43 その絆は、錨となりてー1

 いつしか、声は潰れていた。


 もはやくことも叫ぶこともできず、三朗は、ただ両の眸を虚ろに開いたまま、降りしきる血の雨の中、闇の底にうずくまり続けていた。


 ――あなたの所為なんかじゃ、なかったのよ。


 遠くで、優しい声が叫んでいる。必死に。


 それは甘美な響きだった。

 縋ってしまえば、楽になれるとわかっていた。

 どうすることもできなかった。仕方がないことだった。そう自分で自分に言い張ってしまえさえすれば。


 けれど。


『護るって言ったのに……』


 自己弁護に逃げようとする度に、それを押しとどめる怨嗟が響く。化け物、と泣くこともできない顔で叫んだ、同い年の従兄の声が。


 従兄妹たちは、兄姉とはまた違う宝物だった。特に瑠璃と玻璃は、いつも祖父や兄に護られてばかりだった三朗が、初めて、自分こそが護らなければならないと思った存在だった。


 なのに。


(ごめん……なさい)


 心臓が軋んで、たましいが軋んで、瞳孔の奥の亀裂が大きくなる。


 ――三朗、帰りましょう。

 ――目を覚まして。私たちのことを、思い出して。


 呼ぶ声は続いている。

 こんな血まみれの自分を、それでもまだ、庇おうとしてくれている。癒そうとしてくれている。


 その想いは、泣きたくなるほど、温かい。

 だが、だからこそ、それは今の三朗を灼くだけだった。


『とんだ出来損ないじゃないの』


 その通りだ。

 庇われる価値など無い。癒される価値など無い。

 自分など、最初から居なければ良かったのだ。

 それほどに、無意味な存在だった。


 瞳孔の亀裂の中に、ただ虚無だけが広がっていく。

 身体の中は裂けた心臓から噴きこぼれた生血の熱さに灼かれ続けているのに、手や足は逆に冷え切って感覚がない。今にも、端からぼろぼろと崩れていってしまいそうだった。


(それで、いい……)


 消えてしまいたい。

 意識のひとかけらさえ残さず、全部砕けて粉々になってしまいたい。

 それで、この罪が償われるなら。

 この苦しみと痛みが、終わるなら。


 そう願った時だった。


 ――それは、赦さない。


 どこからか、別の声が聞こえた。

 天から地へ、ただ一直線に駆け下る雷光のように。


 ――四輝しきを見棄てることだけは、赦さない。


 凄烈な響きが、血の雨にけぶる闇の彼方から、三朗の意識を貫いた。


(四、輝……?)


 虚無に落ちかけていた意識の底で、何かが動いた。


『約束だからね』


 それまで意識の全てを絡め取っていた過去の光景が、ほんの少しだけ遠ざかる。

 代わりに滲んだのは、現在の――つい数日前の別れの光景だった。しがみつく小さな紅葉の手と、無垢な眸の端からとうとう溢れた、涙の煌めきだった。


(そう、だ)


 約束した。

 必ず、みんな一緒に帰る、と。


 ――四輝は、まだ何も知らない。


 その通りだ。

 四輝は何も知らない。三朗が、たった九年間とは言え、当たり前のこととして享受していられた平和も幸福も、神和一族の教えも。母や祖父の顔すら覚えていない。


 今の四輝が知っているのは、怒りと憎しみの冷たい眼差しに取り囲まれたけいきょく棘の檻――それだけだ。

 兄姉以外の他者を怖がり、必要があって邸の外へ出なければならない時は、三朗や二緒子の傍にくっついて決して離れない。特に、戎衣じゅういを着ている八手一族や太刀を持っている黒衆に遭遇すると異常なほどの怯えを見せ、抱き上げてやらなければ一歩も動けなくなってしまう。

 斗和田でのことは、明確な記憶としては何も残っていないようだが、それでも、生後半年でくぐらされたあの地獄――その時のとてつもない恐怖だけは、きっと幼子のたましいに深く穿たれてしまっているのだろう。


