42 青に染まる眸

「――あれが鬼堂数馬かずま、鬼堂の御大おんたいのご長子か」


『霊刀』と大剣を噛み合わせたまま、褐衣かちえ随身ずいしんがちらりと視線を流した。


「姫の結界を破ったのはあの者か。噂に違わぬ術者だな。それに、おぬしも凄まじい神力ちからだ。本当に、あの蜘蛛の一族か?」

「俺は、『先祖返り』だからな」


 清十郎が鋭く手首を捻る。剛腕から繰り出された一撃が、音高く『霊刀』を弾いた。

 転瞬、すかさず斬り込む。

 そのまま、猛烈な打ち合いとなった。刃風で随身の頬が浅く切れ、清十郎の短髪の先が千切れ飛んだ。


「『先祖返り』?」

真神まがみ真那世まなせも殺しまくった神狩かがり一族が、知らないのか? 真那世が祖神そじんから引き継ぐ神珠しんじゅは、基本的には代を経るごとに弱くなっていく。だが、五百年以上に及ぶ我らの歴史の中で、時々、ごく稀にだが、突然、数代から十数代を遡ったような強い神珠を持って生まれる者があった。我々は、そのような者を『先祖返り』と呼んでいる」

「ほほう。そんなことがあるのか」


 随身の眸が、くりんと輝いた。


「確かに、我らは、真神に対しても真那世に対しても、もの知らずであったようだな。戦を仕掛けるには、些か下調べが足りなかった」

「こっちも、あんたのような術者が居るとは知らなかった」


 血まみれ傷だらけの二緒子と伊織をちらっと見やった清十郎が、随身に視線を戻す。その双眸には、先ほどから激烈な怒りの炎が燃えていた。


「人にしてはとてつもない力と動きだ。確かに、木梨きなしたちでは歯が立たなかった訳だな」

「木梨?」

「あんたらを鶴羽つるうまで尾けて行った、五番組の副長だ。――殺しただろう」

「ああ――確かに」


 悪びれる様子もなく、随身は頷いた。


「どれもこれもろくなものではなかった。ただの蜘蛛を踏みつぶすより容易かったな」

「だが、あんたは、木梨にとどめを刺し損ねていた」


 清十郎が、ぎりと歯を鳴らした。


「あんたたちが立ち去った後、あいつは街道まで這い出してきて、俺たちだけにわかる符牒を残し、そこで息絶えていた。だから、俺たちは鶴羽まで無駄足を踏むことなく、引き返して来られた訳だ」

「なるほど、そいつは失態だった」


 随身が、片手でつるりと顔を撫でる。


「死ぬのは八手やつで一族ばかりか!」


 屋根の上で、桧山辰蔵が喚いた。


「小娘、お前の所為だぞ! お前が、九条の姫を尾けさせたりするからだ!」


 二緒子は蒼白な顔で俯くと、黙って伊織の傍らに屈み込み、脇腹の傷に両手を添えた。

 白い掌の下に朱色の淡い燐光が生じる。その光の粒子が、霧雨のように肉の裂け目へ降り注ぎ、皮膚の内側へ溶け込んでいく。


神和かんなぎ一族の『癒し』です」


 視線を巡らせた伊織に目を合わせることなく、二緒子は小さく答えた。


「と言っても、損傷を本当に治すのは本人が持っている回復力ですから、これは、それまでの間、痛覚を麻痺させて苦痛を軽減させるものなんですけど」

「いや、十分、ありがたいです」


 荒い息の下から律儀に礼を言って、伊織は上体を起こした。

 姿勢を安定させたところで、右手を自分の身体に向ける。人差し指の先から伸ばした『繰糸くりいと』で、自身の肉の裂け目に巻き付け、器用に縫い合わせ始めた。


「あなたの所為などではありませんから」


 そのまま、ぽつりと呟く。


了平りょうへいのことも鹿之助しかのすけたちのことも。だから、ご自分を責めたりしないで下さい」


「伊織の言う通りだ」


 顔を上げた二緒子の耳に、清十郎の歯噛みするような声が聞こえた。


「これは、元を正せば鬼堂家の先代と神祇頭じんぎのかみのいざこざだろう? 自分たちの喧嘩なら、他所の者など巻き込まず、自分たちだけでやってもらいたいものだ」

「お説ごもっとも。私とて、神祇頭と鬼堂殿がお二人で相撲でもして決着をつけてくれるなら、心の底から神祇頭の為に旗を振ったことだろう」


 随身が肩を竦めた。


「しかし、やってみなければわからない勝負に、身一つで挑めるものなどそうは居ないのだ。特に、敗れた場合に失うものが多ければ多いほど、得られる限りの力を集め、絶対に自分が勝つという確信を持ってからでなければ動かぬもの」


 その視線が、ふと、別方向へ走った数馬を見やった。


「それで言うと、あの若者は果敢だな。事態を察知してすぐ、戎士一人を供にしただけで自ら戻ってくるとは。御所から往来に出るだけでも、一族郎党に仰々しく四方を固めさせる九条家の若に、爪の垢を煎じて飲ませたいぐらいだ」

