星は遠くで小さく輝く

未田

星は遠くで小さく輝く

 夜空の星にどれだけ手を伸ばしても、決して届かない。

 だから、その小さな輝きを切なく、儚いとさえ感じていた――


 午後一時半。ミツキは今朝作った弁当を手に、ショッピングモールの従業員休憩所に向かった。

 とあるファッションブランドの販売員として働くようになり、二年。販売ノルマは厳しいものの――二十一歳のミツキは、憧れだったアパレル業界での仕事が楽しかった。特に現在は十一月のため、秋服だけでなく、新作の冬服もどう宣伝するのか考えていた。


 ミツキの生活で大きな楽しみは、もうひとつあった。

 休憩所では、いつも利用しているテーブルで、ミルクティベージュのミディアムヘアが項垂れていた。


「お疲れさまです、チカさん。どうしたんですか?」


 ミツキは向かい合う席に座り、弁当を広げた。


「聞いてよ、みっちゃん……。昨日、合コン行ってきたんだけどさ……」


 正面の女性は顔を上げ、泣く手振りを見せた。

 従業員証を首からぶら下げているその女性は、このショッピングモールの雑貨屋店員のチカだ。小柄で、童顔を濃い化粧で隠しているが――ミツキよりふたつ年上であり、社会人としても先輩だった。

 知り合って、一年以上になる。この休憩所で最初はチカから話しかけてきたと、ミツキは記憶している。過去よりシフトが似ていることから、こうして休憩時間が重なることが多かった。

