第一章 央城・九条家

4 央城神狩の重鎮たち

「――とまあ、ゆかりは、最後の最後で予想外の莫迦をやらかしてはくれましたが」


 九条天彦あめひこは、そう口火を切った。


 広壮な邸の一角。央城おうきの貴族様式に欠かせない白砂利の庭と、築山を備えた大きな池を望む板敷きの間に、五人の人間が集まっている。


 一人は、奥の上座に置かれている畳台の上に坐している。

 年齢は六十代の後半。結い上げて布で包んでいる髪は真っ白で、顔にも手にも深い皺が刻まれている。

 病んででもいるのか、たった今、寝床から出て来たかのように、痩せた枯れ木のような体躯に寝衣だけを纏い、その上に厚手のふすまを羽織って、傍に置いた脇息に肩肘を乗せてもたれかかっていた。


 一人は、その老人の背後に、影のように控えている。

 三十歳そこそこの女だが、顔に化粧気はなく、髪は頭上で一つにまとめただけで櫛もこうがいも挿さず、おまけに、うちぎではなく、筒袖の上衣と裾をしぼった脚衣という、雑仕の男のような恰好をしている。


 老人と向かい合う位置には、三人の男が並んで座っていた。


 左端の男は、六十代の前半で、鶯色の狩衣かりぎぬと呼ばれる貴族の平服を纏っている。

 真ん中の男は、四十代後半で、でっぷりと肥えており、紅樺べにかば色の狩衣を纏っている。

 右端の男は、二十代の半ばで、痩せぎすで狷介な目つきをしており、狩衣ではなく、武官として仕える貴族が着用する直垂ひたたれを身に着けている。


 そして、最後の一人、九条天彦あめひこは、白色の狩衣を纏い、片手に白扇を持って、庭を望む広縁の縁に立ったまま、話を続けていた。


「結果を見る限りは、概ね上々といったところですかね。特に、これまでどうにもこうにも探りを入れることができなかった真那世まなせの情報が色々と手に入ったことは良かった。ま、その代わり、こちらのこと――あの子の成り立ちや『時任ときとうの遺産』のことが、向こうに知れることになってしまいましたが」


「それは、宜しくなかったのではありませんか?」


 顔を顰めたのは、肥体の四十男だった。


「となれば、今後、鬼堂家はまず間違いなく、姫様に刺客の類を送ってきましょうぞ。姫様を亡き者にすれば、『朱鳥あけとり大神たいしん』を消滅させることができるのですから」

「まあね、能城のしろ殿。でも、紫には柾木まさきがついているし、術者はもとより、相手が戎士じゅうしでも、そうそう後れを取ることはないと思うよ。むしろ気にしなくちゃいけないのは、秋月あきづきの母君のことだと思うな」


 天彦の言葉に、一番端の狩衣姿の老人が頭を巡らせた。


「鬼堂家が天音あまねに手を伸ばしてくるやもと仰いますか」

「そういうことです、大叔父上。何せ、紫が何もかも喋っちゃったからねえ。しかも、あの子にとって、秋月の母君がどれほど大切で、唯一無二の存在であるかも、全部」


 ひょいと肩を竦める。


「時々とんでもなく莫迦になるとは思っていたけど、まさか、自分の一番の弱点を仮想敵に向かってべらべらぶちまけるとは、夢にも思わなかった。鬼堂家が母君を人質に取ったら、とは考えなかったのかなあ」

「――それだけ、奈子なこを喪ったことが衝撃だったのでしょう」


 大叔父と呼ばれた男――秋月永嗣あきづきながつぐが、顔中に重い憂いを滲ませた。


「その紫を思いやるどころか、不用意な言葉で更に怒らせ、追い詰めたのは若だと聞いておりますが」

「それについては、反省したよ。ああいう時は、ちゃんと同情してみせてあげなきゃいけなかったのにね。僕もまだまだだなあ」

「若、そういうことではなく……」

「いや、それは仕方ないことでございましょう」


 窘めかけた秋月永嗣の横で、肥体の男――能城清麻呂のしろきよまろが、首を左右に振った。


「目の前に屍があれば、その死を嘆いてみせることなど、容易きこと。しかしながら、肉体を持たぬ霊珠れいじゅだけの存在が消滅したとて、それを人の『死』として実感しろと言われても、中々に難しゅうございます。秋月殿とて、本音を申せばそうではありませんか?」

「だとしても、そう無下に切り捨てるのではなく、理解しようと努めるのも、血を分ける身内の務めであると思っておりますよ」

「流石、央城神狩一の良識派と謳われるだけあって、仰ることが違いますね」


 揶揄するように言ったのは、二十代の直垂姿の青年だった。


「しかしながら、今問題とすべきは紫姫の心情ではなく、姫が好き放題にひっかき回してくれたこの事態でしょう」

「とりあえず、秋月のしょうの護衛は増強しますよ、鍵崎かぎさき殿」


 吐息と共に、秋月永嗣が言った。


「息子の永手ながてもおりますし、天音には、指一本触れさせはしません」

「その護衛に、紫と柾木も加えてくれていいですよ」


 天彦が言った。


「『お仕置き』の名目で、しばらく秋月の荘に預けますから、好きにこき使ってください。君の所為で母君が危険なことになるかもしれないんだよって脅せば、流石に言うことを聞くでしょ」