 だからこそ。


 ――護り、導いてやらなければならない。


 その意志を持つ者が。


 ――包んでいてやらなければならない。


 その心と命の両方を。


 ――四輝には、もう我々しか居ない。


 瞠られた瞳孔の奥で、ふるりと焦点が揺れた。


(だから、兄上は、あの時も)


 ***


 今、三朗たちは、八手の里に与えられた一軒家で、曲がりなりにも兄弟水入らずの生活を送ることができている。


 だが、それは、三年前、一也が身命を張って確保してくれたものだった。


 事の起こりは、鬼堂興国も黒衆も、当初、一也が戎士の使役に耐えるとは思っていなかったことにある。

 それは、それまで彼らが実際に知っている真那世が、八手一族だけだったからだ。

 その八手一族の『質』は、代々、針生はりう本家から取られている。しかも、その全員が女性だった。

 彼女たちは、九条ゆかりが文献からの知識として語ったように、神珠しんじゅを抜かれた瞬間から生きているだけでやっとという有り様になり、神力ちからを操ることはおろか、普通の日常生活を営むことすら困難になった。


 だから、鬼堂家も黒衆も、一也も当然そういう状態になるものと決め込んでいたのだ。

 であれば、戎士という意味では役に立たない。

 と言って、二緒子におこと三朗はまだ十歳と九歳で、しかも神和かんなぎ一族の教育方針で、それまでは人の子と同じごく普通の生活だけを送っていたから、『殻』は破れていても神力は扱えず、到底実戦に使えるような状態ではなかった。


 よって、斗和田とわだの戦の後、鬼堂興国と黒衆は、二緒子を新たに『質』とした上で一也の『神縛り』を解術する、と決定しかけた。


 更には、赤ん坊の四輝を取り上げる、とも言い出した。


 まだ何も知らず、覚えてもいない赤ん坊であれば、育て方次第でどうにでもなると考えたからだ。兄弟たちから引き離し、黒衆の下で戦うことと命令に従うことだけを教え込めば、鬼堂家の為に一代の神力を振るうだけの凶器に仕立て上げることも不可能ではない、と。


「お断り申し上げる」


 だが、露骨な侮りの中で下された命令を、一也は言下に退けた。

 の国からの国まで連行されてきたその日、引き出された真垣まがき城の庭先で、数馬かずま嶽川たけかわ朧月ろうげつを始め、黒衆の術者数名を左右に侍らせて段上に座した鬼堂興国を前に、敢然と拒否した。


