2 鬼堂数馬という術者ー2
拘束されているカモノハシの
断末魔の喘ぎが、消滅の際の足掻きが、撃ち抜かれた
存在の輪郭を崩しながらも、カモノハシが、ぶんっ、と短い首を振る。
嘴を拘束していた
「うおっ⁉」
「――きゃっ」
二番組の
だが、『
「二緒子!」
走り寄った
同時にその手に神剣が閃いて、横殴りに襲いかかってきた尾を打ち払った。
それで均整を崩したカモノハシが、たたらを踏んで横転する。
今度こそ片付いたか、と、皆が思った時だった。
カモノハシの内側で、妖気が膨れ上がった。
「‼」
紙風船が弾けるような音が響く。カモノハシの輪郭が溶けて、爆ぜるように四方八方へ放出されたのは、腐った藻のような色合いを帯びた粒子の塊だった。
「皆、下がれ!」
ハッと表情を強張らせて、数馬が叫んだ。
「
二番組の戎士たちが慌てて後方へ跳ぶ。
だが、爆ぜた毒気が放散する速度は、
数馬が、両手を挙げる。
一也が、右手を胸前に立てる。
二人の霊能の技が同時に発動して、
数馬の『盾』がカモノハシの前脚を拘束していた戎士たちを、一也の『壁』が後ろ脚の方に居た残り半分の戎士たちと妹を、自分たちごとぎりぎりで囲い込んだ。
防御術に打ち当たった毒気はそのまま砕け、端から塵となって大気に溶けていく。
だが。
「――組長、副長!」
何人かの戎士が、悲鳴じみた声を上げる。
上空に跳ね上げられていた源七郎と椎菜には、数馬たちの防御は届かなかった。
途中で『繰糸』を離しはしたが、体勢を崩し、背中から丘の斜面の一角に墜落していた椎菜の眼前に、どす黒い緑の粒子の塊が迫る。
「ちっ‼」
舌打ちと共に、体勢を維持して着地していた源七郎の指から、『繰糸』が飛んだ。椎菜の腕を捉え様、力任せに引き寄せる。
だが、その背後にも、別の毒気の塊が迫っていた。
咄嗟に、源七郎が自らの身体で麾下を庇い込んだ刹那、その背に、毒気の塊が打ち当たった。
「っぐ!」
「組長!」
「――『
椎菜の悲鳴に、数馬の声が重なる。
三つ目の狼が、地を蹴った。
毒気の塊の隙間を縫って斜面を駆け上がり、源七郎の襟首をくわえて、腕の中の椎菜ごと街道へと引き下ろす。
「二緒子、散らせるか⁉︎」
「! はいっ」
『盾』で戎士たちを護りながらの数馬の指示に、二緒子は再び神剣を振りかぶった。
撃ち放った水流が『壁』を越えて躍り上がり、まだ残っている毒気の塊に噛みつく。捻じるように巻き込めば、相殺し合って、緑の靄が端から塵となって消えていく。
「――組長!」
最後の粒子が大気に溶けたところで、戎士たちが一斉に走り出した。
三つ目の狼が地面に下ろし、椎菜の腕に支えられた源七郎のもとに駆け寄っていく。
「っ、大丈夫、だ」
荒い息を吐きながら、源七郎は、自分を抱える椎菜の手を退けて、身を起こそうとした。
「そんな訳がないでしょう!」
そこへ、一也が鋭い声を上げた。
「毒気を持つ妖種に当たったのは初めてなのですか? 甘く見てはいけません!」
「その通りだ! 甲斐、動くな!」
同じように声を張り上げたのは、数馬だった。
その語気の烈しさに、源七郎が動きを止める。
次の瞬間、その喉が不自然な音を立てた。不意の苦痛に襲われたように表情が強張り、右手が喉を、左手が胸部を掴む。
そのまま、喘鳴と共に、横ざまに倒れ込んだ。
「毒気は、自然に治癒することはない。
「そんな!」
数馬の言葉に、椎菜が刺されたような悲鳴を上げ、周囲の戎士たちもぎょっとしたように息を呑んだ。
「組長が、し、死ぬって?」
「解毒しなければ、だ」
短く断言して、数馬が前に出た。
戎士たちを押しのけるようにして、源七郎の傍らに片膝をつき、声もなく痙攣し始めた身体の上に掌をかざす。
「な、何をするんです⁉ 数馬様、組長に何を⁉」
「毒素を『浄化』する」
裏返った声を上げた椎菜に、数馬が短く答える。
その手に淡い金の光が滲んで、霊力の粒子が音もなく源七郎の身に降り注ぎ始めた。
