17 俺が居るよ-3

「俺だって、一人じゃまだ何もできないよ。昨日だって、兄上と姉上が居てくれると思ったから、飛び出せたんだ。それでも、あのヒグマもどきを仕留めることはできなかったけど」


 ふと、片手を持ち上げる。

 自身の首に掛かっている、朱色の勾玉の首環くびかざりに触れた。


「もし、これを外していたら、兄上に負担をかけることはなかったのかな……」

「それは駄目よ!」


 急に顔を上げた二緒子が、切羽詰まったような声を上げた。

 その語気に驚いて姉の顔を見返すと、二緒子はハッと息を呑み、視線を泳がせてから、再び俯いて言った。


「兄様にも言われているでしょう? それは、神力を自分の意志できちんと操れるようになるまで外しちゃ駄目、って」

「うん」


 姉の大きな反応に小首を傾げはしたものの、三朗は素直に頷いた。


「わかってる。今でさえまだ使いこなせていないのに、これを外したりしたら余計だよね、きっと」


 自分たちは、まだまだ苗木だ。

 お互い、実力も経験も全く足りず、大樹には程遠い。

 だから、独りではまだ立てない。走れない。

 けれど、幼い末弟を護りたいという気持ちも、兄にこれ以上負担を掛けたくないという気持ちも、共通の真実だ。どれほど怖くても、踏み留まるに足る理由だ。

 だから。


「俺が居るよ、姉上」


 姉の肩に、こつりと自分の肩を触れ合わせる。


「俺が姉上と一緒に走る。一緒に兄上と四輝しきを護る。兄上に比べたらまだ全然頼りないだろうけど、妖種にも黒衆にも八手の連中にも、俺は絶対に敗けないから」

「でも、主公しゅこうも八手一族の上の人たちも、早く私たちをばらばらにして、別々に働かせたいみたいじゃない? だから今回も、最初は私だけ、別の場所へ回されるところだった」


 確かに、三朗の初陣に大咲おおさき村の『役』が割り当てられた時、八手の里の治めを担う族長の針生はりう長十郎ちょうじゅうろうと、その補佐を務める上役たちは、一也に言った。

 三朗の初陣の面倒を見るのは一也一人で良いだろうと。二緒子は一年が経過したことであるし、独りでも使えるだろうと。


 その時、一也は頑強に異を唱え、一歩も引かなかった。

『逆らうつもりなら処罰する』と脅されても、『後進として導く気も護る気もないところへ、二緒子も三朗も一人で遣るつもりはない』と言い張った。

 一也が断固として譲らなかったので、今回、長十郎と上役たちは渋々ながらも折れたが、次もそれが認められるとは限らなかった。


 近年、妖種の出現は増え続けている。

 故に、鬼堂家には、の国のみならず、東や北の国々の各地から、異形への対処を望む民の嘆願が舞い込んでいる。

 増えるばかりの案件の中には、昨日の大咲村のような桁外れの大物と推定されるものも多い為、黒衆も八手一族の上層部も、それらに可能な限り水守家の戦力を割きたいのだ。


「大丈夫だよ。族長や上役たちが、俺と姉上に別々で『役』に行けって言い出したら、言ってやるから。俺たちはまだ半人前で、二人で一人前だから、バラバラにしたら戦力にならないって。それで、もし『貴重な一代の真那世』を無駄に死なせたりしたら、主公に怒られるのはあんたたちだ、って」


 顔を上げて、二緒子が濡れた眸を巡らせる。


「俺たちが半人前っていうのは、桧山組長が言ってたことだ。それで、ごはんもちゃんと寄越さないんだもん。だったら、そう扱えって言ってやる。一族の組長が言ったことなら、長や上役たちだって否定できないよ」

「――びっくりした」


 ぱちりと瞬いた二緒子の睫毛に、涙の珠が引っかかっている。


「いつの間に、そんな交渉なんてことが考えられるようになったの?」

「一応、俺だって成長してるから」


 その眸を見返して、三朗はにこりと笑って見せた。


「姉上を独りになんかしないよ、絶対。だって、それじゃ『役』の間中ずっと泣いてるんじゃないかって心配で、こっちだって集中できないかもしれないし」

「生意気言うようになって」


 疲労を溜めて重く澱んでいた眸に、微風が吹いた。


「頼りないなんてことはないわ。兄様も言っていたもの。三朗は、きっと自分より強くなる、って」

「え? 本当?」

「今のまま、ちゃあんと努力を続ければ、ね」


 パッと両眼を輝かせた弟に忘れず釘を刺してから、二緒子はようやく微笑んだ。

 泣き笑いの表情ではあったが、今までずっと一人で抱えていた不安を言葉にすることで、僅かながらでも心の重荷を下ろせたように。


「ありがと、三朗……」


 そうして、まだ殆ど同じ位置にある弟の肩に、こつんと頭を乗せた。


 そのまま、お互いにもたれ合ったまま眠ってしまった二人は、朝になって先に起きた一也に揺り起こされることとなった。

 二人が自分の傍で座ったまま眠り込んでいた理由なら、すぐ察したのだろう。心配させて悪かったと、申し訳なさそうな顔で詫びた兄に、二緒子がまた泣き出す。

 だが、今度の姉の涙は、三朗の心臓を握りつぶしはしなかった。

 安心の涙なら大歓迎だと思いながら、自分もまた安堵の熱さに耐えていたからだった。

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