 現在では休日に遊ぶほどの、友人だった。


「また、出会いが無かったんですか?」

「うん……。わたし、もうどうすればいいんだろ……」


 昼食を摂りながら、話を聞いた。

 チカが合同コンパで成果が得られないのは、現在に始まったことではない。

 ミツキの目からチカは、顔だけでなく、表情がコロコロ変わるところや幼い仕草が可愛いかった。世の中の男性は見る目が無いと、結果報告を聞く度に思っていた。

 そして――安心していた。

 合コンで出会いを求めるぐらいなら、私を選べばいいのに。私のこと、好きになればいいのに。

 ミツキは、従業員証と共に自身の首にぶら下がっている――星の輝きを模したピンクゴールドのペンダントを、指先で弄んだ。


「どうして男はさー、お天気お姉さんみたいな清楚系が好きなんだろうねー」


 そうは言うが、チカも接客業の都合上、いつもキレイめの格好だとミツキは思った。休日も同じ雰囲気だ。

 おそらく明るい髪色が男性に受けないと考えるが、ミツキは気に入っているので、口に出さなかった。


「みっちゃんこそ、まさに清楚系じゃん。ファッションセンスも良いしさー、合コン行ったら絶対に無双できるよ」


 確かに、暗いラベンダーアッシュのストレートロングヘアは清楚系と言えるだろう。ミツキは仕事での格好も、落ち着いたものを心がけている。

 だが、それは自分に似合うものを追求した結果であり、異性の目はどうでもよかった。


「私は合コンなんか興味無いです。彼氏も欲しくありません」

「そう言ってられるのも、今だけだよ。二十代なんて、あっという間だからね」

「いやいや……チカさん、まだ年寄り臭いこと言える歳じゃないですよね? 大体、私は――」


 チカさんのことが好きなんですから――そのようなことは、とても言えなかった。

 いつチカに恋心を抱いたのか、ミツキは覚えていない。外観が好みだけでなく、裏表の無い人柄は居心地が良かった。いつの間にか、ずっと傍に居たいという想いを秘めていた。

 とはいえ、女性同士の叶わない恋だと思っていた。不毛な片思いを捨てないといけないと、自覚しているが――頻繁に顔を合わせている以上、簡単には諦められなかった。


「みっちゃんも誘おうと思ったけど、来週の合コンもひとりで行ってくるよ」


 ミツキが言いかけた台詞を気に留める様子は無く、チカは悪戯っぽく笑った。

 おそらく、こうすれば食いつくと思っているのだと、ミツキは察する。

 しかし、別の決意と共に、ペンダントを握りしめた。


「そういうことなら、私に服装選びもメイクも任せて貰えませんか? 完璧に可愛く仕上げますよ」


 チカが他の誰かと結ばれた時には、きっと諦められる。そのために全力を尽くそうと思ったのであった。


「え……マジで?」


 予想外の回答だったのか、チカはぽかんとした。だが、少しの間を置き、幼い子供のように無邪気に笑った。


「本職のスタイリストが仕上げてくれるなら、わたし最強じゃん! ありがとう! 上手くいったら、お礼は弾むからね!」

「いや……。私、ガチのスタイリストでもないですけど……頑張ります」


 自分のためだと、ミツキは内心で付け加えた。

 喜んでいるチカを前にして、もう引き返せない。こうなった以上は、後悔も無かった。



   *



 後日。ミツキは休日をチカに合わせ、自宅であるワンルームの賃貸マンションに呼んだ。

 チカを部屋へ呼ぶのは、初めてではない。だが、ミツキは緊張していた。


「いやー。みっちゃんの服を借りれるなんて、嬉しいよ。……サイズ、合えばいいんだけど」

「私が昔着てたやつなんで、大丈夫かと」


 あくまでも、そういう体だった。

 実際は嘘だ。この日のために、ミツキはわざわざチカの衣服を買い揃えた。職業上、およそのサイズは目視で把握している。

 そもそも、数年遡った程度では、ミツキの衣服はチカのサイズに合わない。チカがそれを疑わないことに、助けられた。

 時刻は午後四時過ぎ。遅くても六時までには出られるよう、ミツキはチカの準備を始めた。


「それじゃあ、これ着てください」

「えー。なんか、可愛すぎない?」

「チカさんは、キレイめより可愛い方が似合いますよ」

「そうかなぁ」


 ミツキが用意した衣服は、淡いピンクのニットと、黒いプリーツスカート、そしてグレーのコートだった。

 チカは戸惑うも、それに着替えた。

 ニットはオーバーサイズであるため、全体的にゆったりとしたシルエットになった。ミツキの想像通りだった。ミルクティーベージュの髪色も、ニットの色にとても似合っている。


「ヘアセットとメイクも、していきますね」


 チカを床のクッションに座らせ、ミツキはスタイリング剤とコテを手に取った。

 普段のチカは毛髪を割りと大きく巻き、首元でくびれているフォルムを作っていた。だが、この衣服に合わせるために、ミツキはゆるく巻いた。

 メイクも、普段の濃いものとは一変――本来の童顔を際立たせるように仕上げた。

 午後五時過ぎ、一通りの作業を終えた。


「はい。完成です」


 ミツキは素っ気ない態度を装うが、会心の出来にとても満足していた。

 チカという素材を、可能な限り可愛く仕上げた。自分の理想を、かたちにした。


「わぁ。流石は本職……すごいね」


 チカは立ち上がると、姿見鏡の前に立った。


「なんだ……。わたし、めっちゃ可愛いじゃん! ありがとう、みっちゃん!」


 全身を隈なく確かめた後、振り返って無邪気に微笑んだ。

 最初は可愛く仕上げられることに抵抗があったが、このように喜んで貰え、ミツキは嬉しかった。

 可愛いとはいえ、幼くしたのではない。あくまでも、歳相応の可愛さを引き立てたため、気に入って貰えたのだろう。

 この出来は、チカ本人はおろか、きっと誰にも真似できない。チカを理解し、傍に居る自分だからこそ出来たのだと、誇りに思った。可能ならば、チカのこの姿を、他の誰にも見せたくないほどだ。