「二緒子も四輝も渡さない。そのような蛮行を強行すると仰るなら、今この場で、あなたを斬る」


「神力も何も使えぬ身で、お館様を斬るだと?」

「長虫の息子には、物事を把握する脳みそが足りないのか? まだ自分の立場がわかっていないらしいな」


 その宣告を、最初は誰も本気にしなかった。

 ある者は不快そうに怒り、ある者は嗤い、ある者は嘲った。


「わかっておられないのは、あなた方の方だ」


 だが、その無知で手前勝手な怒りも嘲弄も、一也が、白砂利の庭に片膝をついた姿勢のまま神剣を抜き放ってみせた瞬間に、霧散した。


「なるほど」


 莫迦な、と狼狽え騒ぐ黒衆たちの中、冷静に事態を見抜いたのは、この時まだ十六歳だった鬼堂興国の長子、数馬だった。


「それは神剣――真神が自らの神力で創り出した神具だったな。自身の神珠が生み出す神力とは別物であれば、『質』であっても扱えるということか」

「如何にも」


 冷ややかな応答と共に、翻った神剣の切っ先が、真っすぐ鬼堂興国へと向けられた。


 その時、三朗は、四輝を抱いた二緒子と共に、一也の背後に居た。身を縮めて姉の懐にしがみついている四輝を、二緒子と二人で挟むようにして、腕の中に庇い込んでいた。


 視線の先で、兄の全身から、不可視の炎が立ち登る。目の前で神和一族の同胞たちが討たれていった時のように、いや、それ以上の本気の怒気が、肌に突き刺さってきた。


「確かに、私はあなた方に敗れた。故に、鬼堂家の戎士たることは許容する。だが、弟妹の誰かを『質』に取り直すことも、四輝を我々から引き離すことも、断じて許容しない」


「意見など言える立場だと思うのか」


 怖じることなく言い放った一也に、当然、鬼堂興国も激昂した。


「わしの左目を潰しおった貴様を、それでも生かしてやったのは何の為か。己れの分際というものを、今一度思い知れ!」


 赤黒く顔を浮腫むくませて、右手を前方に突き出す。

 その掌の上で、空間がゆらりと滲んで、淡い蒼銀の光に縁取られた半透明の珠が浮かび上がった。


 傍らで二緒子が呼気を引き攣らせ、三朗も息を詰めた。

 だが、自らの命そのものを目の前に突き付けられても、一也は寸毫の動揺も見せなかった。


「父上」


 数馬が声を上げる。

 だが、諌止の響きを気にも留めず、鬼堂興国は、その淡い光の珠を、ぐい、と掌の中に握り込んだ。


 透き通った美しい光を放っていた珠の表面に、黒い濁りの筋が生じる。

 同時に、一也が鋭く呼吸を引いた。全身に痙攣が走り、上体がぐらりと揺れたが、左手を床について、辛うじて倒れ込むことを防ぐ。


「姉上、あれは」

呪毒じゅどく――じゅそ詛の一つで、毒と称されるほど強力な呪いよ。あんなものを直接たましいに流し込まれたりしたら……!」

「そうじゃ」


 半泣きで叫んだ二緒子に、鬼堂興国の横に居た朧月が嗤った。


「呪詛による精神の苦痛は、肉体の物理的な苦痛に匹敵する。太刀で臓腑を抉られるより苦しかろうな」


「わかったか? 反抗など無意味。お前の命はわしの掌の上。いかに足掻こうと、その現実は変わらぬ」


 鬼堂興国も、せせら嗤った。


「お前に出来るのは、ただ我が前に這いつくばり、我が意を承ることだけ。それがわからぬと言うなら、この神珠、このまま本当に握りつぶしてくれるぞ」


 苦痛と死への恐怖で心を折り、屈服させようとする意志に応じて、濁りが渦を巻く。


「っ、ぐ……」


 凍り付く三朗と二緒子の視界の中、一也の背が大きく跳ねた。

 弱い者なら、その衝撃だけで心臓が止まったことだろう。まして、奪われている神珠に受ける直接の加害であれば、防ぐことも逃げることもできない。


「やって、みられるがいい」


 だが、一也は崩れなかった。急速に呼吸を荒げながらも、左手を地に着いて身体を支え、片膝立ちの姿勢を崩すことなく、右手に握った神剣を消すこともなかった。


「ただし、その時は、あなただけではなく、この場に居る黒衆全員の命も無い。覚悟されることだ」

「何だと?」

「以前には劣るとはいえ、私はまだ戦うことが可能だ。故に、弟妹に一つ所での生存と生活さえ保障されるなら、戎士の任は私が担う。あなたが欲した父神の代わりに、この神剣を以て仕えよう。だが、二緒子と三朗をこれ以上傷つけるつもりなら――生まれて半年で母も故郷も奪われた四輝から、この上更に家族の温もりをも奪うと言うなら、ここであなたを討ち、この子たちだけでも軛から解き放つ」


「兄さ……」

「兄上……」


 絶句した二緒子と三朗に、一也は一瞬だけ視線を投げてきた。

 それは、斗和田での最後の戦いの時と同じ眼差しだった。

 万一の時は、躊躇わずに逃げろ。生き延びろ。お前たちだけでも。

 そう言っていた。


「そんな真似が赦されると思っているのか‼」


 吼えた朧月が、『鞭』を振るった。


「誰が赦さぬ?」


 それを、一也は殆ど姿勢を変えぬまま、神剣の一閃で斬り払った。


「神珠の崩壊が、即座に身体の死に繋がる訳ではない。あなた方を鏖殺し、二緒子たちが逃げ延びる為の時間を稼ぐぐらいのことはできる。いや、やってみせる。試してみられるか?」

「真那世の分際で!」

「真那世は人の道具ではない。家畜でもない。人間が、ただ人間であるというだけで、全てを支配する権限があると思うな。我々とあなた方は、ただ命の根源が少しばかり違うだけだ。そこにあるのは差異であって、序列では無い!」


