12 秋祭りの出来事ー2

「三朗!」


 鋭い声が、耳朶を打った。


「よせ」


 反射的に動きを止め、振り返った視界に、白の上衣に藍色の袴を纏った一也いちやの姿が映る。東側の廊下から玄関に出て来ると、真っすぐこちらへ歩み寄ってくる。


 その姿を見た途端、八手やつで一族の男たちは、一瞬怯えたような表情を弾けさせて、腰を引いた。

 だが、中心の女性だけは、氷のようだった面に燃え上がるような憎悪の炎を閃かせて、一也を睨み据えた。


「これはこれは、水守みずもりのご当主」


 その横で、琳太郎りんたろうも、十歳とは思えない底知れない笑みを浮かべた。


「先日の『えき』で半死半生の目に遭われたと聞いておりましたが、ご回復なさったのですね。流石は斗和田とわだのご一代。皆が言う通りの化け物ぶりだ」

「おかげさまで」


 毒粉を巻き散らすような口調にも恬淡と応じて、一也は、少年の横の女性に視線を向けた。


旭子あきらこ様、末弟がご一族の儀式を騒がせたこと、幾重にもお詫び申し上げます。責を負えとのことであれば私がお受けしますので、弟妹への手出しはご容赦を」


「――兄様!」

「――兄上!」


 同時に、二緒子におこと三朗は声を上げていた。


「待って下さい。兄様は、やっとお熱が下がったばかりなのに!」

「そうです。だって、こんなの、ただの言いがかりじゃないですか!」


 従順に頭を下げた一也に、男たちの不安や怯えが勝利感や優越感のようなものに変わる。

 にやにやと嗤い始めた幾つもの顔を、三朗は、全身を怒らせながら睨みつけた。


「俺が御館みたちに行って来ます。伊織いおり様なら、きっと俺たちの話も聞いてくれるから」

「残念だったなあ、三朗」


 だが、一縷の望みをかけた三朗に、琳太郎がにっと嗤った。


「伊織様なら、三日前から、の国に『役』に出ている一番組の応援に行っていて、お留守だ。新嘗にいなめの祭りに、針生はりう本家のお一人が居ないなんて、本来ならあり得ないことなんだが、厄介な妖種ようしゅに当たって怪我人が多く出てしまっているそうだからな、仕方がない」

「伊織様が――止める者がいなければ、何をやってもいいって言うのか⁉」

「何を言うか」


 愕然として叫んだ三朗に、今度は旭子という女性が嗤った。


わたくしは、針生家の分家が一、西家せいけの当主として、上役うわやくの一席を預かる身。そして、我ら上役は、族長と共に、鬼堂のお館様より、おのれらを里に住まわせる代わりに、おのれらが秩序を侵し、里の安寧を脅かしし時は罰しても良いというお許しを頂いておる」