「これで今日はバッチリですね」


 だが、今回の合同コンパは上手くいくに違いない。ミツキは満足する一方で、これでようやく諦められるのだと――本来の目的を果たせるのだと考えると、物寂しかった。

 だからこそ、チカに何かが足りないことに気づいた。

 そう。アクセサリーだ。

 ミツキは自分の首にぶら下がっているペンダントを外すと、チカの背後からそっと着けた。


「これも持っていってください」

「え……。これ、みっちゃんがいつも着けてるやつでしょ? 大事なものじゃないの?」

「いいんですよ。恋愛成就のお守りで着けてましたから」


 正確には片思いが成就する願掛けとして、ミツキは着用していた。

 星の輝きを模した形状は、希望の象徴だ。中央のピンクトルマリンは、恋愛成就のパワーストーンだという。そして、ペンダントは円状であることから、縁を結ぶと言われている。

 それらの謳い文句に納得し、購入したのであった。

 しかし、いつも胸元で星が揺れていても、決して届かない。どれだけ手を伸ばしても、その輝きは絶対に掴めない。現実は残酷だ。

 ミツキにはもう不要だった。手を伸ばすことを、諦めた。

 結果的には効果が無かった。それでも、せめて――好きだった人には幸せになって欲しいという願いを、託した。

 チカの胸元に赤い星が輝いているのが、姿見鏡越しに見えた。

 淡く切ない輝きだった。


「え? そういう意味だったの? みっちゃん、誰か好きな人いたの?」


 こういうところには気づくのだと、ミツキは思った。

 いや、もしかすれば気づいて欲しいがために、口を滑らせたのかもしれない。


「私は、チカさんのことが好きでした」


 振り返って見上げているチカを、ミツキは抱きしめた。

 どうしてこのような言動に出たのか、わからなかった。告白の後――チカの唇にキスをしたことも、一連が衝動的だった。

 しかし、念願のキスだというのに一方的だったせいか、満足感は微塵も得られなかった。唇の感触も、よくわからなかった。

 その代わり、悲しみが押し寄せた。


「すいません……」


 ミツキは謝罪すると、チカに背を向け、窓辺に座った。


「わ、わたし――行くね」


 慌てた様子のチカの声が聞こえた。

 その後すぐ、玄関の扉が開き、狭い部屋から人気が消えたのを背中で感じた。


「はぁ。やってしまった……」


 部屋でひとりきりになると、ミツキはベッドで仰向けになった。

 不思議と後悔は無かった。どうせ失恋するならば、きちんと想いを伝えたかった。

 だが、あまりに自分勝手な行動だった。チカの驚いた様子から――間違いなく傷つけた。

 失恋以上に、それが辛かった。ミツキは罪悪感に苛まれ、クッションを顔に押し付けた。

 とはいえ、終わったことは仕方ない。これから職場の休憩所に足を運びにくいには当然のこと、遅番のシフトに変えようと思った。そして、なるべく避けてもチカが嫌悪感を示すならば、最悪は店舗の異動も必要になる。

