5 大咲村の夜-1

「ありがとうございます。ありがとうございます」


 草ぶきながらも立派な門構えの屋敷の庭では、盛大な篝火が焚かれていた。

 その庭を臨む座敷では、下座に控えた恰幅のいい老人が、へこへこと頭を下げている。


「あの赤熊の化け物には、これまで何人もの村人が喰われておりました。術者じゅつしゃ様方に退治して頂いたおかげ様で、明日から皆、安心して山や畑へ出られます」

「なに、我ら黒衆くろしゅうの術者は、異形いぎょうを狩り、人の世の安寧を護るが務め。礼には及ばんぞ」


 老人の向かいに居るのは、三人の男たちだった。

 一人が上座に敷かれた座布団に腰を下ろし、残りの二人は、その左右に控えている。

 老人が述べた謝辞に、ふんぞり返るようにして頷いたのは、上座に座った三十歳そこそこの男だった。

 灰色地に矢絣模様の直垂ひたたれを纏い、腰には太刀を佩いて、髪は後頭部で一つに纏めて黒色の布で包んでいる。小柄でのっぺりとした顔立ちだが、目だけがぎょろりと大きい。


 その男たちの前には、立派な塗りの膳が置かれている。その上には、椀に山と盛られた白米に焼いた魚や茸、猪汁といった豪勢な夕餉が、所狭しと並んでいた。


「こちらは、心ばかりのお礼の品でございます」


 更に、村長が差し出したのは、三方に乗せた紫色の巾着袋だった。様子からして、中身が金子であることは間違いない。


真垣まがき東北護台とうほくごだい様への御礼は既に表の荷車に用意させておりますので、こちらは、わざわざご足労頂きました戸渡とわたり様がお納めください」

「お、そうか? そういうことであれば、せっかくの志、有り難く頂戴しよう」


 男はすまし顔で頷き、特に悪びれた様子もなく巾着袋を手に取ると、懐へねじ込んだ。

 それから、見るからに上機嫌になって、呵々と笑った。


「我らが主公しゅこう鬼堂きどう興国おきくに様は、良民を見捨てるような真似はせぬ。お前たちが忠節を尽くす限り、如何なる異形が襲い来ようと、いつなりと我らが駆け付けるからな。その方らは安心して田畑仕事に勤しみ、良い米を真垣の城に納めるのだぞ」

「ありがとうございます。勿体ないことでございます」


 村長が頭を下げたところで、赤い前掛けの娘たちが白い瓶子を手に現れる。

 杯に酒が注がれ、酒宴が始まった。


 ***


「いい気なもんだよな」

「何が務めだよ。ここでふんぞり返っていただけで、何もしていないくせに」

「これが数馬かずま様なら、ご自身で現場まで出てきて指揮を取ったり、せめて井戸ぐらい使わせて貰えるよう村に交渉したりしてくれるんだがなあ」


 障子が開け放されているので、座敷の様子は広い庭から丸見えだった。

 檜皮ひわだ色の戎衣じゅういの男たちが、それを遠目に見ながらぶつぶつと呟いている。


(何もしてないのはあんたたちもだろ)


 とは口に出さず、三朗は大人しく男たちの一番後ろで、配給の順番を待っていた。

 目の前では、兵站を担当する男が、庭の隅に入れた荷車から籐の箱を下ろし、中から取り出した包みを一つずつ、周囲に集まっている男たちに渡している。


「あの人たちが、戎士じゅうし様?」

「戎士に『様』は要らないよ。そもそも、あの連中は人間じゃない。マナセなんだ」


 その耳に、遠くで小さく囁き交わされる声が聞こえて来た。

 村の周辺で暴れまわっていたヒグマもどきの妖種ようしゅが退治されたという報を受けて、村長の屋敷の前には少なくない老若男女が集まり、門の向こうから庭を覗き込んでいる。

 ある者は薄気味悪そうに、ある者は興味津々という顔で、ちらちらと三朗たちの様子を伺っている。


真那世まなせってのは、真神と人間の合いの子や、その子孫のことだ。で、その真那世の兵士を、戎士っていうんだ」

「山犬みたいに速く走ったり、猿みたいに樹に登ったり、手を使わなくても物を吹っ飛ばしたりできるんだろう? おっかないねえ」

「だから、妖種なんてものも退治できるんだよ。化け物をやっつけられるのは化け物だけさ」

「ねえ、大丈夫なの? そのマナセが、妖種みたいにあたしたちを襲って来ないって保証はあるの?」

「その為に、黒衆の術者様がついていなさるんだ。あの方々は、妖種すら捕えて家畜みたいに使役するっていう、凄い方々だからな」


 妖種は、この秋津洲あきつしまの各所で、ある日ある時、突然出現しては、村や田畑を破壊し、人を喰らう異形――言うなれば、『化け物』である。

 彼らには、人が扱う物理的な力――武士の刀や弓矢、農民たちの鋤や鍬などは通用しない。対抗できるのは、霊能の術者と呼ばれる、非物理の力と技を持っている特殊な人々だけになる。