息を詰めて、二緒子はその光景を見つめた。
二緒子の眸には、源七郎の全身にどす黒い緑の靄が纏わりついている様が、はっきりと見えている。それが、皮膚から沁み込み、体内を侵し始めた様子も、だ。
その非物質の毒素が、数馬の霊気で薄められ、散らされていく。
それは、二緒子の眸から見ても、かなりの修行を積まなければ到達できないとわかる速度であり、練度だった。
しかし、妖珠を砕かれて尚反撃したカモノハシもどきの妖力も、相当な強さだった。
しかも、直撃を被っているから、浴びた毒気の量が多い。数馬の卓越した力と技を以てしても、なかなか解毒が進まない。
「っ、う」
路上で身体を丸めて、毒気の浸食に耐えている源七郎が、低く呻く。
「組長! しっかりして下さい!」
その横で、椎菜が悲鳴のような声を上げる。
普段は氷の彫像のような顔が歪んで、今にも泣き出しそうになっている。
身体を苛む痛みに苦しむ者と、それを見守ることしかできない心の痛みに苦しむ者。
それを視界に映して、二緒子は反射的に、足を踏み出していた。
「何だ、おい」
「組長に近付くな!」
途端に、噛みつくような声が上がった。
二番組の戎士たちの何人かが音を立てる勢いで立ち上がり、二緒子の前に立ち塞がった。
「二緒子も、
真っ向から浴びた不信と警戒に立ち竦んだ時、一也が二緒子と彼らの間に割って入った。
「一人より二人の方が早く解毒できる。甲斐様を助けたいなら、道を空けてください」
浄斎の技とは、妖種の毒気や人の呪詛など、
神和一族でのそれは『祓い』と称され、神狩一族では『浄化』と呼ばれている。
「――信用できるか」
だが、二番組の戎士たちは動かない。
その背後で、源七郎に張り付いたままの椎菜が、引き攣った声で言った。
「
「なら、剣を抜いて、私に向けておかれるといい。そして、もし二緒子が不審な行動をした時は、私をお刺しなさい」
一也が溜息を吐いた。
「我々を信じないのは勝手ですが、物理的な毒物であれ非物理の毒気であれ、解毒は時間との勝負です。
椎菜が、びくりと表情を強張らせる。
「一也の言う通りだ」
そこへ、数馬の声が飛んだ。
「揉めている場合ではない。来い、二緒子。浄斎の心得があるなら、手を貸してくれ」
「は、はいっ」
絶対的上位者からの鶴の一声に、二番組の戎士たちが渋々といった様子で道を空ける。
一也と共にその間をすり抜けると、二緒子は数馬の隣に膝を揃え、源七郎の身に両手をかざした。
神和一族最高位の巫女だった母直伝の術式を素早く組み上げて、その手に朱色の燐光を纏わせると、数馬が一瞬、驚いたように目を瞠った。
「どうなさったんですか、数馬様。やっぱり、こいつ……」
食い入るように様子を見ていた椎菜が、腰帯に提げている剣に手を掛ける。
二緒子の後ろに位置を占めた一也が、溜息を吐いて、同じように剣の柄に手を置いた。
「違う、伊吹。見事な技だと思っただけだ」
数馬が、そんな一也を目線だけで抑えて、勝手に不安と猜疑とを膨らませている椎菜に視線を向けた。
「これなら、甲斐は助かる。だから、これ以上騒ぐな」
ぴしりとした口調に、ようやく椎菜が静かになる。
ホッとして、二緒子は目の前の為すべきことに意識を集中させた。
霊力は『想い』の力なので、どうしても本人の気質に左右されるところがある。
だから、二緒子は、真那世にしては強い霊力を持ってはいたが、それを戦いの為の術として用いるのは、どうしても苦手だった。
だから、未だに『念縛』はもとより、『壁』も上手くは創れない。
だが、誰かの苦しみを癒し、救う為の術であれば、何の躊躇も制約もなく、霊力を解放させることができる。
二緒子の両手の輝きが増す。
それが数馬の霊力と重なって、浄斎の勢いが増す。
源七郎を襲った緑の靄の全てが消えるまで、そう時間はかからなかった。
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