7 宿場町・糸百合

「――出立」


 村長の屋敷の中から現れた戸渡とわたり左門さもんが、随従の若党たちが曳いて来た馬に乗り、ふんぞり返って手を挙げた。


 門前にずらりと並んだ村長や村人たちの恭しい見送りを受けながら、左右に徒歩の若党二人を従えて、先頭に立って馬を進める。


 その後に、牛に曳かせた二台の荷車が続いた。

 一台目の荷車には村から鬼堂家への進物だという幾つもの葛籠や米俵が山を為し、二台目の荷車には八手やつで一族の荷駄である野営用の天幕や兵糧を詰めた籐の箱などが積まれている。


 一台目の牛を御すのは、八手一族五番組組長の桧山ひやま辰蔵、二台目の牛を御すのは副長の木梨きなし鹿之助しかのすけ。他の戎士じゅうしたちは、庶民の平服である筒袖の上衣とくくり袴姿で、荷車の前後左右を歩く。


 三朗と二緒子におこは、二台目の荷車の脇に居た。

 その荷車の上には、雑然と積まれた天幕や箱の隙間に詰め込まれた一也いちやの姿がある。

 殆ど身動きができない狭い空間に無理やり押し込まれている状態は、完全に荷物扱いだ。おまけに、狭くて整備の悪い山間の道を進む車輪の真上だから、がたごとがたごとと揺れる振動が直接身体に響いている筈だった。


 黙って耐えている一也の顔色が、刻一刻と悪くなっていく。

 一度、たまりかねた三朗が、せめて横になれるようにしてくれと訴えたが、贅沢を言うなと殴られた。『斗和田とわだの化け物がこの程度でくたばる筈はないだろう』と嗤われるに至っては反射的に拳を固めたが、二緒子に飛びつくように抱き止められては、堪えるしかなかった。


 大咲おおさき村は、東方とうほう四国の中央にあるの国と隣国の国の境である芦尾あしお山地の奥から流れ出し、高窓たかまど平野を縦断して東の海にそそぐ水瀬みなせ川の上流域にあった。


 その大咲村から、鬼堂家と黒衆の拠点である真垣まがきまでは、直線距離でおよそ二十一里(約八〇キロメートル)。徒歩の旅人なら二日、真那世まなせなら一日で踏破できる距離だが、満載の荷車を曳く牛が一緒では、歩みは遅々として進まない。

 結局、七里(約二七キロメートル)ほどの山間の道を抜けたところで夕闇が迫って来たので、一行を先導する戸渡左門は、糸百合いとゆりという宿場町に一泊の逗留を決めた。


 ***


 糸百合は、芦尾山地の麓、水瀬川と安良あら川の間に挟まれた丘陵地帯の一角にある宿場町である。

 阿の国から吉利山きつりさんを越えて、北支ほくし三国や奥東方おくとうほうへ至る街道沿いにあり、昔は木賃宿が数件あるだけの小さなものだった。


 だが、四十年前、黒衆が央城おうきより阿の国に降って来た当時の鬼堂家の当主、鬼堂式部しきぶが、北や東との交易を盛んにする為に街道を整備したことで人や物の往来が増え、今では国府の役人などが逗留する本陣から、一般的な旅籠はたご屋、人足や担ぎ売りが利用する木賃きちん宿は勿論、酒食屋や色街まで備えた大きな町となっている。


 戸渡左門が草鞋を脱ぐことにしたのは、『美波みなみ屋』という旅籠屋だった。

 要時には脇本陣として使用されることもあるという格式のある宿で、主人は糸百合の町の顔役の一人だと言う。


東北護台とうほくごだい』を名乗る鬼堂家の名も、その麾下である黒衆の名も、既に広く知れ渡っている。よって、突然の訪れであったにもかかわらず、宿の主人は平身低頭で一行を迎え入れた。


「大変申し訳ありません、皆さま。東北護台様からの急な御用命でございますれば、どうぞ宿移りをお願い致します」


 既に宿の部屋に入っていた数名の客たちが、主人や番頭に何度も頭を下げられて、荷物を纏めて外へ出て行く。


 中にはぶつぶつと文句を言う者も居たが、大半は、黒衆の到来ならば仕方がないと、むしろ関わり合いになるまいとするように急ぎ足で玄関を潜り、同じような格式の他の宿へと散って行った。


 余人が居なくなったところで、戎士たちは『美波屋』の門内に荷車を曳き入れた。

 馬や牛たちは厩舎に繋ぎ、荷車に満載の進物とやらは、盗人や降雨への警戒の為、全て宿の蔵へ入れるよう命じられる。


「――あの人たちが真那世?」


 作業を始めた戎士たちの様子を、やはり宿の者たちが遠巻きに眺め始める。番頭や年嵩の女中頭などは薄ら寒い顔をしているが、若い女中たちなどは、人外の存在への嫌悪や恐怖より好奇心の方が勝っているような様子だった。


「見ただけじゃ、人じゃないなんてわかんないわね。角もないし、牙もないし」

「だから、気持ち悪いんじゃない。人じゃないものが、人と同じ姿をしてるなんて」

「子供がいるわ。真那世って、あんな子供でも素手で猪を倒せるって本当?」

「一人で米俵を十俵担いだりできるのよね?」


(いや、それは無理)


