5 動き出す思惑

「確かに真守まもるは、『駄作』のお前の子にしては、強い霊珠れいじゅを持っている」


 上座の老人が、嗄れ声で言った。


「あれなれば、きちんと修行を積めば、『時任の遺産の器』たり得るだろう」

「そうでしょう? 薔子しょうこが頑張ってくれましたからねえ」


 無表情に吐かれた侮蔑の言葉に、居心地が悪そうに身じろいだのは三人の男たちで、当の天彦あめひこはにこやかな笑顔と口調を崩さなかった。


「という訳で、わかった? とおる。君と、君の祖父の織部おりべには、毎回毎回、ゆかりがやらかしたことの後始末を頼んで本当に悪いと思っているんだけど、そこはぐっと堪えてくれないかな。紫の為じゃなく、九条家、引いては神狩かがり一族の為だと思ってさ」

「わかっております、若」


 溜息と共に、鍵崎かぎさき亨が頭を下げた。


「行けと仰るなら、真垣まがきへでもどこでも行って参りますとも」

「鍵崎殿が真垣へ?」


 秋月永嗣あきづきながつぐ能城清麻呂のしろきよまろが驚いた顔になった。


「うん。鬼堂家が謝罪と賠償を求めてきたから、ここは素直に応じておく。亨には、その為の特使として、真垣まで行ってもらうつもりだよ」

「ついでに仲直り――とはならないのでしょうな?」

「無理だろうねえ」


 つるりと顎を撫でて、天彦は微かに笑った。


「鬼堂家のご当主がおじい様の前に平伏してこれまでのことを詫び、今後は九条家を宗家と仰いで一族の維持と繁栄に力を尽くす、とでも誓わない限り、真の『仲直り』はあり得ないよ。けど、『遠見とおみの合わせ鏡』で見ていた限り、鬼堂興国おきくにって人にそれを期待するのは、お日様を西から昇らせるぐらい不可能なことじゃないかと思うんだよね」

「やっぱり、ですか?」

「そう。これも、紫のお手柄と言っていいかもね」


 能城清麻呂の問いに、天彦が頷く。


「四十年前、の国へ移った鬼堂式部しきぶ殿は、表向きにはおじい様の宗家就任を認めた様子で、神狩一族の名の下に東の国々での『えき』の要請には素直に従い、時候の挨拶だの折々の進物などもまめに届けてよこして来た。けど、その一方で、国司の任期が終わっても帰京せず、かの地で領地を増やし、周辺の豪族や武士団を従え、真那世まで麾下に収めて、力を蓄えていた訳でしょう」


 そして、結局、二度と央城おうきの土を踏むことはなく、九条青明せいめいに再会することもなかった。


「後を継がれた興国殿も、九条家や常盤台ときわだいとの書面でのやりとりは常に慇懃だったけど、結局、家督相続の挨拶はおろか、三年前に主上が『東北護台とうほくごだい』の尊名を授けた時のお礼言上すら、代理を寄越されましたからねえ。みんなが薄々感じていた、面従腹背の気配。それが今回、紫の行動によってはっきりした訳だから」

「だから、亨殿を真垣に」

「そう。あちらの抗議に対する謝罪の為の使者なんだから、堂々と真垣に入れるでしょ。例の真那世まなせたちは難しいかもしれないけど、黒衆くろしゅうの要人たちや鬼堂家の麾下の豪族たちには接触できるじゃない。勿論、鬼堂の御大の家族――特に、母親が違うっていう二人の息子たちにもね」

「いっそ、亨殿に千旬ちひらをつけてはいかがです?」


 能城清麻呂が言った。


「三室家の『死神』の一人であれば、真垣に入り込みさえすれば、いざという時は興国殿の御首を……」


「千旬を使うことはならん」


 天彦が答えるより先に、上座の老人が嗄れ声を上げた。


「これはわしの堅牢なる護り。離すことは赦さん」

「ハイハイ。わかっておりますとも。能城殿も冗談で言われたんですよ」


 逆らわず、天彦は頷いた。


「九条家の特使が真垣に入った後で鬼堂家の当主が頓死なんかしたら、疑ってくださいと言っているようなものでしょ。それに、真那世の中には、あの柾木まさきと対等に戦える技量の持ち主もいるらしいからね。焦りは禁物だよ」


