25 鬼堂興国

 御間城みまきの帝から五百年を閲して、現在、秋津洲あきつしまには四十七の国が置かれている。


 この数字をもう少し細かく分類すると、南から南方なんぽう九国、西国さいごく二十二国、北支ほくし三国、東柱とうちゅう六国、東方とうほう四国、奥東方おくとうほう三国、と分けることができる。


 の国は、その東方四国の一つで、東柱六国とは函東かんとう山脈で、北の奥東方とは日興にっこう山地で隔てられ、その内に広がる高窓たかまど平野の西側のほぼ半分を占める。


 土地面積は広範だが山地が多く、平野部も、安良あら川と水瀬みなせ川という暴れ川を抱えている所為で未開墾の湿地や荒れ地が多かった。

 当時の主街道からも外れているし、大規模な交易船が入港できるような港もない。

 つまり、神狩かがり宗家を巡る争いに敗れた鬼堂式部しきぶが国司として赴任した時の阿の国は、東方四国の中では一番貧弱といってよい小国だった。


 よって、この人事は、誰の目にも左遷としか映らなかった。

 実際、国司として国府の鶴羽つるう城に入った鬼堂式部は、同時に任官した副官たちに政務を丸投げし、丸一年ほどは無為無力といった様子で過ごしている。


 しかし、その一年が過ぎた頃、鬼堂式部は、突然人が変わったように動き始めた。


 彼は術者としても一流だったが、実は政治家としての才にも長けていたようで、短期間の内に信奉者を増やし、敵対者を排除して、完全に国府を掌握した。


 その過程で、阿の国との国の境に横たわる吉利きつり山地の奥で、ひっそりと祖神そじんの血を伝えていた八手やつで一族を発見すると、これを征服して、麾下に収めた。


 次いで、水害が多発する荒れ地として放置され続けていた安良川と水瀬川流域の開拓に乗り出し、街道と宿場町を整備し、安良川の河口に巨大な港町を造り、東方四国内はもとより、奥東方や北支、果ては西国や南方へも向かう通商路を構築した。


 更に、神狩かがり一族が持つ特殊能力を活かし、妖種ようしゅの出現や、怨霊や呪詛といった霊障の事案が持ち込まれたりすると常に最優先で対処し、自ら陣頭に立って妖種退治に臨み、被害を受けた者たちには私財を割いて見舞金まで出した。


 そうこうしている内に、七年と定められている国司の任期が明ける。

 普通の貴族ならここで央城おうきの都に戻り、次の、より高い役職の獲得を目指すものである。


 だが、鬼堂式部は、央城へは戻らなかった。

 国府の鶴羽城は次にやってくる国司の為に明け渡さなければならないので、在任中に安良川の河口に開いた港町、真垣まがきに自らの拠点となる城を建てて、本格的に腰を据えたのである。


 以来、彼は、親族たちや家臣たちを高窓平野の各地や隣国のの国、の国にまで派遣して、私有地の開墾を始め、次々に自らが支配する領地と領民を増やしていった。


 結果、阿の国や周辺の豪族や富農たちは、こぞって彼の勢力下に入りたがった。

 家臣や領民となり、開拓や農民の管理に労力や武力を提供する代わりに、央城の朝廷やそこから派遣されてくる国司たちが横暴を働いた時は庇ってもらい、妖種が出現した際には護ってもらおうとしたのである。


 こうして、鬼堂式部の勢力は短期間のうちに急拡大し、東方から奥東方、北支の一部にまで広がった。

 次にやってきた国司も、そのまた次の国司も、何かやろうとする時はまず鬼堂式部の意向を問うことから始めるくらいだった。


 鳳紀ほうき五三四年。

 鬼堂式部は病に倒れ、五四歳の天寿を全うした。多くの人々がその死を惜しみ、嘆き、葬列が往く道は献花で埋め尽くされた、という。


 ***


 その鬼堂式部が造った真垣城は、安良川北岸に広がる丘陵地帯の一角にあった。


 傍目にも相当な広さがあるとわかる敷地は、瓦を頂いた格式ある白塀に囲まれ、楼を備えた城門によって護られている。門の周囲には常に皮甲を身に付け、槍を手にした数名の徒士が控えて、近づく者たちを監視していた。


 門の内側は白砂を敷き詰めた広場になっており、ところどころに植え込みや庭木を配し、中央には人工の池を造っている

 この庭を正面に、瓦屋根を頂く広壮な殿舎、すなわち正殿せいでんがそびえている。その西と東には対屋たいのやが配置され、そこから池のほとりまで真っすぐ伸びる渡殿わたどのの先には釣殿つりどのがあった。


