13 神和の笛と水守の舞

 ゆるりと首を振って、三朗は、過去から現在へ視線を戻した。


 あの日、四輝しきが八手一族の祭りを騒がせたからという理由で連れて行かれた一也いちやは、結局、族長を始め、その場では誰も止める者が居なかった為、神社の前の路上で見世物のように鞭打たれた挙げ句、その後は御館みたちの牢に放り込まれてしまった。

 帰って来られたのは二日後で、その時は自力で立つこともできないほど弱っており、四輝を再度号泣させた。


 だが、その翌日、里に戻ってきた伊織いおりが事情を知って駆けつけてきてくれ、硬直した顔で詫びながら治療を施してくれたおかげで、それ以上酷いことにはならずに済んだ。


 そうして、ようやく起き上がれるようになった一也に、三朗と二緒子におこは改めて四輝の言葉を伝えた。

 それを聞いた一也は、しばらく考え込んでいたが、その後、様子を見に来てくれた伊織に、竹を分けて貰えないか、と相談を持ち掛けていた。


『竹、ですか? それなら、御館の裏山に竹林がありますから、お好きなものを伐って下さい。私がご一緒しますから』


 そこで、一也は三朗をお供にして伊織に竹林まで連れて行ってもらうと、手ごろな竹を何本か伐らせてもらい、邸に持ち帰った。

 以来、暇を見つけては、竹を適当な長さに切って、削って、穴を開けて、藤を巻いて、と、笛作りを始めた。


『兄上が笛を吹けるのは知っているけど、作り方までご存じだったんですか』

『叔父上が名人だっただろう? 吹く方も作る方も。一応、どちらも教えてもらっていたから、構造と手順はわかる』


 とは言っても、零から自分で製作するのは初めてだとのことで、何かと器用な一也もかなり苦戦していた。

 試作品を作ってみては『何か違うな』と首を傾げ、唄口や指孔の位置を調整しては新たに作り直しと試行錯誤を重ね、何とか完成を見たのは、一年近くが過ぎてからのことだった。


『――四輝、ちょっとおいで』


 新嘗にいなめの祭りの頃は鮮やかな赤や黄色に色づいていた庭の木の葉が次第に色あせて、ちらほらと散り始めた晩秋のある日。


 その庭を臨む東側の広縁に四輝を呼び、二緒子と三朗も見守る中、一也が手製の笛を吹いて聞かせてくれたのは、朝来あさぎ村の神和かんなぎ一族が、春と秋に斗和田とわだのほとりで行っていた儀式の際、湖の真神まがみ、つまり兄弟の父神に捧げていた神楽だった。


 それは全部で五曲から成り、それぞれ、『麻葉あさのは』、『亀甲きっこう』、『菱形ひしのかた』、『雪輪ゆきわ』、『青海波せいがいは』という名がついている。

 一曲一曲には異なる意味の祈りが託されているが、根底に流れる調べに息づく精神性は同じだった。


 それは、顕していた。

 ふりそそぐ陽の光を。雲間に閃く春雷を。山野を吹き渡る風と田畑を潤す雨を。

 光と水と風が草木を育て、それを兎や鹿や馬が食べ、それをまた狼や熊が食べる。そうして命は生き、子を産み育て、死して地に伏せば屍は土に解かれて、また新たな草木を育てる。

 その様を。


 神和一族は、それを『命の円環えんかん』と呼んでいた。

 そして、人の命も、たましいすらも、その大いなる循環の理の一部である、と謳っていた。


 斗和田に居た頃は、気付かなかった。

 けれど、その斗和田を喪い、別の価値観に翻弄され続けている今だからこそ、三朗は、はっきりとそれを感じ取っていた。


 だから一也は、手間暇をかけて神和一族の笛作りを再現してまで、これを四輝に伝えたかったのか、とも思った。

 母や叔父の思い出というだけではなく、斗和田の畔で一族が受け継ぎ続けてきた文化として。それこそが、自分たちという存在の根源なのだから、と。


 同じことを考えたのか、横でうっすらと涙ぐんでいた二緒子が、不意に立ち上がった。

 無言で広縁を横切り、庭に飛び降りると、笛の調べに合わせて舞い始めた。

 目尻に滲みかけていた涙を拭って、三朗もそれに続いた。


 神和一族の神楽の舞には、天の舞と地の舞、そして水守の舞の三種類があった。


 最も複雑で難易度の高い水守の舞を舞うことができるのは、代々『水守』の名を引き継ぐ一族最高位の巫女だけだが、天の舞と地の舞の方は、神和一族であれば誰でも舞うことができる。


 これは、それぞれ独立したものではなく、天と地の舞い手が二人で共に舞って、初めて一つの舞として完成されるものだった。

 その教授は、一族の家に生まれた子が七歳になると始められ、大抵の場合、七歳の一年間で地の舞を、八歳の一年間で天の舞を習得するので、二緒子はもとより、三朗もぎりぎりで習い覚えることができていたのだ。


 先に動いた二緒子が天の舞を選んだので、三朗は自動的に地の舞い手として動いた。

 三年ぶりだし、二緒子はともかく、三朗はもともとあまり上手な舞い手ではなかったが、それでも、笛の音に乗ると手足が勝手に動いた。

 頭ではなく心が――たましいが、身体を動かし始めたように。


 壊された故郷。

 喪われた家族。

 砕かれた幸せ。

 だとしても、その場所で、その人々に育まれ、培われたものは、自分たちの中に残っている。

 数多の恐怖や憎悪に塗りつぶされて、忘れてしまうところだったけれど。


 ――故郷は、今もここに在る。


 笛の音の中に、舞の中に、改めてそれを確認した。


 だからこそ、何かが伝わったのか。


 一也が最後の音を大気に溶け込ませ、二緒子と三朗が同時に手足の動きを止めるまで、四輝は小さな双眸を真ん丸に見開いて、息をするのも忘れたように眼前の光景に見入っていた。


 そうして、一也が『遅くなったけど、三歳の誕生祝いだ』と言ってその笛を渡すと、飛び上がって喜ぶというよりは、この上なく貴重な宝物を受け取るように手を伸ばし、胸にきゅっと抱きしめて、『大切にします』と涙声で呟いた。


 以来、四輝は、毎日のように笛の練習をするようになった。

 最初は単なる音の羅列だったものが、調べと呼んで遜色ないものに変わっていくまで、そう時間はかからなかった。

 そして、五歳になった今、神和一族の神楽五曲の内、一の段と呼ばれる初級の二曲は、ほぼ完璧に再現できるようになっている。手ほどきをした一也も驚いていて、叔父上の才を受け継いだのかもしれないな、としみじみ呟いていたほどだった。

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