4 大咲村の夜ー1

「ありがとうございます。ありがとうございます」


 草ぶきながらも立派な門構えの屋敷の庭では、盛大な篝火が焚かれていた。


 その庭を臨む座敷では、下座に控えた恰幅のいい老人が、へこへこと何度も頭を下げている。背後には、この大咲おおさき村の代表らしい男たちが十人前後並んでいて、やはり同じように平伏していた。


「おかげ様で、明日から皆、安心して山や畑へ出られます」

「なに、我ら黒衆くろしゅうの術者は、異形いぎょうを狩り、人の世の安寧を護るが務め。礼には及ばんぞ」


 座敷の上座に敷かれた座布団に腰を下ろし、ふんぞり返るようにして頷いたのは、灰色地に矢絣模様の直垂ひたたれを纏い、腰には太刀を佩いて、髪は後頭部で一つに纏めて黒色の布で包んでいる、三十そこそこの男だった。

 小柄でのっぺりとした顔つきだが、目ばかりがぎょろりと大きい。


 その男に、老人は更に深々とお辞儀をしてから、後ろへ向かって合図を送った。

 襖の影から、揃いの赤い前掛けを締めた二人の若い娘が現れる。

 それぞれが、立派な塗りの膳を両手で捧げ持っている。その上には、椀に山と盛られた白米に焼いた魚や茸、猪汁といった豪勢な夕餉が、所狭しと並んでいた。


「こちらは、心ばかりのお礼の品でございます」


 次いで、村長が差し出したのは、三方に乗せた紫色の巾着袋だった。様子からして、中身が金子きんすであることは間違いない。


東北護台とうほくごだい様への御礼は既に表の荷車に用意させておりますので、こちらは、わざわざご足労頂きました戸渡とわたり様がお納めください」

「お、そうか? そういうことであれば、せっかくの志、有り難く頂戴しよう」


 男はすまし顔で頷き、特に悪びれた様子もなく巾着袋を手に取ると、懐へねじ込んだ。

 そうして、見るからに上機嫌になって、呵々と笑った。


「我らが主公しゅこう、東北護台こと鬼堂きどう興国おきくに様は、良民を見捨てるような真似はせぬ。お前たちが忠節を尽くす限り、如何なる異形が襲い来ようと、いつなりと我らが駆け付けるからな。その方らは安心して田畑仕事に勤しみ、良い米を真垣まがきに納めるのだぞ」

「ありがとうございます。勿体ないことでございます」


 村長が頭を下げたところで、一旦姿を消していた赤い前掛けの娘たちが、今度は白い瓶子を手に現れる。杯に酒が注がれ、酒宴が始まった。



「いい気なもんだよな」

「何が務めだよ。ここでふんぞり返っていただけで、何もしていないくせに」

「これが数馬かずま様なら、ご自身で現場まで出てきて指揮を取ったり、せめて井戸ぐらい使わせて貰えるよう村に交渉したりしてくれるんだがなあ」


 障子が開け放されているので、座敷の様子は広い庭から丸見えだった。檜皮ひわだ色の戎衣じゅういの男たちが、それを遠目に見ながらぶつぶつと呟いている。


(何もしてないのはあんたたちもだろ)


 とは口に出さず、三朗さぶろうは大人しく男たちの一番後ろで、配給の順番を待っていた。


 目の前では、兵站へいたんを担当する男が、庭の隅に入れた荷車から籐の箱を下ろし、中から取り出した包みを一つずつ、周囲に集まっている男たちに渡している。


「あの人たちが、戎士じゅうし様?」

「戎士に『様』は要らないよ。そもそも、あの連中は人じゃない。マナセなんだ」


 その耳に、遠くで小さく囁き交わされる声が聞こえて来た。


 村の周辺で暴れまわっていたヒグマもどきの妖種ようしゅが退治されたという報を受けて、村長の屋敷の前には少なくない老若男女が集まり、門の向こうから庭を覗き込んでいる。

 ある者は薄気味悪そうに、ある者は興味津々という顔で、ちらちらと三朗たちの様子を伺っている。


真那世まなせってのは、真神まがみと人間の合いの子や、その子孫のことだ。で、その真那世の兵士を、戎士っていうんだ」

「山犬みたいに速く走ったり、猿みたいに樹に登ったり、手を使わなくても物を吹っ飛ばしたりできるんだろう? おっかないねえ」

「だから、妖種なんてものも退治できるんだよ。化け物をやっつけられるのは化け物だけさ」

「ねえ、大丈夫なの? そのマナセが、妖種みたいにあたしたちを襲って来ないって保証はあるの?」

「その為に、黒衆の術者様がついていなさるんだ。あの方々は、妖種すら捕えて家畜みたいに使役するっていう、凄い方々だからな」


 ***


 人は、自分たちの知識の範疇にない存在を、異形――化け物と呼ぶ。


 それは、世界の闇黒あんこくから沸き出でる妖種ようしゅと言われるものだったり、人の強すぎる想いが肉体を喪って尚この世にとどまり災いを為す怨霊と呼ばれるものであったりするが、とにかく、人が扱う物理的な力――武士の刀や弓矢、農民たちの鋤や鍬などでは太刀打ちできない、という点においては一致していた。


