42 青に染まる眸
「――あれが鬼堂
『霊刀』と大剣を噛み合わせたまま、
「姫の結界を破ったのはあの者か。噂に違わぬ術者だな。それに、おぬしも凄まじい
「俺は、『先祖返り』だからな」
清十郎が鋭く手首を捻る。剛腕から繰り出された一撃が、音高く『霊刀』を弾いた。
転瞬、すかさず斬り込む。
そのまま、猛烈な打ち合いとなった。刃風で随身の頬が浅く切れ、清十郎の短髪の先が千切れ飛んだ。
「『先祖返り』?」
「
「ほほう。そんなことがあるのか」
随身の眸が、くりんと輝いた。
「確かに、我らは、真神に対しても真那世に対しても、もの知らずであったようだな。戦を仕掛けるには、些か下調べが足りなかった」
「こっちも、あんたのような術者が居るとは知らなかった」
血まみれ傷だらけの二緒子と伊織をちらっと見やった清十郎が、随身に視線を戻す。その双眸には、先ほどから激烈な怒りの炎が燃えていた。
「人にしてはとてつもない力と動きだ。確かに、
「木梨?」
「あんたらを
「ああ――確かに」
悪びれる様子もなく、随身は頷いた。
「どれもこれもろくなものではなかった。ただの蜘蛛を踏みつぶすより容易かったな」
「だが、あんたは、木梨にとどめを刺し損ねていた」
清十郎が、ぎりと歯を鳴らした。
「あんたたちが立ち去った後、あいつは街道まで這い出してきて、俺たちだけにわかる符牒を残し、そこで息絶えていた。だから、俺たちは鶴羽まで無駄足を踏むことなく、引き返して来られた訳だ」
「なるほど、そいつは失態だった」
随身が、片手でつるりと顔を撫でる。
「死ぬのは
屋根の上で、桧山辰蔵が喚いた。
「小娘、お前の所為だぞ! お前が、九条の姫を尾けさせたりするからだ!」
二緒子は蒼白な顔で俯くと、黙って伊織の傍らに屈み込み、脇腹の傷に両手を添えた。
白い掌の下に朱色の淡い燐光が生じる。その光の粒子が、霧雨のように肉の裂け目へ降り注ぎ、皮膚の内側へ溶け込んでいく。
「
視線を巡らせた伊織に目を合わせることなく、二緒子は小さく答えた。
「と言っても、損傷を本当に治すのは本人が持っている回復力ですから、これは、それまでの間、痛覚を麻痺させて苦痛を軽減させるものなんですけど」
「いや、十分、ありがたいです」
荒い息の下から律儀に礼を言って、伊織は上体を起こした。
姿勢を安定させたところで、右手を自分の身体に向ける。人差し指の先から伸ばした『
「あなたの所為などではありませんから」
そのまま、ぽつりと呟く。
「
「伊織の言う通りだ」
顔を上げた二緒子の耳に、清十郎の歯噛みするような声が聞こえた。
「これは、元を正せば鬼堂家の先代と
「お説ごもっとも。私とて、神祇頭と鬼堂殿がお二人で相撲でもして決着をつけてくれるなら、心の底から神祇頭の為に旗を振ったことだろう」
随身が肩を竦めた。
「しかし、やってみなければわからない勝負に、身一つで挑めるものなどそうは居ないのだ。特に、敗れた場合に失うものが多ければ多いほど、得られる限りの力を集め、絶対に自分が勝つという確信を持ってからでなければ動かぬもの」
その視線が、ふと、別方向へ走った数馬を見やった。
「それで言うと、あの若者は果敢だな。事態を察知してすぐ、戎士一人を供にしただけで自ら戻ってくるとは。御所から往来に出るだけでも、一族郎党に仰々しく四方を固めさせる九条家の若に、爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいだ」
「残りの者も、今、自分たちの足と馬で陸路を戻って来ている。数馬様の『
「ほう。あれが鬼堂家の『伯王』か――なるほどな」
鬼堂興国の前に、盾のように立ちふさがった三つ目の狼を見やってから、随身はふと呆れ声を上げた。
「しかし、ということは、顕現させた『使』に乗って、ここまで走ってきたのか? 明日には、化け物が街道を走って行ったと、周辺の町や村々で騒ぎになるだろう。霊能の技は秘匿を以て良しとする。みだりに衆目に触れさせるべからず、というのが、神狩一族の基本方針の筈だが」
「
「あちらでもこちらでも、姫はちゃんと結界を張っておられたぞ? だがまあ、それほどの非常事態だと認識したということだな。実際、それは正しかった訳だし」
