12 俺が居るよ

 真神まがみと人のはざまされたいのち――真那世まなせ


 だが、一口に真那世と言っても、祖神そじんが違えば神珠しんじゅの強さも違うし、神力ちからの顕れ方も違う。


 さらに、その神力は、基本的には代を経るごとに衰えていく、という。


 だから、真神を直接の父に持つ一代の三朗たちと、吉利山きつりさんnの蜘蛛神――八繰命やくりのみことという尊名があるらしい――から、既に二十代以上を数える八手やつで一族では、同じ真那世と言っても、その神力の大きさ、強さにはかなりの差がある。


「まして、俺たちは父上から神剣をいただいているから」


 単純に『力』の大小だけなら、今の世の真那世の中では最強かもしれない。


 ただ、だからと言って、生まれながらに無敵万能という訳ではない。

 どれほど図抜けた神力ちからであれ、使いこなすには鍛錬と経験とが必要になる。むしろ、持って生まれたものが大きければ大きいほど、制御できるようになるには時間が掛かる。


 二緒子におこが、自身の神力ちからを水のかたちに換えて戦いの手段として使えるようになったのは、初陣を踏む直前ぎりぎりのことだった。

 斗和田に居た頃は、そういった鍛錬は積んでいなかったからだ。しかもまだ、神剣を媒介しなければ、発現させることすら覚束ない。


 三朗に至っては、その段階にすら至っていない。神剣を用いて妖種ようしゅを斬るだけで、精一杯だった。


「俺も、昨日は怖かったよ」


 三朗は言った。


「こっちの妖種は斗和田とわだとは違うってずっと話には聞いていて、覚悟もしていたつもりだったけど、想像以上だったし」


 斗和田に居た頃も、妖種に遭遇したことはあった。

 だが、それは、どんなに大きくても、普通の狼とか鹿ぐらいの大きさだった。


「だから、神和かんなぎ一族の術者が二、三人で囲めば、退治できていたじゃない。だから、最初、一人の術者の下に戎士じゅうしが十人以上も付くって聞いた時は、正直、大げさだと思ったんだ。でも……」


 百聞は一見に如かず。

 一度、実際に『えき』に出てみれば、納得した。あんな巨大で強力なものを相手取るには、むしろ足りないぐらいだ、と。


「妖種も、一つ一つが全然違うしね」


 妖種は、真神同様、基本的に一種一個体で、同種、同類というものが存在しない。物質界の生き物のように同種同士で繁殖する訳ではなく、ある日ある時、突然この地上に出現するものであるからだ。


 その実態は文字通り千差万別で、暗がりに潜んでこっそりと人の生気を吸い取って回るような蟲や小動物のようなものもあれば、霞や泥の塊のような形状で這いずり回りながら瘴気を吐き、疫病の類をはやらせるようなものもいる。

 故郷で見たことがある妖種は、このようなものが多かった。


 一方で、東方の諸国や、さらに西の畿内、西国、南方では、あのヒグマもどきのように、真神にも匹敵するような巨大なかたち妖力ちからを持ち、山を崩したり川を溢れさせたり、物理的に人を襲って喰ったりする巨大なものが出現して暴れ回ることが多いという。


 それらを狩る『役』は、常に初見となる妖種の生態、能力を見極めながらの戦闘となる。

 それは、人の術者はもちろん、真那世の戎士たちにとっても決して易しいことではなかった。


「だから、八手一族も、鬼堂家の先代当主に征服されて、戎士として使役されることになった時、今の十番組の体制を作ったんだよね」


 人と真那世が交われば、次世代の子も、親よりは弱化しているものの、神珠しんじゅを有して生まれて来る。


 八手一族は、そうやって、五百年以上に渡って祖神そじんの神珠を次の世代へ伝え、存続させてきた。


 よって、一族総体の数は多い。

 それを活かして、彼らは一族の戎士を一組十人前後、計十組に振り分け、個々としてはもはや水守みずもり家の一人分にも及ばないほど弱化している神力ちからを、集団の力で底上げしている。

 そうして、年長者が年少者を教育し、互いに支援し合うことで死傷率を可能な限り下げ、生存率を高めてきた。


 それでも、『役』で死傷者が皆無ということは稀だったと聞いている。


 だから、彼らは十番組の体制を編むと同時に、一族全体で子供を教育する体制も整備していた。どうしても欠けていく戎士の席を、その年に成人する子供たちで埋めていけるように、だ。


