22 流される者、抗う者ー3

 大広間にいる人々の視線も注意も、長十郎の突然の狂憤に集まっていた。


 その刹那を突いて。


 水守家の足元で、ぴかりと、神力ちからの塊が弾けた。


「⁉」


 凄まじい衝撃が、真正面から三朗を襲った。

 見開いた視界に、いきなり床面から躍り上がった『繰糸くりいと』が映る。三朗を、二緒子を、立て続けに弾き飛ばし、背後の死角から一也いちやを襲う。


 一也が腕の一振りでそれを払った瞬間、別方向から別の『繰糸』が奔った。

 二緒子が弾き飛ばされた時に、その腕の中から放り出された四輝しきの小さな身体に巻き付き、高々と虚空へ差し上げる。


「え……っ⁉」

「なっ――羽賀はが⁉」

槙子まきこ殿‼」


 伊織が愕然とした表情を弾けさせ、その場にいる組長たちと副長たちが一斉に立ち上がり、同一方向に視線を向ける。


 驚いていないのは、長十郎と多生たき禮二郎れいじろう針生旭子はりうあきらこ――そして、組長の列の中でいつの間にか腰を浮かせ、片膝を立てて臨戦態勢を取っていた五十嵐槙子いがらしまきこ羽賀作之進はがさくのしんだけだった。