 この時、鬼堂興国たちが、九条紫が言うところの、真那世に『神縛り』を用いるのは諸刃の剣、という神狩一族の常識を思い出したかどうかは、定かではない。


 どちらにしても、そこに居たのが鬼堂興国や嶽川朧月だけであったら、事態は取り返しのつかないところまで突き進んだかもしれなかった。真那世を化け物と見下し、ただ力で押さえつけることしか考えない彼らであれば、一也がどれほど命を張ったところで、妥協や譲歩といった意識が芽生えたかどうかは怪しいものだったからだ。


「考えるまでもないではないですか」


 だが、その時、そこには鬼堂数馬が居た。感情的に喚き立てる父親や朧月の横で、まだ十六歳とは思えないほどの冷静さで、そう言った。


「ここで彼と再戦し、鬼堂家と黒衆を崩壊させるか、彼らに兄弟揃っての暮らしを許して、彼を戎士として使役するか。その二つに一つならば、迷うまでもないと存じます」


「真那世など、本来、見つけ次第処分すべきものだ」


 だが、妥協を求めた息子の諫言にも、鬼堂興国は即座には頷かなかった。


「本来なら、生かして貰っているだけで有り難いと思うべきであろう。にもかかわらず、それに条件を付けるなど、そのような不遜を許して、秩序が立ちゆくと思うか!」

「つまり父上は、真那世たちが、『使』のように、どのような命令に対しても何一つ反駁することなく従わなければ安心できない、と?」

「安心⁉ 何を言うか。わしは真那世など恐れてはおらぬ。化け物の脅しなどに屈しはせぬというだけだ!」

「お気に障ったのであれば、お詫び申し上げます」


 怒号を張り上げた鬼堂興国に、数馬はさらりとその場に両手をつき、頭を下げた。


「しかし、妖種と違って自我を奪い切ることができない真那世を、力のみで押さえつけるのは限度があります。それでも、彼らの神力を鬼堂家の戦力としたいのであれば、その価値観や心情に対する配慮も不可欠と考えます。名刀も手入れを怠れば鈍らと同じ。撲るだけの飼い主には、猟犬とて従いません。人と同じ意志や感情を持つ真那世であれば、尚更です」