 故に、異形に対抗できるのは、非物理の力と技を持っている特殊な人々だけとなる。

 その力は霊力と呼ばれ、それを持つ者たちは霊能の術者と呼称されて、一般の人々から敬われ、頼りにもされている。


 この時代、その霊能の術者の流派は、既に複数、存在していた。


 その中で最大、最強の力を誇る派閥を、神狩かがり一族という。


 昔、央城おうきの帝の系譜の始祖である御間城みまきの帝が、南方から秋津洲あきつしまを東征し、の国は央城おうきに都を開いた。


 人はこれを自らの歴史の始まりとして、この年を鳳紀ほうき元年と定めるが、神狩の一族の名はこの前後から正史に登場する。


 央城に朝廷を開いた御間城の帝は、その後、四人の将軍を四州ししゅう――南方なんぽう西国さいごく北支ほくし東州とうしゅうに派遣して、秋津洲全土の平定を図る。


 神狩の一族はそれに従って各地へ下り、数多の真神まがみを狩り、妖種を滅し、真那世まなせの勢力を排除して、森羅万象を、闇黒を、真那世たちの土地を、人の土地へ替えることに貢献した。

 その功績を以て、彼らは貴族の列に名を連ね、朝廷に『常盤台ときわだい』という部署を得て、帝家と朝廷の霊的藩屏はんぺいとしての地位を築き上げたのであるが――。


 ともあれ、鬼堂きどう家とその麾下である黒衆は、元を正せばこの神狩一族に属しており、故に、『異形の脅威から人の世の安寧を護ることが自分たちの務めである』と標榜する。


 これは、鬼堂家の先代当主で、四十年前に央城の都から、ここ東方とうほう四国の内の一つの国に移り、真垣に拠点を築いた鬼堂式部しきぶの口癖だったそうで、実際、彼は、自らそれを実践していたようではある。

 その結果、息子興国おきくにの代になって、鬼堂家は、央城の帝から東方の地における異形、霊障れいしょうの駆逐、対処を委ねるという宣旨を受け、『東北護台』の尊名を授かっている。


 だが今、その鬼堂興国を含め、その麾下である黒衆に、実際に妖種を狩る現場まで出てくる術者は少なかった。

 殆どの者は後方の安全地帯に待機して、戎士たちだけに妖種と対峙する危険を冒させる。


 しかし、その戎士たちに村から食事が振る舞われることはないので、自分たちで持ち込んだ兵糧食を食べるしかない。その眼前で、何もしない、してくれない上役ばかりが饗応を受けているとなれば、確かに腹が立つ。


 おまけに、今回は屋敷の井戸を使う許可すら出なかった。おかげで、水が欲しい場合は村はずれの川まで汲みに行くしかないという有様で、余計に戎士たちは不満と鬱憤を募らせている。


 それに更なる拍車を掛けているのが、あちらでもこちらでもこそこそと続いている、興味半分、警戒半分の噂話だった。


「けど、真神ってのは、昔から山とか川とかに居る護り神のことをいうんだろう? 妖種と一緒にするのは、どうなのかねえ?」

「ばーか。神様ってのは、神社にお祀りされている天津神あまつかみ様や高台宗こうだいしゅうのお寺の仏様のように、神々しいお姿をしているもんだろう? けど、真神は違う。昔語りに出てくるやつは、みんな、でっかい蛇だとか山犬だとかのかたちをしていて、妖種と対して変わらねえ。だから、結局は同じなんだよ」

「そういや、あの八手一族ってのは、五百年も前に吉利山きつりさんの奥に棲んでいた、大蜘蛛の子孫だって聞いたな」

「ええ? 大蜘蛛? いやだ。気持ち悪い」

「どこのどういう女が、大蜘蛛の子供なぞ産もうって気になったんだろうなあ」

「しっ、聞こえるぞ」


(聞こえてるよ)