「残りの者も、今、自分たちの足と馬で陸路を戻って来ている。数馬様の『伯王はくおう』は疾風より速く走ることができるが、騎乗できるのは二人が限界だったからな」

「ほう。あれが鬼堂家の『伯王』か――なるほどな」


 鬼堂興国の前に、盾のように立ちふさがった三つ目の狼を見やってから、随身はふと呆れ声を上げた。


「しかし、ということは、顕現させた『使』に乗って、ここまで走ってきたのか? 明日には、化け物が街道を走って行ったと、周辺の町や村々で騒ぎになるだろう。霊能の技は秘匿を以て良しとする。みだりに衆目に触れさせるべからず、というのが、神狩一族の基本方針の筈だが」

糸百合いとゆりで、町屋のど真ん中に『使』を出現させたあんたらに、言われたくはないな」

「あちらでもこちらでも、姫はちゃんと結界を張っておられたぞ? だがまあ、それほどの非常事態だと認識したということだな。実際、それは正しかった訳だし」


 小さく溜息を吐いて、背後に視線を向けた。


「姫、結界が破られた以上、ここまでです。撤退を」

「――冗談じゃないわ」


 だが、白鹿の『使』の上の少女は、両腕を組んで立ったまま、吐き捨てた。


「もう少しで、お母様を脅かす『鬼』を潰せるのよ。何より、あの斗和田のお兄さんは、危険すぎる」

「姫、時機を得、誠心誠意の努力を積み上げて尚、思い通りに事が成らぬことはございます。多くを求め過ぎては、逆に失うものが多くなる。今回は、その弟を手に入れられただけで良しとなされませ」

「三朗を、連れ去らせたりはしないぞ」


 低く吐き捨てると、清十郎が大きく踏み込んだ。撤退の機は与えないとばかりに、一気に畳みかける。

 随身が舌打ちを響かせた時だった。


「――そうよ……。諦めるには、まだ早いわ」


 遠くで、誰かがそう言った。


 ***


 数馬の両手が翻る。

 放たれた霊符が三朗の四方に貼りつき、そこから金色の光が立ち登る。

 それがぐるぐると三朗の周囲を旋回しながら、その頭部へと集約していく。

 先刻の嶽川朧月と同じ術道の構築――だが、はるかに速い。


「ちょっとお、冗談でしょ⁉」


 舌打ちを響かせた黒衣の人形が、いきなり身を翻した。桧山辰蔵を放置し、正殿の屋根の上を走って、数馬の頭上から襲いかかろうとする。


「桧山‼」

「――わかっとるわ‼」


 随身と斬り結びながら叫んだ清十郎に、桧山辰蔵が怒鳴り返す。

 その十指の先から放たれた『繰糸』が、今まさに屋根から飛び出そうとした人形の四肢に巻き付き、ぐい、と引き留めた。


「何よ。劣勢の間は逃げ回って、ちょっと加勢が来たら尻馬に乗る気になったって⁉」

「何が悪い」


 振り返って怒鳴った人形に、桧山辰蔵はおどろおどろしい声で言い返した。


「俺たち大半の八手一族は、一代の化け物ともそこの先祖返りとも違う。もはや単独で妖種や術者と張り合えるほど強くはない。それでも、生きる為、家族、同胞の為、望みもしない戦いに駆り出されるんだ。なら、勝てる戦だけを戦って、生き延びられるだけを生き延びる。それの何が悪いんだ」


「――悪くはない」


 低い声で応じたのは、鬼堂数馬だった。


「それでいい。だから、今は手を貸せ、桧山。しばしでいいから、その黒衣の少女を押さえろ。それで片がつく」


 その言葉に、ちらっと視線を流した一也いちやが、いきなり掌中の神剣を消した。


「⁉」


 拮抗していた力の一方がいきなり消えた所為で、三朗の身体が大きく前につんのめる。


 しかし、刃を噛み合わせていた状態で突然自分の武器を手放したりすれば、一也はそのまま、三朗の神剣に貫かれていてもおかしくはなかった。

 だが、瞬き一つ分ほどの間にその事態を予測したのか、三朗は倒れ込みながらも、脊髄反射的に自身の神剣も消した。


 その身体を、一也の両腕が受け止め、抱きすくめるようにして拘束する。


 そこへ走り寄った青年が、右腕を振りかぶった。

 手には、腰に佩いている太刀の鞘から引き抜いた小柄がある。

 その刃身がぼうっと光り、神狩一族共通の金色の霊光を帯びた。


「――まずい。あいつ、あのじいさんとは違う」

「――ええ。あのおじいさんは手探りで探していましたけど、あの人には明らかに『視えて』いますね。奈子なこさん、頭から心臓の方に移動しているから、見つけやすくなっているし」


「ああ、もう、離してよっ‼」


 怒号を上げた黒衣の人形が、力任せに腕を振り抜いた。

 一気に集約され、爆発したような力の発露に、たたらを踏んだ桧山辰蔵が咄嗟に『繰糸』を切り離す。


 瞬間。

 三朗の双眸が、カッと大きく見開かれた。

 周囲から漆黒の風が噴き上がり、巻き上がる。それが、数馬が構築しかけていた術道を引き裂き、霧散させた。


 愕然と振り返った二緒子の視界に、咄嗟に立ち止まって風の刃を打ち払った数馬と、吹き飛ばされた一也の姿が映る。


「兄様⁉」


 二緒子の声が裏返った。


「――残念……」


 三朗の小柄な身体がゆらりと揺れた。


「心臓を、残っている霊珠ごと粉砕してやろうと思ったのに……」


 一也を見据えた瞳孔の奥から、青い光が浮き上がる。

 それが不意に大きく広がり、虹彩までが青色に染まった。


 その手に、再び漆黒の神剣が閃いた。

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