32 『傀儡』ー2

 涙が滲みそうになる目尻に力を込め、懸命に顔を上げた。


「三朗、帰りましょう」


 何度目かの打ち合いで、二本の神剣が噛み合った。

 両手で握った柄を押し込み、そのまま拮抗に持ち込む。

 今朝は、この状態で意識を逸らしてしまい、競り負けた。そんなことになったら、今度こそ呑み込まれ、切り裂かれる。あの女型のトカゲのように。


 ――千切れた首。


「あなたの所為なんかじゃ、なかったのよ……」


 あの光景に三朗が何を重ねたのか。

 その痛みを想えば想うほど、呼吸が苦しくなっていく。


「だから、帰りましょう。約束したでしょう? 二人で一緒に兄様を助けて、四輝を護っていこう、って」


 剣身に顕現した白金色の水流が、渦を巻き始める。

 負けじと、漆黒の風も膨張する。


 二人の間で、大気がびりびりと震えた。

 二つの『力』が絡まり、吼え猛りながら、噛みつき合った。空間が軋むような音を立て、ねじれ合う水と風の周囲を、無数の火花が飛んだ。


 それが、不意に弾けた。

 互いに互いを抑え込もうと捩じり合って凝縮された『力』が一気に臨界を突破して、ばちん、と大きな破砕音を響かせた。


 二緒子におこの手の中からも、三朗の手の中からも、神剣が消える。

 次の瞬間、二緒子は真正面から三朗に組み付き、両腕ごと身体に腕を回して、力の限り抱きしめた。


「――朧月ろうげつ様!」


 そのまま、叫んだ。


「確か、動きさえ止めれば、解術は可能だと! 私が押さえますから、その間に!」


 語尾に、三朗の咆哮が重なる。

 身体を激しく左右に捻って、拘束を振りほどこうとする。


桧山ひやま様、手を貸して下さい!」


 滅茶苦茶な力に振り回されながら、必死にしがみついた。

 三朗の身体に神力ちからの気配が滲む。放たれた風の刃が、びりびりと大気を震わせ、二緒子の小袖を削ぎ、耳朶や頬や腕の皮膚を裂く。


 だが、深くはない。

 やはり三朗は、無意識にでも、二緒子のことは傷つけまいとしている。

 意識を失って尚示される、思いやり。

 その気持ちに半泣きになりながら、二緒子は叫んだ。


「私ごと拘束して! お願いします‼」

「桧山!」


 重なった朧月の指令に、桧山辰蔵が無言で両手を上げた。

 放たれた『繰糸』が、二緒子の上から巻き付いて、三朗もろともぐるぐる巻きにする。容赦なくぎちぎちに締め上げられて呼吸が止まったが、それで流石に三朗の動きが止まった。


「動くでないぞ!」


 朧月が懐から四枚の霊符を取り出し、四方へ放った。


「どうにも、使い切れないわね」


『使』の上で、市女笠の少女が溜息を吐いた。


「奈子。どうにかならない?」

「――駄目ね……。少なくとも、ここからじゃ、これ以上は無理……。本当に可哀想……。こんな状態になっても、やっぱりお姉さんを傷つけることは、無意識に拒否する……」

「そこに付け込んでいる私たちが言うことじゃないかもしれないけど、もう『血殺し』なんでしょ? 今更もう一人ぐらい殺したって、どうってことないでしょうにね」


 二緒子の聴覚が揺れて、遠くからさざ波のように伝わってきた、そんな会話を拾った。

 市女笠の少女と別の誰かの会話のようだが、声音は殆ど同じだ。会話と共に伝わってきた霊気の波動も、とてもよく似ていた。

 

