7 律師・子雲

 谷を見下ろす右側の斜面に、六つの人影が現れた。


 その内の五人は、英照えいしょうと同じ戦法師いくさほうし姿で、手に手に長刀も携えている。


 最後の一人は墨染めの法衣姿で、先頭に立っている。

 ずんぐりとした小太りの男で、年齢は四十代の半ば。法師らしく髪は短く刈っているが、額の生え際がかなり後退しているので、近いうちに頭巾のお世話になるであろう雰囲気を漂わせている。


「とうとう尻尾を掴んだぞ。夜中に宿坊を抜け出して一体何をやっておるのか、とっくりと聞かせてもらおうか。ことと次第によっては……って、子雲しうん⁉」


「こんばんは、義遠ぎえん律師りっし


 悦に入った口調でまくし立てていた男が、語尾を途切らせるなり、目を剥いた。

 どうやら、ようやく、少年を背に庇う位置に立っている痩身の法師に気付いた様子だった。


「な、なぜ、ここに居る? 貞海ていかい僧都そうずの帰山は、明日の予定だったろう⁉」

「ええ。貞海様は、今宵は洛中の摩利寺まりでらにお泊りです。こちらに到着されるのは、予定通り、明日の昼になるでしょう」

「貴様っ、僧都の末寺外遊のお供に選ばれながら、その責務を放り出して、一人勝手に戻ってきたのか⁉」

慈恵じけい様のご容態が気になったものですから。勿論、貞海様には、ちゃんと許可を頂いております」


 平然と応じて、子雲は、一回り以上年長の相手を見据えた。


毘山びざんには、つい先ほど着いたところです。そうしましたら、私が留守にしていた二月強の間、透哉とうやが殆ど法術の修行に出られずにいたと聞きました。それで、早く他の者たちに追いつけるよう、個別に修行をつけていただけです」


 透哉が、ハッとしたように顔を上げた。


「学問は勿論、法術も、正しい段階を踏んで習得していかなければ上達しない。特に、高台宗こうだいしゅうの秘儀たる『浄炎じょうえん』は、誤れば重篤な怪我に繋がる恐れもある。しかし――」


 語気にひんやりとしたものが漂った。


「留守の間、私の教場きょうじょうをお任せしていた律師たちの中に、貴族の血筋ではない弟子に勝手な用事を言い付けてその日の修行に加われないようにした挙げ句、後日、補講も支援もせぬまま、次の段階へ進ませようとする者がいたとか」


 毘山は、央城の北側に東岳とうがく西岳せいがくと呼ばれる二つの峰と、その間に美琶谷びわだにという谷を有している。


 主な社殿は三つあり、東岳にあるのが賀雀院がじゃくいん、西岳にあるのが永泰院えいたいいん、その両者のほぼ中間にあるのが高台寺こうだいじと呼ばれる。


 高台寺は毘山でただ一人、僧正の僧階を持つ座主ざすの御座所で、賀雀院と永泰院はそれぞれ、二、三人の僧都と十人前後の律師が、百人近い法師たちを従えて、日々の学究や修行、布教活動などに務める場所である。


 ちなみに、美琶谷には妙連院みょうれんいんと呼ばれる尼僧たちの為の場所があり、天災や戦災などで行く当てを失った人々を救済する為の、いわゆるお救い小屋もここにある。


 この全てをひっくるめて、高台宗の総本山、『毘山』と呼ぶ。


 その毘山で学ぶ見習い法師たちはひとくくりに『毘山の直弟子』と呼ばれるが、個々の所属は、まず大きく賀雀院と永泰院に分かれ、更に、それぞれの院に複数ある教場に分かれる。


 教場には一人ずつ担当の律師がおり、見習い法師たちは、その指導下で共同生活を送りながら、高台宗の教義や真言について学び、霊能の技――法術の修行に励む。


 それらの教授は、律師たちが持ち回りで担当し、大講堂と呼ばれる学び舎で一斉に行われる。

 定期的に習熟度合いを測る為の問試や術試合が行われ、成績不振が続くと放逐になることもあるので、担当する教場の弟子たちが落ちこぼれてしまわないよう、遅れがみられる時は個別に勉学を見たり、修行をつけたりするのも、律師の大事な役目だった。