「この、うつけが‼」


 黄昏時の薄暮の中、怒号と共に投げつけられた鉄扇が、白砂利が敷き詰められた庭に這いつくばった男の頭を直撃する。

 ばこん、と大きな音が響いて男の額が割れ、鮮血が空に散った。


「も、申し訳ございません!」


 ひいっと情けない悲鳴を上げて、戸渡とわたり左門さもんが血まみれになった額を地面に擦り付けた。


 西の対屋の先にある釣殿の脇だった。

 釣殿の周囲には広縁が巡らされており、そこからは庭に直接降りることができる階が設けられている。


 戸渡左門は、その階の真下に平伏していた。

 その背後には黒衆の若党の二人が、そのまた背後には、桧山ひやま辰蔵たつぞうを始めとする五番組の戎士じゅうしの半分が並んで、やはり白砂利に額を押し当てている。


「申し訳ないで済むか! かくも無様な醜態をさらしておきながら、よくもおめおめとわしの前に顔を出せたな‼」


 再度吼えた男は、階の上に仁王立ちになっていた。

 鬼堂きどう興国おきくに――四五歳。

 頭頂に結い上げられている髪は既に銀灰色に染まっているが、黒地に菊花模様を染め出した直垂ひたたれに包まれた体躯はぴんと背筋が伸び、未だ衰えは見られない。

 角張った顎。鷲鼻と太い眉。その下にある右眸は猛禽のような光を放っているが、左眸は黒い眼帯で覆われている。


「全くじゃ」


 その左右には、二つの人影が端座している。

 その内の一人、柿渋色の直垂を纏った六十がらみの小柄な老人が、腹立たし気に膝を叩いた。


「戸渡、貴様も黒衆の術者なれば、例え刺し違えてでも宿敵に一矢報いんとの気概を見せて然るべきであろうに。ええい、ここで腹を切れ。死んでお館様にお詫び申し上げよ」


 老人の名は、嶽川たけかわ朧月ろうげつといった。

 鬼堂式部が央城から阿の国に下向した折からの側近で、今はその息子である興国の相談役となっている、黒衆最古参の一人である。


「朧月」


 冷酷な言葉に、戸渡左門が、ひいっ、と情けない声を上げる。

 そこへ、老人の反対側に端座していた青年が、口を挟んだ。


「鬼堂家と九条家が袂を別ったのは、四十年の昔。その時その場のことを自身の記憶として持っている者は、もはやお前や葉武はたけぐらいのもの。まして戸渡は、鬼堂家が阿の国に移ってから黒衆に入った『新参者』であれば、九条家への怨みつらみと言われてもぴんとは来ないだろう」


 彼は、鬼堂興国の長男で、名を数馬かずまといい、この年十九歳だった。

 しなやかな若駒のような体躯に漆黒の直垂を纏い、髪は老人や戸渡左門と同じように後頭部で一つに纏めて黒布で包んで、腰には太刀を佩いている。

 浅黒く引き締まった顔は精悍だが、殆ど表情というものを浮かべていなかった。


「甘いことを仰るものではありませんぞ、若」


 数馬の言葉に、老人はぎょろりと目を動かした。


「央城より従ってきた古参の家柄の者であれ、新参者であれ、黒衆に名を連ねる以上、亡きご先代を陋劣なる手段で放逐した九条青明せいめいは、怨敵と心得おるべきにございます。にもかかわらず、その孫を名乗る小娘を返り討ちにするどころか手も無く捻られ、挙げ句、お館様の貴重な手駒の一つを奪われるなぞ。このような失態を容易く赦しては示しがつきませぬ」


 老人が立ち上がり、主人の横に並ぶ。

 多くの皺が浮き出た右手がぼうっと光り、そこに全長六尺(約二メートル)はありそうな、光の『鞭』が出現した。


「お、お待ち下さい、嶽川のご老! そ、それは私の咎ではございません‼」


 戸渡左門の両目が忙しなく動いた。

 喚き声と共に持ち上がった手が、戎士組の一番後ろに平伏している二緒子と、その傍らで粗莚に荒っぽくくるまれた状態で転がされている一也いちやへと、突きつけられた。


水守みずもりの者どもが、あまりに無能だったのでございます! 小娘一人ごときに手こずったのは奴らで……! あ、後――そう、下の小童こわっぱがいきなり暴走して、我らは動きたくても動けなかったのでございます! な? 桧山ひやま、そうだな!」


