第二章 毘山のある夜

6 深夜の試合

 鳳紀ほうき五四八年、晩春。


 央城おうきの中心部、洛中からおよそ十里(約四十キロメートル)の北東にそびえ立つ毘山びざんの一角では、煌々と照る月が、折り重なりながら連なる深い森を照らしていた。


「あはははは!」


 隙間なく林立する古木に囲まれた山間の細い谷間に、甲高い少女の笑い声が響いた。


「ほうら、もう一丁!」


 威勢のいい掛け声と共に、扇を持ち、琴を爪弾く方が似合っていそうな白い繊手が、身の丈ほどもある長柄の槌矛を振り回す。

 その先端の、子供の頭部ほどもある円錐が地面に叩きつけられた刹那、どおんっ、と爆音が上がった。


 衝撃波と共に弾かれた無数の土礫が、一斉に空を走る。

 少女の前方、白髪を短く刈り、作務衣と呼ばれる筒袖の上衣と膝丈の脚衣を纏って立つ少年へ向かって、一直線に。


「『念縛ねんばく』!」


 初対面の時から頭一つ分背が伸びた少年が、胸前に左手を立てる。

 弾けた霊力が一瞬にして眼前の空間を固定し、飛来する全ての土礫を止めた。


「あはは。凄い凄い。それの範囲と威力も、また一段と上がったね!」


 すべらかな黒髪をなびかせ、五色のうちぎの袖を翻して、少女が空へ飛ぶ。

 切れ長の眸で真っすぐ少年を見据えながら、両手に握った槌矛を振りかざし、打ちかかった。


「おかげさまで」


 肩を竦めるようにして応じた少年が、右手に携えていた長刀の柄を両手で掴む。頭上にかざして、振り下ろされてきた槌矛を受け止めるや否や、弾き返す。

 少女が一歩下がった隙に、素早く手首を翻して長刀を持ち替え、防御から攻撃に転じた。


「これならいつでも、嫌な奴をぶっ飛ばせるよ!」

「いや、俺が『ぶっ飛ばしたい』のは化け物であって、人じゃないから」

「ええ? あのハゲは? 力をつけたら三つに畳んでやるんじゃなかったの?」

「そんなことしたら、師父しふにも師兄しけいにも迷惑がかかるだろ!」


 ぶっきらぼうな口調と共に、少年の瞳孔の奥で、暗い翳りが渦を巻いた。


「そう、俺は強くなる。人に仇なす全ての異形を滅ぼす為に」


 その翳りを見つめた少女が、ふと眸を細める。


「なら、もっともっと頑張らなくちゃね!」


 長刀と槌矛が音を立てて噛み合い、弾き合った。


「っ、だからって、いきなり速度を上げんな!」

「あははっ、速すぎ? じゃあ、降参する?」

「誰が!」


 上機嫌な少女の声と、ぶっきらぼうながらもどこか楽しそうではある声が交差する。その間も、互いの得物は目まぐるしく旋回し、猛烈な打ち合いが続く。


 だが、長くは続かなかった。


「――夜遊びは終わりだ、二人とも」


 突然、頭上から長身の影が降って来た。

 年の頃は、三十歳そこそこ。すらりとした痩身に墨染めの法衣を纏い、髪を短く刈り込んでいる、きりっとした眼差しの男である。


「あ」

「え?」


 少年少女が反射的に視線を上げ、動きを止める。

 そこへ着地すると、男は両手で少年少女それぞれの襟首を掴み上げ、ごん、と二人の額を打ち合わせた。



「痛った……! ちょっと、詩子うたこ!」


 瞬間的に手の中から槌矛を消した少女が、二、三歩後ろへ下がりながら、涙目になって声を上げた。


「あなたねえ、『お仕置き』の瞬間に身体を返すとか、どういう了見よ!」

「――あははは、ごめんねえ、ゆかり

「ごめんねえ、じゃないわよ! 今夜はどうしても自分が試合しあってみたいって言うから、代わったのに!」

「――だって、詩子、闘うのは好きだけど、痛いのは好きじゃないもん」

「なら、次はまた人形でやりなさいよね!」

「――えー、やだよ。透哉とうやったら、最近、本当にめきめき強くなっちゃって、人形じゃ反応が追いつかないんだもん」

「調子いいんだから! ねえ、ちょっと、柾木まさき、あなたからも何とか言ってよ!」


「いやはや」


 少し離れたところでずっと様子を見ていた褐衣かちえ随身ずいしんが、感服しきりという様子で、片手で顎を撫でた。


「お見事です、透哉殿。たった二月で、ここまで三室みむろ家の身体強化の術を使いこなせるようになられたとは」

「そっち⁉」


「――そりゃあ、わしの弟弟子は優秀じゃけんのう」


 紫が叫び、墨染めの法衣の人物の後ろから、黒の裳付もつけ衣に白のくくり袴を纏い、相変わらず独特の喋り方をする二十二、三歳の青年が、ひょこりと顔を出した。


英照えいしょう殿? 南方なんぽうのどこぞの寺院領に妖種ようしゅ退治に行ってるんじゃなかったの?」

「ついさっき戻ってきたところじゃ。そしたらまあ、お前さんたちがわしから透哉に鞍替えした挙げ句、この真夜中にこっそり忍び逢っているときた。中々隅におけんなあ、透哉も」

「はあ!?」

「何の誤解をしてるんですか、師兄!!」


 少年少女が飛び上がる。


「だがしかし、浄界じょうかいの際でこうも熱烈な逢瀬を楽しむなら、結界ぐらい張らんか莫迦者どもが」

「いつもはちゃんと張っていたわよ! でも、今日は、詩子がわくわくしちゃって、止める間もなく始めちゃったの! 文句があるなら詩子に言ってくれる?」

「――あはははは」

「あはは、ではないぞ、詩子姫。秘め事とは、万全を尽くして秘すべきものだから、秘め事というのだからな」


 溜息混じりに言った英照が、ふと顔を顰め、視線を斜め上方に上げた。

 同時に、これまたふと真顔になった柾木が、一跳びで紫の傍らに駆けつける。


「ちっ、もう来たか。――師兄」

「ああ、頼む」


 英照の呼びかけに、墨染めの法衣の男が頷いた。

 たったそれだけのやり取りで、英照は紫と柾木をまとめて近くの大木の陰に押し込んだ。


「ちょっと、何?」

「静かにせい。浄界への不法侵入だの毘山の直弟子を誑かしただので、神祇頭じんぎのかみに突き出されたくなければな」

「は?」


 眼を剥いた紫の前で、英照の右手の人差し指と中指の間に、一枚の細長い紙が閃いた。

 次の瞬間、ゆらりと大気が揺れて、三人の気配が薄くなり、周囲の背景に溶け込むように消えた。


 そこへ。


朝来あさぎ透哉!」


 居丈高な大声が響き渡った。

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