「し、しかし、それなら、何もわざわざこんなところで」


 義遠が、一瞬、怯んだような表情を見せる。

 だが、相手の傍に居るのは未成年の門弟一人だが、自分は五人もの屈強な戦法師を従えていることを思い出したのか、すぐさま態勢を立て直し、ふんぞり返った。


「門限を過ぎてから、こっそり浄界じょうかいの外に忍び出るなど。それこそ律師たる者が、人騒がせではないか」

「賀雀院の裏庭の方が人騒がせでしょう。宿坊中の者たちを起こしてしまいます。かといって、毘山の浄界内で、個人的な理由で結界を張ることは許されていませんから」

「では、本当に、子雲律師が弟子に修行をつけていただけ、と仰いますか?」


 義遠の後ろに従っている戦法師の一人が、首を傾げるようにした。


「それにしては、我らが感知した霊気の爆発は、些か大きすぎた気がしますが。修行というより、妖種ようしゅか何かと戦っているような気配でした」

「そ、そうだ」


 勢いづいたように、義遠の目が嫌味な光を放った。


「ここには、別の誰かが居たのではないのか? そう――例えば、最近あの英照えいしょうからその白髪頭に鞍替えしたとかいう、例の邪宗の化け物姫とか」


 ご挨拶ね、と叫びかけたゆかりの口を、柾木まさきが素早く掌で塞いだ。

 同時に英照が、その紫の額に、手にしていた札をぺたりと張り付けた。


 そして。


「そりゃ、わしじゃろな」


「――英照⁉」


 大木の後ろからひょいと姿を現した英照に、義遠が再度、目を剥いた。


「なぜここに。いつ戻って来た? いや、そもそも、そんなところで何をやっている⁉」

「ちともよおしたもので、野糞を」

「あ、相変わらず下品な奴だな」

「それを言うなら、そちら様も相変わらず陰険なことで」


 へらりと笑った英照の双眸が、底光りを放った。


「貴族家出身の門弟たちは舐めるように可愛がるが、庶民上がりの、まして戦災孤児などはただの砂袋。出来が悪ければいびり、出来が良かったら更にいびる。わしが大講堂に居た頃から、まるで変っておられない。慈恵僧正様に何度も注意されたのに、懲りないお方だ」

「そ、そして、相変わらず無礼な奴だ。私はただ、後進たちの大成をこそ願い、時に厳しい試練を課しているだけのこと。それを感謝するどころか、いびりなどと受け取るのは、お前の性根がひねくれている証拠だ」

「ほーお? じゃあ、あんたが担当した夜間の山登り修行でわしだけ違う道順を指示されて危うく遭難しかけたのも、『浄炎』の修行でわしだけ違う段階を指示されて危うく黒焦げになりかけたのも、その試練とやらだったのかのう?」

「と、当然だ!」

「しかし、どうじゃろ? 大抵の者は、十歳の子供に困難すぎる試練を課すだけ課して、後は知らん顔だったあんたより、事態を知って徹夜で山中を探し回ってくれたり、全身の火傷が回復するまでつききりで看病してくれたりした子雲師兄の方に、感謝するのではないかのう」


 透哉が何度か目を瞬き、英照を、そして、目の前の子雲の背を見上げた。


「だ、だから何だ!」

「だから、賀雀院随一の問題児であるこのわしが、遠国から半年ぶりに戻った夜にも関わらず、こうして可愛い弟弟子の為の臨時修行にも付き合う訳じゃ。『浄炎』で誤った指導を受けるととんでもないことになるのは、身に染みておりますからなあ?」


 にこにこと、それでいて嫌味たっぷりに言うなり、右手の指に今度は二枚の札を閃かせる。

 空に擲たれた瞬間、その二枚の札が渦巻く炎の塊に変化し、透哉の前に立つ子雲の眼前に迫った。


 一瞬で膨れ上がったその炎の巨大さと熱量とに、斜面の上に居る男たちがぎょっとした様子で後ずさった。


 だが、子雲は顔色一つ変えず、さらりと右手を翻した。


 途端に、彼の目の前に、掌ぐらいの大きさの人影が現れる。

 それは、法衣に似た衣を纏い、小さな手に小さな錫杖を持った童子で、その全身は金色に輝いていた。


 童子が掲げた錫杖と、英照が放った炎が激突する。

 瞬間、小さくない轟音と共に真昼のような光輝が爆ぜて、炎と金色の童子とが同時に消滅した。


「――さっきのが、子雲様の『護法童子ごほうどうじ』?」

「――凄いですわ。初めて見ました」

「――詩子うたことどっちが強い⁉」

「私たちがいくらお願いしても、子雲様ってば、術試合を受けてくれないものねえ。もう一度、今度は慈恵僧正様を通しておねだりしてみようかしら」

「姫様たち、聞こえてしまいますよ……」


 優れた術者の優れた技にはどうしても興奮してしまう少女たちを、柾木が慌てて窘めた。

 英照が咄嗟に張ったこの結界はかなり簡易なものなので、気配を薄めて周囲に紛れ込ませることはできても、完全に遮断はしない。少しでも騒げば、見つかってしまう。


「お前さんたちが感知した霊気の爆発ってのは、こんな感じじゃろ?」


 一瞬だけ、ぎろりとこちらを睨んだ英照が、ぱんぱんと両手を叩いて、普段より大きな声を出した。


「先達の技を『視る』のも、良い修行になるからな。わしと師兄とで、ちと模擬戦をしてやったんじゃ」


 義遠の周囲の戦法師たちが、なるほど、という顔になった。


「ご納得いただけましたか?」


 子雲が、冷ややかなままの眼差しを、義遠に注いだ。


「尤も、黙って抜け出した為に、良からぬことをしているのではないかと疑わせてしまった点は、お詫び申し上げます。次に、門限を過ぎてから門弟を浄界の外に連れ出す時は、僧都や律師の皆様に話を通してからに致しましょう。勿論、その門弟がどうして大講堂の正規の修行を受けることができなかったのか、その理由も含めて」


 静かな口調の底に、本気の怒気が流れている。

 それを、その場にいる人間、全てが感じ取った。


「そ、そうだな。まあ、如何に修行の為とはいえ、規律や風紀を疎かにするのは良くない。次からは、気を付けるが良いぞ」


 慌ただしく言い置いた義遠が、そそくさと踵を返した。戦法師たちを促して、立ち去っていく。

 それを見送って、子雲と英照が、同時に息を吐いた。

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