 同意を求められて、背後で平伏していた桧山辰蔵が慇懃に頷いた。


「はい。我らすら、あまりに危うくて身動きもならず。戸渡様と郎党お二方の守護のみで手一杯でございました」

「あれさえ無ければ、私めとて黒衆の端くれ、九条家の小娘などにみすみす勝利の凱歌を歌わせはしませんでした!」

「つまり、醜態をさらしたのは、斗和田の一代どもであると?」


 猛禽のような隻眼が自分たちの方に向けられて、二緒子は愕然とした。


「つまりは、童どもに対する、一也の管理不行き届きか。三年前、わしに対してあれほどの大言を吐いておきながら、何とも無様な話だ」


「ち、違……」


 二緒子が上げかけた声は、鬼堂興国の隻眼に浮いた酷薄な笑みに踏み潰された。


「戎士においては、反抗や怠惰は勿論、無能も赦されることではない。懲罰が必要だな」


 主の言葉に応じて、嶽川朧月がしゅっと『鞭』をしごき、身体の向きを変える。


 二緒子は反射的に一也に飛びつき、その上に覆いかぶさった。


「ほう? お前が代わりに罰を受けるというか?」


 怯えきった表情で、それでも必死の形相で兄を庇った少女に、老人が薄い唇を歪めた。


 大きくしなった『鞭』が空を躍り、目と鼻の先の白砂利を叩く。

 風圧で頬や手の甲が浅く切れ、跳ねた小石が顔や腕を叩いたが、二緒子は一也にしがみついたまま、離れなかった。

 今の一也があんなものを食らえば、それだけで心臓が止まりかねない。


「父上、朧月も、八つ当たりはそこまでに」


 その時、再び平坦な声が響いた。


「八つ当たりだと?」


 鬼堂興国が、ぎろりと息子を睨みつけた。


「信賞必罰は支配の基本。まして真那世は、本来ならば見つけ次第処分するべきところを、人の役に立てばこそ生かしてやっているのだぞ。なれば、無能、失態を罰するは、当然だ」

「水守家は九条の姫とやらの『使つかい』を、四体まで潰したのでしょう?」


 鬼堂数馬が淡々と言った。


「一人で五体もの『使』を有するとなれば、九条の姫というのは、かなり規格外の術者です。不意打ちの奇襲を受け、しかも初陣の三朗と二緒子を庇いながらとなれば、今の一也では分が悪かったでしょう。それでも、そこまでの戦果を挙げたなら、無能には当たりますまい。まして――」


 青年の視線が、庭に這いつくばったままの戸渡左門に流れる。


「戸渡と桧山が何一つ援護しなかったというなら、尚更です」

「い、いや、お言葉ですが、若、わ、私めは、『しなかった』のではなく、『できなかった』ので……!」

「それを以て自らを罪には当たらずと弁護するなら、戎士たちに責を押し付けることも止めるがいい」


 青年の言葉に、二緒子は一也に覆い被さったまま、ぎこちなく目線を上げた。


「本来、戎士たちに適切な指示を下し、事態を解決に導くのが黒衆の術者の役目だ。お前がそれを敢えて『やらなかった』なら、怠惰か、利敵行為という名の反抗となろうし、『できなかった』なら無能となる」

「は? い、いや、それは……」

「三朗が自らの神力ちからを制御できなかったことも、お前が指揮を全うできなかったことも、『できなかった』という意味では同じだろう。それ故に戎士たちの責を問うというのであれば、同じ理由で私もお前の責を問おう。だが、力を尽くしても及ばなかったものは仕方がないと認めるなら、私もお前に対してそれを認めよう」

「み、認めます‼」


 途端に、戸渡左門は、がばりと平伏して叫んだ。


「確かに、あれは力を尽くしても及ばなかったことでございました!」


 余りの変わり身の早さに、鬼堂興国が再度唸り声を上げ、朧月が頭痛を覚えたような表情になる。


 だが、数馬の表情は一切変わらなかった。


「ならば、この件はこれで措く。失敗を教訓とし、次に活かせ」

「は、ははっ! 命に代えましても!」


 憂さ晴らしの暴力を制止された鬼堂興国が、露骨に顔を顰めた。


「数馬」

「私は父上より黒衆の中司なかつかさ――術者と戎士たちに対する現場の総指揮権をお預かりしております。その私の沙汰が気に入らぬと仰るなら、ご随意に。しかし、ここで戸渡や戎士たちを折檻すれば過去が覆され、状況が変わるというものでもないでしょう」