「二歳の子が笛の音に惹かれて迷い込んだことが、『秩序を侵し、安寧を脅かした』ことになるんですか⁉」

「当然じゃ。一族の神事を余所者が邪魔することなど赦されはせん」

「なら、何故、あんたたちは、そんな風にへらへら嗤っているんだ」


 目の前が真っ赤に染まった気がした。


「あんたたちは、ずっと嗤っているじゃないか。本当は、四輝しきがやったことなんてどうでもいいからだろう⁉」


 ただ水守家を嬲る為の口実にしているだけだ。

 侮蔑の言葉を吐き、暴力を振るって、自分たちの鬱憤のはけ口にしたいだけだ。


「卑怯者! 兄上が反撃できないと思って――!」


 体内で膨れ上がるばかりの怒りは、今にも爆発しそうだった。


 だが、目の前の女性も少年も男たちも、ただ鼻先で笑うだけだった。


「三朗、止めなさい」


 それを見るともなく見つめた一也が、草履を履いて三和土たたきに下りながら、淡々と言った。


「生きてきた場所が違えば、正しさの意味も違うもの。是非もない」


 二緒子の傍らで一度足を止め、片膝をつく。

 その腕の中から声もなく長兄を見上げた四輝を柔らかく見つめ、その頭に掌を置いた。


神楽かぐらの音は綺麗だったか、四輝」

「う、うん……」

「少しでも、幸せな気持ちになれたか?」

「うん……」

「そうか。なら、良かった」


 にこりと優しく微笑みかけ、末弟の頭を撫でてから、立ち上がる。


「兄上……」

「怒るべき時と耐えるべき時を見誤らぬようにな、三朗」


 同じその手が、呼びかけることしかできない三朗の右肩を、軽く包み込んだ。


「それを見誤ったまま力を振りかざせば、護りたいものをこそ逆に害ってしまうから」


 静かに言い置いた掌が、離れていく。

 そのまま、通り過ぎていく。


 声もなく見送った先で、女が、にっと紅唇の両端を吊り上げた。

 同時に、その横に控えた男装の女性が、無言で左手を前に突き出した。

 その五指の先から飛び出した『繰糸』が大きくしなって、無抵抗の一也を打ち据える。体勢が崩れたところへ周囲の男たちが飛び掛かり、両手を後ろに回してぎりぎりと縛り上げた。


「兄様!」


 二緒子が涙声で叫び、四輝が悲鳴を上げた。


 その声が背を突いて、反射的に足を踏み出しかけた。

 だが、それ以上は動けなかった。兄の言葉が、背後から聞こえる二緒子と四輝の恐怖に震える息遣いが、そして、目の前にいる琳太郎や男たちの薄笑いが、三朗の手足を無形の鎖で縛り上げた。


黒衆くろしゅうはもとより、一般の人々や、今後は戦列を同一にすることになる八手一族の者たちに、お前たちの神剣、神力を向けることは禁止だ』


 ぎりぎりで四人での生活が確保された時、鬼堂数馬かずまから言い渡された言葉が、脳裏をよぎった。


『一代の神力を振るえば大抵のことは押し通せようからこそ、それはならない。そのようなことがあれば、理由を問わず処分する』


 神剣の柄を握り込んだ手が、細く震えた。

 兄の言う通りだ。ここで三朗が怒りにまかせて神剣を振りかざせば、事態は悪化するだけだ。旭子は堂々と上役の権限を振りかざして、三朗もこの場で捕縛させるに違いない。


(そんなことになったら、どうなる?)


 二緒子と四輝が二人だけでこの邸に残されたら、こういった連中が何をするか。

 鬼堂家の手前、貴重な戦力であり人質でもある二人を殺傷するようなことは無いだろうが、怯え苦しむ様を見て嗤いたいだけなら、方法は幾らでもある。


(だから、見誤るなと)


 お前は残れ、と。

 怒りにも憎しみにも耐えて。

 最も護るべきものを護る為に。


「ほほほ、良い恰好じゃ。おのれに無残に殺された夫も義弟も、哀しみのあまり自害した我が妹も、今頃彼方の地で溜飲を下げておろう」


 女性が、勝ち誇ったように嗤った。


「心配せずとも殺しはせん。それだけはならぬと、鬼堂のお館様に念を押されておるからな。新嘗の祭りが終わったところで神社の前広場に引き出し、皆の前で鞭打ちの刑としてくれよう。何なら見物に来るが良いぞ、童ども」