 現在、この秋津洲には、その霊能の術者の集団が、複数存在している。

 その中で最大、最強の力を誇る派閥を神狩かがり一族といい、鬼堂家とその麾下である黒衆は、もとを正せばこれに属している。


 神狩一族は、『異形の脅威から人の世の安寧を護ること』を自らの責務と謳っている。

 実際、鬼堂家の先代当主で、四十年前に央城おうきの都からここの国に移ってきた鬼堂式部しきぶは、その言葉を座右の銘とし、自ら実践していたようである。


 だが今、現在の当主である鬼堂興国おきくにを含め、その麾下である黒衆くろしゅうに、妖種を狩る現場まで出てくる術者は少なかった。

 

 殆どの者は後方の安全地帯に待機し、麾下の戎士たちだけに危険を冒させて、人々からの感謝や労いは、全て当然のものとして自分たちだけが受け取る。


 一方、その戎士たちには食事一つ振る舞われることはないので、自前の兵糧食で飢えを満たすしかない。

 おまけに、今回は屋敷の井戸を使う許可すら出なかった。真那世などという『化け物』が触れたりしたら、大事な井戸水が穢れるのではないかと、村長が危惧したからだ。


 おかげで、水が欲しい場合は村はずれの川まで汲みに行くしかないという有様で、戎士たちは余計に鬱憤を溜め込んでいる。

 その眼前で、何もしない、してくれない上役ばかりが饗応を受けているとなれば、確かに腹が立つ。

 それに更なる拍車を掛けているのが、あちらでもこちらでもこそこそと続いている、興味半分、警戒半分の噂話だった。


「けど、真神ってのは、昔から山とか川とかに居る護り神のことをいうんだろう? 妖種と一緒にするのは、どうなのかねえ?」

「ばーか。神様ってのは、神社にお祀りされている天津神あまつかみ様や高台宗こうだいしゅうのお寺の仏様のように、神々しいお姿をしているもんだ。けど、真神は違う。昔語りに出てくるやつは、みんな、でっかい蛇だとか山犬だとかのかたちをしていて、妖種と対して変わらねえだろ」

「真神も、時に地割れを起こしたり、大水を起こしたりして暴れたそうだからねえ。昔々は、その度に若い娘を生贄に捧げたりしていたとか」

「真那世ってのは、その生贄の女の胎から生まれたんだろ? そういや、あの八手一族ってのは、五百年も前に吉利きつりさん山の奥に棲んでいた、大蜘蛛の子孫だって聞いたな」

「ええ? 大蜘蛛? いやだ。気持ち悪い」

「しっ、聞こえるぞ」


(聞こえてるよ)


 三朗は内心で呟く。

 真那世は人より遠くを見、遠くを聴くから、周囲の八手一族の戎士たちも皆、村人たちが囁き交わす声は聞こえている筈だ。


(真神と妖種が同じだなんて、そんな訳がないだろ)


 真神と妖種は、人間や鳥や獣のような、命と肉を持った物質界の生物ではなく、たましいを核として非物質の『力』で自らを構成している。

 そういう意味では、『同じ』である。


 しかし、その存在の要であるたましい――真神なら神珠しんじゅ、妖種なら妖珠ようじゅと呼ぶそれの強さと清澄さには、文字通り雲泥の差がある。

 一度だけとはいえ、故郷で父神に見えた経験がある三朗にとって、それは自明の理だった。


 だからこそ、両者を混同した挙げ句、真那世に対して、父なる神――すなわち祖神そじんを『気持ち悪い』とは、非礼にも程がある言いようだった。


 それでも、八手一族の戎士たちの中で反応する者は居なかった。


 鬼堂家の支配下においては、どのような理由があろうと、真那世が人間に危害を加えることは重罪となるからだ。


 仮に今、村人たちに鋤や鍬で打ち掛かられても、真那世に許されるのは、腕を上げてそれを防ぐまで。

 反撃して僅かでも傷を負わせたりすれば、問答無用で処分される。


 人間と寸分たがわぬ姿をしていても、人間より早く走り、高く飛び、更には、真神から引き継ぐ『神の力』まで有する真那世を、鬼堂家は妖種同様、人間ではないモノ――『異形』と認定している。

 だから、人間ではないモノが人間に危害を加えることは赦されない、と。

 そのようなモノに生きている権利はない、と。

 理由など一切考慮することなく、断定する。


 だとすれば、真那世の方は、下手に関わって人間から難癖を付けられたりしないように、悪口雑言や誹謗中傷も、時には実際的な攻撃さえも、理性を総動員して耐えるしかない。


 だが、真那世も人と同じく、理性と共に感情も持つ生き物であるから、当然、誹られて愉快な筈はない。

 では、どうやって苛々やむしゃくしゃを発散するかというと――。


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