 三朗は内心で呟く。


 真那世は総じて人より遠くを見、遠くを聴くから、周囲の八手一族の戎士たちも皆、村人たちが囁き交わす声は聞こえている筈だ。


 それでも、戎士たちの中で反応する者は居なかった。


 鬼堂家の支配下においては、どのような理由があろうと、戎士が人間に危害を加えることは重罪となるからだ。

 仮に今、村人が鍬を振りかざして襲い掛かってきたとしても、腕を上げてそれを防ぐまではともかく、反撃して僅かでも傷を負わせたりすれば、その戎士は問答無用で処分される。

 だから、下手に関わって人間から難癖を付けられたりしないように、悪口雑言や誹謗中傷も、時には実際的な攻撃さえも、理性を総動員して耐えるしかない。


 だが、真那世も人と同じく、理性と共に感情も持つ生き物であるから、当然、誹られて愉快な筈はない。しかも、ただの村人たちなどよりよほど課せられる制約は多く、日々、多大な抑圧にさらされながら生きているのだから、苛々やむしゃくしゃも溜まりやすい。


 では、どうやってその苛々やむしゃくしゃを発散するかというと――。


「ちょっと」


 渡された包みを一瞥して、三朗は顔を上げ、兵站の担当者を睨んだ。


「足りないよ。俺たちは三人だ」

「あ? そうだったか?」


 三十代半ばのその男は、明後日の方向を見ながら、籐の箱の蓋を閉めた。


「悪いが、今夜の夕餉の分はそれで終わりだ。まあ、半人前のガキが二人に半死人が一人なら、それで十分足りるだろ?」

「何でだよ!」


 またか――と思いながら、三朗は声を荒げた。


「糧食はきちんと日数分、人数分が用意されてる筈だろ!」

御館みたちの補給係が何か間違ったんだろう。帰ったら、ちゃんと報告しておくさ」

「けど!」


「――文句があるなら、食うな」


 食い下がりかけた三朗の前に、黒い影が差した。


ひやま山組長」


 八手一族たちが一斉に左右に退き、現れた四十代半ばの黒ひげの男に、場を譲った。


「『えき』が完了した以上、後はもう引き上げるだけだ」


 男の金壺眼が、冷たく三朗を見下ろした。


「まして、あの『化け物』は、帰りは荷車に積んで運んでやらねばならんのだ。真垣まで歩かなくていいのだから、今夜の飯が少なくてもどうってことはない筈だ」

「神剣を使った後の兄上は、歩かないのではなく、歩けないんだ。その理由なら知っている筈でしょう」


 三朗は、ぎり、と奥歯を鳴らした。


「その兄上に無理を強いて、援護もせず、便利に使っておきながら!」

「だから何だ?」


 三朗を睥睨した眼が、薄く嗤った。


「『しち』のままでも戎士の任を担ってみせると主公に大言壮語を吐いたのは、あの化け物本人だ。なら、言っただけのことはやってもらうまで。なあ、お前たち?」


「そうだそうだ」

「組長の言う通り」


 同意を求めた黒ひげの男に、周囲の男たちが一斉に迎合した。


「それが嫌なら、あの時、大人しく『質』を妹に鞍替えして、下のちびのことも黒衆に差し出しておけば良かったんだ」

「そうそう。自分から苦労を買って出たなら、死んでも全うするのが筋ってもんだ」

「勿論、どうしてもと言うなら、助けてやらないこともないぞ。しかしながら、『質』の身で『役』に出て来るような化け物に、俺たち八手一族程度の神力でどれほどお役に立ちますことやら」

「そうだ。兵糧の数が足りないなら、蛙か蚯蚓でも捕ってきてやろう。篝火で焙ったらきっと美味いぞ。いや、竜神の御子なら、丸のみの方がお好みかな?」


 悪意と反感に満ちた揶揄と嘲笑が、さざ波のように周囲を伝う。


 遠くで、まだこそこそひそひそやっている村人たちをちらりと見やると、三朗は、噴出しかけた激昂を何とか呑み下した。


『存在の成り立ちは違っても、この天地の狭間に生きる命という意味では、人も真那世も同じなんじゃよ』


 記憶の彼方から、優しい声が聞こえてくる。


(そうだね、じい様。同じだ)


 ここへ連れて来られるまでは知らなかった。


 人も真那世も、根源的に異なるものを本能的に嫌悪し、差別する。

 だからこそ、誰かに抑圧されて生きるしかない者たちは、別の誰かを抑圧することで鬱憤を晴らし、均整を取ろうとするのだ。


 それが当たり前なら、立場的に一番下の者は、黙って耐えるしかない。


 苦い想いを堪えて、三朗は踵を返した。

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