序章

1 鬼堂数馬という術者ー1

 九条ゆかりの襲撃事件が起こる少し前。


 十二歳になった二緒子におこが、兄と共に『役』に出るようになって半年ほどが過ぎた、ある時のことだった。


 目の前には、なだらかな丘に囲まれた一本の街道が、真っすぐ北へ向かって伸びている。

 頭上には明るく陽が輝き、暑すぎることも寒すぎることもない気候は絶好の旅日和の筈だが、見渡す限り、周囲には人一人、輿や荷車の影一つ見えなかった。


 指で弾けば音が響きそうなほどの緊張が、真夏の陽に照りつけられる大気に凝っている。


 その中、街道の脇に立っている二緒子の身体は、小刻みに震え続けていた。

 『えき』も、これで四回目を数える。

 だが、その程度の回数では、闇黒あんこくに練り固められた『力』の塊が近付いてくる時の、足元から氷のような寒気がせり上がってくるような感覚に慣れることは、できなかった。


(三朗、四輝しき


 里で待つ弟たちの顔を思い浮かべて、ぎゅ、と両の拳を握り込む。


(――来た)


 感度を上げた『霊聴』が、非物質の足音を捉えた。

 ずる、ずる、と何かを引きずっているような気配と共に、大質量のものが、のたのたとした足取りで、ゆっくりと、だが確実に、こちらへ近づいてくる。


「――来たか?」


 目の前に立つ影が、振り返ることなく問いかける。


 漆黒の直垂ひたたれを纏い、髪は後頭部で一つにまとめて黒色の布で包んでいる、長身の青年である。

 同時に、側に立っている兄の一也いちやが、肩に手を置いてくれた。

 それで、心を捉えて離さない恐怖が、少し薄らぐのを感じた。


「はい」


 顔を上げて、何とか首を上下に動かす。


「およそ半里(およそ二キロメートル)先、街道を真っすぐこちらへやって来ています」

「よし」


 頷いた鬼堂きどう数馬かずまが、顔を上げる。


甲斐かい

「ここに」


 応じたのは、一也と二緒子の後ろに控えている、二十代半ばの男だった。

 八手一族の特徴である角髪みずらを結い、引き締まった長身に檜皮ひわだ色の戎衣じゅういを纏って、腰には剣を佩いている。

 目つきが鋭く、尖った顎には無精ひげが散らばっていて、痩せた狼のような印象を与える男である。


 彼は、甲斐源七郎げんしちろうという。

 八手戎士組、二番組の組長で、里では、一番組組長の七尾清十郎に次ぐ実力者として名高い。


「二番組は、左右の丘上にて待機。妖種ようしゅを視認したら、『繰糸くりいと』でくちばしと四肢を固定しろ。特に嘴だ。昨日の下見で見たと思うが、あの妖種は毒気どくきを吐く。あれを浴びたら、真那世まなせでもただでは済まない。絶対に吐かせるな」

「承知」


 数馬の端的な指示を了承し、男は身を翻した。


伊吹いぶき、お前は半数を率いて右の丘だ。俺が左へ行く」

「はっ」


 頷いたのは、すらりとした痩身の女性である。

 腕のいい細工師が氷を彫り上げて造った彫像のような印象で、年齢は二十歳そこそこ。髪は後頭部で輪になるように結び、やはり檜皮色の戎衣を纏って、腰には剣を下げている。


 彼女は、伊吹椎菜しいなといった。数少ない八手一族の女性戎士の一人で、二番組の副長の席を預かっている。


「二緒子、お前は一也と共に後ろへ回れ。二番組が妖種の動きを止めたら、水の神力ちからで、奴の尾を拘束しろ」


 八手一族の戎士たちが動き出したところで、数馬は指示を続けた。


「は、はい」

妖珠ようじゅは私が狙う。一也は二緒子の支援と、私が仕損じた時は、とどめを頼む」

「わかりました」


 一也が頷いた時、街道の彼方に黒々とした影が盛り上がった。


 それは、基本的にはカモノハシだった。


 ただし、全長は三丈(約一〇メートル)近くある。その内の半分は、平たく長い尾になっている。昨日の下見の時は、短い足で前へ前へと進みながら長い尾を振り回し、周囲の木々をなぎ倒し、巨大な岩を粉砕していた。


 その丸い橙色の眸が、真っすぐ前方を見た。

 妖種を視認すると同時に街道の真ん中に出た数馬と、その数馬が傍らに顕現させた三つ目の狼の『使つかい』――『伯王はくおう』を。


 カモノハシが短い足を止める。

 邪魔者を認識した様子で、扁平な嘴を開けようとする。


「――かかれ!」


 指示が飛んで、左右の丘の上から、一斉に戎士たちが飛び出した。三、四人で一組となって、カモノハシの四本の足に『繰糸』を巻きつけ、固定する。


 甲斐源七郎と伊吹椎菜の二人は、妖種の頭上で飛び違いざま、長大な嘴を『繰糸』でぐるぐる巻きにした。

 そのまま地上に降り立ち、糸を引き絞って、僅かも嘴を開かせないよう締め上げる。


 一方、一也と共に丘の背後を回って妖種の後ろへ出た二緒子は、顕現させた神剣の柄を両手で握り込んで、振りかぶった。

 冴え冴えとした剣身を振り抜けば、ようやく水のかたちに換えることができるようになった神力が、白金色の水流となって長い尾に巻き付く。


 戎士たちがぴたりと呼吸を合わせてカモノハシを拘束すると同時に、地を蹴った『伯王』が正面から襲い掛かった。牙を閃かせて短い首に喰らいつくと、ぐい、と捻って、頭部を下方へねじ伏せる。

 そこへ、数馬の手から『くさび』が飛んだ。

 合計で、五本。

 それが一塊になって、カモノハシの眉間を撃ち抜く。

 背後から『視て』いた二緒子の感覚が、数馬の『楔』が正確に妖珠を砕く様を捉えた。


(終わった)


 それも、こんな一瞬で。

 指揮権を持つ者からの的確な指示と適材適所の采配。それがあるだけでこうも違うのかと、二緒子がホッとした時だった。

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