 作之進の黒の外套の下から、顔と同様、包帯でぐるぐる巻きにされている右腕が覗く。それが、大きく振られる。

 その指先から伸びる『繰糸』が鋭くしなって、捕えた四輝の身柄を、広間の上座――長十郎や上役たちが居る方へ弾こうとした。


 幼子の悲鳴が尾を引く。

 その声が、三朗と二緒子の脊髄を蹴り飛ばした時、一也の掌中で蒼銀の光が弾けた。


 一瞬で抜き放たれた雷の神剣。その剣身から、一条の雷光が放たれる。

 かつてに比べれば、遙かに微弱な光。

 だが、威力の弱体化を補って余りある正確さで空を奔ったそれは、一撃で略奪者の『繰糸』を貫き、中途から断ち切った。


「――なに⁉」


 長十郎が、畳台を蹴とばすようにして立ち上がる。

 作之進の『繰糸』が四輝を捕えた瞬間、その顔には、あからさまな安堵が滲んでいた。それが激変する。驚愕、失望、そして、恐怖――そんなものが入り混じった表情に。


「三朗!」

「はいっ!」


 兄の声に応じて、三朗は素早く床を蹴った。中途で放り出された四輝を、空中で受け止める。


 舌打ちを洩らした作之進が、断ち切られた『繰糸』を即座に延伸させた。

 再び、自分ごと腕の中の四輝を拘束しようとしたそれを、三朗は顕現させた漆黒の神剣で斬り払った。。


 その間、二緒子は一也の傍らで体勢を立て直し、自らの神剣を抜いて、再度襲い掛かってきた五十嵐槙子の『繰糸』を弾き返していた。


「――神剣を抜いたな‼」


 そこへ、長十郎の隣に移動していた多生禮二郎の声が飛んだ。


「我らにそれを向けることは、数馬様の申し渡しによって禁じられている! それを犯した以上、我らに、そして主公しゅこうに対し、造反の意志ありと認める‼」

「皆、水守の者どもを捕えよ! 小童こわっぱを奪え!」


 同じように、長十郎を挟んで禮二郎の反対隣に位置を占めた針生旭子も、甲走った声を張り上げた。


「抵抗するなら、手足の一本も叩き斬れ‼ どうせ化け物、その程度で死にはせん‼」


「ちょ、お二人とも……!」


 そんな三人を、立ちすくんだ斉明寺さいみょうじかなめが、呆然と見つめる。その様子を見るに、彼は、長十郎が四輝の奪取を画策していたことは知らなかったようだ。


 ちなみに、もう一人の上役の針生軍兵衛ぐんべえは、最初の位置に胡坐をかいて座り、膝の上に片肘をついて、その手の上に頬を預けた姿勢のまま、動かない。


「は――あ⁉」


 一方、他の組長たちや副長たちの間からは、驚きや困惑の声が上がっていた。


 だが、大半の八手一族は、目の前の物事について自分自身で考えて行動するより、反射的に大勢に同調する性質である。

 まして、上位者の命令――煽動があるなら、尚更だった。


 真っ先に動いたのは、堀内義兵ほりうちぎへい直江郁太郎なおえいくたろうの二人だった。

 一瞬は驚きの表情を浮かべたものの、すぐさまそれを消して、片腕に四輝を抱えて着地した三朗を前後に挟むように位置を取る。


 その二人に、まず彼らの直属の部下である六番組と九番組の副長が従い、他の副長たちも引きずられるように倣った。

 素早く三朗の周囲に展開し、その両手から一斉に『繰糸』を放つ。

 しかも、その動きは、捕縛の為の動きではなかった。明らかに、旭子の命令に応じて、まずは三朗の戦闘力を奪おうとしていた。


(数が多い!)