 ぱちりと開いた白扇で、口元を隠す。


「僕らが、紫のような子供の喧嘩をやる訳にはいかないんだもの。やるなら、必勝の算段を立ててから、徹底的に。その為に必要なのは、正確な情報だからね」

「五百余の年を誇る神狩一族が、今や始まりの家は無く、その支えたるべき二柱家にちゅうけまでが、とうとう本当に互いを喰らい合う……か」


 秋月永嗣が暗い表情で呟く。


「仕方ないですよ、大叔父上。二柱家の道は、もうとっくの昔に別たれていたんです。これはむしろ、遅すぎたぐらいだ」

「亡き父も同じことを申しておりましたな」


 宥めるような天彦の言葉に、能城清麻呂が分厚い肩を揺すった。


「死の床でも、鬼堂家の情勢が伝わってくる度に苛々して。あの時、美郷みさと御前だけではなく、式部殿もその息子も、思い切って殺してしまっておけば良かったのだ、と」

「――清麻呂殿は、興国殿を覚えておられるのか?」

「いやあ、最後に会ったのは、お互いが四つか五つの頃のことでしょう? 流石に覚えておりませんよ。亡き母からは、一時は毎日のように一緒に遊んでいた、と聞いておりますが」


 秋月永嗣の問いに、能城清麻呂は首を振った。


「そう言う秋月殿は、当然、覚えておられるのでしょう?」

「童の頃の顔なら何となく覚えてはいるが、四十年も経てば、さぞ面替わりしておられよう。往来でばったり会ってもわからぬと思いますよ。まあ、傅役もりやくだった嶽川たけかわ家の朧月ろうげつ殿なら、今でも見分けはつくと思いますが」

「そのご老体なら、今でも健在のようですよ」


『遠見の合わせ鏡』で、全てではないにしろ真垣の騒動を見ていた天彦が面白そうに言った。


「紫に対する罵詈雑言を聞く限り、鬼堂家のご当主もその嶽川殿とやらも、未だに九条家に対する怨みつらみは深いようですねえ」

「――無理もない」


 秋月永嗣が目を逸らすようにした。


「まあ、おじい様も、四十年前のあれは、下手を打ったと思っておいでなんですよね」


 天彦が、上座の祖父を見やった。


「だから、踏み切れずにいたんでしょ? 紫は、それを臆病だと思っているみたいだけど、どっちかって言うと感傷ですよね? それとも、後悔、ですか?」


 探るような、聞きようによっては揶揄するような言葉に、上座の九条青明は、能面のような無表情のまま、無言を貫いている。

 その表情をちらりと見やって、秋月永嗣が溜息を吐いた。

 この場に居る人間の中で、当時のことを直に知っているのは、九条青明と同世代の彼だけだ。


「感傷も後悔も、抱え抱えて、老いていく。それが人というものです、若。若い御身には、まだわからぬことでありましょうが」

「わかりませんねえ。その老人の感傷だか後悔だかの後始末を押し付けられ続けている身としては」


 過去の歳月を共有するが故の秋月永嗣の取りなしだったが、天彦は鼻先で笑った。

 そして、ふと虚空を仰ぎ、わざとらしく言った。


「あーあ、父上がご存命だったならなあ。そしたら、おじい様の名代も九条家の命運なんてものも全部お任せして、僕は一術者として言われたことだけやっていれば良かった筈なのに」

「――あの愚か者に、九条家の命運など背負えるものか」


 上座の老人が、嗄れ声で呟いた。


「同じ『駄作』でも、あれに比べればお前の方がまだましだ、天彦」


 天彦の両眼がふと細くなり、祖父と背後の女を見やった。


「――へーえ。おじい様に褒め言葉らしいものを貰ったのは、初めてですね」


 一瞬、低くなった声音に、秋月永嗣と能城清麻呂が腰を浮かせかけ、鍵崎亨が睨むように上座を見据えた。


「ご心配なく、大叔父上、能城殿」


 不安とも焦りともつかないものを滲ませた年長者たちににこやかに笑ってみせると、天彦は、白扇をばちりと閉じた。


「今の地位を失う訳にはいかないのは、僕も同じだから。『駄作』なりに頑張ってみますよ。薔子や真守に都落ちの生活なんて、させる訳にはいかないですからねえ」

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