17 招集
表門は、頭上に楼を備え、門扉は、鉄板を張って補強した頑丈な両開き。通常は、所用でやって来る一族の者たちが自由に出入りできるように、日の出と共に門衛が扉を全開にし、日の入りと共に閉じて、内側から施錠する。
だが、族長からの招集がかかったその日は、日が落ちて尚、表門は開け放されていた。
それをくぐると、門内は石畳を敷き詰めた広場になっており、その奥に、折り重なる複数の屋根が見える。
一番手前にある建物の屋根は
夜闇を舞う雪の中、水守家の四人は、広場や玄関脇で焚かれている篝火の明かりを頼りに正面玄関をくぐり、短い廊下を折れたすぐ先にある大広間に入った。
そこは、八手一族の会合や宴会などが行われる場所で、最大で百人を収容できる広い板敷きの間となっている。
外に面している壁の上部は
水守家の兄弟が、玄関側の廊下の戸口から入っていくと、中に居た者たちが一斉にこちらを見た。
昨年の
尤も、伊織や七尾一家のように、同胞に対するものと同じように三朗たちの立場や気持ちも慮り、尊重しようとしてくれる者はまだ少数で、殆どは『触らぬ神に祟りなし』という態度ではあったが、以前に比べればかなりましな空気感にはなっていた。
ただ、中には、未だ色褪せぬ怒りと憎しみの眼差しを向けてくる者もいる。
「腐った泥の匂いがいたしますわね」
広間の奥の上座には、一か所だけ畳台が敷かれている。その席に最前列で向かい合う位置に、四人の男女が座っている。
彼らが、族長の相談役にして内治の執行機関を構成する、上役と呼ばれる八手一族の幹部たちだった。
声を上げたのは、その列の一番右端に居る三十代の女性――
「湖の底に溜まりに溜まった汚泥の中から、汚らしい化け物が這い上がってでも来たような」
「確かに、空気が澱んでいかぬな。誰か、蔀戸を開けてくれぬか」
列の左端に座している五十歳そこそこの男が、冷ややかに嗤って応じた。
男の名は、
露骨な揶揄に、四人の背後に整列している組長と副長たちの何人かが、ちらちらとこちらを見た。くすくすと嗤う者もいた。
だが、御館の表門をくぐる時から、既に怯えて二緒子の腕に抱き上げられていた
「――多生殿、旭子殿、この雪の中、蔀を上げたりすれば寒うございますぞ」
肩を竦めるようにして言葉を挟んだのは、旭子の隣に座っている三十代後半の男だった。
名は、
「このところ、冷えると古傷が痛みますもので。吹きさらしはご勘弁頂きたいものです」
「それはいかんな、斉明寺殿」
ひょいと身を乗り出して言ったのは、そのまた隣に座った、逆に四人の中で最も派手で贅沢な羽織袴を纏った男だった。
年齢は四十代の半ばで、名を
四人の上役のうち、針生の姓を持つ二人は、その名が示す通り、族長家の分家の当主たちだった。族長家を本家と呼ぶのに対し、軍兵衛の家は
「先日、『役』で手柄を立てた甥の一人が、褒賞に渡来ものだという大層高価な薬種を頂いたのだ。何なら、少しお分けしようか?」
「それは、ありがとうございます。しかし、お気遣いなく。私の古傷には、伊織殿のご教授を受けた娘が処方してくれる薬湯が、一番よく聞きますので」
「良い娘御を持って幸せだな。しかし、その大事な一人娘を
「軍兵衛殿」
斉明寺要の声音が、一音下がった。
「娘も、そして、後ろにおられる
話を振られた旭子が、柳眉を顰めながらも頷いた。
「軍兵衛殿、流石に今のは頂けませぬな。妾の友に対しても失礼でありましょう」
「あ、あ――、勿論、わかっておるとも。いや、
派手な身なりの男が慌てふためいたようにちらりと背後を見やり、両手を振り回す。
「ええ、わかっておりますとも、軍兵衛様」
組長たちの中から、にこやかな声が上がった。
この場の八手一族には、一番組と五番組以外の組長と副長が揃っているが、その中に女性は三人しかいない。
中でも唯一の女性組長が、声を上げた五十嵐槙子だった。
旭子と同世代で、大柄で豊満な肢体を持ち、明るい笑顔が特徴的な女性であるが、一部の戎士たちの間では、彼女は笑顔の時が一番怖い――と言われている。
「血と泥は戎士の勲章。戦えない者たちの代わりに戦う者の誉れ。男だ女でその価値が変わるなどと仰る方が、まさか上役の中にいらっしゃる訳はございませんものね」
「い、如何にも、その通りだ」
小太りの男が、袂から洒落た手巾を取り出し、やたらと額を拭う。その様子に、組長たちの間から、あまり好意的とはいえない苦笑や冷笑の気配が上がった。
ともあれ、話の矛先が逸れた隙に、一也は大広間の端を回って、八手一族の組長たちから少し離れた壁際の最前列に腰を下ろした。三朗は二緒子と共に、四輝の視界を自分の身体で遮りながら、その後ろに並んで座った。
「――本当に、七尾様と
改めてちらりと広間を見やり、小声で二緒子に囁きかける。
「つまり、月番で真垣に行ってる一番組と解散状態の五番組以外、どの組も『役』に出ていないってことだよね?」
五番組は、九条紫の襲撃事件の際に副長以下半数の戎士が戦死し、組長も解任となった為、残りの戎士は分散して他の組に転属しており、実質上の欠番となっていた。
「そうね。そう言えば私たちにも、師走からこっち、なんの声も掛からなかったわ」
おかげで二か月もの間、ずっと兄姉そろって四輝の傍に居てやれたが、考えてみれば、こんなことは一度もなかった。
「
「それならいいんだけど、そんなことってあるかしら」
こそこそと囁き合っていると、周囲の空気がざわっと揺れた。
部屋の奥の、廊下から上座に直接通じている戸口の御簾が巻き上げられた。
そこから、八手一族の族長、針生
彼は、この年、三四歳になる。
上背のある角ばった体格の上に、少々神経質で気難しそうな気質を伺わせる顔が乗っている。目鼻立ちの造作は、すぐ後から現れた十歳違いの弟、伊織とほぼ同じなのに、受ける印象が余りにも違う。
そして、その伊織の傍らに、予告されていた少女の姿があった。伊織と、反対側に並んだ
針生
針生長十郎の娘で、一郎太の姉。伊織には、姪に当たる。
彼女は十七歳になる筈だが、十四、五歳と言われても納得するほど小柄で、手足も細い。八手一族の成人女性としては結い上げるべき髪も解いたまま、腰近くまで流しており、横髪だけを申し訳のように輪の形に結んでいる。
その身をふわりと包んでいるのは白綸子の小袖で、薄い紗の被衣を目深に被っている。
その下に透けて見えるのは、白すぎるほど白い肌と、細く透き通るような眸。それはどこか夢幻の彩を帯びて、この世ならざる者のようにも見えた。
ただ、その瞳孔が、広間の端に控えた水守家――その最前列に居る一也を見た時だけは、怒りとも憎しみともつかない、幽かな焔のようなものを滲ませた。
「皆、待たせて済まぬ」
薫子が、伊織と一郎太に挟まれて、横の壁際に座る。それを見届けると、長十郎は一族の者たちにそう声をかけてから上座に上がり、腰を落とした。
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