20 流される者、抗う者ー1

「――嘘ですよね⁉」


 短い悲鳴を上げた二緒子におこが、幼い眸をぱちぱちと瞬いた四輝しきを、全身で庇い込むように抱きしめた。


薫子かおるこ様を央城おうきへ連れて行く⁉」


 一方、八手やつで一族たちも、鍋の中で沸騰する湯さながらに、一斉に声を上げていた。


真垣まがきから央城までは、陸路なら片道百五十里(約六百キロメートル)、馬や牛車を使っても一月弱はかかる筈では?」


 楢崎小平太ならさきこへいたが目を見張った。


「斗和田の御一代ならともかく、薫子様にそんな長旅は難しいんじゃないっすか?」


 杜戸慎介もりとしんすけが、色白の顔をしかめた。


「無茶ですよ! 道中で体調を崩されて万一のことがあったりしたら、どうするんです⁉」


 直江郁太郎なおえいくたろうが大声を上げた。


「待て、皆、ちょっと落ち着け!」


 最年長の萩原征八はぎわらせいはちが立ち上がり、両手を挙げて、組長たちを抑える仕草をした。


「全員でてんでに喚いても仕方がない。おさ主公しゅこうの命令だとしても、その理由は? 『殻』も破れていない幼子と、一日の大半を床で過ごさねばならぬ薫子を、万一の場合は戦となるかもしれない場所へ同道させるなど、我らにしても水守家にしても、そう簡単に受け入れられる話ではないということは、主公とておわかりの筈だろう」


「まして九条家というのは、我らが鬼堂家に従っているのは、家族、同胞を人質に取られているからだということを知っているのだろう?」


 甲斐源七郎かいげんしちろうが、苦い顔で言った。


「ならば、その人質が手に入れば、我々を鬼堂家から切り離すことができる――などと考えたら、どうする? 部外者がこの里に入り込むことはほぼ不可能だが、上洛の供にして連れ回すということであれば、隙も大きくなる」


「お前たちが思いつくことを、長十郎ちょうじゅうろう殿や我らが思いつかなかったと思うか?」


 多生禮二郎たきれいじろうが不機嫌そうに言った。


「我らとて、無理だ、無茶だ、危険だと申し上げ、慈悲を乞うたとも。だが、聞き入れては頂けなかった」


「数馬様も援護してくださったのだが」


 斉明寺要さいみょうじかなめが、肩を落とした。


「薫子と四輝は黒衆にとっても重要な手札であれば、最も安全なところに置いておくべきだ、と。無為に苦しめる真似を強いて、戎士たちの余計な反発を買う必要は無い、とも仰って下さった。ところが、兵馬ひょうま様が、これに異を唱えられた」


「兵馬様?」


 鬼堂興国きどうおきくにの次男の兵馬は、数馬より五つ年下で、十六歳になる。

 つい先日、黒衆の術者の列に並んだばかりだが、まだ『役』を担ったことはないので、八手一族の戎士じゅうしたちは、月替わりで真垣の警護に当たる時に顔を見たことがあるぐらいで、殆ど接点はない。月番を命じられることがない水守家の二緒子や三朗は、顔すら知らなかった。


「そもそも、主公が自ら戎士組の半数を率いて遠方へ赴かれるなら、本陣に薫子と水守四輝を帯同すべきだと言い出されたのは、兵馬様であったらしい」


 曰く、かつて、古の真那世まなせたちは、神の力を以てこの秋津洲あきつしまを支配した。故に、神狩かがり一族は、真那世は見つけ次第処分することにしていた。


 だが、鬼堂家はその原則を破り、八手一族や水守家を戎士として麾下に抱えた。近年、とみに巨大化、頻発化する妖種ようしゅの出現に迅速に対処し、人の世の安寧を護る為に、という名目で。

 となれば、央城の帝や貴族たち、まして九条家の面前で、万が一にも戎士たちの制御を失うような失態をさらす訳にはいかない、と。


「特に、最も何をしでかすかわからない水守一也いちやには、考え得る限りの首輪を填めておくべきだ――と、上洛の話が出た頃から、主公に進言なさっていたそうだ」


「どういう意味ですか」


 三朗は、思わず立ち上がって、声を上げた。


「何をしでかすかわからないって――兄上は妖種じゃない! 理由もなく暴れたり、人を襲ったりなんてしない!」


「そやつは、かつて手前勝手に主公に刃を向け、事もあろうに脅しをかけた上、絶対なるべき御諚を撤回させた前科があろう」


 ふん、と鼻を鳴らして応じたのは、多生禮二郎だった。


「故に、そやつを本陣に付けて央城に伴う以上は、万が一にも反抗したり背いたりせぬよう万全を期さねばならぬ、と思われたのだ」


「――水守家がの国へ来た当初、主公が『質』を妹に替え、末弟を黒衆で預かると言い出した、あの一件か」


 萩原征八が、三朗たちの方に視線を向けて来た。


「確かにあの時、水守一也は、弟妹に対する扱いが譲れぬ一線を越えた場合は、主公と相討ってでも弟妹を鬼堂家の軛から解放する、という意志を示したそうだが」


 その上で、『質』の重荷も戎士の任も自らが担い、兄弟四人での一つ屋根の下での暮らしを護った。敗北を受け入れはしても、一方的な隷従は拒否し、自らの命を天秤にかけて、最低限の自由と尊厳を獲得した。