小さく溜息を吐いて、背後に視線を向けた。
「姫、結界が破られた以上、ここまでです。撤退を」
「――冗談じゃないわ」
だが、白鹿の『使』の上の少女は、両腕を組んで立ったまま、吐き捨てた。
「もう少しで、お母様を脅かす『鬼』を潰せるのよ。何より、あの斗和田のお兄さんは、危険すぎる」
「姫、時機を得、誠心誠意の努力を積み上げて尚、思い通りに事が成らぬことはございます。多くを求め過ぎては、逆に失うものが多くなる。今回は、その弟を手に入れられただけで良しとなされませ」
「三朗を、連れ去らせたりはしないぞ」
低く吐き捨てると、清十郎が大きく踏み込んだ。撤退の機は与えないとばかりに、一気に畳みかける。
随身が舌打ちを響かせた時だった。
「――そうよ……。諦めるには、まだ早いわ」
遠くで、誰かがそう言った。
***
数馬の両手が翻る。
放たれた霊符が三朗の四方に貼りつき、そこから金色の光が立ち登る。
それがぐるぐると三朗の周囲を旋回しながら、その頭部へと集約していく。
先刻の嶽川朧月と同じ術道の構築――だが、はるかに速い。
「ちょっとお、冗談でしょ⁉」
舌打ちを響かせた黒衣の人形が、いきなり身を翻した。桧山辰蔵を放置し、正殿の屋根の上を走って、数馬の頭上から襲いかかろうとする。
「桧山‼」
「――わかっとるわ‼」
随身と斬り結びながら叫んだ清十郎に、桧山辰蔵が怒鳴り返す。
その十指の先から放たれた『繰糸』が、今まさに屋根から飛び出そうとした人形の四肢に巻き付き、ぐい、と引き留めた。
「何よ。劣勢の間は逃げ回って、ちょっと加勢が来たら尻馬に乗る気になったって⁉」
「何が悪い」
振り返って怒鳴った人形に、桧山辰蔵はおどろおどろしい声で言い返した。
「俺たち大半の八手一族は、一代の化け物ともそこの先祖返りとも違う。もはや単独で妖種や術者と張り合えるほど強くはない。それでも、生きる為、家族、同胞の為、望みもしない戦いに駆り出されるんだ。なら、勝てる戦だけを戦って、生き延びられるだけを生き延びる。それの何が悪いんだ」
「――悪くはない」
低い声で応じたのは、鬼堂数馬だった。
「それでいい。だから、今は手を貸せ、桧山。しばしでいいから、その黒衣の少女を押さえろ。それで片がつく」
その言葉に、ちらっと視線を流した
「⁉」
拮抗していた力の一方がいきなり消えた所為で、三朗の身体が大きく前につんのめる。
しかし、刃を噛み合わせていた状態で突然自分の武器を手放したりすれば、一也はそのまま、三朗の神剣に貫かれていてもおかしくはなかった。
だが、瞬き一つ分ほどの間にその事態を予測したのか、三朗は倒れ込みながらも、脊髄反射的に自身の神剣も消した。
その身体を、一也の両腕が受け止め、抱きすくめるようにして拘束する。
そこへ走り寄った青年が、右腕を振りかぶった。
手には、腰に佩いている太刀の鞘から引き抜いた小柄がある。
その刃身がぼうっと光り、神狩一族共通の金色の霊光を帯びた。
「――まずい。あいつ、あのじいさんとは違う」
「――ええ。あのおじいさんは手探りで探していましたけど、あの人には明らかに『視えて』いますね。
「ああ、もう、離してよっ‼」
怒号を上げた黒衣の人形が、力任せに腕を振り抜いた。
一気に集約され、爆発したような力の発露に、たたらを踏んだ桧山辰蔵が咄嗟に『繰糸』を切り離す。
瞬間。
三朗の双眸が、カッと大きく見開かれた。
周囲から漆黒の風が噴き上がり、巻き上がる。それが、数馬が構築しかけていた術道を引き裂き、霧散させた。
愕然と振り返った二緒子の視界に、咄嗟に立ち止まって風の刃を打ち払った数馬と、吹き飛ばされた一也の姿が映る。
「兄様⁉」
二緒子の声が裏返った。
「――残念……」
三朗の小柄な身体がゆらりと揺れた。
「心臓を、残っている霊珠ごと粉砕してやろうと思ったのに……」
一也を見据えた瞳孔の奥から、青い光が浮き上がる。
それが不意に大きく広がり、虹彩までが青色に染まった。
その手に、再び漆黒の神剣が閃いた。
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