 そのように、暗い気分で思考を巡らせていると、やがて意識は遠退いた。


 インターホンの音で、ミツキは目を覚ました。

 レースのカーテンを挟み、窓の外はすっかり暗くなっていた。

 夜空には星が、物寂しく輝いていた。

 いつの間に寝ていたんだろうと思いながら、ミツキはベッドから起き上がる。ぼんやりとした頭で、扉を開けた。


「みっちゃん……」


 だが、淡いピンクのニットを着た、小柄な女性――チカの見上げた顔を見ると、ミツキの頭は現実に引き戻された。

 怯えた眼差しを向けられ、先程の記憶が蘇る。今すぐにでも扉を閉めて遮りたいが、自分が撒いた種なのだからそうはいかない。

 そもそも、あのようなことがあったにも関わらず、どうして再び部屋を訪れたのだろう。現実から目を背けようとしたところ、そのような疑問が生まれた。


「ああ……着替え、取りに来たんですね」


 ミツキはチカが着ている衣服を認識すると同時、ようやく理解した。

 渋々、部屋に上げた。互いに気まずい雰囲気だが、今度こそ最後だとミツキは思った。

 居心地の悪い中、何気なく壁の時計を眺めた。時刻は午後七時過ぎだった。


「チカさん、合コンどうしたんですか?」


 予定では、今まさに楽しんでいるはずだ。それなのに、どうしてこの部屋に居るのだろう。

 ミツキはチカに振り返る。


「うん……。行かなかった」


 チカは俯き、ぽつりと漏らした。


「すいません。私のせいですよね」


 直前にあのようなことがあったのだから、とても行ける心境ではないに違いない。

 せっかく仕上げたのにバカな真似をしたと、ミツキは初めて後悔した。


「違う! みっちゃんのせいじゃないよ!」


 だが、顔を上げたチカから強く否定され、ミツキは驚いた。


「いきなりだったから……わたし、びっくりしたよ? でも、嬉しかった……」


 やはり、怯えているような――不安な表情のチカを、見るだけでも辛い。

 それでも、何かを訴えようとする声に、耳を傾けた。目を背けなかった。


「みっちゃんに、これだけ可愛くして貰って……大切に思われてるんだなって、よくわかった……」


 確かに、ミツキはチカを想って仕上げた。

 この気持ちが、少しは伝わったようだ。瞳の奥が熱くなるほど、嬉しかった。


「合コンなんか行かなくても、わたしを大切にしてくれる人が……素敵な人が、身近に居たんだね」


 チカが優しく微笑む。


「そうですよ。私にすればいいじゃないですか」


 ミツキは投げやりに言った。

 嬉しい気持ちと、この現実が信じられずに疑う気持ちが入り混じり、困惑していた。


「ごめん……。正直、女同士はよくわからない……」


 ほら、やっぱり――ミツキは心中で溜め息をついた。

 現実は残酷だ。期待してはいけない。

 いっそ、気持ち悪いと否定して欲しかった。


「でも、みっちゃんの気持ちには応えたいって――応えていきたいって、思ってる!」


 しかし、それがチカの気持ちこたえだった。


「みっちゃんと一緒に居ると、楽しいもん。これからも仲良くしたいよ」

「ただ仲良くするだけなら、私が辛いです! 私の気持ちを、無かったことにはしないでください!」

「うん。だから……みっちゃんのこと、恋人として意識していく。わたしも、みっちゃんのこと大切にしたい!」


 さっきまでの不安な表情ではなかった。真剣な表情のチカから、告げられた。


 チカの胸元で、赤い星が小さく輝いていた。

 力強い輝きに、希望の象徴だと思い出した。


「とりあえず、これじゃダメかな? 具体的にどう付き合えばいいのか分からないのは、本当なの」


 どれだけ近くても、決して届かないと思っていた。

 だが、想いは届いていた。手を伸ばせば掴めるのだと、確信した。

 ミツキの瞳から、涙が溢れる。手はそれを拭うよりも、前方に伸びた。

 正面から、チカをそっと抱きしめた。


「ありがとうございます……」

「お礼を言うのは、こっちの方だよ。本当、ありがとうね」


 チカから背中を擦られた。

 それでも、幸せな気持ちは瞳から溢れ続けた。落ち着くまで、時間を要した。


「そうだ。これ、返すね」


 チカがペンダントを外そうとしたが、ミツキは首を横に振った。


「チカさんにあげますよ。とっても似合ってるんで」

「ほんと? ありがとう」


 似合うと思うのは本当だった。

 願掛けとしての役目は果たした。もはや、かつての謳い文句は、ミツキにとってどうでもいい。

 これからは、掴んだ星を大切にするという決意を込めて、譲ったのであった。


「とりあえず、ご飯食べに行こうか」


 チカからの提案にミツキは頷き、準備をした。

 ふたりで部屋を出ると、顔を合わせて互いにはにかんだ後、手を繋いで歩き出した。

 十一月の夜は、肌寒い。だから、ミツキはチカの手が温かく感じた。

 遠くの夜空では、星が小さく輝いていた。純粋に綺麗だと思い、心が踊った。

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