 絶句した三朗と二緒子の腕の中で、四輝が限界まで目を見開く。


「やめて」


 小さな唇から、震え声が零れた。


「た、叩くなら、僕を叩いて。悪いのは、僕なんだから」


 呼気を喘がせながら、幼子が姉の腕の中から這い出そうとする。

 二緒子が反射的にその身体を抱き込み、全身で抑え込んだ。


「離して、姉上。だって、一也兄上は病気なのに。叩かれたりしたら、もっと悪くなっちゃうのに……!」


 悲痛な叫びだったが、女は一顧だにせず、一也を捕らえられたならそれで良いとばかりに、冷然と踵を返した。


「四輝、私なら大丈夫だ」


 それに続いて、周囲の男たちに引きずられるようにして立ち上がった一也が、肩越しに弟妹を振り返る。


「お前は何も悪くないから、気に病むのではないよ」

「嫌だ。嫌だよ。お願い。一也兄上……!」


 とうとう、四輝が泣き出した。

 泣きながら、暴れ出した。


 全身の血液が沸騰するようだった。

 それでも、三朗は、爪先が真っ白に染まるほど神剣の柄を握り込んでから、剣身を解いて、身の裡に戻した。


 それを見届けた一也が、双眸に柔らかい光を滲ませる。

 三朗の選択と忍耐を認め、誇ってくれている表情だった。


 その光に胸を抉られながら、三朗は身を翻した。

 四輝に最後まで見せまいと、二緒子と共にぎゅっとその身体を抱きしめて、長兄を呼び続ける末弟の視界を、自分たちの身体で覆い隠した。


 ***


「ごめんなさい、ごめんなさい」


 女たちが一也を連れて行った後、三和土に座り込んで、四輝は泣きじゃくった。


「どうして、俺たちに黙って出て行ったりしたんだ?」


 荒れ狂う感情を懸命に押さえつけながら、三朗はその傍らに片膝をついた。


「ここは、俺たちにとって決して安全なところじゃないから、勝手に一人でどこかへ行ったら駄目だって、いつも言っていただろう?」

「待って、三朗。四輝は初めてだったのよ。神楽のお囃子なんて聞いたのは」


 そんな三朗の肩に手を置いて、二緒子が何度も首を振った。


「朝から楽しそうな音が聞こえていたんだもの。行ってみたいと思っても仕方がないわ。だって、私たちが参加できるお祭りなんて、もうどこにも無いんだもの。だから、兄様も……」


 両の眸を真っ赤にしながら呟いた二緒子に、三朗も唇を噛みしめながら俯く。


 そうだ、と思った。

 斗和田が滅ぼされたりしなければ、四輝だって毎年、朝来あさぎ村の祭りを楽しむことができた筈なのに。神楽だって、聞きたければいくらでも聞くことができた筈だったのに。


 だが。


「違うの。楽しそうだったからじゃないの」


 泣きながら、四輝が細い声で言った。


「呼ばれた、から」

「呼ばれた?」

「誰に?」

「――わ、わからない」


 覗き込んだ兄姉に、四輝はぶんぶんと首を振った。


「でも、誰かが呼んでたの。姉上や兄上たちみたいに、あったかい声だった。しき、って呼んでた。ぴーららって音と一緒に、聞こえた」


 ふと、二緒子が息を引いた。三朗も同じだった。

 同時に瞠られた四つの眸が、ぼろぼろと泣きじゃくっている末弟に注がれる。


「その音って、もしかして、叔父上の笛のこと?」

「かもしれないわ。斗和田に居た頃、四輝をあやしているお母様の横で、よく笛を吹いて聞かせてくれていたもの」

「じゃあ、一緒に呼んでいた声って……」


 言葉が言葉にならず、三朗は口をつぐんだ。


 四輝には、斗和田での具体的な記憶は残っていない。

 ただ、黒衆や戎衣じゅういを着た八手一族を過度に怖がる様子から、彼らがもたらした虐殺と崩壊の恐怖だけは、たましいに染みついているようだった。


 だからこそ、三朗も二緒子も、四輝が不憫でならなかった。

 どうせなら、そんな嫌な記憶ではなく、母の顔や幸せだった時間のことを覚えていられたら良かったのに、と何度も思った。


 けれど、違ったのか。

 四輝のたましいは、ちゃんと覚えていたのか。

 たった半年だけとはいえ、確かに自分を包んでいた慈愛を。その温もりを。


 見開かれていた二緒子の双眸から、見る見るうちに大粒の涙が吹きこぼれてきた。

 その両手がたまりかねたように四輝を抱きしめ、そのまま一緒に泣き出す。


 その声を全身で受け止めながら、三朗は、両の拳をきつく握りしめた。

 死力を振るって押さえつけておかなければ、今すぐにも神剣を抜いて、走り出しかねなかった。未だ聞こえ続けている、にぎやかな笛や太鼓の音のただ中に飛び込んで、目につくもの全てをなぎ倒し、打ち壊しかねなかった。

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