53 狂乱-1
少女を乗せた朱色の大鳳が、ぐるりと首を巡らせる。
赫い光が閃き、再び渦を巻いた火の球が、鬼堂家の父子と戎士たちが逃げ込んだ正殿の影を目掛けて、撃ち放たれる。
「――姉上は、ここにいて!」
三朗は、先刻の虐殺の衝撃に囚われたままの二緒子を
意識を自分の
剣身を中心に旋回したそれが、無数の風の刃となって空を奔った。
爆音が弾け、火花が空を染めた。
風の刃は衝突と同時に消えたが、火の球の方もそれで輪郭が一回り小さくなり、速度も落ちる。
そこへ、清十郎が両手を上げた。
十指の先から放たれた『繰糸』が瞬く間に空を躍って、巨大な『網』を編み上げる。伊織が白鹿の『使』相手に駆使していたものと同じだが、それよりはるかに大きく、糸も太い。
腕の一振りで投擲されたそれが、威力の落ちた火の球を空中で受け止める。
更に、数馬が『盾』を飛ばして、清十郎の網を下から底上げした。
一瞬の膠着。
その後、鼓膜をつんざくような破砕音が轟き渡り、咄嗟の合わせ技に弾かれた火の球が、海の方角へと跳ね飛んだ。
同時に、『網』も『壁』も消滅する。相殺の衝撃をまともに食らって、術者の二人も仰向けに吹っ飛んだ。
「危な……!」
数馬の方は、我に返った二緒子の水流に受け止められた。
勢いが強すぎて一度跳ね返されたが、空中で体勢を立て直し、一回転して着地する。
清十郎には、三朗が飛びついた。
自分自身を重石にして、地面に叩きつけられる寸前ぎりぎりで、何とか勢いを殺す。
だが、流石に一回り以上年長の男を受け止めて受け身を取る余裕まではなく、そのまま二人一緒に転がって、強かに背中を打ちつけた。
「す、すまん、三朗、大丈夫か?」
少年の上にのしかかる格好になってしまった清十郎が、慌てて跳び起きた。
「だ、大丈夫です」
とは言ったものの、起き上がろうとした刹那、背中だけではなく、腕の関節や足回りなどが、ずきん、と軋んだ。
今の今まで気付いていなかったが、戻った意識できちんと自分の身体を認識してみれば、あちこち傷だらけな上に、筋や関節も傷めている気配がある。
(あいつ、俺をどれだけ乱暴に扱っていたんだ?)
思わず、青い
『傀儡』状態の間、彼女がそれを自分にやらせていたからだ。姉を追い詰め、兄に深手を負わせる為に使われたその感覚を、取り戻した身体が覚えている。
(兄上と姉上を殺そうとした奴らに、『教えて』もらうなんて)
どんな皮肉だ、と苦い想いを噛みしめながら、顔を上げた時だった。
「しぶといわね」
舌打ちを響かせた九条紫が、再度、朱鳥の『使』の神力を凝縮させ始めた。
虚空に炎の球体が生じる。
先ほどよりもさらに大きく、強く――まるで、太陽のように。
「っ……」
際限なく膨れ上がっていく気配に、清十郎や伊織が唇を噛む。
三朗も、ごくり、と息を呑んでいた。
氷のような冷気が、背中を這い上って来る。
改めて向かい合ってみれば、その圧倒的な神力の差は、やはり歴然としていた。
昔、斗和田の湖の畔で、一度だけ逢い見えた父神を思い出す。
あの時の、存在そのものの根源が違うのだという感覚が、蘇ってくる。
「終わりだ……」
背後で、上ずった声が上がった。
「真神なんて、俺たちの
桧山辰蔵が、地べたに座り込んだまま、両手で頭を抱えている。
水守家に対しては常に不機嫌で、鬱憤と憎悪だけを剥き出しにしていたその声が、今は底知れない恐怖と絶望にまみれている。
「落ち着け、桧山」
三朗の横で、緊迫の表情で頭上を見上げたまま、清十郎が叱咤の声をかけた。
「吞まれるな。呑まれたら、終わりだぞ」
「どうせ終わりだ」
同胞の励ましにも、桧山辰蔵は顔を上げなかった。
その声が、ふと裏返った。