 その『成人』年齢は、十二歳とされている。


 真那世の子供は人の子供に比べて成長が速いからだが、それでも、八手一族の子供たちは、十二歳で戎士組に配属されても、二、三年は、予備役として、八手の里の防備の仕事に回される。実際的な戦闘が発生する妖種狩りに投入されるのは十五歳を過ぎてからで、その初陣も、周囲の年長者たちが入念に支援すると聞いている。


 しかし、八手一族は、二緒子や三朗には、何の配慮もしなかった。

 十二歳になると同時に最前線へ放り込み、全ての支援を一也いちやに任せて、ろくに協力もしなかった。


 それは、三朗たちが『斗和田の化け物』で――そして、一也が、多くの八手一族にとって、身内の仇だからだ。


 三年前の斗和田での戦いで、一也が直接その手で斃した八手一族の戎士は、数え切れない。

 三朗たちからすれば、兄は侵略者から家族や故郷を護ろうとしただけだと言いたいが、八手一族の多くはそのことを怨みに思っている。


 実際、斗和田の戦の後、の国まで連行されて、監視と管理を兼ねて八手の里に移住させられた三朗たちは、その日から陰湿な嫌がらせにさらされることになった。


 連日のように、親の仇、夫や妻の仇、息子や娘の仇といった怨みつらみを連ねた書状が舞い込み、少しでも外に出ると化け物と罵られ、物陰から石や汚物を投げつけられた。庭先に蛇や鼠の死骸を放り込まれたり、夜中に槌のようなもので門扉を叩かれたり、配給される食糧が腐っていたこともあった。


 そうして、成人と同時に『役』の現場に放り込まれてみれば、今度は一代の神力ちからを利用できるだけ利用しようと、水守家にばかり妖種の相手を押し付けて来たりする。


 鬼堂興国の命令があるので、意図的に殺傷されるようなことはないが、困難に陥っても手を差し伸べられることはなく、むしろいい気味だといわんばかりに嗤っている。


 だから、もし、自分たちの神力が妖種の妖力に競り負けたら、きっと救済の努力など講じられることなく、その場で見捨てられる――。


 そんな空気を、三朗も、この初めての『役』で、嫌というほど感じ取った。


 妖種以上に恐ろしいのは、この状況の方だ。人であれ真那世であれ、孤立という重圧は何より心を消耗させる。


 これでは、三朗より一年早く初陣を踏んだ二緒子が、一也に縋らずにいられなかったのは当たり前だ。絶対の安全など無い妖種との戦いの中で、自分たちの未熟さを庇い、護り、導いてくれる存在は、兄しかいないのだから。


(まして、姉上は)


 気が優しくて、喧嘩も暴力も大嫌いで、幼い頃から、三朗や従兄妹たちと外を走り回るより、家の中で料理をしたり、縫物をしたりする方を好んでいた。


 神和一族に伝わる、呪いを祓ったり、病や怪我を癒したりする為の霊能の技なら早いうちから身に着けて、村で病人や怪我人が出たと聞くと、祖父や母と共に真夜中でも駆けつけていっていたが、剣などは持ったことも無かったのだ。


 ――それでも。


 命と兄弟以外の全てを喪ったあの日、二緒子は自らの意志で、父神から授けられた神剣を握った。

 兄を助け、末弟を守り、兄弟四人で生きていく為に。


「そんな姉上が、駄目な訳ないだろ」


 懸命に言葉を探しながら、何度も首を振る。


「俺だって、一人じゃまだ何もできないよ。昨日だって、兄上と姉上が居てくれると思ったから、飛び出せたんだ。それでも、あのヒグマもどきを仕留めることはできなかったけど」


 ふと、片手を持ち上げる。

 自身の首に掛かっている、朱色の勾玉の首環くびかざりに触れた。


「もしかしたら、これを外していたら、兄上に負担をかけることはなかったのかもしれないけど」


「それは駄目よ!」


 急に顔を上げた二緒子が、切羽詰まったような声を上げた。

 その語気に驚いて姉の顔を見返すと、二緒子はハッと息を呑み、視線を泳がせてから、再び俯いて言った。


「兄様も言っていたでしょう? それは、神力ちからをきちんと操れるようになるまで外しちゃ駄目だって。せめて、神力のかたちを自分の意志で変化させられるようになってから、って」

