11 斗和田・喪失の光景-2

「降りてこい、斗和田とわだの化け物ども!」


 朝陽が徐々に角度を変えていく。

 その鮮烈な光の下、九歳の三朗は、二緒子におこと二人、高い樹上で手を握り合ったまま、動くものが何もなくなった故郷の崩壊の光景を、ただ呆然と見つめていた。


 そこへ、怒鳴り声が響き渡った。

 ハッと視線を投げ落とせば、二十人近い男たちが木の周囲を取り囲んでいた。


 全員、髪を角髪みずらにして、檜皮ひわだ色の上下を纏っている。

 中心にいるのは、黒ひげを蓄えた四十代の男だった。こちらを睨み上げてくる金壷眼にもその全身にも、殺気立った猛々しい気配が漂っている。


「大人しく降りて来ないなら、撃ち落とすぞ!」


 語尾に、ばしっ、ばしっ、という音が重なった。

 数人が、自身の人差し指と親指の間に神力ちからで編んだと思しき糸を張り、そこに石塊を挟んで引き絞ると、弾弓の要領で飛ばしてきた。

 着弾の衝撃で、すぐ足下の枝が折れて弾け飛び、近くの幹が大きくえぐれて木くずが飛び散った。


 至近でそれを浴びた二緒子が、悲鳴を上げて身を縮める。


 その様子を見上げた男たちが、ささくれ立った嗤い声を上げた。

 更に二度、三度、撃ち放たれた石塊が顔や身体のすぐ近くを奔り抜ける。


「――やめろ!」


 怯える姉と弟に覆いかぶさりながら、恐れよりも怒りが勝った視線を下に向けた時だった。


「何をしているのですか、子供相手に!」


 鋭い声が響いた。

 下の男たちが、ざわっと揺れた。


 現れたのは、涼やかな目元が特徴的な、二十歳になるかならぬかの青年だった。

 同じ角髪、同じ檜皮色の上下を纏っているが、石塊を撃ってきた男たちに同調するのではなく、逆にその中の一人の肩を掴み、突き飛ばすようにして押しのけた。


「――何を甘いことを言っている、伊織いおり


 黒ひげの男が、余裕のない血走った表情で、その青年を睨んだ。


「あれは、子供のなりをしていても、斗和田の一代という名の化け物だ。手足の一本も撃ち抜いておかねば、危なくて仕方がないぞ」

桧山ひやま殿、その台詞、我ら一族の一代目の先祖たちにも言えますか」

「なに……」

祖神そじんは違えど、同じ真那世まなせでしょう? 退がって下さい。子供相手に恥さらしな真似を止めないなら、この場は私が預かります」


 ぴしりとした口調で二回りは年長の黒ひげの男を窘めると、青年は他の男たちを木の根元から遠ざけ、頭上にいる三朗たちを見上げてきた。


「斗和田の竜神の御子たちですね? 私は、吉利きつり山の蜘蛛神、八繰命やくりのみこと神珠しんじゅを引き継ぐ八手一族、その族長針生はりう長十郎ちょうじゅうろうの末弟で、伊織と申します」


 淡々とした口調だった。

 勝利に驕る様子も、殺気だった刺々しい空気も、敗者をせせら嗤う蔑みの気配も、何も無かった。

 だが。


「君たちの兄上と神和かんなぎ一族は、我らの主公しゅこうに敗れました。だから、君たちがそこでそうしていても、助けに来る者は、もう誰も居ません」


 だからこそ、その恬淡とした口調が突き付けてきたのは、抜き差しならない現実だった。


「だから、どうか、降りてきてください。無理やり引きずりおろすようなことはしたくありません。大人しく我々に従ってくれるなら、着替えや食事も用意します。一晩、雨に打たれた後でしょう? 特に、そちらの赤子は、早く暖めてやらなければ、取り返しのつかないことになりかねません」


 三朗の胸郭の奥で、心臓が引き攣った。

 無意識に巡った視線が、同じように巡って来た二緒子の視線を捕らえる。

 互いに、自分自身の顔に登ったに違いない表情を、相手の顔に見ていた。


「――君たちの兄上が何と仰っていたか、聞いていたでしょう?」


 青年の声音が、僅かに変わった。

 怒りや憎しみではなく、痛みと哀しみを凝らせたように。


「生きろ、と言っていたでしょう? 今の君たちにとって、その為の唯一の道は、我々と共に来ることです。八手一族本家の名にかけて、危害は加えないと約束します。だから、降りてきてください」


 三朗と二緒子は、恐怖と絶望に飽和し、もはや泣くことすらできない顔を、再度見合わせた。

 そして、ほぼ同時に機械的に視線を傾け、自分たちの腕の中で丸くなって眠っている四輝しきを見つめた。


 言葉での相談はなかった。

 ただどちらからともなく頷き合って、のろのろと樹上から降りていくことを選択した。

 そうして、ぬかるんだ泥土に足裏をつけた時、三朗たちは、家族と故郷に続いて、自由をも失ったのだった。


 ただ一つ幸いだったのは、伊織と名乗った青年が、約束を守ってくれたことだった。

 他の八手一族たちの憎悪とも嫌悪ともつかない視線を自らの身体で遮りながら、三朗たちをまとめて荷車に乗せ、急場の飢えを満たすための兵糧丸や濡れた身体を拭く為の乾いた布を渡してくれ、四輝の為にと山羊の乳まで手に入れてきてくれた。


 そうして、荷車で運ばれて連れて行かれたのは、五里ほど離れたところにある最寄りの村だった。

 しかし、三朗たちも知らない訳ではないその村の人々の姿は一人も見えず、ただ、甲冑を纏って弓矢を背負った人間の武士たちや、檜皮色の上下を着た真那世の男たちだけが往来を行き交い、家々の前にたむろしていた。


 その中、三朗たちは三人だけで、村外れの一軒家に押し込まれた。

 板敷きの六畳一間に猫の額ほどの土間がついているだけの小屋だったが、裏手には厠と井戸があり、六畳間には小さいながらも囲炉裏が切られていた。

 その周囲は常に監視され、厠と井戸以外で外に出ることは許されなかった。


 ただ、監視者たちが小屋の中に入ってくることはなく、伊織だけが一日に一度やって来て、少量の雑穀や兵糧丸などの食料の他、替えの衣や四輝の襁褓まで届けてくれたので、三朗は二緒子と共に、とにかく四輝を護ることだけに意識を傾けた。


 山羊の乳で煮潰した雑穀の粥を食べさせ、囲炉裏の火で沸かした湯で身体を拭いてやり、夜は三人で川の字になって眠った。

 四輝が母を求めて泣けば、二緒子と交代で抱いて、一晩中でもあやした。


 そうして、その日その日を生き抜くことだけを考えていれば、何も想わずに済んだ。

 居なくなってしまった家族のことも、喪った平穏な日常も、これから自分たちがどうなるのかという不安も。

 だから、唯一小屋を訪れる伊織はおろか、二緒子との会話すら雑事の手順や分担の相談だけになり、笑うことも怒ることも、泣くことすら一度も無いまま、ただ時間だけが過ぎていった。


 そうして、十日ほどが過ぎたある日――その男が、三朗たちの前に現れた。

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