33 乱戦、三つ巴ー1

 光が横切った。

 その光に、鋼と鋼が打ち合う激烈な打音が重なる。


 瞬間、一也いちや褐衣かちえ姿の男の眉目に、同種の表情が弾けた。


 二人の手首が翻り、噛み合った刃が互いを弾き合う。

 褐衣の男が大きく跳び下がって間合いを取り直し、一也も後退して二緒子の前に位置を占めた。

 互いに、交わした一撃に相手の技量を読み取り、畳みかけるより警戒することを選択した様子だった。


「――またあなたなの、お兄さん」


『使』の上で、少女が苛立たし気に両腕を組んだ。


「大体、どこから入ってきたのよ?」

「どこからも何も、私が休ませてもらっていた長屋が、そこの正殿の脇にあっただけのこと」


 つまりは、ぎりぎりで結界の内側だった訳である。


「『質』の身じゃ、回復の度合いは五割ってところじゃない? その程度でまた私たちの前に出てくるなんて、今度こそ死ぬわよ」

「それは、別段、最優先で忌避すべきことではない。己れの命の使い方は己れで決める。それだけだ」


 小動もしないその意志に、少女が纏う空気が僅かに変化した。


「忌避するなら、見逃してあげたのに」


 不快指数を高めたような眼差しが、虫垂れ布の奥から水守家の兄弟を凝視する。

 白い歯が、ぎゅっと紅の唇を噛み締めた。


「どうせあなたは、鬼堂興国を斃せば道連れなんだから。囚われの憐れな命。数刻でも大事にすればいいのに。どうしてそう莫迦なのかしらね」


「――どうした、紫?」

「――大丈夫ですか? 急に心が乱れましたよ」


 遠く幽かに、気遣うような声が聞こえた。


「何でもないわよ」


 吐き捨てるように呟いて、少女は視線を下に向けた。


「そんなに卵ちゃんたちの為に死にたいなら、先にちゃんと殺してあげる。――柾木まさき

「はい」

「お願い」

「はあ……。承りました」


 肩を竦めるようにして、褐衣の男が視線を巡らせる。

 次の瞬間、その長身が大きく爆ぜて、抜き打ちの一閃が真正面から一也を襲った。


 二緒子は目を見開いた。


 白刃の一閃。咄嗟に地を蹴った一也の、上衣の前合わせを結んでいる紐の先がそれに払われ、切り飛ばされた。

 瞬き一つ分ほどの刹那もなかった。

 その踏み込みと太刀風は、先ほど二緒子に向かってきた時より更に速い。一也ですら、躱すにぎりぎりだった。


「――ほう、見事」


 それでも、躱しおおせた一也の動きは、男にとって意外なものだったらしい。その両眼が軽く見張られ、次いで、何とも楽しげな笑みを浮かべた。


 翻った太刀が空を薙ぐ。そのまま、激烈な剣戟に雪崩れ込む。剣と太刀が打ち交わされ、白砂利が巻き上げられて、めまぐるしく両者の位置が入れ替わった。


「あいつ、本当に人間なのか」


 桧山辰蔵が呻き声を上げた。


 確かに、右から左から、変幻自在に斬り立てる太刀筋は、二緒子の眸ですら残像ぐらいしか捉えられなかった。人間と真那世の腕力、脚力、反射神経等の身体能力には、基本的に倍の差があることを考えると、こんなことは、本来ならあり得ない。


「人間です。真那世まなせじゃない」


 三朗を拘束したまま、二緒子は呆然として、桧山辰蔵の疑問に答えた。


「あの人、自分の霊力を身体に通して、筋力や神経の反射速度を強化している……」

「へえ、やっぱりよく『視える』のね」


 少女が、肩を竦めた。


「柾木が言うには、自分の家系はどうも神狩かがりの術者としては出来損ないばかりで、『楔』も『鎖』も創れず、『神縛り』も使いこなせなかった。だから、こういう使い方を代々伝えてくるしかなかった――ってことだけどね」


 出来損ない?