「うん」


 姉の大きな反応に小首を傾げはしたものの、三朗は素直に頷いた。


「わかってる。今でさえまだ使いこなせていないのに、これを外したりしたら余計だよね、きっと」


 自分たちは、まだまだ苗木だ。

 お互い、実力も経験も全く足りず、大樹には程遠い。


 だから、独りではまだ立てない。走れない。


 けれど、幼い末弟を護りたいという気持ちも、長兄に負担を掛けたくないという気持ちも、共通の真実だ。どれほど怖くても、逃げずに踏み留まるに足る理由だ。

 だから。


「俺が居るよ、姉上」


 姉の肩に、こつりと自分の肩を触れ合わせる。


「俺が姉上と一緒に走る。一緒に護る。兄上に比べたらまだ全然頼りないだろうけど、妖種にも黒衆にも八手の連中にも、俺は絶対に敗けないから」


「でも、主公も八手一族の上の人たちも、早く私たちをばらばらにして、別々に働かせたいみたいじゃない? だから今回も、最初は私だけ、別の場所へ回されるところだった」


 確かに、三朗の初陣に大咲村の『役』が割り当てられた時、八手の里の治めを担う族長の針生はりう長十郎ちょうじゅうろうと、その補佐を務める上役たちは、一也に言った。


 三朗の初陣の面倒を見るのは一也一人で良いだろうと。二緒子は一年が経過したことであるし、独りでも使えるだろうと。


 その時、一也は頑強に異を唱え、一歩も引かなかった。逆らうつもりなら処罰すると脅されても、後進として導く気も護る気もないところへ、二緒子も三朗も一人で遣るつもりはない、と言い張った。


 一也が断固として譲らなかったので、今回、長十郎と上役たちは渋々ながらも折れたが、次もそれが認められるとは限らなかった。


 御間城みまきの帝が都を開いて以来、央城の朝廷は、事あるごとに四州ししゅうに兵や術者を出し、『まつろわぬ民』たちを武力で従えてきた。

 その結果、鳳紀ほうきが二百年を数える頃には、公式記録から、真神や真那世の目撃および討伐の事例は絶えることになる。


 だが、逆に増え続けているのが、妖種の出現だった。

 よって、『東北護台とうほくごだい』たる鬼堂家には、東方の各地から、異形への対処を望む民の嘆願がどんどん舞い込んでいる。増えるばかりの案件の中には、昨日の大咲村のような桁外れの大物と推定されるものも多い為、黒衆も八手一族の上層部も、それらに可能な限り水守家の戦力を割きたいのだ。


「大丈夫だよ。族長や上役たちが、俺と姉上に別々で『役』に行けって言い出したら、言ってやるから。俺たちはまだ半人前で、二人で一人前だから、バラバラにしたら戦力にならないって。それで、もし『貴重な一代の真那世』を無駄に死なせたら、主公に怒られるのはあんたたちだ、って」


 顔を上げて、二緒子が濡れた眸を巡らせる。


「俺たちが半人前っていうのは、桧山ひやま組長が言ってたことだ。それで、ごはんもちゃんと寄越さないんだもん。だったら、そう扱えって言ってやる。一族の組長が言ったことなら、長や上役たちだって否定できないよ」


「――びっくりした」


 ぱちりと瞬いた二緒子の睫毛に、涙の珠が引っかかっている。


「いつの間に、そんな交渉なんてことが考えられるようになったの?」

「兄上の受け売り」


 その眸を見返して、三朗はにこりと笑って見せた。


「姉上を独りになんかしないよ、絶対。だって、それじゃ『役』の間中ずっと泣いてるんじゃないかって心配で心配で、こっちだって集中できないかもしれないし」

「生意気言うようになって」


 疲労を溜めて重く澱んでいた眸に、微風が吹いた。


「頼りないなんてことはないわ。兄様も言っていたもの。三朗は、きっと自分より強くなる、って」

「え? 本当?」

「今のまま、倦まず弛まず努力を続ければ、ね」


 パッと両眼を輝かせた弟に忘れず釘を刺してから、二緒子はようやく微笑んだ。泣き笑いの表情ではあったが、僅かながらでも心の重荷を下ろせたように。


「ありがと、三朗……」


 そうして、まだ殆ど同じ位置にある弟の肩に、こつんと頭を乗せた。


 そのまま、お互いにもたれ合ったまま眠ってしまった二人は、朝になって先に起きた一也に揺り起こされることとなった。


 二人が自分の傍で座ったまま眠り込んでいた理由なら、すぐ察したのだろう。心配させて悪かったと、申し訳なさそうな顔で詫びた兄に、二緒子がまた泣き出す。

 だが、今度の姉の涙は、三朗の心臓を握りつぶしはしなかった。安心の涙なら大歓迎だと思いながら、自分もまた安堵の熱さに耐えていたからだった。


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