「俺は、なんて惨めなんだ。四つで親父を殺され、一族は征服され、人間に下僕としてこき使われた末に、妻にも一人息子にも先立たれ、麾下の半数も殺されて、挙げ句、最期はあんな化け物にやられて、消し炭か。全く何の価値もない、こんな一生……」
語尾に、音程を外した虚ろな笑い声が重なる。
絶望へ、その先の虚無へ、なすすべもなく滑り落ちていくような響きに、三朗の手足もふと冷たくなった。
背後の二緒子も、瞳孔を硬直させている。正殿の影に腰を落としている兄の肩に両手でしがみついて、滞空する真神と、その眼前に凝っていく神力の塊を見上げている。
その横顔にあるのは、意識も理性も凍結させた空白だけだった。
きっと、自分も同じ顔をしているに違いなかった。
「ご自分でそう決めつけてしまうなら、そうなるだけのことです」
だが、そこへ、静かな声が届いた。
「生きていれば、誰かに奈落へ突き落とされることもある。だからと言って、そこで蹲り続け、自分で自分を憐れんでいても、何も解決しない」
浅く早い呼吸の下からそう言って、一也が身を起こす。
「立つんだ、二緒子」
厳しく、同時に優しい声が、促す。
ぎこちなく見上げる二緒子の背に無事な方の左手を添えて、包むようにしながら、共に立ち上がらせる。
「真神といっても、『使』に降されている以上、術者の制御下に収まるだけの神力しか発揮できない筈。それでも、流石に単独ではどうにもならないかもしれませんが、我々は今、孤軍ではない。なら、勝機はあります」
その声音に、緊張はあっても、恐怖はない。
覚悟はあっても、絶望はない。
誰よりこの世に絶望していても不思議はないのに。
蒼銀の雷光はいつも、いつでも、ただ真っすぐ前を見る。
嵐の中にあっても揺らぐことなくそびえ立つ、大樹のように。
「――はい」
二緒子が、一生懸命という様子で頷いた。
「――勝機」
喉元までせり上がっていた恐怖を何とか飲み下して、三朗も視線を上げた。
兄に見えているものを自分の目でも見ようと、頭上の巨大な大鳳を、その眼前で膨れ上がっていく火の球を、見据えた。
だが。
「――偉そうに」
唐突に、背後でどす黒いものが膨れ上がり、渦を巻いた。
「ああ、そうだな、『質』に落とされて尚神力を操って見せる化け物なら、真神相手でもどうにかできるもんなんだろう」
「おい、桧山」
いきなりの罵詈に、清十郎が顔を顰めながら振り返った。
「こんな時に何を言い出すんだ」
「恵まれた『先祖返り』は黙ってろ。――俺は、ずっとずっと気に喰わなかったんだ。頭は下げても媚びも
突然上がった、箍が外れたような喚声に驚いたのは、清十郎だけではなかった。
「やめて下さい、桧山殿。今は水守殿の言う通り、仲間同士で力を合わせなければならない時ですよ!」
困惑とも苛立ちともつかない声音で、伊織が叫んだ。
しかし。
「俺の前で、その化け物を『仲間』などと呼ぶな‼」
桧山辰蔵の両眼が、不意に濁った。
瞳孔の奥で焦点が窄まり、その中で、嵩じた恐怖が憎悪に、追い詰められた絶望が怨嗟に、急転換した。
「全部、お前たちの所為だ。お前たちなど居なければ、こんなことにはならなかった。息子も
いきなりの絶叫と共に、桧山辰蔵は爆発した。
そのがっしりとした体躯が跳ねて、鉄剣が鞘走る音が響いた。
「――桧山‼」
「――桧山殿‼」
清十郎と伊織の驚愕に、ハッと視線を巡らせた一也が、傍に居た二緒子を突き飛ばした。
「兄上!」
爆ぜるように振り返った三朗の視界を、檜皮色の塊が走り抜ける。
まさかの事態に、流石の一也も反応が遅れた。
唐突に弾けた狂気の軌跡から妹を追い出したところへ、鉄剣と一体になった桧山辰蔵が突っ込んでくる。
鋼が人体を突き抜く、嫌な音が響き渡った。
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