 首元で、朱色の勾玉の首環が揺れる。

 三朗は、まだ風の制御には自信がない。こんな狭い場所で使ったら、下手をすれば一也や二緒子、そして、未だ身じろぎ一つしない薫子まで、切り裂いてしまうかもしれない。


 如何に八手一族、それも長十郎の娘とはいえ、非戦闘員である薫子に危害を加える発想は、三朗には無かった。

 だから、やむを得ない、と結論付ける。払えるだけ払って、後は――と、覚悟を決め、腕の中の四輝を全身で庇いながら、神剣を構えた。


 一方、五十嵐槙子と羽賀作之進は、一也と二緒子の左右に位置を取っていた。同時に『繰糸』を放って、二人を攻撃しようとする。


 二緒子が、必死の形相で神剣を構える。

 それら全てを見据えた一也の双眸に、蒼い雷光が走った。


 だが。


「やめて下さい!」

「やめろ!」


 水守家が応戦するより早く、八手一族の中から、複数の制止の声が上がった。


 萩原征八はぎわらせいはち杜戸慎介もりとしんすけが、堀内義兵と直江郁太郎の背後から飛びつき、二人の肩や腕を掴んで、攻撃を制止した。


 一也と二緒子の前には、甲斐かい源七郎げんしちろうが立った。

 その手に閃いた『繰糸』が、五十嵐槙子と羽賀作之進のそれを絡めとり、中途で叩き落す。


 楢崎小平太ならさきこへいたは、どっちつかずの姿勢で固まってしまい、どうしたものかという表情で左右の様子を見回していた。


 そして。


「――伊織⁉」


 長十郎の声が裏返った。


 伊織は、三朗と四輝の前に飛び出して、征八と慎介が止められなかった副長たちからの攻撃から二人を庇っていた。それも、一切、何の防御せずに。

 結果、副長たちの『繰糸』の集中砲火をまともに浴び、全身に複数の裂傷を刻まれて吹っ飛んだ。


「叔父上‼」


 一郎太の叫びが響いた。


「伊織様⁉」


 咄嗟に三朗は、四輝を抱えたまま、仰向けに倒れかけた伊織を背後から受け止めた。


 爆ぜた同胞の鮮血に、八手一族の戎士たちが声にならない声を上げる。

 特に、加害者となった副長たちの何人かは、完全に固まってしまった。


「――血迷ったか、伊織‼」


 旭子が金切り声を上げる。


「落ち着け、旭子殿‼ 多生殿もだ‼」


 堀内義兵の肩を押さえたまま、萩原征八が怒鳴り返した。


「血迷っておるのは、おぬしらの方だ‼」

「全くです。いくら何でも、これはまずいっすよ」


 杜戸慎介が、直江郁太郎を羽交い絞めにしながら、ぼやくように言った。


「わざわざ水守のちびすけを同席させたのは、この為だった訳っすか? あんな命令に斗和田の御一代が肯う筈はないと踏んで、最初からここで奪うつもりだった、と?」


「伊織に一郎太、そして薫子まで同席させたのは、油断させる為か?」


 五十嵐槙子と羽賀作之進の間に位置を取り、両手を向けて牽制しながら、甲斐源七郎も、壮絶に苦い顔で言った。


真那世まなせから家族を――子供を奪って人質に取るというのは、最も効果的だが、最も憎まれる手段だ。俺たちほど、その事実を知っている者は居ないのに」


 それでも、敢えてやると言うなら。


「事前に俺たち全員の合意を取り、全員で一斉にかかるべきだったろう? 更に言うなら、どうとでも理由を付けて七尾ななお舘林たてばやしを月番から呼び戻し、加わらせるべきだった。だが、あんたたちは、それをしなかった」


「七尾清十郎が、こんな騙し討ちに同意する訳はないって、踏んでいたからっしょ?」


「我らに諮らなかったのも、伊織はもとより、以前、桧山ひやまの処分に同意したわしや甲斐、慎介も、反対する公算が高いと予測したからか? それとも、事を起こしてしまいさえすれば、なし崩しに協力するだろうと思ったからか?」


 萩原征八が、何度も首を横に振った。


「誰が聞いても卑怯と罵られる手段は、成功しても褒められることはないが、失敗したら、それこそ目も当てられない」


 相手を怒らせ、軽蔑されるだけだからだ。


「なればこそ、やるなら必ず成功するよう算段をつけねばならぬ。それが、わしらはおろか実の弟にさえ理解されないと思って、出来なかったなら、それは手を出してはならぬ手段だったのだ、長十郎殿」


「話しても無駄なら、力に訴えるしかあるまいが!」


 禮二郎が怒鳴った。


「――相手の事情も気持ちも考えず、ただ一方的な理屈や暴言を振りかざして従うことだけを求めることは、『話をした』ことにはなりません」


 三朗に支えられた状態の伊織が、苦し気な呼吸の下から声を発した。

 その頬や胸部、腕や腿には、いくつもの裂傷が刻まれている。致命傷というほど深くはないが、浅くもない。あふれる血が、刻一刻と衣を染めていく。


 その様子を、長十郎は立ち尽くしたまま、凍り付いたような眼差しで見つめている。


「伊織、動くな。出血が増える」

「さっき、嫌な音もしてたっすよ。胸骨が折れてやしないっすか?」


 源七郎と慎介が同時に言ったが、伊織は小さく首を左右に振って、自分を支えている三朗と、その腕の中で目を見開いている四輝を見やってから、何とか身体の向きを変え、上座で立ち尽くしている長十郎を見上げた。


「だから、話をしましょう、長十郎兄上。兄上は、これまで、ただ上から指示を伝えるだけで、水守殿と膝を付き合わせて話をなさったことはないでしょう? ――大丈夫。私は、何があろうと、兄上の味方ですから」


 紡がれたのは、弾劾でも難詰でもない言葉。

 それを聞いた長十郎の表情が、小さく揺れた。

 憎悪、怨嗟、不信、警戒、恐怖――そんなものに支配されている心に、別方向からの風が吹いたように。


「――何をいけしゃあしゃあと! 化け物どもを庇い立てしたくせに!」


 旭子が喚いた。


「裏切者め。お前こそが、断髪の刑を受けるべきだな」


 禮二郎が吐き捨てた。


「お止めください!」


 そこへ、表情を強張らせた斉明寺要が、割って入った。


「あなた方の哀しみがわからない者は、一族には居ない。だが、そのあなた方は、伊織殿の苦しみを理解しようとはしないのですか? ならば、もう黙っていてください。ここは、過去の怒りや憎しみをぶつけ合う場ではなく、未来への道筋を探る為の場です!」