 無表情に言った数馬を、鬼堂興国は忌々し気な目つきで睨みつけた。


 その目が、意見を求めるように、他の黒衆たちにも向けられる。


 しかし、誰も何も言わない。朧月は面白くなさそうな顔つきで肩を竦めるに留め、他の者たちは慌てた様子で目を逸らしたり、俯いたりした。

 主に同調して一也の神剣の巻き添えになるのも嫌だが、数馬に同意して主の機嫌を損ねるのも嫌だ、といった風情だった。


 その様子に、鬼堂興国が唸り声を上げる。

 感情と打算とが心の中の天秤を揺らしている。その様が、目に見えるようだった。


「――良かろう」


 だが、とうとう、鬼堂興国はその言葉を吐いた。


「数馬、お前には、そろそろ中司なかつかさの席を預けようかと思っていた。良い機会ゆえ、この場を収めてみよ」


 それでも、自分の口から一也に譲歩を告げるのは自尊心が許さなかったのか、そんなことを言い出した。


「なれば、まずは一也の神珠を収め、呪毒も祓ってやって下さいますか」

「それは、裁きがついてからだ」


 にべもない返答に、数馬は仕方がないというように息を吐き、身体ごと向きを変えて、段下の一也を見据えてきた。


「聞いた通りだ、一也。剣を引け」


 一也は、じっと数馬の目を見返している。その言葉が本心からのものか、ただの方便かを見定めようとするように。


「お前の意志は見届けた。その意気を認め、先の父上の決定は撤回する。八手一族の里に居宅を用意させるから、そこで兄弟四人で暮らすがいい。ただし――」


 そこで、数馬は、ちらりと一瞬だけ、傍らの父親を見やった。


「その前に、お前には、この場より三日間の入牢を申し付ける」


「⁉ そんな!」


 撤回という言葉にホッと息を吐いた三朗だったが、最後の一言で思わず声を上げた。


「どうして……!」

「真垣の城内で武器を抜き、それを主に向ける行為は、人であっても罰せられる。規則上、不問にできることではない」


 淡々と答えた数馬の横で、鬼堂興国が少しばかり機嫌を回復させたような顔になった。


「二緒子、三朗、お前たちも覚えておけ。黒衆はもとより、一般の人々や、今後は戦列を同一にすることになる八手一族の者たちに、お前たちの神剣、神力を向けることは禁止だ。一代の神力を振るえば、大抵のことは押し通せようからこそ、それはならない。内憂は外患以上に戒められるべきもの。そのようなことがあれば、理由を問わず処分する」


 一也の双眸に、微かに険が滲んだ。

 対する数馬は、全くの無表情だった。


「不服か? ならば、やはり父上と相討って、弟妹だけでも鬼堂家から解放するか? しかし、お前を欠いて逃げたところで、その子たちに安住の地が見出せるかどうかは、怪しいものだと思うが」


 何故なら、一代の真那世の存在は、既にあちこちの術者たちの間に拡散しつつあったからだ。


「鬼堂家からの自由は得ても、そういった者たちに付け狙われて、十歳の子らだけで赤子を抱えて、どこまで逃亡と流浪の窮愁きゅうしゅうに耐えられるか。我らの隷下ではあっても、お前と共に生存と生活の為の場所を得られるなら、どちらがまだましだと考える?」


 数馬がそう言った時、三朗と二緒子は、揃って跳ねるように立ち上がっていた。四輝を抱えたまま一也に駆け寄り、ぎゅ、とその背にしがみついた。


 肩越しに振り返った一也が、瞑目する。

 ややあって、一つ頷くと、兄は掌中の神剣を消した。


 ***


 こうして、二緒子が『質』に落とされることも四輝が奪われることもなく、兄弟四人での一つ屋根の下での暮らしが実現した。


 おかげでこの三年、四輝だけではなく、二緒子と三朗も、家の中でだけは誰からも化け物呼ばわりされることなく、斗和田の一代という名前の凶器扱いされることもなく、家族と共に朝夕の膳を囲み、一緒に他愛ない時間を過ごすことができた。

 辛いことや苦しいことは互いに支え合い、少しでも嬉しいことや楽しいことがあれば分かち合って、まだ真っ当と言っていい生活を送ってくることができた。


『こういう形で運命が定められた。ならば、今は受け入れよう』


 一也が三日間の入牢を終え、八手の里の御館みたちの真ん前という、監視と管理には絶好の場所にある邸を提供されて、やっと兄弟四人だけになれた夜。


 すよすよと眠る四輝の傍らで、二緒子も三朗も、改めて母を想い、故郷を偲び、喪失をもたらした者たちへの怒りと怨みの言葉と共に、ただ泣くことしかできなかった。


 一也は、その言葉を、涙を、全て受け止めてくれた上で、言ってくれた。


『それは諦めるということではない。阿ることでも、誇りを失うことでもない。目の前の現実を正しく受け入れて、それでも、前に進むということだ』


 今回、初めて『役』に投入されて、三朗は、一也がその言葉通り、どれほど命を削りながら戦ってくれていたのか、一年早く初陣を踏んだ二緒子が、どれほど心を削りながら踏みとどまってくれていたのか、改めて思い知った。


『確かに、お前の神力ちからが、瑠璃と玻璃の命の緒を断った。決してお前自身の意志ではなかったとしても、それでも、それは、お前が終生背負うべき責――業だ』


 静かな声が、『仕方なかった』という言葉で甘やかすことなく、三朗の罪を認定する。

 その上で、それでも生きろ、と告げて来る。


 ――もはや自分の為には生きられないというなら。

 ――私たちと四輝の為に。


 それは責務だと言い切った凄烈な声が、今まさに死を望み、消滅に焦がれて虚無へと落ち込んでいこうとしていた意識を繋ぎ止めた。

 生の領域へ。

 錨のように。


 ――だから、今は、戻っておいで。


 崩壊が止まり、滑落が止まった。


 その時だった。

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