「ん? ということは、真垣まがきで大暴れした後、雲隠れを決め込んでいた姫が、見つかったのですか?」

毘山びざんに居ました」


 能城清麻呂の問いに、直垂の青年――鍵崎亨かぎさきとおるが、心底うんざりした口調で応じた。


「例の変わり者の戦法師いくさほうしのところに転がり込んでいたようです」

「ああ――昔、七つかそこらだった紫姫が、洛中の往来で偶々行き会って、いきなり『術試合』を吹っかけたという、あれか」

「ええ。普通なら、見知らぬ童女にそんな申し出をされたところで適当にあしらうか、無礼を咎めるかといったところですが、面白がって相手をした挙げ句、『大した術者だなあ、お前さんは』などと感心したとかいう、破天荒な法師です」

「話を聞いた時はどこのはぐれ者かと思ったが、実は、当代の毘山座主、慈恵じけい僧正の最後の直弟子で、賀雀院がじゃくいん一の切れ者との呼び声が高い子雲しうん律師りっし腹心の弟弟子だというのだからな」

「その割に、寺での勤行や信者への説法なぞはそっちのけで、年中あちこちをふらふらしては、専ら、祟りや霊障れいしょう浄斎じょうさい妖種ようしゅ退治ばかりを請け負っているようです。そのついでに、女は買うし酒は飲む、博打も打つそうで、子雲律師の小言が絶えないと聞きます」

「規律も規範もそっちのけか。姫と気が合う訳だ」

「全くです。紫姫ときたら、勝手に央城を抜け出し、勝手に鬼堂家に喧嘩を売り、かと思えば、返り討ちに遭って手駒の霊珠を一つ喪ったぐらいで理性を失い、腹立ちまぎれにこちらの内情をべらべら喋った挙げ句、秘蔵の『使』を顕現させて衆目の前で城を一つ吹っ飛ばすなど――」


「確かに、どこから突っ込めばいいのかわからないよねえ」


 天彦が苦笑した。


「おまけに、それだけのことをしておいて神祇頭じんぎのかみ様や若に頭を下げに来るどころか、これまた勝手に姿をくらまし、我らに全ての後始末を押し付けて知らん顔とは。我々が『時任の遺産の器』には手を出せないからと、高を括るにも程があります!」

「まあまあ、亨」


 まくし立てている内に気分が高ぶってきた様子の青年を、天彦が手を挙げて宥めた。


「紫は、去年、十歳で母君から『朱鳥の大神』を引き継ぐまで、それこそ人形のように従順に振る舞っていたから、僕らは誰もあの子の本性に気付かなかった。で、その至高の『使』を手にした途端、おじい様や僕らへの怒りと厭悪を剥き出しにし始めたあの子に、みんなして大慌てした訳だよね」


 青年ののほほんとした声に、上座の老人と背後の女は能面のような無表情を保ち、秋月永嗣は暗い表情になって視線を落とし、能城清麻呂は曖昧に笑い、鍵崎亨はむっつりと頷いた。


「実際、僕はこの一年、紫がここまで九条家に嫌気がさしているなら、いつ母君を連れて鬼堂家へ奔るか知れたものじゃないと、ひやひやしていたんだよ。鬼堂家の方も、紫が『朱鳥の大神』を手土産に身を寄せてきたら、例え宿敵九条青明せいめいの孫でも――いや、だからこそ、手放しで歓迎しただろうからね」


 三人の男たちが顔を見合わせた。

 そんなことは考えもしていなかった、という表情だ。


「え? 意外? でも、敵の敵は味方って言葉もあるじゃない。紫なら、意識がそっちに向きさえすれば、その程度の算盤は弾くよ。だからこそ、母君の例の予知夢は福音だったね」


『鬼が私を殺しに来る』――唯一無二の存在である母が口にした恐怖が、ある意味では非常に一本気な少女を、『鬼堂家排除』の道へと突き飛ばした。


「母君の言う『鬼』が鬼堂家のこととは限らないと思うけど、紫はそう決め込んで、実際の行動にも移した。『朱鳥の大神』を出しちゃったのは想定外だったけど、まあ、あそこまで言いたい放題言って大暴れした以上、紫と鬼堂家が組む未来は潰れたと考えていいと思うんだ」

「それで、若も神祇頭も、紫の出奔に気付いていながら、放置したのですか?」


 秋月永嗣が顔を顰めた。


「あの子は人知の及ばない存在だから、好き放題させて、その結果が僕らの利益になるように誘導するしかないからね」


 天彦が肩を竦める。


「少なくとも、次の『時任の遺産の器』が育つまでは、ね」


 天彦の言葉に、その場に居る全員が、庭の方を見やった。


 初冬にしては晴れた空の下。

 庭の池の畔には、数人の女房たちにかしずかれて、二十歳そこそこの女性が立っている。豪奢な唐衣からぎぬに包まれたその腕には、二歳ばかりの男児が抱かれて、機嫌の良さそうな声を上げながら、池の中を泳ぐ鯉たちを眺めていた。

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