「全くだ。そもそも、伊織が飛び出さねば、おぬしらの命はなかった。わかっておるのか?」


 萩原征八が、低く呟いた。


「伊織は、水守の子らだけではなく、おぬしら三人も庇ったのだぞ」


 そう――上役たちからの明白な害意が示された時、そして、組長の一部と副長たちがそれに従った時、一也は、瞬間的に決裂の意志を固めていた。三朗と四輝に危害を加えようとしていた者たちを、それを指示した者たちもろとも撃つつもりだった。


 だが、その寸前に伊織が飛び込んできたから、ぎりぎりで攻撃を止めたのだ。


「ここで水守の連中をやりあって、仮に人質を取ることに成功したとしても、最低でも里は半壊、この場にいる組長と副長の半数以上は死んでいる」


「そんなことになれば上洛の供どころじゃなく、長は勿論、あんた方二人も、確実に主公から無能の烙印を押されることになる。――五十嵐、羽賀、何で止めなかった。お前たちなら、こんな真似は暴挙だということぐらい、理解できた筈だろう」


 甲斐源七郎が、怒りを込めて、黙然と対峙している同僚を見やった。


「多生様も西家せいけの御方様も、斗和田の戦の実際を、その目でご覧になった訳ではないっしょ?」


 杜戸慎介が溜息と共に言った。


「その上、『役』に出ることもないんすから、御一代が弟妹の為に大人しく頭を下げている里内の姿しか知らない。だから、こんな舐めた真似もできたんでしょうけど――本当にまずいっすからね。完璧に、竜の逆鱗に触れたっすよ」


 口調は軽いが、そのこめかみには冷や汗が滲んでいる。


 その彼らの視線の先には、神剣を構えたままの一也の姿がある。その視線は特に表情らしいものは浮かべぬまま、真っすぐ長十郎を見据えている。

 それは、攻撃の機を測っているようであり、伊織の言葉に対する長十郎の反応を待っているようでもあった。


「――三朗殿」


 それを見やって、伊織が、傍で様子を見守っている三朗に視線を向けてきた。


「申し訳ありませんが、私を水守殿のところまで連れて行ってくれませんか」


 三朗はちらりと周囲を伺ってから、黙って頷いた。

 左腕に四輝を抱えたまま、右手に顕現させていた神剣を消し、伊織の肩を抱える。そのまま素早く跳躍して、周囲を包囲していた副長たちの頭上を一跳びで越え、家族のもとに戻った。


「四輝!」


 飛びつくようにして三朗から四輝を抱き取った二緒子が、小さな身体に巻き付いたままだった『繰糸』を引きちぎる。蒼白な顔で弟の顔を覗き込みながら、小さな肩や背をあちこち触って無事を確かめる。


「大丈夫⁉ 怪我は⁉」

「大、丈夫……」


 ぎくしゃくと答えたところで、それまで声もなく硬直していた四輝の表情が、くしゃくしゃと崩れた。

 自分を囲み、護る位置に立った兄姉たちを順に見つめてから、わあっと泣き声を上げて、目の前にいる姉にしがみつく。


 ほっと息を吐いてから、三朗は視線を転じた。

 二緒子も同じように、取り戻した四輝をぎゅうと抱きしめながら、顔を巡らせる。


 二人が見つめたその先では、伊織が傷ついた身体を引きずるようにして、一也の前に跪くところだった。

 一也の神剣の間合いの中――その気になれば、一刀で命を散らすことができる位置と距離に。そして、真摯そのものの態度で、頭を下げた。


「針生本家の一人として、御館の短慮と裏切りに謝罪を。申し訳ありません」


 一也が長十郎から視線を外し、伊織を見つめる。

 対峙した二人を、誰もが息を詰めて見守った。八手一族だけではなく、三朗と二緒子もだ。


 そうして、しばしの沈黙が流れた後、小さな嘆息が、大広間の空気を揺らした。

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