39 真那世なるものー2

 二緒子におこの視界の中で、光が揺れた。


『人と真那世まなせという意味では違うとしても、この天地の狭間に生きる命という意味では、わしらも三朗たちも同じなんじゃよ』


 祖父の口癖が、その明るい笑顔と共に、思い浮かんだ。


(そう、だ)


 もし、少女が言うように、神和かんなぎ一族が水守家の子供たちを『創った』なら。

 少なくとも、彼らがそう考えていたなら。


 祖父や叔父は、自分たちに異なる教育を施しただろう。物心つくと同時に、自分たちは人の為に振るわれる刃であると教えられ、気質も気持ちも無視して、『殻』が破れ次第、その神力を駆使して戦う術を習得するよう、強いられたことだろう。


(あんなに自由に、従兄妹たちと同じように育てられることなど、なかった)


 何より、もしそうだったら、あの時、祖父が自分たちに、『逃げろ』と言ってくれる筈はない。

 戦えと命じただろう。自分と三朗に、突然村に現れた『敵』と戦えと命じて、従兄妹たちだけを連れて逃げたことだろう。


 だが、祖父は、そうはしなかった。

 従兄妹たちだけではなく、二緒子と三朗のことも、ただの子供、ただの孫として、護ろうとしてくれたのだ。


(おじい様……)


 二緒子の眸から、これまでとは違う涙があふれ、頬を伝った。


 ぱりん。


 その瞬間、兄が二緒子の背に添えていた掌の下で、目に見えない何かが砕けた。


(今の、は)


 ハッと瞬いた瞬間、視界が急速に明瞭になった。頭の中にかかっていた血の色の靄が払われ、二緒子の全身を押しつぶそうとしていた圧迫感の全てが消えた。


「――ほんと、食えないお兄さん……」


 三朗が、小さく舌打ちを零す。

 

 拮抗を続けていた二つの力が膨張し、破砕音が響いた。

 周囲で風が起こった。

 自由を取り戻した三朗が、神剣を振りかざしざまに飛び出す。一也いちやと二緒子の横をすり抜けて、鬼堂興国の元へ走ろうとする。

 それを、同じように飛び出した一也の神剣が、打ち止めた。


 だが、一也の手が離れても、二緒子の手は、もう自分で自分を殺そうとはしなかった。


「――なに? お喋りしている間に、奈子なこの『暗示』を解いちゃったの?」


 頭上からの桧山ひやま辰蔵の攻撃を打ち払い、隙を突いて屋根に飛び上がった黒衣の人形が、下を見て言った。


「凄いじゃん。術者としても一流だねえ、あのお兄さん」

「――だから、危険なんじゃない」


 市女笠の少女が、吐き捨てるように言った。


(『暗示』……)


 聞こえてきた言葉に、二緒子の背中は、一瞬だけ、ぞく、と寒くなった。


 他者の意識に干渉し、意思を操作し、行動を強制させる、霊能の技の一つ。

 つまり、先ほどの自分自身に対する否定感や罪悪感、その果ての自死に対する強烈な義務感の正体は、それだった訳だ。


(兄様が気付いてくれなかったら……)


 これが人を相手にした『戦』なんだと、改めて思い知った。妖種相手の『役』などとは全く違う。少しでも隙を見せたら、心にすら攻め込まれる。


(でも、三朗の霊珠れいじゅは普通の人とそう変わらないから、霊力の方は殆ど使えない筈)


 爆ぜるように顔を上げると、一也と神剣を打ち交わしている三朗の眸とぶつかる。

 その瞳孔の奥に、小さな青い光がちらついている。

 それを確認して、二緒子も、ようやくその事実に気付いた。


(あの人形と同じ――三朗の中にも、九条の姫と似た気配の霊珠が)


 つまりはそれが、三朗が閉ざした意識の代わりに脳を支配し、身体を操っているのだ。

 しかもそれが、単に術者の命令を受信して神経系に伝達するだけの霊具や霊符とは違い、自体で意識を持ち、思考しているものであるから、本人を装っての他者との会話という、複雑な精神活動を必要とする行動までを可能にしたのだろう。


(あの子、本当に、一体どういう術者なの?)


 やってみせることの一々に常識が通じない。規格外にもほどがある。

 だが、事態を認識すると同時に二緒子を捉えたのは、灼熱の感情だった。


「あなたが、どれほどの力を持っているとしても、三朗の身体も精神も、三朗自身のものよ。どこの誰だか知らないけど、他人が勝手に入り込んで、我が物顔で使っていいものじゃない」


 その身体と神力をただの道具として使われるだけでも、怒りが止まらないのに。

 三朗自身の声を使って、その口から母や祖父たちを冒涜するような言葉を吐かせるなど。


「赦さないから。こんなの、絶対赦さない! 出て行って! 今すぐ! 三朗に三朗を返して!」

「赦さないと言っても、それを可能にするだけの力がなければ、負け犬の遠吠えよ……」


 一也と対峙したまま、三朗の中の誰かが、ちらりと二緒子を見やった。


「それに、最初にこの子の精神に手を掛けたのは、あなたたちのお祖父さんでしょ……。平和呆けしていられた間はただの孫だったけど、いざ外敵に襲われてみれば、そんな甘いことも言っていられない。だから、記憶を封じてでも、この子を戦力として使おうとしたんじゃないの? まあ、結局、何の役にも立たなかったみたいだけど」

「何ですって……」

「おまけに、なまじ封じていた所為で、この子は今、精神の無意識の底の底に血まみれになってうずくまる羽目になっている。本当に可哀想……。どうしてあの時、一思いに殺してあげなかったの? その方が、この子はずっと楽だったのに」

「どうして神狩の術者って、そう最低なことしか言わないの⁉」


 その顔は変わらず能面のような無表情で、口だけが勝手に動いている。

 その光景がまた、二緒子の怒りに拍車をかけた。


「おじい様を、あなたたちなんかと一緒にしないで!」


 地団駄を踏む勢いで、叫んだ。


「三朗を利用したり支配したりする為じゃない。お祖父様は、ただ、三朗に可能性を残したかったの!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る