 呟きながら、三朗は渡された米俵を二俵、まとめて担ぎ上げた。


 真那世の基本的な身体能力は、人の倍といったところだ。

 よって、人間の大人が一人で一俵を担ぎ上げることができるとすれば、平均的な真那世の腕力で持ち上げることができるのは、せいぜい二俵から三俵である。


 それでも、おお、という声が遠くから聞こえてきて、げんなりとする。まるで見世物だ。


「ねえ、ちょっと、女の子まで居るわよ」

「女?」

「どれどれ?」


 不意に誰かが上げた声が、さざ波のように広がっていった。

 玄関先や勝手口の内外で立ち働いていた者たちまで、一斉に手を止めて、こちらへ注目してくる。


 黒衆たちは勿論、八手一族の戎士たちも、外へ『えき』に出るのは基本的に十五、六歳以上の男ばかりなので、その中に十三歳の少女が混じっているとどうしても目立つ。

 それも、悪い意味で、だ。


「へえ。化け物にしちゃ可愛い顔してるじゃないか」

「ほっそい腰。ありゃあ、まだおぼこだな」

「マナセでも女は女だろ? あそこの具合ってのは同じなのかね?」

「ちょいと後学の為に剥いてみてえな」

「およしよ」


 下世話な会話は、板前や下働きらしい男たちのものだ。

 そこへ、宿の女たちの尖った声が重なった。


「片親がマナセなら、生まれてくる子もそうなるって話だよ。あんたたち、化け物の子供が欲しいのかい?」

「大体、ちょっとぐらい可愛くたって、女が男に混じって刀振り回して妖種ようしゅ退治なんて、ろくなもんじゃないよ」

「そうそう。そんな女は、あばずれに決まってる」


 声を潜めているつもりなのだろうけれど、この程度の距離ならば、真那世の耳には全部ばっちり聞こえてしまう。

 現に、周囲に居る八手一族の男たちが、露骨に嫌な嗤い方をした。


「だってさ、二緒子」


 声を投げてきたのは、副長の木梨鹿之助だった。まだ二十歳そこそこの若い顔に、にやにやと締まりのない笑みを浮かべて、二緒子を見やる。


「あばずれらしく、脚でも見せてやれよ。残り物の魚でも投げてくれるかもしれないぞ」


 二緒子は顔を上げない。

 黙って足元だけを見ながら、言われるままに荷物を運んでいく。


「――やめて下さい、木梨副長」


 冷える心を閉じ込めようとしているその横顔に、三朗は眦を吊り上げた。


「姉上を侮辱したら、赦さないから!」

「へえ? どう赦さないって?」


 だが、木梨鹿之助は、歯をむき出して嗤っただけだった。


「ご自慢の神剣を抜くか? けど、俺たちに向かってそれをやったらどうなるか、わかってるよなあ? 里に来た時、数馬かずま様に言われたんだろ? 人間はもとより、俺たち八手一族に対しても一代いちだい神力ちからを向けたら、理由を問わず処分する、って」

「――このっ」

「三朗!」


 卑怯者、と奥歯が鳴ったが、その瞬間に、二緒子の手が強く三朗の腕を掴んだ。


「私なら大丈夫だから」

「でも!」

「いいの。――ありがとう」


 首を振って、二緒子は三朗にだけ目線を向け、精一杯とわかる表情で笑ってみせる。


「そんなことより、早く全部片付けて、兄様を下ろして差し上げましょう。ずっとあのままじゃ、お身体に障るから」


 その透明な笑顔に、三朗の胸奥には怒りより哀しみが広がる。

 斗和田にいた頃の二緒子が、こんな顔を見せたことはなかった。泣く代わりに、怒る代わりに笑って見せる、こんな酷い顔は。


「――わかった」


 大きく息を吸い、肺が空っぽになるまで吐き出して、へらへらと嗤っている副長やその周囲の連中に背を向ける。位置を少し変え、二緒子への不埒な見物の視線を自分の身体で遮るようにすると、両手に抱えた米俵を持ち直した。


 一台目の荷車が空になり、鬼堂家への進物の全てが大切に蔵にしまわれたところで、三朗はようやく二台目の荷車の隅に押し込まれていた一也のもとへ駆けつけた。


「兄上、動けますか?」


 冷たい汗にまみれて目を閉じている一也を引っ張り起こし、肩に担ぎ上げるようにして荷車から降ろす。

 そこへ二緒子も走り寄って、三朗の反対側から兄を支えた。


『美波屋』は、道に面した表だけに二階を設けており、その二階の部屋へは、玄関を入ってすぐのところにある帳場の階段から上がって行けるようになっていた。


 帳場の先からは一階の中廊下が真っすぐ奥へ伸び、その左右に六畳程度の座敷が三列ずつ並んでいる。


 戸渡左門は、自分と随従の若党二人は二階の部屋を使うことにし、戎士たちには、分散して一階奥の部屋に入るよう指示した。


 街中の宿で部屋の使用が認められるのは、温情などではなく、可能な限り戎士たちを一般の人々の目に触れないようにさせる為だ。

 故に、宿の外に出ることは勿論、座敷の外へ出ることすら厠以外は禁止し、宿の者たちにも戎士には関わらないよう厳命する。

 本来の旅籠屋ならある筈の食事の提供も戎士たちには無く、風呂や井戸の使用も認められない。


「お布団も使ったら駄目だって」

「屋根の下ならまだましだと思えってこと?」

「多分ね」


 小声で囁き合いながら、三朗と二緒子は、疲労困憊の一也を細い肩で支えながら、宛がわれた部屋に入った。


 その壁際の、一番隙間風などが入らなさそうな場所に、一也を横たわらせた時だった。


「――おい」


 内廊下から声が掛かった。

 振り返った二人の前で、半開きになっていた襖の間から、兵站担当の男が兵糧の包みと竹筒を投げ込んできた。またしても、二つずつだ。


「後は出入り禁止だ。大人しくしていろよ」


 居丈高な言葉を投げつけて、襖が閉められる。

 再び顔を見合わせて、二人は溜息を吐いた。

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