「今、誰と話をしていたの?」


 思わず放った問いに、少女の纏う空気がふと変わった。


「――聴こえたの?」


 それは、質問の形を取った確認だった。


「へえ……、確かに、神珠より霊珠の光の方が強いとは思っていたけど、私たちの話が聴こえるとなると相当ね」


 朧月が四方に投げた霊符から、金色の光が立ち昇り始める。霊能の技を発動させる為の霊力の通り道、術道じゅつどうだ。それが、二緒子と三朗を取り巻き始める。


「――柾木まさき


 舌打ちを響かせた少女が、肩越しに声を放った。


「ごめんだけど、やっぱり手を貸してくれる?」

「はあ。何をせよと?」

「殺して、あのお姉さん」

「――仰せとあらば」


 ぎくりと全身を強張らせた二緒子の視線の先で、褐衣かちえ姿の男が深々と溜息を吐きながら、立ち上がった。


「――させませんよ」


 苦い表情で応じたのは、『使』と対峙し続けている伊織だった。

 鋭く振り上げた腕の動きに応じて、『繰糸』が螺旋を描きながら急上昇する。

 咄嗟に翼をはためかせて身を翻した白い牡鹿の前後左右から、回り込むように接近する。


 少女が、再び『楔』を放つ。

 それを、伊織の『繰糸』は全て斬り払い、叩き落としてみせる。


「本当、器用なおじさんね!」

「誰がおじさんですか! 私はまだ二二ですのでね。お兄さんと呼んで頂けますか」

「そんなの、私から見たら立派なおじさんよ!」


 牡鹿が翼を翻し、一気に天へ向かって急上昇した。

 すかさず、伊織の『繰糸』が追う。

 追いすがるその先端を躱した刹那、牡鹿は急旋回した。同時に、その枝角の間に妖力が凝って、氷雪の礫が雨あられと地上に降り注いだ。

 伊織へ、ではない。『傀儡』の術の解除を試みている朧月と、その後ろに立ったままの鬼堂興国の、無防備な頭上へ、だ。


 見せつけるような動きに、伊織は咄嗟にその前に走った。片手を握り込むようにして『繰糸』の半分を引き寄せ、自分事、鬼堂興国の頭上に、頭上に防御の『網』を展開した。


「健気に護るわね! さては、蜘蛛の一族の『質』は、あなたの身内?」

「――姪ですよ」

「それはそれは、ご愁傷様!」


 爆音が連続して轟いた。

 伊織の神力と『使』の妖力の激突に、大気が鳴動する。


「――あの蜘蛛、手強いな」

「――そうですね。今朝、糸百合いとゆりに居た八手一族とは、全く違う感じですわね」

「それにしても、さっきから不思議なんだけど、鬼堂興国は何で自分で戦おうとしないの? 全部部下任せで、突っ立っているだけじゃない」

「――さあな。戦いなんてものは、偉い奴が自分でやることじゃない、とか思っているんじゃないか? 九条青明もそういうところあるもんな」

「――本丸に攻め込まれて、総大将自ら太刀を抜かなければならないような状況というのは、もはや負け戦ですものね。それを認めたくないのでは?」


 連続する爆音の彼方から、また会話が聞こえた。遠く幽かに。口調からして、先ほど聞こえた誰かとはまた別のようだ。

 だが、やはり声音も霊気も、ほぼ同じだ。


(一体、誰?)


 そう思った時、ぞわ、と首の後ろが逆立った。


 伊織の手を鬼堂興国の防御に割かせた隙を突いて、褐衣の男が『使』の背から地上へと飛び降りる。

 咄嗟にそちらへ放った伊織の『繰糸』に、そうはさせまいとする少女の『楔』が降り注ぐ。


「二緒子殿!」


 焦慮を込めた警告の叫びが、耳朶を打った。

 

 だが、三朗の解術が終わっていない上に、桧山辰蔵の『繰糸』に自分ごと三朗を拘束させている状況では、動きたくても動けなかった。

 その上、その男の動きは、人間とは思えない速さだった。『使』の背から庭に飛び降りたと思った次の瞬間には、二緒子の眼前に迫っていたのだ。


 一瞬で詰められた間合い。

 駄目だ、と思った。

 同時に、駄目ではない、と叫ぶ声が聞こえた。


 目を瞑るな。

 諦めるな。


 見開かれたままの瞳孔の奥で、ちかり、と火花が散る。

 考えるよりも早く胸奥で神珠が回転し、目の前の何もない空間に白金色の水流が爆ぜた。


(でき、た?)


 これまでずっと、一度神剣を顕現させて、それを誘導路にすることでしか発現できなかった自身の神力ちからを、二緒子は初めて単体で出現させていた。


 白金の泡を撒き上げた水流が、真正面から男に打ち当たる。

 一瞬だけ、その足を止める。

 だが。


「だからね、お姉さん、あなたの攻撃は真正直で大ぶり過ぎるのよ。言ったでしょ」


 冷ややかな少女の声に、裂帛の気合が重なった。

 腰間から抜き打たれた男の太刀が真一文字に空を裂いて、咄嗟に巡らせた水の盾を斬り払った。


 時が止まる。

 視界が黒く塗りつぶされる。

 その中で、振りかざされた白刃だけが、冷たく煌めいた。


 ――死ぬ。


 呆然と、その現実を認識した時だった。


 蒼銀の閃光が、斜めに視界を薙いだ。


 その手に閃いたのは、神剣ではなく、神力の温存の為に佩いている鉄剣。

 人間にはもちろん、並みの真那世でも絶対に不可能な速度で抜き放たれたそれが、二緒子の命を斬り裂くところだった太刀を、その直前で打ち止めた。

 

「――よく頑張った、二緒子」


 放たれた声は、常の張りに近いところまで戻っていた。


「すまない。遅くなった」


 視界に光が差す。止まっていた時が動き出す。


 ――どこで孤立しようと、お前たちが踏み止まり続ける限り。


『必ず、助けに行くから』


「兄様」


 

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