第四章 八手一族の闇と光

15 針生一郎太ー1

 年が改まった、鳳紀ほうき五四九年の睦月末日。


 その日も、八手の里は、朝から雪が舞っていた。


 三朗はその景色を眺めながら、東の縁側に座って青竹を割り、細長い竹ひごを何本、何十本と削り出していた。

 横では二緒子が、その竹ひごを編んで、籠を作っている。


 そして、奥の部屋からは、今日も笛の音が聞こえていた。

 四輝しきが、一也いちやから二の段の曲の一つ、『菱形ひしのかた』を習っているのだ。練習が始まってそろそろ半月になるが、指運びはまだまだたどたどしく、しょっちゅう途中でつっかえている。


「苦戦してるなあ、四輝」

「一の段の二曲に比べると、二の段は曲そのものが長くなるし、音の種類が増えて、調子も一気に複雑になるものね」


 二緒子が答えた時、聞こえてくる音が変わった。音が深く、なめらかになって、滞りなく流れ始める。どうやら一也が、模範を聞かせることにしたようだ。


『菱形』は、植物の菱に由来する文様の一種で、古来より魔除けの意味がある。

 よって、神和一族がその名を奉ったこの曲にも、邪悪なものを退け、打ち勝つ、という祈りが込められていた。

 それ故か、ふわりと舞うような『雪輪ゆきわ』の調べに比べると、『菱形』は凛とした真っすぐな曲調で、困難を乗り越えて道を切り開いていく願いと意志を謳っている。


 三朗と二緒子は同時に手を止めて、しばらくの間、その清冽な響きに耳を澄ませた。


「――ごめんください」


 その最後の音が空気に溶け込むように消え、奥の部屋から、四輝の拍手の音が聞こえてきた時だった。

 玄関の方から、訪いを入れる声が聞こえた。


 敵意とも害意とも無縁の、ごく折り目正しい挨拶。

 それと共にここを訪れる者は、伊織と七尾家の家族ぐらいだが、聞こえた声はそのどちらとも違う。


 あの声は――と思いながら、三朗は、腰を浮かせかけた二緒子を制して、立ち上がった。

 広縁に出て玄関へ向かい、履物をつっかけて三和土たたきに下りる。

 表戸を開けると、玄関の軒の先に、一つの人影があった。


一郎太いちろうた


 ぴんぴんと毛先が跳ねている収まりの悪い髪を少々崩れた感じの角髪みずらに結い、年齢相応に均整の取れた体躯に深緑色の上衣と鉄紺色の袴を纏った、三朗と同世代の少年である。

 襟合わせが崩れていたり、腰帯が曲がっていたりと、どうも全体的にだらしない印象が漂っている。だが、目つきは鋭く、身ごなしにも隙というものはなかった。


 何より強烈なのは、三朗の感覚ですら捉えられる、その神珠の光の強さだ。その強烈な光輝は、七尾清十郎に匹敵する。実際、彼は、清十郎に次ぐ『先祖返り』と一人として知られている。


「よう」


 視線が合うと、特に表情を変えることもなく、けだるげに片手を上げる。


「親父殿の使いだ」

「――珍しいな」


 御館みたちからの水守家に対する指示や命令の伝達は、殆どと言っていいほど伊織が引き受けていた。

 御館に仕えて雑用を請け負う者たちが、水守家を訪れることを怖がるからだ。伊織が不在の時は、やむなく別の誰かが来ることもあるが、そういう時は、大抵挨拶も口上もなく、どんどんがんがんと表戸を叩いた後、伝達文を戸の隙間に差し込んでおくのが常だった。


「伊織の叔父上が、ちょっと手が離せなくてな。俺はちょうど非番だったし」


 少年の名は、針生はりう一郎太という。

 八手一族の族長、針生長十郎ちょうじゅうろうの息子で、薫子かおるこの弟に当たる。

 三朗と同い年なので、一昨年、やはり十二歳で成人の儀を迎えて、戎士じゅうしになっている。

 ただ、八手一族が同胞の子供たちを正式に戎士組に配属して前線に出すのは、十四、五歳になってからなので、それまでは予備役として御館の当直や里内の警備などに当たっている筈だった。


「真垣に呼び出されていた親父殿が帰って来た。で、今日の暮れ六つ、御館に上役四人と、月番で真垣に赴いている一番組以外の組長と副長全員が招集される。お前たち水守家も全員で来い、とさ」

「全員?」


 口上と共に差し出された一通の封書を受け取りながら、三朗は問い返した。


「それって、兄上と姉上と俺ってことだよな?」

「いいや」


 三朗の視線を受けて、一郎太は肩を竦めた。


「その文にも書いてあると思うが、一番下のちびも連れて来いってことだ」

「何でだ⁉」


 途端に、三朗は声を荒げた。


「昔に比べればましにはなってきているが、四輝はまだ、八手一族の大人たちを怖がっている。まして、上役たちと組長たちが勢ぞろいしている場所なんて最悪だ! そんなところへ連れて来いって言うのか⁉」

「詳しいことは、俺もまだ知らない。だが、何やら面倒事なのは確かだ。こっちも姉上を同席させるそうだから」

「薫子様を?」


 瞬間的に沸騰した怒りが、警戒に取って変わった。


 八手一族の『質』である薫子は、普段、御館の奥深くでひっそりと暮らしていて、まず人前には出て来ない。

 三朗も、一、二度、御館でちらりと見かけた程度で、直接対面したことはまだ一度もなかった。


「そんな場所に出して、薫子様は大丈夫なのか?」

「あんまり大丈夫じゃない。だから、本来なら出席の権限はないけど、叔父上と俺が姉上に付き添うことになってる」


 それを聞いただけで、異例の事態だということは十二分に想像がついた。

 それも、およそ悪い予感ばかりが刺激される類の、だ。


「じゃあ、また後でな」


 黙り込んだ三朗を見やって、用は済んだとばかりに、一郎太が踵を返す。


「一郎太」


 それを見やって、三朗はふと声を上げた。


「頭や肩にそれだけ雪を被っているところを見ると、結構長い間、表に居たんじゃないのか? 何故、もっと早く声をかけなかった?」

「ちょっと雪景色を見ていただけだ。別に、何やら見事な笛の音が聞こえるから、途中で邪魔をしちゃ悪いとか考えた訳じゃない」


 振り返ることなく言って、肩越しにひらりと手を振る。


「暮れ六つだからな。遅れるなよ」

「――ああ」


 考えてくれたんだろうが――とは口に出さず、三朗はその背を見送った。


 また、頭の中で、時が少しばかり巻き戻った。


 

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