(そんな訳、ない)


 呆然と、二緒子は首を振った。


 同じことを、凡人が考えなしに真似をすれば、肉体が負荷に耐えかねて筋肉が破壊されたり、神経が灼き切れたりするに違いない。

 つまり、彼にはそれだけの微細な霊力制御の技量があり、霊力による強化に耐え得るだけの強靭な肉体を創り上げることにも成功している、ということだ。


「他の術者と同じでなければ出来損ない、などという道理はない筈だ」


 白砂利を蹴り立ててその猛攻を躱しながら、一也も言った。


「努力と研鑽で唯一無二の技術を手に入れられたことは、その太刀筋が証明している」

「嬉しいことを言ってくれる」


 白刃を挟んで、男がふと笑った。


「おぬしこそ、一代という形質に胡坐を掻くことなく、相当修練を積んでいるな。いや、天晴れ」


 素直な感嘆と高揚の響きを帯びた声音だった。


「姫、ご下命に感謝いたします。一代とはいえ『質』であるなら、どうせあの真那世たちと同じだろうと高を括っていたが、これは久々に斃し甲斐のある相手だ」


 楽し気な語尾に、勢いを増した剣戟の音が重なった。


「――あの真那世たち?」


 随身ずいしんの言葉を聞き咎めたのは、伊織だった。


糸百合いとゆりから私たちを尾けていた蜘蛛たちよ」


 息を詰めた彼に、少女が答える。


「真那世のくせに誰一人柾木の速さについて来られなくて、瞬殺だったわ」


「――何だと?」


 桧山辰蔵が叫んだ。


木梨きなしたちが⁉」


「鬼堂興国に報告さえしてくれたら、もう要らないもの。私たちがこっちへ向かうところを見られても面倒だったし。伝令が出たところを見計らって、残っていた者はみんな片付けさせてもらったわ」


 桧山辰蔵の顔に、瞬時にして血の気が登る。

 憤怒と憎悪に染まった両眼が、『使』の上の少女を、そして、一也や二緒子を見据えた。


 途端に、全身に巻き付いている『繰糸』がぎゅうっと締まって、二緒子は息を詰めた。


「落ち着いてください、桧山殿! 怒りの矛先を間違えては駄目です!」


 伊織が叫んだが、桧山辰蔵は聞こえていないのか、両眼を血走らせ、ふーふーと鼻で荒い息を吐きながら、ぎちぎちと『繰糸』を引き絞り続けている。


「――朧月ろうげつ様、ま、まだですか?」

「やっておるわい!」


 圧迫感に呼気を引き攣らせながら問いかけると、老人の怒鳴り声が返った。


 朧月の霊符から伸びた術道の光は、既に二緒子と三朗の周りをぐるぐると回っている。それが、三朗の頭の周りへ集約されていく。

 朧月が、その頭の左右へ手を伸ばした。そしていきなり、その手を三朗のこめかみの中へ、ずぼっと突き入れた。


「え、えっ!」

「指先だけ霊体化させてある。物理的に脳や頭蓋が傷つくことはない」


 目を見開いた二緒子に、朧月が鬱陶しそうに答える。


「『傀儡』を解除するには、あの小娘が脳に埋め込んだ媒介物――霊符か霊具を見つけて、取り除くしかないんじゃ」


 言いながら、両手をぐにぐにと蠢かせ始める。


「その通りだけど、それを手探りでやるの?」


 それを見た少女が、呆気にとられた声を上げた。


「随分と原始的なのね」

「――けど、ゆかり、術理は把握しているぞ、あのじいさん」

「――『驟雪しゅうせつ』の攻撃は、全てあの八手一族に止められて届きませんし、このままでは奈子なこさんが見つかってしまいますわ」

「確かに、そうね。手が足りないか」


 伊織を見やった少女が、舌打ちを洩らす。


「危険が増すけど、仕方ないわね」


 そのまま、些か乱暴な動きで袿の袂から何かを抜き出した。

 それは、黒色の紙を人の形に切り抜いたものだった。

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