「なるほど――水守家を二手に分けるなら、まるで『質』の自覚がない長兄が、状況次第でいつ独断専行に及ぶやもしれぬ。それでも、真神の『使』や死神とやらへの対策として傍に付けておきたいとなれば」


「いざって時の重石としてちびすけを連れて行こう、って発想になるのもわかるっすね、あの主公なら」


 萩原征八の述懐に、杜戸慎介が、右手の指先でほりほりと頬を掻いた。


「なら、薫子様はなぜ?」


 楢崎小平太が首を傾げた。


「主公自ら戎士組を率いて遠方へ赴くというなら斗和田もそうですけど、あの時は、誰もそんなことは仰いませんでしたよね?」


「あの時は、主公は我らを『信用』しておいでだったからな」


 多生禮二郎が言った。


針生はりう本家と上役うわやく四家が力を合わせ、耐えがたきを耐え、忍びがたきを忍んで、我らは『安全』であると思わせてきたからだ。人間たちが、『生かしてもらっているだけでありがたいと思え』と言うならその通りにするのが一番だと――例え戎士たちが使い捨てられても里が無事ならそれで良いと、目を瞑って服従し続けた。そうして、『質』や里の者たちが、今以上の抑圧にさらされることを防いできた」


「それを、こ奴が立場も弁えず、好き勝手に神力を振りかざしおった所為で、お館様も黒衆も、我らに対してまで不信をぶり返させてしまわれたのじゃ!」


 端座したままの一也に指先を突きつけて、針生旭子はりうあきらこが怒鳴った。


「我らは、斗和田の化け物とは違う。もはや一族を挙げても、鬼堂家を向こうに回して突っ張り通せるだけの神力ちからなどない。わざわざ薫子を目の前に立たせておかずとも、お館様に逆らうような不遜な真似は誰もせぬし、できぬ! なのに……!」


「なるほど。それは、確かに巻き添えと言えましょうな」


 堀内義兵ほりうちぎへいがぼそりと呟いた。


「ちょっと待ってください」


 それまでは何とか冷静さを保っていた三朗の感情が、ふつふつと沸騰し始めた。


「でも、あの時、兄上が黙って服従していたら、四輝は黒衆に連れて行かれていたんです!」


 そんなことになっていたら、一体、どうなっていただろう。

 まだ何も知らず、わからぬうちに兄姉から引き離され、自分たちを『斗和田の一代』という名の凶器としか見ていない黒衆の元に置き去りにさせられていたら、四輝はどんな真那世に育ち上がっていたことだろう。


 確かに、這いつくばってじっとしていれば、無事にやり過ごせる嵐もあるかもしれない。

 その方が、余計な波風を立てず、穏便に済むことだってあるかもしれない。


 だが、水守家にとって、あの時のあれはそうではなかった。

 だから、鬼堂興国が戎士に強いてくる理不尽が、黙って命令に従わなかったお前たちの所為だ、と言われても、頷けはしない。


「殺される訳ではなかっただろう!」


 だが、長十郎は、平手でバンと床を叩いて、怒鳴り返して来た。


「どんな状況でも、生きているならそれだけで良いではないか! 実際、我らはそうしてきたのだ。本家の子供を、殺されるという訳ではないからと、求められるままに『質』に差し出してきた! 組長たちも、家族の誰かを人質として真垣で預かると言われれば、そうしてきた!」


 そうして、時に少数を犠牲の贄としつつも、大多数が生き延びる道を選んできた。


「今回とて、別に取って食われる訳ではない! ただ主公のお供をするではないか。その程度のことが、何故素直に聞けんのだ!」


「その程度って――四輝はまだ五つ、春が来たって、六つにしかならないんですよ⁉」


 三朗は叫び返した。


一郎太いちろうたたちどころじゃない! まだ戦えないし、自分の身を護ることもできない! そんな子供を、あの九条の姫たちと戦になるかもしれない場所に連れて行くなんて!」


「薫子も同じ、いや、それ以上だ‼」


 長十郎の両眼に、血の色が走った。


「子供であっても、健康なら、戦えずとも走って逃げることぐらいできるだろう。だが、薫子は、一人では御館の外に出ることすら覚束ないのだぞ! 戦うどころか、走ることすらできない! そもそも、遠い央城などへ連れて行かれたら、例え九条家との間に何も起こらなかったとしても、無事に戻って来られるかどうか、わからないのだ‼」


 次第次第にその声がひび割れ、裏返っていく。

 堪えに堪えてきた憤懣が、焦慮が、恐怖が、忍耐の堰を越えて結晶化したような叫びだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る