 鬼堂興国の右眼には、未だ衰えぬ嚇怒がぼうぼうと燃え盛っている。

 その威圧の波動は、戎士はもとより、黒衆でも下っ端の術者などなら到底正視に耐えないだろうが、青年は眉一筋たりとも動かさなかった。


 そこへ。


 「失礼致します」


 表に通じる池や庭の方ではなく、釣殿の背後に植わっている植え込みの陰に、二つの影が差した。


 共に、二十代前半の青年である。


 一人は、髪を角髪みずらに結い、戎衣じゅういやくくり袴ではなく、白色の上衣に若竹色の袴を纏っている。

 穏やかな風貌と相まって戎士というより文士に見えるほどだが、その双眸には、確かな理知と意志の光が宿っていた。


 もう一人は、隣に並んだ青年より頭一つ分背が高く、がっちりとした筋肉質な体躯を檜皮ひわだ色の戎衣に包んで、その上に袖の無い鹿皮の羽織を重ねている。

 檜皮色の戎衣は八手一族の証だが、腰ではなく背に大剣を背負い、髪も角髪ではなく襟足で短く刈っているところが、隣の青年や桧山ひやま辰蔵たつぞうと異なっていた。


 その二人は、まるで死体のような有り様で転がされている一也を見て息を詰めるような表情を浮かべたが、無言のまま、その場に片膝をつき、頭を垂れた。


針生はりう伊織いおり七尾ななお清十郎せいじゅうろう――お呼びに従い、参上しました」


「呼びつけてすまない、伊織。まずは一也いちやの様子を診てくれ」


 口上を述べた若い方の青年に、数馬かずまが声を掛けた。


 ハッと数馬を見やってから、二緒子におこはそろそろと身体を引いた。

 歩み寄ってきた青年が、蒼白になっている少女の顔や、その額におざなりに巻かれただけの布や、切り傷だらけの白い手足を痛まし気に見やってから、その場に片膝を着く。


「これはまた……」


 手慣れた様子で一也の脈拍を測り、胸部の音を聴き、あちこちに触れてみてから、思い切り顔を顰めた。


「心身の消耗が度を越えています。『質』の身で、無茶をなされ過ぎたようですね」

「癒せるか?」

「退出をお許し頂ければ、すぐにでも」

「ならば、連れて行け」


 応じたのは、広縁の上の鬼堂興国おきくにだった。


「危急の事態だ。早急に使えるようにせよ」

「御意」


 吐き捨てるような下命だったが、伊織は恬淡と服し、一也に向き直った。


「伊織様……」

「大丈夫ですよ」


 心をどこかに置き忘れてきたような二緒子の表情と眼差しを見返して、伊織の口調が柔らかくなる。

 気遣うように――励ますように。


「ご心配なく。死なせはしませんから」


 瞬間、絶望じみた恐怖と闇に支配されていた二緒子の双眸に、小さな光が揺れた。


 針生伊織。

 三年前のあの時、二緒子たちに手を差し伸べてくれた彼は、族長の弟というだけではなく、八手一族の医薬師としても名を知られていた。

 確かな知識に裏打ちされた穏やかな話し方と丁寧な物腰は、不調を抱える者の不安を散らし、信頼感を呼び起こす。

 何より彼は、あの時から水守家に隔意や敵意を示さず、公正さと礼儀とを持って接してくれる、殆ど唯一と言っていい八手一族だった。


 彼が引き受けてくれるなら、一也がこれ以上理不尽な扱いを受けることは無いだろう。

 戸渡と桧山などは、早く鬼堂興国に事の次第を報告しなければならないからという理屈で、昏倒した一也を粗莚にくるんで馬の背に括りつけ、糸百合いとゆりからこの真垣まがきまでの約十五里を走破するという乱暴極まりない方法を選択したのだ。

 それを思えば、八手一族の中に伊織のような存在がいてくれることは、この過酷な現実の中における微かな希望だった。


「よろしくお願いします……」


 震えながら頭を下げた少女にもう一度頷いて見せると、伊織は慎重な動きで一也を抱え上げて、白砂利の庭から退出していった。


戸渡とわたりたち、および五番組の戎士たちにも退席を許す。桧山と七尾、それに二緒子は残れ」


 見送っていた二緒子の耳を、鬼堂数馬の声が打った。


 心臓が見えない掌に掴まれるのを感じながら、再び広縁の方に向き直り、両手を白砂利の上についた。

 その前を、戸渡左門を始め、ホッとしたような顔になった五番組の戎士たちが、そそくさと通り過ぎていく。


 こうして、釣殿の庭先に残ったのは、桧山辰蔵と大柄なもう一人の戎士、そして二緒子だけとなった。

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