶色に染まった大気の中、二緒子は気道を塞ぐ塵芥に噎せながら、立ち上がった。


 気配だけを頼りに土煙を突っ切り、兄と弟の傍らに駆け寄る。

 全身すり傷だらけの上、額には大きな切り傷まで生じていて、赤い血の糸を溢れさせていたが、気にも留めていなかった。それどころではなかった。


「三朗、三郎ってば!」


 一也の横に並んで膝をつき、両手で弟の肩を掴む。

 だが、二緒子の叫びにも、三朗は何の反応も見せなかった。

 その眸は、全ての意志も感情も凍結させた硝子玉と化して、ただ虚空の一点だけを呆けたように見つめている。


「兄様、これ……」

「ああ……」


 その様子に、二緒子の全身から音を立てて血の気が引いた。

 反射的に傍らの兄を降り仰ぐと、一也もまた苦しげな表情で唇を噛んでいる。


「嫌、嫌よ、三朗」


 二緒子の双眸が歪み、悲痛なものが浮いた。


「しっかりして。目を覚まして。戻って来て。三朗!」


 爆ぜる悲嘆のまま、掴んだ肩を思い切り揺すぶった。


 ***


 いきなり、背後で強い『力』が弾けた。


「っ!」

「きゃっ!」


 全く無防備だったところへ襲い掛かってきた、無形の衝撃。

 それに弾き飛ばされた一也が、背後にあった厩舎の残骸の山に無防備に叩きつけられる。もはや受け身を取る余力もなかったのか、そのまま低く呻いて、地面に崩れ落ちてしまう。


「兄様!」


 同じように跳ね飛ばされながらも、ぎりぎりで受け身を取った二緒子は、一転して跳ね起き、その傍らへ駆け寄った。

 兄に飛びつき、意識は失っているが息はあることを確かめて、ほっと息を吐く。

 だが、それも一瞬のことだった。


「出来損ないの暴走を止めてくれてありがと、お兄さん」


 そんな声と共に、一也と二緒子を吹っ飛ばした少女が、代わりにその場所に立った。

 その傍らには、いつの間にか現れた折烏帽子と褐衣かちえ姿の男が従っている。

 それでも何の反応も見せない三朗に眉根を寄せた少女が、片手を伸ばして、その頭部をぐいと鷲掴んだ。


「三朗に触らないで‼」

「――何なの、これ」


 跳ねるように立ち上がった二緒子を無視して、少女は顔を顰めた。


「意識が消えてる。まるっきり、空っぽになってるじゃない」


 抜き差しならない事実の指摘に、二緒子の手足がわなわなと震え始める。

 それを見やって、少女が、ふーん、と呟いた。


「やけに勾玉を外させないようにしていると思ったけど、こういう危険性があったからなの?」


 言うなり、少女は、三朗の頭から手を離す。

 その途端、三朗の上体が傾ぎ、ぱたりと横ざまに倒れた。

 人の倒れ方ではなかった。まるで、糸を切られた繰り人形のような、無機物的な転倒だった。


 その姿を見下ろして、少女が右の掌を虚空に向ける。

 そこに淡い緑色の光の珠が浮かび上がる様を見て、二緒子は愕然とした。


「あなた、まだ『使つかい』を持っているの⁉」

「誰も、さっきの四体だけなんて言っていないわよ」


 冷ややかに言った少女の傍らに出現したのは、純白の毛に覆われた牡鹿だった。

 普通の鹿よりずっと体毛が長く、身体の大きさも一回り以上大きく、頭にねじれながら天へ伸びる二本の枝角を頂き、背には白鳥のような翼を備えている。


「気が変わったわ。今日はこれで引き揚げてあげる。その代わり、この子は貰っていくわね」


 少女の言葉と共に、隣の男が、倒れている三朗の胴に片腕を回し、脇にぶら下げるようにして抱え上げた。

 そのまま、二人はひょいと牡鹿の背に飛び移る。


「やめて‼」


 瞬間、二緒子の白い顔に昇ったのは、恐怖ではなく怒りだった。

 右手に神剣を閃かせ、水流を撃つ。

 だが、翼を持つ牡鹿はひょいと羽ばたいて、全て躱してしまった。


「あなたの攻撃は遅い上に直線的過ぎるのよ、お姉さん。もっと精進しないと、そんなことじゃお兄さんや弟はおろか、自分自身だって護れやしないわよ」

「三朗を返して‼」

「ええ、いいわよ。この子に鬼堂興国おきくにを殺してもらったらね」

「何ですって⁉」

「いずれ真垣まがきへ行くわ。伝えておいて」


 勝利の笑顔を残して、牡鹿の大きな翼が旋回する。


「待って‼︎」


 追おうとした途端、二緒子は、すっと頭から血が下がっていくような感覚に襲われた。

 くらりと視界が回り、足がもつれて、そのまま前のめりに倒れ込む。

 手の中で神剣が解ける。

 絶望と共に見下ろせば、その手は、小刻みに震え始めていた。神力の使い過ぎだと、身体が限界を訴えている。


「三朗……」


 それでも、二緒子は震える手で土を掴んで、数歩、地を這った。


 だが、そんなものでは到底追いつけない。

 痙攣する視界の中、飛翔する牡鹿はどんどん遠ざかっていく。雲一つない青空の彼方へ、溶け込んでいく。


(連れて行かれてしまう)


 喪ってしまう。家族を。また。


「桧山組長‼」


 その瞬間、二緒子は音を立てる勢いで、背後を振り返った。


「追って下さい! 戦ってくれなんて言わないから! 行き先だけでいいから、突き止めて‼」

「――何だと?」

「でなければ、私、主公しゅこう数馬かずま様に申し上げますから! 三朗が央城おうきの――九条家の姫に連れ去られたのに、あなた方は何もしようとしなかったって!」


 喉が裂けるほどの勢いで叩きつけた言葉に飛び上がったのは、戸渡とわたり左門さもんだった。


「ひ、桧山、あの小娘を尾けさせろ! お館様のご判断を仰ぐにも、せめて居場所ぐらいは突き止めておかねば!」

「は……」


 不快そうな表情で二緒子を一瞥すると、桧山ひやま辰蔵たつぞうは青白い顔で固まっている背後の部下たちを振り返り、指示を下した。

 数名の戎士が、嫌々という様子ながらも走り出す。


 それを見届けて、二緒子はくぐもった眸で、再び空を見上げた。


 そこにはもう、弟の影すらも見つけられなかった。

 ただ、青く澄み渡り、染み入るような天が広がっているばかりだった。


(あの日も、綺麗な青空だった)


 どうして、こんなことになるのだろう。

 自分たちの状況というのは、どこまで悪化すれば済むのだろう。

 最悪にも絶望にも、果てというものはないのか。


(お母様、おじい様……)


 爪が剥がれるほど強く地に指を立てて、血にまみれた額を伏せた。


(お願い。三朗を、護って……)

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